つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

斉藤典彦  画商という仕事

2016年06月14日 | 斉藤典彦

 

先日私のもとに20年ぶりに

『月を掴む』斎藤典彦1992年作

が帰って参りました。事情があって私の目が届かなくなっておりましたが、思い出深い作品でしたのでとても嬉しい再会となりました。以下、昔ばなしで少し長くなりますがお付き合いください。

当時修業させて頂いておりました画廊において、新進気鋭の若手作家の方々にお願いして『渾沌の会』と名付けたグループ展を私が企画いたしました。

日本画:新井政明、河嶋淳司、斎藤典彦、千住博、高橋信三郎、目黒祥元
洋 画:伊勢崎勝人、湯山俊久ほか白日会の会友の方々

(敬称略)

日本画は工藤甲人先生からお聞きしていた有望な若手作家の方々で、洋画は湯山先生からご紹介を得た伊勢崎先生の人選でした。

トリエンナーレ式に3年ごとにということで始めたのですが、力及ばず残念ながらわずかに三回開けたのみで途絶えてしまいました。

それでも各先生お一人ずつにお会いして直接お願いしたのを懐かしく思い出します。

そのときの斎藤先生には
「せっかく企画展に呼ばれても僕は富士も薔薇も鯉も書けませんが…」
と言われ、驚きつつも我が意を得たりとばかり
「大丈夫です。フジ・バラ・コイが欲しければ斎藤先生のところには参っておりません。どうかご自由に描いてください。」
と申し上げたものです。

「話せるなら絵描きはしていない。うまく言葉に出来ないから絵を描いている…」 というようなことを仰有られる先生と、口下手な上緊張しきりだった私と二人してしどろもどろだったことも、恥づかしくも心地よい印象として残っています。(しどろもどろは今でもあまり変わりませんが…)

しかしながら斎藤先生は若き助手の時代よりお仲間うちから“professor”と呼ばれていらっしゃたので、実は本質を鋭く射ぬくお言葉をお持ちなのだろうと想像してもいます。

今では名実ともに東京藝術大学のなくてはならない教授としてご活躍です。

私どものお店におみえになられたお客さまにはご紹介しておりますが、当店の看板や封筒等のロゴの文字は斎藤先生の筆によるものです。私の独立開業ののち機会を得て先生にご無理をお願いしたのですが、これがまた実にいいんです。半切に書かれた『佐橋美術店』を手にしたときには家内と二人で泣きました。

添付の作品は『渾沌の会』の初回と第二回の間に無心してご制作いただいた作品です。先述の画廊を退職した後はお買い上げいただいたお客さまに伺うことが叶わず、時おり思い出すのみでありましたがこのほど期せずして縁を繋いで下さる方があったのです。

早速お店に飾ってみましたが、見れば観るほどに佳いのです。やっぱり好きなのですね、当時も今も…いえ尚更に。

「絵画の収集を始めたいが絵の見方が分からないので教えてほしい」との問いには昔から
「絵に限らず美術品の収集は好きか嫌いかに始まって、いろいろ集めて勉強して知識も豊富になって…、でもやっぱり最後は好きか嫌いかに行き着く」と申し上げてきました。

そういう私自身が最近になって、やっとその言葉の本当の意味が分かってきたのです。禅の悟りも生涯かけて聖胎長養するように私もますます勤しんでまいりたいと思っています。

 

佐橋雅彦



 

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