癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

秋晴れの羊蹄山

2008年09月09日 | 登山・旅行
京極温泉発信、画像は、噴火口の紅葉。バックは狩場山

1年に数回という北海道一円が晴れマーク・・・この滅多にない好条件を最高に満喫できる山として、昨夜、急遽この羊蹄山を選択。4時に家を出る。

喜茂別コース登山口にマウンテンバイクをデボし、15年ぶりとなる京極コースを登り、11年ぶりの喜茂別コースを下った。登り3時間。下り1時間50分、マウンテンバイクでの移動40分。

これで10回目だが、最高の展望だった。南は恵山から噴火湾と道南の山々、北は暑寒別山塊、東は夕張山系と日高山脈、西はニセコ連峰と積丹半島の山々。それらの手前の山々はもちろん360度の大展望を1時間10分も心ゆくまで堪能。眼下に広がる色とりどりの出来秋の畑のパッチワーク模様が美しい。

登りの9合目の下でHYML仲間で相互リンクを結んでいる千歳のりょうさんと感激の初対面。向こうでこちらの顔を知っていて声を掛けられたのにはビックリ。同行者の名古屋の方もこちらのサイトを良く見ているとのこと。

今晩はここの道の駅に泊まり、明日は、ニセコの山を彷徨く予定。

途中撤退・瓜谷山

2008年09月08日 | 登山・旅行
           

 木古内町と上ノ国町の境界稜線上にある一等三角点の山・瓜谷山(548m)・・・登山道はないので、沢か藪漕ぎしか方法はない。普通であれば、下神明の沢川沿いの林道の先から頂上へ向かう沢を詰めるのが最短であろう。

 しかし、2日前の林道下見で、その先の神明林道左股支線右股分線の橋を渡ったところに「瓜谷山」と書かれた標識があり、そこから一級国道並みの刈り払い道が尾根に続いているのを見つけた。これは、一等三角点測量のための刈り払い道かも・・・あわよくば頂上まで楽して登れるのでは・・・?と喜んだ。
 
           

 そして、本日、Fuさんを誘ってトライした。手入れがされている道を快調に進む。しかし、途中で2方向に分かれている。「三角点測量のための道にしては変だな?」と最初の疑問。スタート後1時間ほど歩いた標高470m付近で、その道は尾根から沢の方へ下って行っている。三角点測量のための道なら尾根を通り、稜線上へ続いているはず。ここで、「この道は、森林管理署の作業路で、瓜谷山へは続いていない」と確信する。

 しかし、まだ時刻は早い。藪漕ぎでも行けるところまで行ってみようと尾根をねらって背丈を遙かに越す笹藪に突入。さらに稜線に出て、標高570ピークの先まで進む。藪に突入して約1時間経過。高みから瓜谷山の方向が見える。まだ1kmはありそう。これまでの経験や今日のこれまでの藪漕ぎへ突入からの距離からしても、あと1時間30分は必要である。しかも、往復しなくてはならない。初めから藪漕ぎを覚悟してきているのなら頑張れるが、今回は楽に登頂できるはずの計画だったので、ギヤチェンジが利かない。撤退することに決めて、ゆっくり休憩。

 先が見えない藪の中でちょっとしたワンディリングを経験したが、GPSのトラックログを辿りながら戻る。やがて、刈り払い道へ出る。下に向かっている道の先を探索したくなり、下ってみる。どうやら、ぐるっと回って2つに分かれていた地点にぶつかるようなので、戻らないで進む。案の定、来た道へぶつかって、30分でゴールイン。ちょうど4時間の山歩きだった。 
      
 今日はこれで諦めたが、リベンジのための沢詰めのコースと林道状況を偵察して帰る。その林道は地図上よりもっと奧に入っていて、詰める沢にぶつかって終わっていた。帰宅後、地図で調べたら、そこから1.3km、標高差220mほどである。

 このまま、近日中にでもリベンジしたいところであるが、二人の日程調整をしたところ、直近でも9/28~30の間しかない。その間の好天日ということにして、湯ノ岱温泉で汗を流して帰路に就く。

         今日の歩いたコースのトラックログと、リベンジ予定ルート 
      
    

30年振りの再読 『劔岳・点の記』

2008年09月07日 | 日常生活・つぶやき
                (手前右の前剱の下から劔岳頂上を見上げる)

 このたびの北アルプス山行のメインでもあった劔岳は、30年前に新田次郎の『劔岳・点の記』を読んで以来の憧れの山だった。今日、ようやく、それを30年振りに再読した。実際舞台となっている立山や劔岳や奧大日岳に登った後だけに、感動がよりリアルであった。

 明治40年、その険しさから「針の山」と恐れられ、立山信仰から「登ってはいけない山」と言われていた前人未踏の劔岳。周りの三等三角点の選点と測量などとともに劔岳への初登頂を果たし、中部山岳地帯の地図の白紙部分を埋めるという任務を全うした陸軍参謀本部陸地測量部測量手・柴崎芳太郎の史実に基づいた物語である。

 当時発足した日本山岳会より先の登頂を命じられ、限られた予算で、限られた日数、厳しい天気や季節など自然との闘い、現地の集落の人々や立山信仰の壁、信頼できるガイドや助手、人夫の手配・・・実直で誠実、部下思いの柴崎、命をかけてサポートする宇治長次郎、この二人の信頼関係が物語の軸になっている。

 今の早月尾根ルート、別山尾根ルート、そして、登頂に成功した長治郎谷のルートからのアタックは、その舞台をこの目で見てきているし、別山尾根ルートは自分も登っているだけにその苦労をリアルに実感できた。

 登頂に成功したが、山頂で1000年以上も昔の奈良時代にすでに修験僧によって登られていた痕跡を見つける。これにより軍は少なからず落胆し、柴崎に対する評価も控え目なものになるのが残念である。

 作品の最後に、作者の執筆経過と取材を含めた制作後記がかなりのページを割いて書かれているのだが、これがとても面白い。実際に取材のために別山尾根ルートから劔岳に登り、その周辺の取材旅行をしたのが私と同じ64歳だったのも親近感を覚える。

 この偉業の100周年を記念して、今年、すでに撮影が行われ、来年に上映されるこの映画が楽しみである。その映画のオフィシャルサイトは下記である。
http://www.tsurugidake.jp/

林道でのパンク

2008年09月06日 | 日常生活・つぶやき
 山歩きをするようになって、今まで何度となく林道でのパンクを経験している。その殆どが、崖から崩れ落ちた刃物のように尖った石でタイヤの側面を割くパンクばかりである。当然、タイヤはバーストして買い換えなくてはならない羽目になる。今日も林道偵察に出掛けて、2年ぶりに同じ経験した。

 木古内町と上ノ国町の境界稜線上に一等三角点の瓜谷山がある。登山道はないので、藪漕ぎか沢からのアプローチの可能性を模索するために、上ノ国の神明林道を入ってみた。奧に進むに連れてタイヤ痕もなくなり、何ヶ所も小規模な崖崩れ箇所があり、パンクを引き起しそうな石もたくさん落ちていた。慎重に運転して、目指す地点までなんとか入ることができた。

 なんと、そこから尾根の上に続く新しい刈分け道を発見。しかも、その入口の木に「瓜谷山」と書かれたプラスチックの標識が括り付けられている。多分、最近三角点測量が行われて、そのために設けられた刈分け道に違いない。当然頂上まで続いているはずだ。一等三角点の山はときどきこういうチャンスに巡り会うことがある。

 大喜びで帰路に就いた。往路で大丈夫だったこともあり、慎重さに欠けた気がする。途中でガラガラゴトゴトと嫌な音がする・・・ヤバイ!やっぱり左のフロントタイヤがパンクしている。みごとに側面が縦に3cmほどバースト・・・。

 蚊に刺されながら、スペアタイヤと交換をしたが、携帯も繋がらない山奥の林道である。もし、もう1本パンクしたらお手上げである。幸い、その先は気になる箇所はなかったが・・・。

 4本とも結構減っていて、来春には新調しなくてはと思ってはいたのだが、近所のタイヤ屋に行ったら、「とりあえず前の2本だけでいいのではないですか?」と言われた。しかし、同じタイヤはもう生産されていないらしい。事情を話したら、4輪駆動用のタイヤなら少しは側面も丈夫ではないかと、同じブリジストンのDUELER H/L683というタイヤを勧めてくれた。浅雪でも走れるらしい。いろいろ込みで3万円ちょっと・・・一山を思いがけず楽にゲットできそうな喜びと引き替えではあったが、痛い出費であった。

 瓜谷山は、明後日挑戦する予定であるが、今度は、やばそうな石は、降りて除けながら進むことにする。 

秋色漂う稜線漫歩

2008年09月04日 | 登山・旅行
                   (横津岳頂上から駒ヶ岳と噴火湾を望む)

 半月ぶり以上の好天に誘われて、秋色漂う横津岳~烏帽子岳の稜線のブラブラ歩きを楽しんできた。

 すでに、大雪山系の高いところは、例年より10日ほども早い紅葉が見頃になっているという。しばらく好天が続くのであれば、そちらへ向かおうと思ったが、好天予報は今日だけ。仕方ないので、近場で秋の訪れを探しながらのノンビリ山行を楽しむことにした。

 一面に咲くエゾノオヤマノリンドウやタカネザクラやナナカマドの早い紅葉と高く淡い青空に秋を感じながら歩いた。新たな発見として、横津岳の頂上の下の雲井沼に赤いスイレンが咲いていた。過去には見たことがないので、誰かが最近植えたのかも知れない?

 珍しく日高山脈や下北半島の山並みまで見えるすばらしい爽やかな好天だった。久しぶりの好天だったせいか、平日にもかかわらず、多くの人と出会った。

  中に、これまで何度か山でお逢いしたことのある女性から、「坂口さんのホームページを見て、つい先日剱岳へ行ってきました。怖かったですけど感動しました。」との報告を受け、しばらく立ち話をした。下山してきたら、登山口に10台の車があった。


 詳しい写真中心の記録は下記からどうぞ!
http://sakag.web.infoseek.co.jp/yokotu08.htm

NHKからも取材

2008年09月03日 | 大腸癌日記
            (すでに秋の様相を漂わせている近所の建物の壁に絡まるツタ~本日撮影)

 本日、2週間ほど前に依頼をいただいていたNHK函館放送局のディレクターの取材を受けた。今後の企画に、癌やホスピスなどの問題を取り上げたいと考えていて、そのための情報収集の一環らしい。

 私への取材は、癌を宣告された日から、そのプロセスを逐一リアルタイムでブログ「癌春日記」に公開し続けていることについて、「なぜ始めたのか?」「どんな反響があったのか?」など詳しく聞きたいとのことであった。

 自分としては、大袈裟なことでもなかったのに、講演を依頼されたり 北海道新聞からの取材を受けたり、このたびの取材等・・・他人から見るとかなり興味を抱かれることらしい。普通は、癌を宣告されると、落ち込んでしまい、それを公開しようなどと考える人は珍しいということらしい。

 実は、今日の取材を担当されたスタッフはまだ若い20代の女性であったが、自分の父親も、私と同じ上行結腸の癌で、しかも、進行状態も同じくリンパ節にも転移がない状態だったそうだ。今では私と同じように何ごともなかったように前より活動的になって元気で暮らしているとのこと。しかし、癌を宣告され時にはすっかり落ち込んでしまって、家族も大変だったようである。その経験からしても、ブログで逐一公開しようと考える余裕はどこから生まれたのかということから取材が始まった。

 亡妻のときの経験、これまでの自分の生き方やものの考え方、人生観、癌を経験したことでの今後の人生への影響など・・・いろいろなお喋りも含めて、あっという間に2時間が経過した。

 「今後、企画が具体化したら、またご協力いただきたい」とのことで、今日は終わったが、自分としても、これまでの生き方を振り返ったり、今後の生き方を考えたりできた貴重なひとときであった。