つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

日本近代美術史論 抜粋

2021年09月10日 | 絵画鑑賞
日本近代美術史論 高階秀爾 たかしなしゅうじ

「横山大観」より抜粋

もっとも、それでは大観は、それほど深く思想問題に興味を抱いていたかというと、必ずしもそうではない。むしろ大観は、どちらかというと知的な問題には縁遠い方である。斉藤隆三氏の思い出によると、大観は平素古典に親しみ、読書に耽るということはほとんどなかっという。彼が好んで読んだのは、おそらくその内容に共感するところが多かったためであろうが、もっぱら老荘だけで、そのほかの漢籍には興味を示さず、稀に必要に応じて唐宋の詩を近づける程度であった。日本の古典も読まない。仏典は尚のこと知らない。近代文芸から和歌連俳にも興味を持っていない。ましてキリスト教の思想など考えたこともなかった。のみならず書画骨董、歌舞音曲、角力、遊芸、歌舞伎、旅行などにもおよそ興味を示さない。絵以外に心を向けることと言えば、もっぱら酒であったという。
要するに大観は、徹底した画人であって、文人でもなければ趣味人でもなく、無論、思索家でもなかった。彼は春草の理智も、観山の教養も、寺崎広業の粋も持ち合わせていなかった。いわんや師天心とは、この点で天地のへだたりがある。彼が終生天心に頭が上がらなかったのは、一つにその余りにも大きい教養の差のためであった。

そのような大観が、明治末年には多くの思想的、歴史的主題を描いているということは、一見不可解なことのように見える。しかし、それはとりもなおさず、当時一般の風潮が思想的、歴史的なものに興味を持っていたということであろう。大観は自ら教養に乏しかったため、他人の教えに対しては極めて謙虚な一面を持っていた。天心の教えは彼には絶対であった。年少の春草からも彼は多くを学んだ。突き詰めた思索などはしない代わりに新しい風潮には敏感に反応する。よく言えば素直であるが、悪く言えば時流に乗りやすい性格を持っている。彼がアクチュアリテに対する関心が強いというのも、そういう同じ性格から来ている。時代の波は彼の鋭敏なレーダーに捉えられ、彼の内部の強力なエネルギーによって何倍にも増幅されて彼の画面に放出される。その意味で大観は時代を創る人ではないが、確かに時代を代表する人なのである。

以上


「そのような大観が、明治末年には多くの思想的、歴史的主題を描いているということは、一見不可解なことのように見える。しかし、それはとりもなおさず、当時一般の風潮が思想的、歴史的なものに興味を持っていたということであろう」

という一文がとても気になりました。大観の時代にはまだ、一般の風潮が思想的、歴史的なものに興味があったという部分です。
だからこそ、無知なる大観にアンチ的な批評もでき、また新しい時代、個性の発見することができたということでしょう。

それに比して、現代は誰も、日本画に思想的、歴史的主題を求めていません。そして、更にまして、季節的な主題にも興味を示さない風潮が顕著なのです。







大観という画家の評価を大変巧みに言葉に表現したのはやはり時の文豪夏目漱石ではないかと思います。同じこの著書の戴冠についての論考に高階氏が漱石の一文を載せていますので、それもここに抜粋させて頂きます。










大観君の「八景」を見ると、この八景はどうしても明治の画家横山大観の特有な八景であるといふ感じが出てくる。しかもそれが強いては特色を出そうとつとめた痕跡なしに、君の芸術的生活の進化発展する一節として、自然に産まれたやうに見える。
中略

一言で言うと、君の絵には気の利いたような間の抜けたような趣があって、大変巧みな手際を見せると同時に、変に無粋な無頓着なところも具えてている。君の絵にみる脱俗の気は高士禅僧のそれと違って、もっと平民的な呑気なものである。八景のうちにある雁はまるで揚羽の鶴のように不恰好ではないか。そうしてそれが平気でいくつでも蚊のように飛んでいるではないか。そうして雲だか陸だか分からない上の方に無雑作に並んでいるではないか。またいかにも屈託がなさそうではないか。同時に、雨に濡れた修竹の様や霧の腫れかかった山駅の景色などは、いかにも巧みな筆を使って手際を見せて入りているではないか。好嫌は別として、自分は大観君の画に就いてこれだけの事が言いたいのである。


以上

先程、現代の日本人の日本的情緒の喪失について触れさせて頂きましたが、思えば、もうこの大観の登場によって日本人は日本人らしさをどこかに忘れ去ろうとしていたのではないか?とさえ感じます。

思想的、歴史的教養のない大観の描く、思想的、歴史的題材の作品を一般風潮が好み、漱石が記したように大観の作品に、日本画としての美意識でなく、大観本人の個性を感じ、それを喜び楽しもうとした時、日本人はすでに近代化を果たし、絵画作品に思索的価値、歴史的解釈の深みを求めなくなり始めていたと思えるのです。


そして、その風潮は昭和の時代に一つのピークを迎え、平成、令和と続いてきました。

今後の日本画家さんに私たちは何を求めるか?それはとても大きなテーマだと思います。
すでに、現代の日本人は大観の描く壮大な富士に見向きもしなくなっているのではないでしょうか?







春草の理智 ← 飯田市美術博物館さんサイトへ





観山の教養










寺崎広業の粋


結局は、この大観時代に遡り、そこから繋がる現代にと下り、各時代の画家の個性を見抜くこと、そして、その価値を現代に探ることが大切なような気がして参りました。それが、これからの日本画を探る手がかりになるとも思えます。


大観を残すなら、海山十題でなく、佐橋美術店なら間違いなく






1939年 昭和14年 「麗日」でしょう。

その好み、その識別、そして、その眼に自信を持つこと。

そこにこそ、佐橋の「必然」が隠れているように私には思えます。







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