癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

恵山の捜索3日目情報 & 展望抜群「アニエスの塔」ほか

2020年05月17日 | 日常生活・つぶやき

<画像は陸上自衛隊第11旅団の公式ツイッターより拝借>

 一昨日から恵山で行方不明になった高校生の捜索だが、今日は自衛隊も(約60名、車両訳10両)災害派遣として捜索活動にあたったようだ。また道警ヘリやドローンを飛ばしての捜索にも関わらず、今日も手掛かりがなかったそうだ。

 関係者からの情報によると、権現堂コースのベンチ付近からショートカット、山頂から火口方向へのルートや馬の背から前山展望台までも自衛隊や道警山岳機動隊による捜索が行われましたが発見できず、ヘリコプターによる斜面の詳細な確認にも関わらず発見できていません。ほかにもローラー展開で火口原一帯を捜索しても手がかりなし。各登山コースも2回調査したが…。正直あとどこを探せばよいのか…といった状態です」・・・とのこと。

 火口原駐車場に自衛隊、警察、消防の車がある中、一般登山者が引き返すこともなく堂々と登山に行く姿に腹立たしくも思ったとのこと。なぜ、立入禁止にしなかったのだろうか?野次馬気分で登りに来た人もいるのでは?

 ヘリコプターによる捜索では、火口原より上は樹林がないので、絶対簡単に見つかると思ったのに・・・。一体、どこへ消えてしまったのか・・・? お手あげ状態のようである。

 実は、自分は「新日本百名山 恵山に登る会」の代表でもあり、鎌鹿さんが事務局長でもある。恵山関係のイベントにはいろいろ協力しているし、恵山に関わる関係団体にも名を連ねている。それだけに、今回の行方不明事件は心痛の思いである、なんとか1日も早く発見してほしいものである。なお、今回は新型コロナのこともあり、官民一体の捜索はしないことになり、我々にも協力要請は来ていない。

 

◎アニエスの塔ほか

 昨日、何気に函館市内の方のブログを見ていたら、今まで見聞きしたことのない塔の名前と画像が飛び込んできた。函館市内の施設はほとんど知っているつもりだった。しかし、読んでいったら、どうやら、旭岡町にあるフィリップ・グロード神父さんが開設した「高齢者総合施設・旭ヶ岡の家」の奥にある関連施設らしい。それでは、行かずばなるまい・・・ということで、今日のお出ましとなった。

 旭ヶ岡の家は、現職のころ仕事関係で訪問したことはあるが、広大な敷地の中にいろいろな高齢者の施設があるらしい。

「旭ヶ岡の家」の門の前を通過して、右側の道を奥まで進む。

 突き当りに赤い門があり、「本間広場」の看板があった。門の開閉時刻も記されていたところを見ると、一般開放をしているようだ。

 小高い丘の上に建つ15mほどの鉄骨製の塔である。いつ頃作られたのかは不明だが、2003年に登った人の記録があるので、それ以前からあるようだ。自分も立派な高齢者だが、ここの施設に関係した高齢者がここに登って景色を楽しむのにはちょっと高すぎる気もする。一般開放されている施設と考えた方がよさそうだ。

 なお、「アニエス」とは、この塔を寄贈された方のクリスチャンネームらしい。古代ローマ時代のキリスト教の聖人のことで、女性名とのこと。もしかしたら、本間広場とあるので、本間さんという方なのかもしれない?

 早速、上まで登ってみた。360度の展望が広がる。特に函館山方向の眺めは抜群である。

 最高部の展望台の四方の手すりには、国内はもとより世界各地の方位に合わせた地名と直線距離が表示されている。

 東京日本橋まで685km、富士山まで730㎞、知床まで500㎞、南極点まで14,435㎞ ローマまで9,400㎞、ニューヨークまで10,300㎞、モスクワまで7,000㎞、一番遠かったのが、リオデジャネイロまで18,800㎞だった。何ともグローバル且つ興味深い数字が並ぶ。

 この地点の北緯と東経のほかに、「ナント9600kmもトンデキタモノダ!」とある。パラシュートがフランスの国旗である青、白、赤の三色旗。これは、1954年にフランスから来日し、1961年に函館元町カトリック教会主任司祭に就任したグロード神父さんの出身地がフランスのナント市で、展望台の表示にもナント市までは9600kmと書かれていた。

 この塔以外にもいろいろありそうなので、少し敷地内を散策してみた。

 有料老人ホーム旭ヶ岡の家の正面玄関


雑ネタもろもろ・・・

2020年05月16日 | 日常生活・つぶやき

 今日は夕方から雨予報で、朝から天気が良くなかったので、ステイホームに徹した。そこで、もろもろの雑ネタをどうぞ!

◎重宝しているNHKBSプレミアムの番組

 最近、外出自粛で、TVの視聴時間が長くなっている。その中で重宝しているのが、NHKBSプレミアムの番組である。

 特に、グレートネーチャー、グレートアドベンチャー、グレートレース、グレートトラバースなどのグレートシリーズ、さらには、スーパープレミアム、新日本風土記SP、BSシネマなどなど・・・。再放送も多いが、見落としがないように録画して視ることが多い。

 グレートネーチャーで最近最も感動したのが、トップ画像の、本当にこの世にこのようなところがあるのかと思ったペルーの絶景「レインボーマウンテン」である。北斗市のNa女史が今年になってこの山を中心としたトレッキングツアーに参加してきたと聞いていただけに、その素晴らしさを間接的ではあるが実感できてうれしかった。

 BSシネマでは、懐かしいチャップリンの映画や、ジョン・ウェインの西部劇も数本、視ることができた。

 

恵山地域地熱発電の資源量調査

 一昨日、サクラスミレを探しに恵山の麓へ行ったら、見慣れない鉄塔櫓が目に入ってきたので、近くまで行ってみた。

 場所は、登山車道からつつじ山の方へ入っていく作業道路の先である。

 新たに温泉の採掘でもしているのかと思ったら、地熱発電所の設置に向けての資源量調査だった。調べてみたら、昨年の7月にはこの鉄塔が立っていたはずだが、紅葉登山会の時には気づかなかった。

 北海道の地熱発電所は、現在、森町濁川地区にある「森地熱発電所」が1ヶ所だけである。しかし、すでに函館市臼尻町に「南茅部地熱発電所」の建設が昨年から始まっている。そのほかに、鹿部町や八雲町熊石地区や鉛川地区でも調査が進んでいるようだ。この恵山にも地熱発電所ができたら、道南は一大地熱発電所地帯になる・・・しかも、函館市に2ヶ所。

 地熱発電所は、コストパフォーマンスが悪いとか、温泉への影響や景観への影響から、これまでに建設があまり進んでこなかったのだが、最近は全国あちこちで急激に進んでいるようだ。太陽光や風力やこの地熱など、自然エネルギーを利用した発電がどんどん進むと、原子力発電が必要でなくなるはずなのだが・・・。

 

◎函館や近郊の温泉の営業状況

 昨日の帰りに北斗市のせせらぎ温泉に入ろうと思ったら、明日から営業再開とのことだった。しんわの湯に寄ったら営業していたので、そこで汗を流して帰った。カウンターはビニールカーテンが下ろされていた。

 しんわの湯は、5月7日から時間短縮で再開されていて、このような貼り紙が掲示されていた。ポイント2倍DAYなどの営業努力もされていた。

 北斗市健康センターせせらぎ温泉は、「令和2年5月16日(土)から、営業時間を短縮して再開します」・・・とのことだった。営業時間:午前9時~午後9時。

 やはり、「新型コロナウイルス感染予防対策についてのお願い」ということで、いろいろな対策が講じられている。下記の対策をコピペさせてもらったが、しんわの湯も同じような対応がとられていた。

・サウナ、打たせ湯、泡風呂は当面休止させていただきます。

・発熱などのカゼの症状がある方は、ご利用をご遠慮ください。

・入館時は、マスク着用の上、手指の消毒をお願いします。

・なるべく隣同士での洗い場の使用はご遠慮ください。

・休憩室やロビーではソーシャルディスタンスを保って、お座りください。

※その他、感染予防対策として、こまめな換気や1時間ごとの消毒などを実施しております。

※研修室の貸し切りは中止しております。

 函館市内のほかの民間の温泉は、これまでは混む日曜日だけ休業したところもあったが、現在では、時間短縮や新型コロナ感染防止対策を講じて営業しているようだ。

 ただ、函館市内の65歳以上の市民なら無料で入れる恵山福祉センターと湯川老人福祉センターなどは5月31日まで休業。同じ公営でも戸井のふれあいセンター湯遊館は5月12日から営業を再開している。

 

◎コロナを飲んでコロナに勝とう!

 妻が、スーパーで売っていたと、買って来てくれたメキシコのコロナビール。輸入ビールでは、”輸入量1位”のビールだそうだが、知らなかったし、口にするのも初めてだった。。

 正式な飲み方は、ライムを差し込んでラッパ飲みをするらしいが、ライムがないのでレモンを差し込んで飲んでみた。苦みも控えめで軽い感じの味わいだった。

 

◎月1販売のベーグル

 最近ベーグルにはまっている妻が今日買いに行ったのが、月1の土曜日だけ販売をしているというベーグルだった。

 店は、花園町の一人で経営しているという「ちいさなぱんや」。営業は月・火・木・金だが、ベーグルだけは毎月一度だけの土曜日。予約した方がいろいろな種類が買えるらしい。最近のベーグルブームもあって、大繁盛らしい。買って来てすぐに食べたが、焼き立てのせいか、ほかのベーグルより柔らかくてとても美味しかった。

★過去記事~「パンとベーグルの違い」

 

◎恵山で高校生が行方不明

 恵山で、昨日、2人の姉と一緒に恵山に登っていた高校生の行方が分からなくなっていて、警察や消防などで捜索している。

 15日午前8時ごろに入山し、頂上に着いた後先に山を下り、その後行方が分からなくなっているそうだ。その後家族も駆け付け、付近を9時間も捜索するも見つからず 15日午後8時ごろに警察に通報したとのこと。

 警察は遭難したとみて16日も早朝から警察と消防など50人以上の体制で捜索しているが、今日の現場付近は濃い霧に包まれ捜索は難航、17時段階でも、手がかりはまだ見つかっていないようだ。なお、携帯電話や食料は持っておらず軽装だったという。

 自分の庭のように遊びまくっている恵山だが、初めて登る人にとっては、登山道を外せば、危険なところはたくさんある。多分、火口原駐車場から権現台コースを登ったと思われるのだが・・・。昨日は晴天だったが、今日はガスで覆われて捜索が難航しているらしい。早く無事に見つかってくれることを祈るばかりである。明日は自衛隊も出動するらしい。


「慰霊の道」草刈り~桧沢の滝・大石の沼

2020年05月15日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

 今年も故齋藤浩博敏さんの「慰霊の道」の草刈りに行ってきた。2014年2月に毛無山~設計山への縦走途中で行方不明になり、4月上旬に遺体が発見された場所である。そこに、遺族からいただいた謝礼金の一部で、捜索に当たった有志で道を付けて、慰霊プレートを設置した。

 それから7回忌を迎えたが、いまだに訪れる方がいらっしゃるので、一人で毎年この時期に草刈りをしている。

 今日歩いたトラックログ(ヤマレコ)

 桧沢橋はまだ天板が設置されていなかった。多分、毎年開催している登山会が今年は新型コロナの関係で中止になったので、まだ架けないでいるようだ? ここを草刈り機持参で渡るのは怖かったが、待っていてもいつになるか分からない。意を決して、右手で草刈り機を押さえ、左手と脇で上の手すりを挟むようにして、一歩一歩慎重に恐る恐る渡った。

 

 草を刈りながら進んで行ったら、最後の急なところに、垂木で階段が作られていて、驚いた。切り口からすると昨秋か今春の仕事のようだ。一昨年にはプレートがずり下がっていたのを直してくれていた方もいた。どなたかは不明だが、ありがたいことである。

 登って行ったら、プレートの横に、垂木を切ったものが置かれていた。これを一人で持ってくるのは大変だろうから、数人でやってきているのだろう。しかし、2,3当たってみたが、思い当たる人が見当たらない。このような奇特な方がいることに感謝、感謝である。

 数年前にプレートの前を休みやすいように整地してくれた人も、ずり下がっていたプレートを直してくれ人も、みな同じ人かもしれない。

 <追記>ずり下がっていたプレートを直し、剥がれかかったところを透明のビニールテープで補修してくださったのは、岳友のmyuさんだということは判明したが、彼が昨年の10月下旬に寄ったときには、階段はまだなかったそうだ。

 訪れる方が、いろいろな花を植えていくので、それを切らないように鎌で仕上げをするのが大変。日本酒の桃川とペットボトルの水が供えられていたので、それはそのまま残してきた。

 刈った草や笹などを除けながら、戻った。毎年草刈りをしているのと、訪れる人が多いらしく、踏み跡はしっかりしてきた。

 このあと、桧沢の滝と大石の沼を見に行った。

 新緑に包まれて、雪解け水で豪快に流れ落ちる「桧沢の滝」

 

新緑を湖面に写す「大石の沼」

 

辺り一面を緑色に染めるブナの新緑

 

桧沢沿いの花々

 (左上)ミドリニリンソウ、(右上)オオバキスミレ、(左下)サンカヨウ、(右下)タチカメバソウ

 

今日の収穫物・・・(左上)タラの芽(別なところで収穫)、(左中)コシアブラ、(左下)クレソン、(中2列)ウド、(右)サワブキ。


マキノスミレとサクラスミレに逢いに・・・

2020年05月14日 | 花・紅葉だより

 新型コロナの影響で、人との接触は避けたいが、それだけにこの時期ならではの花には余計に逢いたくなる・・・というわけで、これも3年ぶりに、恵山地区のとあるところにひっそりと咲くサクラスミレとマキノスミレに逢いに行ってきた。どちらも北海道では珍しいスミレである。

 最初の廃道化した林道の藪を漕いで向かった428ピークでは、サクラスミレは1株も目にすることができなかった。諦めて、再び藪を漕いで次のマキノスミレの目的地・海向山左回りコースの456ピーク~海向山への急登部分に向かった。こちらでは3ヶ所ほどで、十分な株を見ることができた。

北海道には分布しないことになっているマキノスミレ

 ピンと尖った濃い色の葉に赤紫色の花と茎が特徴。全体の姿は細身ですっきりしてスマートな感じである。北海道の図鑑には載っていないスミレで、道内ではここでしか見られないようだ。自分も目にするのはこれで2回目である。

 いろいろなスミレの中では小さい方の部類に入る。1円玉と比べて見てその大きさを把握してほしい。

 このマキノスミレを見た後、途中から戻って、藪こぎで登り返した428ピーク付近でサクラスミレを30分以上も探したがついに1株も見ることができなかった。まだ、こちらは時期的に早かったようだ。

 ふと、3年前にマキノスミレを見た下山時に、恵山の高原コースの下の方でサクラスミレを1株だけ見たことを思い出した。ダメもとでそちらへ移動したら。案の定、登山道沿いに1株だけ見つけることができた。もしかしたら?と思い、その上の斜面へ上ってみたら、なんと10株以上も目にすることができた。

「スミレの女王」と言われるサクラスミレ

 花びらの中央部に窪みがあって、サクラの花びらのように見えることが名前の由来らしい。スミレの中でもっとも大きい花で、まさに「スミレの女王」にふさわしい姿である。葉も細長く上にシュッと伸びている。北海道では太平洋側に分布し、日本海側には見られないとのことだが、自分はこの地域でしか目にしたことがない。

こちらは、1円玉より大きい。

 「さくらすみれ」とネットで検索したら、ちびまる子ちゃんのお母さんの名前にヒット。これにはびっくり!マンガの中では肝っ玉母さんぶりを発揮しているが、ずいぶんと美しい名前だったのだ・・・。

 今日一番多く目にしたタチツボスミレやフイリミヤマスミレと比べると、上の2つの特徴が良く分かる。

タチツボスミレ

フイリミヤマスミレ

 今日現在の恵山つつじ公園のエゾヤマツツジ・・・今年はつつじ祭りも中止なので、つつじ公園駐車場は閉鎖されていた。歩数計は約17,000歩だった。


函館レトロ建築探訪(その7)~港が丘通りの「伝統的建造物」

2020年05月13日 | レトロ建築・古民家カフェ

 今回は、いつもは観光客で賑わうハリストス正教会から公会堂までの「港が丘通り」に面した「伝統的建造物」を紹介したい。

◎函館ハリストス正教会復活聖堂(元町3-13)<大正5年(1916年)築>

 函館では有名な建物のひとつ。いかにもロシア正教会らしい外観。2~3枚積の煉瓦壁の表面に、白漆喰仕上げとした美しいビザンチン様式で、屋根は木造小屋組の銅板貼りである。鐘楼の尖塔を含めて、6個のキューポラと十字架の付く形式は、日本で唯一のものである。煉瓦造平家建て。(国指定重要文化財)

 

◎遺愛幼稚園(元町4-1)<大正5年(1916年)築>

 ハリストス正教会の隣にある大正初期築の遺愛幼稚園。雰囲気はアメリカンコロニアル風。当初はここに遺愛女学校があり、その後この幼稚園が併設され今も残っている。

 赤い屋根にピンクの下見板張りの外壁と柱や窓枠は白。玄関ポーチは破風の形が和風だが、正面をガラス張りとして、両側が吹き放しで、左右から階段を通って出入りするようになっている。シンプルながら軽快ですっきりしたデザイン。設計者は不明だが、杉並町にある遺愛本館との意匠が似ているので、本館と同じJ.M.ガーディナーの可能性があるといわれている。

 

◎山田家住宅(元町7-11)<昭和9年(1934年)築>

 1階は、南京下見板張りで横長開口部、2階に縦長窓と白小壁を持った昭和初期のシンプルな和洋折衷様式の建物である。

 

◎茶房 菊泉(元町14-5)<大正10年(1917年)築>

 和風平屋建の妻入り建物としては、当該地区では唯一のもので、平成12年から住宅を店舗として再利用している。かつての酒問屋別邸で、当時独占販売していた大分県の酒蔵の清酒「菊泉」に由来する。

★過去記事~古民家カフェ「茶房 菊泉」(内部の画像もどうぞ!)

 

◎甘味茶房 花かんろ(元町14-5)<大正10年(1921年)築>

 昭和の始めごろから駄菓子屋を営んでいた実家の商店兼住宅を、1995(平成7)年に一部改装(2階部分はその時の増築)して始められた店である。
 和洋折衷の粋な外観は当時の姿そのままの外風情のある外観が魅力である。竣工時の平屋の部分と増築の2階部分は何の違和感もなく見事に融合している。今でも実家時代から続けて、たばこや切手・はがきなどの販売もしている。

★過去記事~古民家カフェ「花かんろ」(内部の画像もどうぞ!)

 

◎元町日和館(元町10-13)<大正10年(1921年)築>

 1階2階とも、上げ下げ縦長窓、南京下見板張り、胴蛇腹、持ち送りなどシンプルではあるが特徴を持った建物である。右側の外装修理中の建物もセットで「元町日和館」となっている。

 函館の作家の作品や授産施設で作られた雑貨などを扱うみやげ店。函館みやげとして人気の北うさぎグッズやポストカードの品揃えが豊富。

 ここから北側に並ぶ6棟の民家がすべて大正11年の建築で、伝統的建造物に指定されている。

 

◎旧門前家住宅(元町10-11)<大正11年(1922年)築>

 1階は簓子下見板張りに格子付引違玄関戸、2階は戸袋付横長開口部、庇に化粧垂木を配した和風の建物である。

 

◎川村家住宅(元町10-10)<大正11年(1922年)築>

1階は簓子下見板張りに漆喰塗りの小壁の和風、2階は縦長の上げ下げ窓、持ち送りを持った和洋折衷住宅の町家である。

 

◎小林家所有建物(元町10-10)<大正11年(1922年)築>

 簓子下見板張り、軒裏化粧垂木、漆喰塗りの小壁など、純和風の建物である。

 

◎小林家住宅・旧三浦家住宅(元町10-9)<大正11年(1922年>

★小林家住宅(左)~南京下見板張りで縦長窓、胴蛇腹や持ち送りなど、この付近では珍しい洋風建物の原型をそのまま保持している建物である。

★旧三浦家住宅(右)~1階2階とも簓子下見板張りとなっており、格子付き横長窓、和風の特徴を持つ玄関屋根、化粧垂木などを持った、当時の町家住宅である。

 

◎黒田家住宅(元町13-7)<昭和2年(1927年)築>

 元町公園に向いて北向きに建つ建物。屋根は桟瓦葺、外壁は小壁に漆喰塗りを持った簓子下見板張りと、和風の建物であるが、左側に洋風部分を持ったモダンな建物である。

 

◎旧函館市公会堂(元町12-1)<明治43年(1910年)築>

 函館港を見下ろす高台に建つ旧函館区公会堂。正面にバルコニーを見せるコロニアル様式の木造洋風建築の典型的な建物で、両袖妻の唐草模様の装飾と正面玄関にあるコリント式オーダーの柱頭飾りの彫刻意匠も良く、ドーマーウインドーを設置している北海道独自の洋風スタイルである。(国指定重要文化財) 

 ブルーグレーとイエローの組み合わせがとても美しく、見る人を惹き付ける。外観に劣らず華やかな館内には貴賓室や130坪の大広間があり、とくに2階のバルコニーから眺める港の景色はすばらしい。3月から12月にはクラシックなドレスを着て、豪華なシャンデリアなどを背景に写真を撮ることができる「ハイカラ衣装館」も営業。

※保存修理工事に伴い、2018年10月〜2020年4月頃(予定)まで休館中。(2020年5月5日現在も休館中)

★過去記事~旧函館区公会堂保存修理工事・現場見学会(2019年月22日)

「旧函館公会堂」公式ホームページ(内部の様子が分かります)
 
 
◎旧開拓使函館支庁書籍庫(元町公園内)<明治13年(1880年)築>
 
 外壁は、フランス積み煉瓦壁で、外部の四隅には、隅石が組まれている。屋根は桟瓦葺で、小屋組は杵束式木造トラスである。開拓使直営の茂辺地煉瓦石製造所の煉瓦が使用されている貴重な明治期の遺構である。(北海道指定有形文化財)
 
 
◎旧北海道庁函館支庁庁舎(元町公園内)<明治42年(1909年)築>
 正面玄関はポルティコでエタンシス風の4本のコリント式柱が支えている。ルネッサンス様式を基調とするその意匠は本格的で品格がある。(北海道指定有形文化財) 
 函館区が函館市となった大正11年から昭和25年まで渡島支庁庁舎として、その後は北海道関係施設として昭和32年まで使用された。以後は、函館市の所有となり、准看護婦養成所や失業対策事業の作業所を経て、現在は函館市写真歴史館・函館市元町観光案内所として活用されている。

城岱スカイライン ヒルクライム & ダム公園のサクラ

2020年05月12日 | MTBロングライド・ヒルクライム

 折り返し地点の城岱牧場展望台~下界はガスで霞んでいる。看板の右奥に微かに見えるのが函館山。

 3日ぶりに好天予報に、MTBで1年半ぶりに、自宅からの城岱スカイラインのヒルクライムに挑戦しようと思ったが、朝の内はガスが懸かって山も見えなかった。10時ごろになって青空が広がってきたので、妻が用意してくれたおにぎりをリュックに詰めて、スタート。

 帰りは、桔梗高台を越えて、遅咲きのいろいろなサクラが咲く新中野ダム下のダム公園へも足を伸ばした。

 コースは自宅~函館新道側道~城岱牧場展望台(568m)~函館新道側道~桔梗高台~ダム公園~自宅で、走行距離は46.3kmで、ダム公園での昼食休憩時間を入れて所要時間は4時間35分ほどであった。

 展望台までの標高差は560mだが、帰りの函館新道からダム公園までの標高差も160mほどあるので、結局は登りの獲得標高差は720mほどだった。この登りが辛いけど最高のトレーニングになる。これがヒルクライムの目的である。

 自宅から城岱スカイライン入口までは50分、スカイライン入口から展望台までは、写真を撮るために3回ほど休んだが63分。これまで60分は切ったことがないので、まあまあ上出来である。

 城岱スカイライン入口の標高が150mあるので、往路はすべてトレーニングモードで、下りのスカイラインはわずか16分のダウンヒルモード。スカイライン入口からの復路はサイクリングモードを楽しんだ。しかし、桔梗高台への登りとダム公園までの登りも結構良いトレーニングになった。

 城岱スカイライン入口。ここから7.3km、標高差420mの登りが核心部。

 前3段後ろ9段のギヤの組み合わせを、いろいろ試行錯誤しながら、黙々とペダルをひたすら漕ぐ。

 

「展望台まであと3km」付近で、挨拶をして追い越していくロードバイクの男性

 

「展望台まで1km」地点。ここまでで50分だった。60分を切ろうと頑張ったが無理だった。

 

城岱牧場展望台上のダケカンバ林。展望台の駐車場と展望ハウスは閉鎖されていた。

 ちょうど昼だったので、展望台でおにぎりをいただこうと思ったが、ガスが絡んだ強風で寒くて休む気にもならずに、すぐに下りに就いた。下りは桔梗高台への入口までは、ほとんどダウンヒルモードなので、ペダルを漕ぐことは少ない・・・十分休息ができた。高度を下げていくに連れて、切る風が徐々に暖かくなるのが面白かった。

 「密です!」状態の桔梗高台パークゴルフ場。定員180名のところ200名以上入っているとのこと。函館市だけでなく、近郊の市町の公営のパークゴルフ場が休業しているので、ここに集まるらしい。

 

桔梗高台の緩やかな登り

ショック! 鹿の食害で全滅状態のオオバナノエンレイソウ群生地。

5/5に寄ったときには一面、蕾があったので、その後にやられたようだ。

例年は、下の画像のように一面真っ白なのに・・・あまりにもひどい状態に、場所を間違えたと思った。

 昨年までの様子・・・これが全滅状態になっていた。

 鹿の食痕・・・ここは1輪だけ残して周りは葉と花が食べられて、茎だけが残っている。

 毎年楽しみにしていたのに・・・エンレイソウの仲間は花を咲かせるまでに10~15年を要するという。来年は果たしてどうなるのだろう? 

遅咲きのダム公園のサクラ

 左の南殿(ナデン)とちょうど満開状態のソメイヨシノ(右)

 ここは標高が200mほどのところにあるので、市街地のソメイヨシノより遅れて、ほかの八重桜と一緒に咲く。

 

雨宿(あまやどり)

 

南殿(なでん)

 

 蝦夷山桜(えぞやまざくら)

 

枝垂桜(べにしだれざくら)

 

緑色の花を咲かせる珍しい御衣黄(ぎょいこう)の蕾。濃い赤色の花を咲かせる関山(かんざん)もまだ蕾だった。

 

公園から見上げる、まさに「山笑う」状態の山肌。ここで昼食休憩を摂り、あとは下りだけの帰路に就いた。

 このヒルクライムは、大腿四頭筋と臀部の筋肉の大きな疲労感に、トレーニング効果の大きさを実感でき、満足感と充実感が伴う。山を自粛している間は、週に2回くらい挑戦できれば絶好のトレーニングになるはず。それだけにきじひき高原の展望台へのゲートも早く開けてほしいものである。


新型コロナのせいで?間抜けなガス欠・・・ついでにガラケーも買い替え

2020年05月11日 | 日常生活・つぶやき

 昨日、数十年ぶりにガス欠を経験し、JAFを要請・・・一番間抜けなトラブルだと思ったら、「いや~、結構多いんですよ!」とのこと。

 夕方雨が降ってたので、妻のスーパーでの買い物の送迎を買って出たのは良いが、駐車場で待っていて、妻が戻ってきたのでエンジンを掛けたら掛からない・・・数十年前の経験からすると、間違いなくガス欠である。幸い、走行中でなく、駐車場だったから助かった。

 この間抜けな理由は2つ・・・いや、3つかな?

 1つは、2年ほど前からのガソリン残量センサーの故障である。およそ半分を切ると、残量警告灯が付いて、正確な残量表示がまったく分からなくなる。修理するにはコンピューターをすっぽり取り換えなくてはならないので、数万円が掛かるという。そこで、ガソリンを入れるたびに、走行距離と平均燃費表示をゼロに戻して、それをもとにおよその残量を計算して早め早めに対応していた。しかし、「いずれはガス欠を経験することになるかも?」という思いはあった。

 2つ目は、にっくき新型コロナである。いつもは遠出をすることが多いので、そのたびに残量計算をして早めに入れるようにしていた。ここしばらくは山旅も自粛し、近郊や街中をちょこちょこ走るだけだったので、まだ大丈夫だろうと油断していて、走行距離と平均燃費表示の確認を怠っていた。確かめたら、走行距離が650kmで平均燃費表示が11.1kmだった。この燃費表示は1kmほど多く表示されるので、実際は10kmである。すると65㍑のタンクがちょうど空になっている計算である。

 3つ目は・・・これが一番大きな理由かもしれない・・・それはボケという最も厄介な症状である・・・

 これには、まだおまけがあった。近くなのでガラケー(スマホとの2台持ち)も持参していなかった。JAFに連絡もできない。家に戻ってガラケーを持参して車に戻りJAFに電話をしたが、繋がった途端に電池切れ・・・間抜けの2連発・・・泣き面に蜂。

 このガラケーは10年ほど使っていて、電池の持ちが非常に悪くなっているので、そろそろ替え時と思っていた。車はスーパーの駐車場だし、心配もなく、急ぐこともない。また家へ戻ってゆっくり充電。夕食後に家からJAFに電話して、3度目の駐車場へ。

 ほどなくJAFがガソリン10㍑を持参して到着。費用は一切不要だが、ガソリン代が高かった。今はGSではリッター100円前後だが、10㍑で1700円だった。これは、「JAFではガソリン価格の上下に関係なくリッター170円に設定している」とのこと。このあと、いつものGSへ行って満タンにしたらリッター97.8円だった。

 ついでに、ガラケーも買い替えることに・・・

 これまでのガラケーは、3G対応の古い機種なので、2022年3月で使えなくなる。今はガラケーもスマホもすべて4G対応になっている。いずれは機種変更が必要であった。これをきっかけにガラケーの機種を4G対応のものに取り換えることにした。

 この際、2台持ちを止めて、スマホだけにしようかとも思ったが、2台持ちにしている最大の理由は、山でのトラブルの心配である。過去に、スマホだけの知人の奥さんから「うちの旦那、山へ行ったが、いつも下山すると連絡をくれるのに連絡もないし、こちらから電話しても通じない。遭難したのでは?」と電話をいただいて大騒ぎになったことがある。原因は、スマホの電池切れだった。

 このほかに、スマホより電池の持ちが長いこと、スマホより電波の感度が良いこと。さらに、自分のスマホは年に1~2度だが、突然電波が通じなくなるトラブル(1日ほどで自然に回復するが)が起きるからだ。

 ちなみに、スマホはUQmobileを利用しているので、通信料は2台合わせても月々2500円以内で済んでいる。

 だからと言って、高い新機種に取り換える気はない。スマホ同様、中古品での取り換えである。スマホの中古を買った店へ行って、2017年の機種(4980+税)を購入。それをauショップに持ち込んで、ICカード変更手続きと電話帳の移行をしてもらった。手数料は無料だったが、契約プラン内容が変更になっていた。それでも、通話のみの一番安いタイプが1100円で、これまでより月々70円ほど高くなっただけで済んだ。


五稜郭公園の花筏

2020年05月10日 | 道南の風物詩

 これは昨日の様子だが、五稜郭公園のソメイヨシノも終わり、花吹雪の中の散策となり、堀の水面にはこの時期ならではの風物詩である「花筏(はないかだ)」ができている。風の動きでさまざまな表情を見せる。

 「花筏」・・・なんとも風情のある言葉である。散った桜の花びらが水面に浮き、それらが連なって帯状に流れていく様子のことである。その花びらの動く様子を筏に見立てた言葉といわれている。ここは川でないので、風に吹かれて流れるように見える。

<一昨日の様子>

地面は、散った花びらの絨毯のようになっている。

★昨年のボートが漕ぎ入る「花筏」は、こちらでどうぞ!

 また、函館山でも見られる「ハナイカダ」という落葉低木もある。秋には花が黒い実に変わり、花や実が乗った葉を筏に見立てたものといわれている。

 これは、別名のヨメノナミダとも言われる。名前の由来は、「嫁ぎ先でつらい思いをした嫁が、人知れず流した涙が葉に落ちたように見える」こととされている。


新緑薫る「きじひき高原鉄山湿原(焼野水源)」

2020年05月09日 | ウォーキング・ジョギング・マラソン

 不要不急の外出はこんなところが最高!

 昨日、北斗市の匠の森でシラネオアイを見た後、きじひき高原パノラマ展望台へと思った。しかし、きじひき高原キャンプ場の入口でゲートは閉まっていて、「新型コロナ感染拡大防止のため、当分の間閉鎖します」と書かれていた。

 そこで、その手前の左の林道を下って、数年前の春に訪れたことのある、田舎都会からの便り」にときどき登場するこじんまりとした「鉄山湿原」を再訪することにした。 

 その林道入口のゲート前に車を置いてスタート。そばに初めて目にした「焼野水源」のプレートが立っている。

 この林道に沿った一帯は、もともと牧場の一角だったが、ここ数年「第11回ニトリ北海道応援基金」助成事業による植樹が行われていて、様変わりしていた。

 下の湿原近くが、一番新しい植栽のようだ。

 

手前が植林された幼木。その奥のブナなどの新緑とエゾヤマザクラのピンクのコントラストが美しい

 

キタコブシの花

 

大きく新緑の枝を広げるブナの大木

 

重なり合うブナの若葉

 

枝分かれをする太い幹

 

青空の下に咲くエゾヤマザクラ

 

エゾヤマザクラの大木と新緑

 

エゾヤマザクラのアップ

 

湿原の上にある、合併して北斗市になる前に設置されたと思われる「大野町上水道焼野水源」のプレート

 

南側は採石場の崖の上に出る。ここから再び林道を登り返してスタート地点へ戻った。1時間弱のんびり散策だった。

 

林道入口付近から眺める函館山。後ろに下北半島も見える。

 

林道入口の向かい側に立ち並ぶキャンプ場のバンガロー

 

国道227号へ下りて10分ほど走り、国道沿いの「出会いの滝」へ

国道のガードロープを跨ぎ、下まで下りて全容を眺める。国道からだと上の部分しか見えない。

この沢は「小滝の沢」といわれるが、この「出会いの滝」の名前の由来には、この国道227号のもとになる道路開削の歴史がある。詳しくはこちらを!

 

 帰りに、初めて入店した北斗市市渡のそば屋「みやこ庵」で食べた鴨だしもりそば(780円)

 厚沢部産のそばの実を殻もろとも店内で製粉して機械打ちをしているらしい。田舎そば風で、黒くて、丸くて、歯ごたえもあり、つるつる感の強い蕎麦だった。鴨だしも非常に美味かった。


匠の森のシラネアオイ

2020年05月08日 | 花・紅葉だより

 ここ数年、北斗市のカタクリの群生地として有名な匠の森に、カタクリが終わったあとはシラネオアイが群生しているという情報を多く目にするようになった。これまで行ったことがなかったので、様子見方々出掛けてみた。

 確かに、カタクリのように斜面一面というわけではないが、同じ斜面のあちこちに予想を超えるシラネアオイの群生が見られた。

 シラネアオイ(白根葵)は、キンポウゲ科(シラネアオイ科として分けることも多い)シラネアオイ属の多年草で、日本固有種の1属1種である和名の由来は、日光白根山に多く見られたことによる。しかし、最近は鹿の食害で急激に減少しているらしい。

 花がタチアオイに似ることからシラネアオイ(白根葵)と名づけられた。別名で「山芙蓉(やまふよう)」、「春芙蓉(はるふよう)」ともいう。

 北海道では、裏山のようなところでも普通に目にできる花であるが、本州ではなかなか目にできないようで、本州から来る登山者はこの花を目にすると非常に感激することが多い。大千軒岳のシラネアオイの群生地は規模的に日本一と言われている。

白っぽい花は目にしたが、純白の白花と1株から2つの花を咲かせるものは目にすることができなかった。

白花はまだ2~3回しか目にしたことはないが、伊達紋別岳では株となっているものが多く目にできるという。

伊達紋別岳の白花のシラネオアイ(他サイトから借用)

 

昨年、桧沢の滝下の沢で見かけた1株から2つの花を咲かせるシラネアオイ

 恵山の428峰(御殿山)では、1株から2つの花が咲くものばかりが群生している。


「香雪園」までロングウォーク

2020年05月07日 | ウォーキング・ジョギング・マラソン

 できる限り毎日1~2万歩の郊外ウォーキングをするようにしている。今日は、紅葉時には毎年のように訪れる香雪園まで往復し、園内も散策した。歩行距離15km、歩数21,700歩。 

 この雪香園は見晴公園とも言い、明治35年に造園された、豪商岩船氏の元別荘で、道内では珍しい日本庭園。今は函館市で管理している。起伏が多く小さな谷川も流れる。オンコや杉などを初めとして道内一の庭園樹種を誇り、函館随一の紅葉の名所として名高い。 紅葉時にはライトアップされ、「MOMIGIフェスタ」も開催される。

 平成13年には文化財保護法に基づく「名勝」の指定を受け、「旧岩船氏庭園(香雪園)」の名で北海道唯一の国指定文化財庭園となっている。

★過去記事~「ライトアップされた紅葉」の画像をどうぞ!


函館レトロ建築探訪(その6)~大三坂周辺の「伝統的建造物」ほか

2020年05月06日 | レトロ建築・古民家カフェ

 ベイエリアから函館山に向かって延びる石畳の大三坂は、「函館伝統的建造物保存地区」に指定されていて、その周辺に「伝統的建造物」に指定されている建物が多い。

 大三坂の由来は、昔、坂の入口に大三という家印の郷宿があったのでこの名が付いた。郷宿というのは、地方から公用で出てくる村民が泊まった宿である。それ以前は、木下という人の家があったので「木下の坂」といった。昭和62年「日本の道百選」に選ばれた。(坂標より)

◎川越電化センター(旧リューリ商会)(末広町18-21)<明治40年(1908年)築 / 昭和59年(1984年)復元>

 大三坂と電車通りの交差点右側に建つバルコニーのある洋館。ロシアの貿易会社リューリ商会の店舗だった建物を復元したもの。和様折衷の店舗兼住宅が多い函館では珍しい完全に洋風な建物。

 2階のアーチ型のバルコニーが長崎の洋館を思い出させる外人商館の風情を醸し出している。正面2階に、半円3連アーチをみせるベランダがあり、アーチを支持する4本のフリューティングの付いた木柱、柱間には手すりが付いている。笠木や額縁には溝状の装飾、窓台下にも垂れ飾り風のレリーフを彫るなどの凝った意匠がみられる。

 

◎エビス商会(旧目貫商店)(末広町17-11)<大正11(1922)年ころ築>

 電車通り交差点の左側(大三坂を挟んで上掲の川越電化センターの反対側)に建つ。元は毛皮商の店舗兼事務所として建てられ、現在は海産物や食料品卸を営むエビス商会の事務所になっている。この建物も大正10年に起きた函館大火後に多く建設された、鉄筋コンクリート製耐火建築のひとつである。(※伝建の指定なし)

 正面の飾り柱や縦長窓、中央の破風の意匠は欧風だが、よく見ると屋根は寄せ棟で瓦葺きというユニークな和洋折衷のビル。この時期に建てられたコンクリート建築の大概が、屋上を設けられるフラットルーフ(陸屋根)の状態なのに対し、この寄棟屋根はかなり異色なものとのこと。

 

◎大三ビルヂィング(旧旧仁壽生命函館支店)(末広町18-25)<大正10年(1921年)築>

 「大三ビルヂング」とは、2017年11月に箱バル不動産が買い取ってリノベーションした、旧仁壽生命函館支店の社屋とそれに付属する土蔵・民家の通称である。旧社屋にはレストランとシェアオフィスが、土蔵であった建物にはキャンドルショップが入っている。

 外壁を白壁としてシンプルにしながらも、建物角部を曲面で仕上げ、縦筋模様の浮彫やテラコッタの装飾を配するなど、大正モダンの象徴的な建造物である。また、土蔵が併設され、近代建築と和風建築との融合が、新しい大正モダンを感じさせている。 

★リノベーション後の一般公開時に見に行った2017年11月26日の過去記事

★リノベーション前の内部公開時に見に行った2017年01月30日 の過去記事

 

◎藤山家所有建物・佐藤理容院(元町30-10)<大正10年(1921年)築>

 バス通りと大三坂の交差点に建つ1棟2軒の建物。左側の建物の外観は、1階部分の和風および2階の洋風スタイルは残されており、右の理容院の外観部分の意匠は改変されている。 

 

◎蕎麦彩彩 久留葉(旧村田専三郎宅)(元町30-7)  <大正14年(1925年)築>

 大三坂に沿って建っている、古民家を内部だけ改造した蕎麦屋。小さくまとまっている和風の平家建となっており、この地区では貴重な建物である。

 元は、函館の建築史の祖と言われている村田専三郎氏の私邸で、その凝った造りが、現代では何とも言えない叙情を滲ませてくれている。

 

◎Tombolo(トンボロ)(元町30-7)<大正10年(1921年)築>

 「蕎麦彩彩久留葉」に隣接し、全体的の洋風さが感じられる建物であるが、1階部分の正面に和風の意匠を取り入れている。

 もともと、陶芸家である父の作品を展示するギャラリースペースの一部を利用して、娘さんが2020年に「パン工房」を開業。店が閉まっていたこともあり、パン屋さんだとは思わなかった。

 

◎旧カール・レイモン居宅(元町30-3)<昭和5年(1930年)築>

 東本願寺函館別院門前に建つハム・ソーセージの「函館カール・レイモン」を生み出した、カール・ワイデル・レイモンの旧居宅。1階、2階とも、開口部は縦長窓、外壁の仕上げはモルタル塗となっており、シンプルながらもオーソドックスな洋風の建物である。

 昭和7年にロシア人毛皮商だったD.N.シュウエツが住居として建てた家で、そのシュウエツ氏が亡くなった後、昭和13年にレイモン氏が購入したとのこと。数年前までは蔦が全面に這う家であったらしい。戦後になり、この自宅の隣にハム・ソーセージ工場を造り、その跡地が現在のレイモンハウスというショップになっている。

◎函館カール・レイモン本店(戦後築)

 戦後になって、ここに工場を建築したが、その跡地に建った建てられた建物。(伝建ではなく、函館市景観形成指定建築物)

 

◎カフェ やまじょう(旧山田・太田邸)(元町30-5)<築年不明・昭和初期?

 

 カール・レイモン本店の隣の角地に建つ典型的な擬洋風建築(和洋折衷建築)。1階が町屋風、2階は白い下見板張りの洋風。
 左側の玄関には、2010年に発足した「北海道アイヌ協会函館支部」の看板が懸かっている。
(伝建等の指定はなし)

 

◎島家住宅(元町31-26)<大正11年(1922年)築>

 大三坂沿いの北側に建つ民家。平成13年までは、1棟2戸建となっていたが、現在は、1階が和風、2階が洋風の和洋折衷様式となっており、持ち送り、隅柱、胴蛇腹など特徴部分を残している。   

 

◎大野家住宅(元町31-18)<大正10年(1921年)築>

 1階部分に和風の様式が見られ、2階は出窓、軒裏に持ち送りが付いており、外壁は下見板張りであったものと思われるが、現在は人造石の洗い出し塗となっている。

 

◎東本願寺函館別院(元町16-15)<大正5年(1916年)築>

 画像の二十間通りから大三坂までの敷地に建つ、国内最初の鉄筋コンクリート造りの寺院。

 江戸期の宝永年間(18世紀初頭)から箱館に寺院を構えていた同寺は、明治12(1879)年の大火を機に現在地に移転してきた。しかし明治40(1907)年8月の大火で寺院が焼失。これを機に金森合名会社の代表で、同別院の檀家総代を務めていた三代目渡辺熊四郎の立案により、不燃素材による伽藍建設が検討される事になった。明治45年着工、大正5年完成。(本堂は国指定重要文化財)

 当時鉄筋コンクリートの強度が解らず、大きな屋根や瓦が、鉄筋コンクリートで持つかどうか不安で、寄付金が思うように集まらなかった。そこで、高床に芸者を上げて踊りを見せて、その見物客も全員中に上がらせて、その強度を認識させたという逸話が残る。

 

◎磯田家住宅(元町15-23)<昭和元年(1926年)築>

 大三坂の角地に海側を向いて建つ民家。屋根は寄棟造で一文字葺の鉄板貼、外壁面は簓子下見板張りに格子付の横長出窓となっており、玄関の意匠を含め純和風の建物である。

 

◎金子家住宅(元町15-26)<大正10年(1921年)築>

 大三坂に面して建つ民家(現在は居住していないようだ)。1階は、和風の意匠を持ち、2階は洋風となっているが、本来は、1棟2戸建ての建物であった。

 

◎鷲見家住宅(旧亀井勝一郎生家)(元町15-28)<大正10年(1921年)築>

 大三坂面してカトリック教会の下に建つ洋風住宅。柔らかにうねる破風、開き窓を見せる曲面のペイウインドー、屋根上に見える暖炉用煙突など、ロマンティックな洋館で、セセッション風の建物である。木造モルタル2階建て。

 設計はユーゲント・シュティール(フランスやベルギーでいうアール・ヌーヴォー)のエッセンスを取り入れ、当時、西欧で流行していた建築様式「セセッション」に影響を受けたモダンな作風で知られる関根要太郎と弟の山中節治。

 

◎カトリック元町教会(元町15-30)<大正13年(1924年)築>

 元町の代表的風景、教会群の一角を占める。最初の教会堂は1859(安政6)年創建。現在の建物は1923(大正12)年に再建。大聖堂内の祭壇はローマ教皇から贈られたもの。聖堂(右)のレンガ壁をRC補強したゴシック様式の建物で、外壁の仕上げは人造石洗い出し塗となっており、同年に建築された鐘楼、司祭館とともに異国情緒を醸し出している建物のひとつである。

 キリスト教宣教再開の象徴として、横浜と長崎に建立するカトリック教会と並び、国内では最も古い歴史を持つ。

 附属門柱と石塀もこのときの築で「伝建」に指定されている。

 

◎左から小形家住宅・幌村家住宅・(1件置いて)真壁家住宅店舗<明治41年(1908年)築>

★小形家~外観の意匠は改変されているが、建設当時の形態は残されており、復原可能な建物である。

★幌村家~1階は簓子下見板張り、竪繁格子の出窓2階は下見板張りの外壁に縦長窓を設け、胴蛇腹、歯飾りをつけている。 

★真壁家~1階は簓子下見板張り、竪繁格子の出窓の和風、2階が縦長窓、胴蛇腹、軒下飾りパネルなどの洋風で典型的な和洋折衷様式の町家である。漁業関連会社の社宅として建てられている。


MTBサクラ巡りロングライド(函館郊外~七飯町~北斗市)<58.3km>

2020年05月05日 | MTBロングライド・ヒルクライム

 新型コロナの緊急事態が5月31日まで延長された。特に北海道の新感染者は札幌市に集中していて、中でもクラスターが中心である。また、朝刊に政府の新型コロナ感染症専門会議が発表した「新しい生活」提言が載っていた。それらを見ると、慣れて来たせいか、それほど神経質になる必要はないような感じを受ける。しかし、この延長で困っているのは休業に追い込まれている方々だろう・・・保障金や支援金が簡単な手続きで早く給付されるようにならないものだろうか・・・?

 そんな中、朝から久しぶりの好天だったので、不要不急ではないが、日光浴とトレーニングのためにマウンテンバイク(MTB)に跨り、函館の郊外~七飯町~北斗市のサクラ名所を巡るロングライドに出た。

 これまでの記憶や新しく仕入れた情報等をもとにサクラの見所を巡って走ったが、思ったより多くの場所があることに改めて驚いた。

 地図上の丸数字は下記の画像の場所を示している。

 コース的には結構なアップダウンがあり、良いトレーニングになった。登りは辛いが、平坦なところは楽だし、下りで休めるところがXCスキーと同じだ。走行総距離は58.3km、所要時間は昼食時間を含めて5時間50分だった。

①亀田川沿いの桜並木

 昨夜の雨と強風で散っていて、路面が花びらでピンク色になっていた。

②四稜郭

 

③笹流ダム堰堤から広場を見おろす

上から見る園地はすべて閉鎖されていた。

④未来大学構内

 

⑤四季の杜入口へ登っていく車道

ここは、エゾヤマザクラの並木。四季の杜は駐車場が閉鎖されていた。中には入れるので、少し入ってみた。

⑥まだ少し早かったオオバナノエンレイソウ群生地

 満開で見ごろになるのは、あと3日後辺りか?

⑦コース中最高地点の桔梗高台の上から函館山見下ろす

 ここから下って函館新道の側道を走り、七飯町へ入る。

⑧七飯町立大中山小学校横の道路

 昭和34年に当時の大中山中学校の生徒が植えたという桜並木。60年でこのような木になる。

⑨七飯小学校前の国道

 

⑩七飯町田園通り

 

⑪七飯町の寿公園の高さは道内一のシダレザクラ

 ここから下って、北斗市に入り、大野平野を横断。

⑫北斗市の大野川沿いのサクラの回廊(トップ画像も同じ場所)

 ここの桜並木は昭和34年の平成天皇のご成婚記念に植えられたもの。

⑬法亀寺の道内一の大きさを誇るシダレザクラ

 一番人気だけに、駐車場は閉鎖され、パトカーと3人もの警備員が立っていた。車がスピードを落とすとスピーカーで「停まらないでください。渋滞になります」と放送が入る。歩道からの撮影はOKだが、パトカーもいるので路駐もできない。こちらは自転車なので助かった。

⑭大野農業高校のシダレザクラ

 

⑮大野農業高校から八郎沼へ向かう道路

 

⑯八郎沼公園

ここは駐車場も開いていて、多くの人が訪れていた。

⑰上磯峠下線の南文月付近

 

⑱松前藩戸切地陣屋跡のサクラの回廊

 ここも駐車場が開いていて、花見客が訪れてはいたが、例年よりはかなり少ない。

⑲上磯峠下線の清川千本桜

 この後、上磯ダムにもサクラが多かったことを思い出し、別の道路からアプローチした。途中で山菜取りのおばさんに聞いたら、「かなり遠回りになるし、アップダウンが大きくて自転車では無理なので、戻って陣屋に近い方の道路から入った方が良い」と言われたので、諦めて帰路に就いた。

 北斗市桜の回廊の見事なライトアップの様子は、過去記事(2018年5月3日)でどうぞ!

⑳北斗市七重浜町の櫓屋で遅めの昼食に辛味噌ラーメンを食す

 いつも混んでいて、980円と高いが、チャーシューが厚くて、味的にも函館で一番好きなラーメンかも知れない。これが楽しみで、ここまで頑張ってペダルを漕いできた。 

 なお、店は入口に消毒液が置かれ、窓と玄関は換気のために開け放たれ、座席も離され、後片付け時にはテーブルを消毒液で拭いていた。


函館レトロ建築探訪(その5)~十字街周辺

2020年05月04日 | レトロ建築・古民家カフェ

 今回は、在庫から、「伝統的建造物群保存地区」以外の十字街周辺のベイエリア・末広町・元町の「景観形成指定建築物」とその他の建物を紹介したい。

◎函館市地域交流まちづくりセンター(旧丸井今井百貨店函館支店)<大正12年(1923年)+昭和5年(1930年)昭和9年(1934年)築>

 かつての函館市の中心街だった十字街地区のシンボル的存在の建物で、自分が幼少のころは5階建ての通称「丸井デパート」だった。アール状の角に玄関があり、その上に縦長窓、屋上には円形ドームのある欧風の様式。一方、塔屋のある南側は角ばったモダニズム様式の5階建てになっていいる。随所の細やかな装飾がかつての繁栄を感じさせる。

 当初3階建てだったものを、昭和5年、昭和9年に5階建てに増築している。その際、北側のドーム部分はなくなり、代わりに南側の塔屋ができた。昭和45年(1970年)からは市分庁舎、休眠期間を経て耐震性の問題から、平成17年(2005年)~平成19年(2007年)の大改修で建設時の姿にほぼ復元されている。その時にドーム部分が復元された。
函館市景観形成指定建造物)

 改修前の5階当時の画像と内部の様子は、過去記事(2007年)からどうぞ!

 共同設計と施工は北海道コンクリート建築の先駆者といわれる木田保造(1885~1940)。他に不動銀行函館支店、拓銀函館支店、函館商工会議所本館、天主公教会、渡辺合名会社、大谷女学校、百十三銀行、函館貯蓄銀行、称名寺、日魯漁業函館事務所、函館製綱船具など、大正初期から昭和にかけての函館市内の主だった建築を数多く手がけている。

最近のビル建築には見られない細やかな装飾がみごと。

◎酒問屋・旧丸本本久商店倉庫(末広町16-13)<大正10年の大火直後築>

 ベイエリアの一角に建つ、青の外壁が印象的な大正末竣工の古風な煉瓦製倉庫。当時の函館で3本指に数えられたという酒問屋・丸本本久商店の倉庫として建てられた。青く塗られた外壁に二階の洋風窓、そしてその上には〔久本〕と大きな文字と屋号がレタリングされ、なかなか重厚感がある建物だ。一見鉄筋コンクリート造りのように見えるが、左窓枠下側の漆喰が一部剥がされ、そこから煉瓦が露出している事でこの建物の構造が一目で分かるようになっている。

 この界隈はかつて〔船場〕と呼ばれ、その名の通り多くの海産問屋が並ぶ町の主要な場所だった。往時のこの界隈の繁栄を微かながら今に伝えている大正末期に現れた古風な倉庫建築である。
 
 数年前までは「金のこころ」というケーキ屋さんだった。現在は、「sign of the times」という刺繍職人が営む呉服屋さんになっているようだが・・・?
 
 
◎函館市海産商同業協同組合事務所(末広町15-13)<大正9年(1920年)築>
 
 
 ベイアリアの一角に建つこの建物は、木造3階建てとのことだが、素人目には、決して木造には見えない。
 建物の両側に膨みを持たせた独特のデザインの建物で、ユーゲントシュティルという、20世紀初頭にヨーロッパ各地で流行していたモダンな建築様式がそのデザインに用いられているという。(景観形成指定建築物)
 
 この周辺は、大正から昭和初期にかけて百貨店や銀行が立ち並ぶ函館の経済の中心地で、商業活動の中核としてシンボル的な意味を持たせるためか建築デザインにも強い意気込みが感じられる。設計者は、当時の函館市内の多くの建築物を手掛けた関根要太郎。
 
 
◎カルフォルニア ベイビー(旧特定郵便局)(末広町23-5)<大正6年(1917年)築>
 
 
 大正6年に建築された特定郵便局を改修して、現在はアメリカンスタイルのレストランになっている。昭和52年にここでレストランをオープンしたというから、同じベイエリアにある金森の赤レンガ倉庫や、郵便局を再生した赤レンガの明治館などよりも古建築再生としては大先輩にあたる建物である。
 
 ファサードの妻壁が流線形が組み合わされたような面白い曲線を形作り、控えめな装飾がちりばめられている、軽快でセンスがいい建物です。入口が中央になく、左側にあり、右側に縦長窓が並ぶ非対称の設計。木造モルタル塗りの平屋建て。

 
 
◎函館五島軒本店(末広町4-13)<昭和10年(1935年)築>
 
 五島軒といえば、全国的にも知られる、函館を代表する老舗レストラン。この建物は、昭和9(1934)年3月の大火で焼失した旧館(大正11年竣工)に代わるものとして竣工している。自分の両親も、自分の亡妻との結婚式も2代にわたってここで上げている。
 
 五島軒の歴史は明治12(1879)年に、創業者である埼玉鴻巣出身の若山惣太郎が、富岡町(現在の弥生町)で、パン屋を開業したのがその始まりである。また五島軒という店名は、長崎五島列島出身の五島英吉が料理長を務めていたことから、この名が付いたという。当初はロシア料理を提供していた五島軒だったが、徐々にフレンチのメニューへとシフトチェンジし、現在へと至っている。特にレトルトパックでも販売されているカレーは、全国的にも有名である。

 設計者の一人である亀井勝次郎は、作家・評論家として知られる亀井勝一郎の弟。なお、戦後、5年間駐留軍の軍政部として接収された歴史を持っている。(国登録有形文化財・函館市景観形成指定建造物)
 
 
◎函館元町港ヶ丘教会(旧日本基督教会函館相生教会)(元町29-15)<昭和9年(1934年)築>
 
 五島軒の向かい側に建つ、質素ながら可愛らしい印象を受けるこの教会だが、昨年12月に、洋服と雑貨のセレクトSHOP「VERYCO」、紅茶専門店「Juicy Fruits Tea HAKODATE」、カフェ「wave+snow」の3店舗が同時にオープンしている。 

 その前はウエディングチャペルになっていたが、もとは日本基督教会函館相生教会として使われていたものである。なお同教団は明治14年よりこの土地に教会を構えていたが、度重なる大火の度に聖堂を焼失。現在の教会は昭和9年3月の函館大火後に建てられたものだ。(函館市景観形成指定建造物)

 右隣の和洋折衷住宅にも「函館市景観形成指定建造物」のプレートが設置されていたが、一覧表には掲載されていなかった。

 

函館市企業局元町配水場管理事務所(元町1-14)<明治22年(1889年)築>

 緑の芝生が敷き詰められた元町配水場(水元公園)内に残るこじんまりとしたレンガ造りの建物。

 函館の上水道は、横浜に次いで全国2番目にできたもので、元町配水場は亀田川で取水した水を当時の市街地であった西部地区に安定的供給するために造られ、この建物もそのときに建てられたもの。(函館市景観形成指定建造物)

 

<おまけ>本日がピークの五稜郭公園のサクラ


山形で停滞中の「グレートトラバース3」

2020年05月03日 | 登山・旅行

 これまで、「日本百名山」、「日本二百名山」を人力のみで踏破してきたプロアドベンチャーレーサー田中陽希が、2018年から新たなプロジェクトとして、「日本三百名山・全山人力踏破」へ挑戦中である。すなわち、これまでに登った「日本百名山」「日本二百名山」に、新たに「日本三百名山」を加えて、三百名山全山の人力踏破である。田中が集大成と位置付ける「最後のグレートトラバース」・・・その旅の行程すべてに、密着した記録がNHKBSプレミアで放映されている「グレートトラバース3」である。

 実は、この「日本三百名山」は自分も2005年~2010年の6年間掛けて富士山で完登している。それだけに、自分の記録を見直しながら、これまで放映されてきた「グレートトラバース3」と田中本人が毎日発信するインスタグラムで追っかけをしてきた。

 当初の計画では、この春で利尻山でゴールしていたはずである。しかし、今回は、ゆっくりと山旅を楽しみながら、あちこち寄り道等をしたり、正月には自宅まで歩いて往復したりして、予定より大幅に遅れている。

 それが、現在は新型コロナの影響で活動を一時中断して、インスタグラムによると、山形県で空き家を借りて自炊生活をしながら停滞しているようだ。体力維持のために、毎日近くの神社の328段もある石段を何往復もするトレーニングやランニングを欠かさないという。

 数日前にNHK総合で、同行しているカメラマンによる「グレートトラバース3の裏話」も放映されていた。さらに、昨夜、NHKBSプレミアムで「グレートトラバース3~第25集~東北豪雪地帯へ/ 朝日・飯豊連峰」が放映された。11月下旬の行動である。すでに雪に覆われた朝日連峰縦走のようすがメインであった。

 

 次回の第26集「厳冬/越後山脈から会津の山へ」の放映予定は6/6(土)19:30~である。この放映が彼の行動に追い付いてしまわないうちに新型コロナ騒動が落ち着き、再び活動が再開されることを祈るだけである。

 実は、2015年の「日本二百名山ひと筆書き」で駒ケ岳に来た時に、途中で5分間ほど一緒に歩き、いろいろ話をしている。自分の日本三百名山踏破の新聞記事の切り抜きも読んでいただいている。

 そのときに、二百名山を終えた後の三百名山のことも話している。「三百名山だけを登るのはつまらないですよ。どうせならこれまで登った百・二百も合わせて全部登り歩いたらどうですか?」とも話している。だから、今回の計画となったとは思ってはいないが、今度駒ケ岳にやってくるときには、また途中で待ち伏せをかけてその辺も含めて話してみたいものだ。