あす2月11日は「建国記念日」とされています。「建国をしのび、国を愛する心を養う」とされた戦前の「紀元節」が1966年に復活したものです。「初代・神武天皇」が即位した日とされていますが、神武は神話上の人物です。
「2月11日」はまた、帝国日本の朝鮮植民地支配においても忘れてはならない日です。それは1940年のこの日、「韓国併合」(1910年)で植民地支配を本格化した明治政府が、皇民化政策の柱である「創氏改名」を強行するために「朝鮮民事令改正」と関連法令を施行した日だからです。
1940年は「神武天皇即位」から数えて2600年の「皇紀2600年」とされました。
「「皇紀二六〇〇年」の「紀元節」にあたるこの日に創氏が実施されたのは、いうまでもなく意図的なもの」(水野直樹著『創氏改名』岩波新書2008年)でした。
当時の新聞は、「きょう紀元の佳節は二千三百万半島同胞にとっては皇国二千六百年の興隆を壽ぎ奉る佳き日である」と政府を代弁してその「意義」を強調しました(同著)。
ここで改めて確認する必要があるのは、「創氏改名」とな何だったのかです。
「創氏改名政策は「創氏」と「改名」に分けて考える必要がある。
「創氏」とは文字通り「氏を創る」ことである。朝鮮の家族・親族においては、家の名称である氏ではなく「姓」がある。姓は父親の名字を子どもが引き継いで、結婚しても変わらないとうもの。夫婦が異なる姓を持っているのは、そのためだ。これは父系の親族集団が社会的結合の中心になっていることを表している。
これに対して、日本の家族は全員がただ一つの名字を名乗っている。これが「氏」である。このような氏のあり方は、明治時代に「イエ(家)」制度を確立して、天皇への忠誠心を持たせるために定められたものだ。
植民地支配の下に置いた朝鮮でも朝鮮人に天皇や日本国家への忠誠心を持たせる、そのためには朝鮮の家族のあり方を日本と同じようにする必要があると支配当局は考えた。その手段の一つが「創氏」だった。
一方、改名、つまり下の名前を改めるのは、義務ではなく「任意」とされた」(水野直樹氏「植民地支配政策としての創氏改名」、月刊「イオ」2022年2月号所収。写真左は「創氏」の届け出風景、写真中は「創氏届」を急ぐよう促すポスター=同誌より)
「氏」とは、「明治時代に「イエ(家)」制度を確立して、天皇への忠誠心を持たせるために定められた」ものであり、それによって「日本の家族は全員がただ一つの名字」を名乗るようになった。「氏」制度と「夫婦同姓」制度は一体不可分なのです。
「暴走する軍国主義日本は、韓国人の言葉や名前までも奪おうという同化政策「皇民化政策」(「創氏改名」―引用者)を実施する。「夫婦別姓」というテーマに寄せるなら、この皇民化政策下の5年のみが、朝鮮半島で「夫婦同姓」が実施されたことになる。ここからも日本の夫婦同姓と天皇制のつながりが推し量られる」(伊東順子氏「韓国 戸主制度を破棄した、絶対的夫婦別姓の国」、『夫婦別姓―家族と多様性の各国事情』ちくま新書2021年所収)
岸田文雄首相はじめ政府・自民党幹部は、「ふうふべっせい(夫婦別姓)」とは言わず、「ふうふべつうじ(夫婦別氏)」といます。彼らにとっては、夫婦別姓はたんに夫婦の「姓」が別になることではなく、天皇制を支える「皇民化政策」としての「氏」の不同一化、「氏」制度の崩壊を意味するのです。
ここに、自民党(とりわけ右派グループ)が「夫婦別姓」に反対する本質的理由があります。
法律で「夫婦同姓」を定めているのは世界中で日本だけです。その根源的理由は、天皇制を支える「氏」制度を固守するためです。
基本的人権擁護の視点からも、国際的常識からも、「選択的夫婦別姓」の実現は急務です。
それは人権尊重に逆行する時代錯誤の天皇制を支える「皇民化政策」の陋習を打破することにもなるのです。