あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

血盟團・井上日召と西田税 2 『郷詩會の會合』

2021年09月19日 14時39分30秒 | 井上日召

「 右翼思想犯罪事件の綜合研究 」 ( 司法省刑事局 )
第一章  血盟団事件
これは「 思想研究資料特輯第五十三号 」 (昭和十四年二月、司法省刑事局 ) と題した、

東京地方裁判所斎藤三郎検事の研究報告の一部である


井上日召

 
第二節  計画熟し民間側第一陣を引受く
日本靑年會館に於ける全國的 海・陸・民間同志の會合
一方 海軍側同志は三月事件以来益々急進的となり、
昭和六年四月
呉より古賀清志、村山格之、村上功、大庭春雄 外数名、
横須賀より 伊藤亀城、山岸宏
等が上京して金鶏会館に集り、当時群馬県に帰省して居た井上及四元を呼び寄せ、
池袋も加はつて会合を開き、井上等に決行を促した。
井上は同年 ( 昭和六年 ) 八月 支配階級の巨頭連が避暑地に集つた際 五人の同志を以て暗殺し様と提案し
其軍資金及武器として拳銃の調達方を海軍側に求めた。
井上の真意は海軍側同志の決意の程度を試すことにあつたのでこの計画は実行されなかつた。

同年 ( 昭和六年 ) 七月末頃 陸軍の一部に於て満洲に事を起し 同時に国内改造を行ふためクーデターを企てて居る
と云ふ情報が入つて来た。
井上は此の計画は真の日本的のものに非ずして政権奪取をもくろむ覇道的のものであると観察し、
西田に向つて此の計画は一命を賭しても打破る意思であることを告げた。
西田は驚き北一輝にも相談して見るから待て と云つて之を押し止め、
結局 西田が、井上及西田一派の革新勢力を代表し、十月事件の首謀者である橋本中佐等と交渉することとなつた。
井上は十月事件の計画に同志と共に飛込んで、暗殺其の他の役割を分担することに依つて発言権を獲得し、
軍部側の計画をリードして、その指導精神を真の日本精神に基くものになさうと画策した。
そこで、西田と相談の結果、両者の統制下に在る革新分子を会合せしめて結束を堅くし、
十月事件の計画に対処する為め、
同年 ( 昭和六年 ) 八月二十六日 青山の日本青年会館に於て郷詩社の名目を以て会合を催した。
当日参会した者は三、四十名と云はれて居るが其の中には
陸軍側  菅波三郎  大岸頼好    東昇    若松満則    野田又男    對馬勝雄  末松太平
海軍側  藤井斉    鈴木四郎    三上卓    古賀清志    村上功    村山格之    伊藤亀城    太田武
民間側 西田税 
            井上昭    古内栄司    小沼正    菱沼五郎    黒沢大二    堀川英雄    黒沢金吾    四元義隆
            橘孝三郎    後藤圀彦
等が居り 井上等の知らない西田一統の者も居つた。
其会合に於ては西田が司会者となり
「 愈々時期も切迫して来たから我々の運動も今後はしつかりした統制を必要とする 」
と申し
中央本部を決定し更に各地方毎に同志が集り 責任者を定め発表した。
それによると
1
中央本部を西田方に置き
 西田と井上 其他中央に居る菅波等が協議の上
 外部に関する連絡情報の蒐集、対策の決定をなし、地方責任者との連絡を執ること
2
海軍側に於ては
 全般及九州責任者  藤井斉
 横須賀地方  山岸宏
 第一艦隊  村上功
 第二艦隊  古賀清志
陸軍側に於ては
 関東地方  菅波三郎
 東北地方  大岸頼好
 九州地方  東昇
 四国中国地方  小川三郎
 朝鮮地方  片岡太郎
民間側に於ては
 愛郷塾責任者  橘孝三郎
 大洗責任者  古内栄司
を 各地方責任者と決定し
3
地方組織に付ては
陸海軍部が中心となり民間との連絡及中央との連絡を執ること等を決定した。

此の会合は全国会議であつて 此の会議の準備として各地の革新同志の会合が催され、
夫々必要事項を協議し、代表者を出した模様である。
九州方面に於ては七月下旬藤井斉より 八月下旬艦隊が横須賀入港を期して、
東京に於て陸海民間の同志の全国会合を開催する予定であるから、
その準備として九州に於ける陸海軍同志の意嚮を決定する必要があると同志に通知を発し、
八月八日 福岡市西方寺前町料亭気儘館に於て会合を行つて居る。
その時の出席者は
海軍側  藤井斉    鈴木四郎    林正義    三上卓
陸軍側  菅波三郎    小川三郎    若松満則    江崎    栗原 (鹿児島)
            竹中英雄    楢木茂    東昇    片岡太郎    小河原清衛
等で、
各地の情勢、同志獲得の情況、民間同志との連絡等に付 報告があり
次に各地方責任者、全九州責任者、各地方に於ける組織運動の促進、
連絡、中央進出の準備に付 協議決定する処があつた。
全九州責任者--陸軍側  若松満則
  --地方責任者--佐賀地方  江崎
  --鹿児島地方--西原
  --福岡地方--小河原
  --四国地方--小川
  --朝鮮地方--片岡
  --長崎地方--東
海軍側  藤井斉
以上の如くにして日本青年会館に於て行はれた全国会議は
組織統制等を決定したのみで簡単に終了した。
一度軍艦に乗組めば数か月間航海生活を送り、
同志一同が顔を揃へる機会の少ない海軍側同志は、
陸軍側と異なり単刀直入、急速に決行することを希望して居たので
此の会合に不平不満が多かった。
井上は海軍側同志のこの不平を察知し、其後連日の如く、
井上の妻名義で借受けて居つた本郷区西片町の家等に於て海軍側と会合した。

尚この全国会議に上京した三上卓は
上京前佐世保にて藤井斉より 同人が同月 ( 八月 ) 初旬 大連に飛行した際
笠木良明 の 煎入りで同地の承認から買入れたと云ふ
拳銃八挺、弾丸やく八百発を東京に運搬方を依頼せられ、
之を持参して上京し井上昭に渡したのであった。
又 井上が同年一月頃九州旅行の際 東昇陸軍少尉より拳銃一挺、実包若干をに入手して居り、
其後四月頃伊藤亀城が大連に巡航した際
同地の鉄砲商より購入したブローニング拳銃一挺実包百発が井上の手に渡って居り、
八月当時既に井上の手には拳銃十挺実包多数が集められ、
井上一統及海軍側は唯好機の到来するのを待つのみであつた。

現代史資料4  国家主義運動1  から
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血盟団・井上日召と西田税 3 『十月事件に参加』 に続く
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藤井齊  『 昭和6年8月26日の日記 』
午後、外苑日本青年會館に郷詩社の名にて會合あり。
海の一統、陸の一統 ・・大岸君の東北、その他は九州代表の東 來れるのみ
井氏の一統、菅波、野田、橘孝三郎、古賀清、高橋北雄、澁川善助、
初對面は對馬、高橋と秋田聯隊の少尉 金子信孝と四人なり

こゝに組織を造り 中央本部は代々木に置き、西田氏之に當り、
井氏を助け遊撃隊として井氏の一統はあたることゝせり
こゝに最も急進的なる革命家の一團三十余名の團結はなれり
新宿に行きて酒を飲みつゝ一同歓談し、その中に胸襟を叩き割って相結べり
野田又 宅に黒澤、菱沼、古賀 と東 と行って泊まる
・・・『 検察秘録 五 ・一五事件 』 から