那覇市の泊港北岸から道路を隔てたところに「泊外人墓地」があります。那覇に30年住んでいる友人も「あることは知っているが行ったことはない」というくらい、普段は清明祭以外、訪れる人もなくひっそりたたずんでいるこの場所も、きのう(27日)は墓参の人々がぽつりぽつ
り訪れ、午前中に日米の「国旗」が掲揚され讃美歌が流れるセレモニーがありました。メモリアルデーだったのです。5月最終月曜日がその日だと知る人も多くないでしょう。もちろん私も初めて訪れました。
入り口近くには、幕末に日本に開国を迫ったアメリカのペリ
ー艦隊上陸(1853)の記念碑が建っています。この墓地には戦前までに5カ国22人が葬られていました。最古は1718年の中国(清)人の墓です。ペリー艦隊の乗組員も5人眠っています。「琉球処分」(1879)から戦前・戦中の記録は沖縄戦で焼失して不明ですが、戦後は米軍人・軍属の墓地となりました。2004年の時点で墓碑は386あるそうです。1979年には那覇市の文化財にも指定されています。
黒い服の男性がいたのでご遺族かと思い話しかけてみると、この人も初めて訪れたとか。「摩文仁の慰霊祭には毎年行っているので、ここも。はやり黒い服でないとね」。感想を聞くと、「アメリカの旗ばかりだが、ここには他の国の人もいる」。なるほどと思わされました。
色とりどりの花や供物が供えられている墓石群の横に、訪れる人はなく、献花の筒さえなく、コンクリートの十字架は朽ち、石像も壊れたままで放置されている墓の一群がありました。子どもたちの墓です。
私がどうしてメモリアルデーを知ってこの日訪れることができたのか。この墓地にどんな意味があるのか。それは明日書きます。
<今日の注目記事>(28日付沖縄タイムスから。琉球新報も同様の扱い)
☆<オスプレイ「違反なし」 国、県指定の318件調査 運用と隔たり 知事反発>
(1面トップ)
「防衛省は27日までに、米軍普天間飛行場に配備されている垂直離着陸輸送機オスプレイの県内での飛行について、県が運用ルール違反として調査を求めた318件について、明確な違反はなかったことを確認した。・・・仲井真弘多知事は27日、『正式な報告を受けていない』と断った上で、『僕らはそうじゃないと思っている』と反発。高良倉吉副知事は『実際の飛行実態を反映した調査結果なのか』と疑問を呈し」た。
地元の県が318件も違反があると言っているのに、「違反はなし」とは・・・いったい沖縄はどれだけ足蹴にされればいいのでしょうか!
☆<稲嶺氏が出馬表明 名護市長選 辺野古移設反対貫く>(1面トップ下)
「名護市長の稲嶺進氏(67)は27日、市内で会見し、来年1月予定の市長選挙に2期目を目指し出馬すると正式に表明した」
名護市長選で万一稲嶺氏が敗れるようなことがあれば、普天間基地の辺野古移設は決定的になり、沖縄の自治の灯は消えます。来年1月の名護市長選はたんなる市長選ではありません。沖縄の、いえ日本の進路がかかっている、決定的に重要な選挙です。