能登半島地震から1カ月を前にした30日、朝日新聞デジタルは<崩れた家から救出の6歳 「自衛隊のお姉さん」からもらった手紙は宝物>と題した記事を配信しました。以下、抜粋します(記事は実名ですが、仮名とします)。
<石川県珠洲市のRさん(6)は現在、両親と断水の続く自宅で生活している。
そんな中、Rさんは一つの楽しみを見つけた。自衛隊のお風呂だ。
地震から1週間が過ぎた頃から、Rさんの家族は避難所となっている学校に設営されたお風呂へ通っている。
お風呂に通ううち、Rさんは運営担当の「自衛隊のお姉さん」と話すようになった。「おなまえは」「年はいくつ」。そんな話から言葉を交わすようになった。
発災直後、暖もとれずお風呂に入れない避難生活も経験していたRさんは、温かい湯船がうれしかった。そして、お姉さんと話すのが楽しかった。いつしか、「将来、自衛隊員になりたい」と口にするようになった。
10日ほど通った後、お姉さんは拠点となる駐屯地に戻ることが決まった。
Rさんは「まいにちありがとう」「きもちいいです」と感謝の気持ちを込めた手紙をお姉さんへ書いて渡した。
お姉さんが帰る前、Rさんはひらがなで記された返事の手紙をもらった。
「じえいかんになりたいって おてがみにかいてあって とてもうれしかったよ」「じしんがあって こわいとおもうけど ままのヒーローになってあげてね Rちゃんなら できる」
もらった手紙はRさんの宝物になった。持ち歩くピンク色のリュックに、大事にしまっている。>(写真左はRさんと母。同記事より)
「自衛隊のお姉さん」からの手紙を持ってほほ笑んでいるRさんの笑顔が愛らしい(記事に添付の写真)。この「自衛隊のお姉さん」のRさんに注がれた愛情は偽りではないでしょう。
だからこそ、悲しく、恐ろしい。Rさんが「お姉さん」への親しみと感謝から「将来なりたい」と口にするようになった「じえいかん」は、まぎれもなく自衛隊という軍隊に所属する兵士です。その主たる任務は災害救助ではなく「国の防衛」という名の戦闘・戦争です。
こうして「災害派遣」で間近に接した自衛隊員の姿から入隊を希望するようになった(なる)例は珍しくないでしょう。しかし、いったん入隊すれば、どこでどんな任務に就くかは命令次第。やがて、「人を救うために入ったのに、こんなはずではなかった」と苦悩するようになります(12月13日のブログ参照)。
災害出動・対策は自衛隊ではなく、それに特化した専門機関で、という声は以前からあります。しかし歴代自民党政権はそれに背を向け、自衛隊を出動させ続けています。それをメディアは救世主のように報じます。
それは被災地の市民の苦悩と現場の自衛隊員の善意を利用して、国家権力が憲法違反の軍隊を市民社会に浸透させ、同時に人員確保を図るためにの政治戦略です。
今回もその構図の中で、純真な少女が「自衛隊のお姉さん」にあこがれ、自らも「じえいかん」になりたいと思う。それをメディアが美談として報じる。だから、悲しく、恐ろしいのです。
災害が頻発するこの国で、差し迫る南海トラフを前に、自衛隊という違憲の軍隊ではなく、災害救助・対策に特化した専門機関の創設は喫緊の課題です。それこそが今回の能登半島地震の最大の教訓です。