<高柳旅館>6:40~84屋島寺~83一宮寺~15:20〈JR鬼無駅〉 (8時間40分)
◎筋肉痛と風邪気味と疲れの三重苦の辛い1日
朝起きたら、風邪の症状は少しは楽になっていたが、筋肉痛がさらに酷くなっていた。やはり、1日目の急な登り下りと、昨日の女体山越えが思ったより堪えていたようだ。考えてみたら、スキーばかりで、夏山登山はいきなりだった。
特に、屋島寺から下りて、高松市内の単調な国道や県道歩きは、疲れのピークになる午後3時以降の体調だった。15分おきに休んでいた。
◎今日も、急な山越えからスタート
宿を出たら、目の前にこれから越えなければならない標高284m の屋島の山が見える。地図を見たら、ほとんど直登である。
この屋島の近辺は源平合戦の舞台で、いろいろな歴史的遺産が多い。
辛い登りの足元にスミレの仲間がもう咲いていた。
急な石段の道を喘ぎ喘ぎ登っていく。
8:15、84番霊場屋島寺に到着。
下りは、毎日登っているという地元の同年代の男性と話ながら歩いたが、下りは筋肉痛が辛かった。
下りは大きくジグザクした広い表参道である。途中から、これから下りていく高松市街地が見えるが、霞んでいて瀬戸内海は見えなかった。
◎疲れと戦いながらの本当に辛かった、単調な市街地の国道や県道歩き
橋の欄干の那須与一のレリーフ越しに越えてきた屋島を眺める。
市街地の単調な歩きのせいもあるかもしれないが、過去にこれほど辛い歩きは経験がないほどだった。15分も歩けば、どこかに腰を掛けて休むので、全然距離が稼げなかった。
咳をすると、喉がいたいので、ドラッグストアを見つけて、喉スプレー買った。
国道や県道歩きから解放されたら、家並みの小路の中の歩きとなる。
そんな中に、電柱に貼られた、初めて目にした「逆打ち」のシールがあった。うれしい限りだ。
こんな農道のような遍路道が非常に多かった。
このような道は、遍路地図より、遍路道と現在地が表示されるへんろ道標が役にたった。
途中でラーメン屋を見つけて、昼食タイム。休んだことと腹に物が入ったので、少しは元気がでた。
もどかしいほどの時間を要して、13:00、83番霊場一宮寺に到着。
この時点で、どこか近くに宿が取れたら、早めに切り上げるつもりだった。次の別格19番霊場香西寺まではとても頑張る元気はなかった。
一宮寺から6kmほどのところに宿があったので、電話したら、今日は泊まれないとのこと。仕方ないので、その近くの鬼無駅から国分駅まで移動して、80番国分寺の前のえびす旅館を予約した。
こんな家の間の小路のような道もある。これは、地図だけでは無理である。前回はちゃんとあるいたのだろうか?
ときおり、このような古い道標石もある。
紅梅と白梅の揃い踏み
15:20、鬼無駅到着。15:37の電車に乗り、16:00前には国分寺前のえびす旅館に到着。
旅館で、お接待で洗濯をしてくれるという。ちょうどしなくてはと思っていたところなので、非常に助かった。
◎思いがけない訪問者、14年ぶりの再会
お風呂に入ろうと思ったら、宿の女将が「どなたか訪ねて来ていますよ」とのこと。この宿に泊まることは、誰にも知らせていない。
ふと、「もしかしたら、前回もお寺で待っていてくださって、2日連続お会いした高松のたかさんかもしれない?」と思った。案の定、そうだった。しかも、注文して買っていただいた説著も持参しておられた。
「歩くのが速いから、もしかしたら国分寺まで来ているのではないか」と思ったらしいが、今日はとても無理である。なんと言う勘の良さなのだろう。もしも、最初の宿が取れたら、会えなかった可能性が高い。
こちらのブログ更新の時間にまで気を遣っていただいて、お接待のクオカードを置いて早めに帰っていかれた。
えびすや旅館。宿泊代6800円。