アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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朝鮮人強制連行・「群馬の森追悼碑」訴訟が示すもの

2018年02月17日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

     

 県立・群馬の森(高崎市)に建てられている朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑(「記憶・反省そして友好」の追悼碑)を、群馬県(大沢正明知事)が撤去(10年目の設置更新を不許可)しようとしていることに対し、市民が取り消しを求めている裁判で、前橋地裁(塩田直也裁判長)は14日、県の不許可処分は「裁量権の逸脱」だとする原告一部勝訴の判決を言い渡しました(写真左は「人権と生活」誌から、写真中、右は朝鮮新報から)。

 群馬県以外では大きく取り上げられていませんが、全国的意味をもつ重要な訴訟であり判決です。

 追悼碑は、1998年に発足した「朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会」(当時)が運動し、全国から500個人・60団体の賛同と1000万円の募金を集めて建てたもの。建設は県議会で全会一致で決まり、2004年4月24日の除幕式には県幹部も出席。「県有地にこのような追悼碑を建てるのは日本で初めて」(角田義一弁護団長=写真右)で、毎年碑の前で追悼式が行われてきました。「群馬の森」は戦前、朝鮮人が強制連行・強制労働させられた日本軍火薬製造所の跡地です。

 ところが、2012年5月ころから県の態度が一変します。在特会など右翼団体による追悼碑敵対行動が活発化してきたからです。彼らは街宣でヘイトスピーチを繰り広げる一方、2013年には県議会に「追悼碑撤去」の請願を提出。結果、県は設置更新を不許可にしました。在特会への屈服です。裁判の中で塩田裁判長も、「排外主義団体の抗議前と抗議後で県の態度が一変していると県側に鋭く指摘」(2015年12月14日付朝鮮新報)しました。

 今回の判決の注目点は主に3点あります。

 ①   ヘイトクライムとのたたかいにおける一定の前進

 県の不許可処分を「裁量権の逸脱」と断じた判決は、在特会に屈服した群馬県の姿勢を指弾したものであり、ヘイトクライムとのたたかいにおける一定の前進です。各地で起こっている在特会など右翼の妨害と自治体の「萎縮」に対する警告といえます。

 ②   「言論・表現の自由」「政治活動の自由」擁護の必要性 

 県が不許可処分にした口実は、碑の前で行われる追悼式での「強制連行の事実を訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」などの発言が「政治的」であり「設置条件」に反するというものです。言論・表現の自由、政治活動の自由に対するあからさまな侵害です。
 しかし、判決はこの県の主張を事実上認めてしまいました。公共施設の使用に関して「政治的」との理由で使用を不許可にする自治体が増えており、全国的教訓とする必要があります。

 ③   「強制連行」の隠ぺい図る歴史修正主義とのたたかい

 群馬県が追悼式典を「政治的」とした主な理由は、「強制連行」という言葉が使われたことです。日本政府は戦前の朝鮮人強制連行を「労務動員」だと強弁し、その犯罪性、植民性を隠ぺいしようとしています。群馬県は一貫してそれに従っており、碑文決定段階から「建てる会」の原案にあった「強制連行」を「労務動員」に変えるよう要求。「建てる会」もそれで妥協しました。

 しかし、「朝鮮人強制連行」は紛れもない歴史的事実です。
 群馬県の不許可処分に対し、東京歴史科学研究会は「反対声明」(2014・7・22)を出しましたが、その中でこう指摘しています。

 「朝鮮人強制連行については、これまでに多数の調査・研究が蓄積されてきた。朝鮮人に対する日本の加害は、揺るがせにできない事実である。…追悼碑を撤去することは、歴史の事実を否定し、朝鮮人犠牲者の尊厳を冒涜する行為に他ならない」

 今回の判決に対し、原告側の下山順弁護士は、「『強制連行』という用語が歴史学的に確立しているにもかかわらず、県の主張する許可条件を不明確ではないとした裁判所の判断は不当だ」と指摘。報告会参加者の中からは「今後、強制連行という言葉が死語にならないか心配だ」との声も出ています。(15日付朝鮮新報)

 強制連行=朝鮮人に対する日本人の加害の史実の隠ぺいを許さないことは、日本軍性奴隷(「慰安婦」)問題とともに、歴史修正主義とのたたかいの重要な焦点です。


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