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政府の外国派兵動議に反対して全国で抗議デモ 戦争反対!

2014年10月03日 | 国内
10月3日 政府は国際社会の一員としてイスラム国と戦うために、トルコ軍を国外に送ること、外国軍のトルコ領内配備を許可することを、緊急動議として国会に提出すると発表しましたが(10月1日の頁参照)、たちまち全国で、この動議に反対する抗議の声が上がりました。

 Hurriyet

「戦争に反対する女性たち」の女性グループが、10月2日、ボスフォラス橋にバナーを掲げましたが、拘束されました。イスタンブルのバージュラル地区では、「平和母親協会」の女性たちが、地区のAKP(現政権・公正発展党)支部を占拠して、「殺人者ISIL,協力者AKP」と叫びました。

アンカラではさまざまな組合のメンバーたちが政府の動議に反対して、国会前に集まりました。「革新商業組合連合(DISK)」「建築家・技術者会議(TMMOB)」「トルコ医師組合(TTB)」も、国会前で政府の動議に抗議しました。彼らは動議に反対するスローガンを叫び、メシュルティエト通りから国会へ行進し、事件が起こらないうちに解散しました。

法律家たちもプロテスト
イズミルでは10月2日、弁護士グループが政府の動議に抗議して裁判所前に集まりました。アンタリヤでは、動議に抗議して人間の鎖で交通を封鎖した人々9人が拘束されました。


ルーフ・ガーデンつきバスがイスタンブルにおめみえ

 「イスタンブル電気・市街電車・トンネル管理(ITEE)]が、人々に環境に関心を向けさせるための新しい試みとして、屋上庭園つきバスをイスタンブルの街に登場させました。“ボタニック(植物の)”と“ビュス(バス)”を結合して“ボトビュス”と名づけられたバスは、最初にエディルネカプとタクシム間を走りました。

Hurriyet

歩行者が屋上庭園を見やすいように、ボトビュスは歩道橋の多い道路をメーンに、台数を増やしていく計画です。バスの屋上の常緑植物は、バスが排出するCO2を吸収し、街に良い影響をもたらします。植物は空気を清浄にするのを助ける酸素を放出し、庭園はバスの車内を自然に冷やします。

ITEEのプロジェクトに参加している環境エンジニアのファトゥマヌル・ユルマズさんによると、バスのエアコンの導管から引かれた水が、屋上の植物を潤すのだそうです。「私たちはバスの屋上という未使用の空間をリサイクルして庭園を造りました。エアコン・システムから出た水が、屋上の植物に与えられます」とユルマズさんは言いました。

「このバスは日光が直接バスの屋根に当たりませんから、日よけにもなります。植物は光合成しますから、炭酸ガスの排出は最小限になり、酸素を生産してくれます」とユルマズさん。
ボトビュスの運転手ヒュサメッティン・グルベトオールさんも、目下のところ、このバスは歩行者からもよい反応を得ていると言っています。

ボトビュスの発想は、実は初めてではありません。2010年、アメリカのデザイナー、マルコ・カストロ・カシオが着想しています。彼は“バス・ルーツ”と名づけ、都市社会と自然を結合させるための、実用的で、遊びのあるプロジェクトを開発しました。バス・ルーツは2010年の都市デザイン・コンテストで2位に入賞し、2011年には「新しい都市のためのアイディア祭」にも出展しています。

・・・どうせなら、バスの屋上に、お花も咲いてたらステキですね。蝶々や小鳥もいたら、もっといいですね。


「君らにはトルコ軍がついている」参謀長がシリアのトルコ兵を激励

ネジュデト・オゼル参謀長が、シリアのシュレイマン・シャーの墓を警備しているトルコ兵に、犠牲祭の祝辞を贈り、「君たちが攻撃を受けたら、トルコ軍はただちに支援する」と言いました。「君たちはこの重要な時に、りっぱに任務を果たしている」

Hurriyet

シュレイマン・シャーの墓は、トルコ国境から40キロのシリア領内にありますが、トルコ=シリアの協定によって、トルコの“飛び領土”とされ、トルコ陸軍司令部からの1部隊が警備に当たっています。が、最近は前進をつづけるイスラム国との間に、墓をめぐって緊張が生まれる可能性も考えられます。

参謀長は墓の警備に当たっているトルコ軍兵士の心境を考慮し、「君たちは孤立しているのではない。君らの後ろには、7600万人のトルコ国民がいる。知らせを受ければ、軍はただちに君らのもとに駆けつける」とメッセージを送ったそうです。

イスラム国はモスルのトルコ大使館の職員49人を101日間、人質にしていました。人質たちは9月29日、おそらくイスラム国との人質交換交渉で、解放されましたが、交換についてはエルドアン大統領は否定しています。

シュレイマン・シャーは12世紀のセルチュク帝国軍の指揮官でした。セルチュク軍は最初にアナトリアに侵入して定住したトルコ族です。シュレイマン・シャーは、13世紀にオスマン帝国を樹立したオスマン1世の祖父に当たります。その後、オスマン帝国は600年つづき、解放戦争を経て、1923年、トルコ共和国に継承されました。


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