
佐野繁次郎展に展示予定の作品をホームページに掲載させていただきました。
ご覧くださったKさんから「佐野繁次郎、カッコいい作品が沢山で、明治生まれの人とは思えません。楽しみですね」と早速メールを頂戴いたしました。
お葉書でご案内を差し上げましたお客様には少し佐野の経歴をご紹介いたしましたが、佐野繁次郎は1900年明治33年の生まれです。
梅原龍三郎1888年明治21年
岸田劉生1891年明治24年
鳥海青児1902年明治35年
山口薫1907年明治37年
佐野と同じ1900年生まれの日本画家は例えば山本丘人などがいますので、
佐野作品の異端ぶり、新しさについては納得していただけるように思います。
佐野は大阪船場の生まれ。もうそれだけで、ダジャレではありませんが「ええとこのボンボン」という気がいたしますね。
大阪船場の筆墨商に生まれるとありましたので、つい最近まで「ふーん、そうなんだぁ」と思ってスルーしていましたが、ある資料に佐野繁次郎の実家は「古梅園」という記述をみてびっくり致しました。
すでにご存じの方もいらっしゃると思いますが、古梅園さんは奈良墨づくりの老舗中の老舗です。
古梅園さんのHPのご紹介には以下のような一文があります。
奈良墨が全国生産量の90%以上を占めており、その中でも「煤採り」から墨を製造しているのは全国で古梅園のみです。
安土桃山時代にのれんを掲げた「古梅園」は、創業から400年以上続く墨つくりの老舗です。奈良の地で墨造り一筋、確かな品質と昔ながらの製法を現在も守り続けています。永年培ってきた技術と製法を今なお頑なに守り抜く「古梅園」は、手間暇を惜しまないその姿勢こそ、確かな墨づくりの核となっています。

書道をならっていたときに、お高いとわかっていてもどうしても欲しくなり求めた「古梅園」さんの墨は、お店のお名前のように本当に良い香りがして、それを気に入って佐橋がよく長い時間をかけて私の清書用に墨を擦ってくれました。
それはもう~そのお育ちなら、その後の人生の視野の広さ、度胸、あか抜けた感性など何も不思議には思いません。墨を作る工程というのを動画でみたことがありますが、本当にため息が出るほど大変な作業です。
墨屋さんに生まれた佐野は、15歳のときに母親に画材一式を買ってもらい、絵を描き始め、24歳で信濃橋洋画研究所に入り、小出楢重に師事します。
小出楢重っていうのも凄いなぁ~と素直に思ってしまいます。
残念ながら、私の手元には佐野の資料がありませんので、明日以降弥栄画廊さんにお借りして、これから詳しく勉強して参ります。ブログにも少しづつ書かせていただきますね。
※佐野のご実家は奈良古梅園さんの大阪支店であったそうです。
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