あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

ロンドン條約問題の頃 4 『 藤井齊の同志に宛てた書簡 (4) (5) (6) 』

2021年09月03日 09時06分23秒 | 藤井齊


藤井齊 

軍部と政党との正面衝突

真に注意しなければならないのは、流の本当の力をなす陸海軍部全体が、
この問題によつて反政党の立場に立ち、そして陸海軍の急進分子間に提携、連絡を生じた事である。
其の間の事情に付ては、之を知るべき文章記録を存しないが、
当時 帝都に近き霞ケ浦航空隊にあつて、海軍側革新派の中心であつた
藤井斉より九州熊本の同志に宛てて、中央の情勢を報告した書簡によりてその大略を窺ふことが出来る。

(4)  
昭和五年六月七日附當時霞ケ浦航空隊附なりし藤井齊より九州熊本の同志に宛てたるもの
拝啓
先日の大暴風雨は近來稀なるもの、九州地方の損害甚大なりし由 如何御座候也。
農村の疲弊、農民の苦勞、全國町村長會議愈々時機通り來申候。
八月の休に九州迄遊びたきも或は不可能なるやも知れず。
大兄若し出馬關東に來られなば住むべき処有之、水戸の近く大洗と云ふ所に眞乎革命家あり。
井上昭氏也。
護國堂とて日蓮の寺に住す。
氏も亦 大兄の來るのを喜び居り候。
又 氏の親友同志 熊本市外花岡山祇園平三恵庵前田虎雄氏と御聯絡御とり下され度候。
右御見舞迄。

(5)  昭和五年八月十四日附當時霞ケ浦航空隊附なりし藤井齊より九州の同志に宛てたるもの
御書簡拝見
憂國概言のことに付出版違反とかにて謹愼一週間を命ぜられたり。 面白い世の中なり。
樞府は強硬論者八名、議長、副議長伊東、金子等もその内。
伊東は總理になりたいと言ふ。政府の斷末魔なり。
政友の森恪は面白き奴と云ふ。やや革命を解するか。
--中略--
九州にては ( 太刀洗飛行四聯隊 ) 大尉原田文男、中尉小島竜己 ( 鹿児島四十五聯隊 ) 中尉田中要、中尉菅波三郎
( 都城二十三聯隊 ) 少尉下林民雄、中尉朝井憲章  ( 福岡二十四聯隊 ) 中尉小河原清衛、同西村茂
( 大村歩兵四十八聯隊 ) 中尉末松竜吉 ( 佐賀大隊 ) 若松満則 ( 大分歩四十七聯隊 ) 少尉鎌賀晴一
を御訪問。
急を要する時期是非御訪問。
人物をたしかめ本物は聯絡固くせられ度し。御願す。
若松は面識あり。其他も大丈夫との話はあり。
御訪問後はお知せ下され度。

(6)  昭和五年八月二十一日附當時霞ケ浦航空隊附なりし藤井齊より九州の同志に宛てたるもの
( 御一讀後焼却を乞ふ )
御書簡有難く拝見。
--中略--
日本の堕落は論無き処なり。在京の同志といふも局地に跼躋して蝸牛角上をなす。
多く頼む可らず。
北---西田 この一派最も本脈なり。
先の不戰條約問題以來 北---小笠原長生---東郷。
今度の海軍問題に於て
陸  第一師團長  眞崎甚三郎
海  末次信正    加藤寛治
( こは積極的に革命に乗り出すことは疑問なれども軍隊の尊嚴のためには政党打倒の決心はあり )
霞ケ浦航空隊司令小林省三郎少將、長野修身 ( この二人は兄弟分 )
而して
○○○○○○
は北、西田と會見せり。
第一師と大いによし。
一師、霞空は會見せり。
斯くて革命の不可避を此等の人々は信ぜり。
然れども之をして起たしむるは靑年の任なるは論をまたず。
四十を過ぎたる者は自ら起つこと稀なるべし。
豫後備にて有馬良橘大將よし。

西田氏等今や樞府に激励すると共に、政党政治家資本閥の罪状暴露に精進しつつあり
( 牧野の甥、一木の子、大河内正敏の子が共産党にして、宮内省内に細胞を組織しつつあること攻撃中 )
所謂怪文書は頻りに飛びつつあり。
財部は武人が云ふことをきかざるを以て、文官たる法務官を使用して各方面に了解を求めつつあり。
憲兵司令部にある同志は之もつかまへて掘り出さんと計劃中の由、吉村と云ふ法務官なり。
小生等もこれに調べられたり。
今や 『 憂國概言 』
は出版法違反とかにて謹愼を申渡され始末つきたけれども餘罪ある見込とか、
即ち我々の同志運動を極力この目明し文吉が取調べ中なり。
御要心ありたし。
文書の始末は十分に御願ひす。

東京憲兵分隊長は同志なり。
憲兵は一般に警察よりはこの運動に理解あり。

安岡正篤は國家の基礎工事を受持ち、現代文化に汚されたる農村の靑年を集めて晴耕雨読、
哲学と經綸と詩と与ふ可く東京附近に山林を買ひ入れたり。
即ち権藤先生の自治思想を以て國礎を固め、人物の續出、革命の長養をなさんとす。
これも大いに必要なり。
明治維新の失敗はこの欠乏にあり。
眞の革命児は第一線に倒れ、第二流以下の人物朝に起れり。
制度は總べて官僚的國家主義---獨逸---を模倣し、
今や英國流の政党専制、天皇輕視の實現に努力する時代となれり。
第二維新にこの欠陥あらしむべからず。
---権藤先生の書は後送する筈。
先生は現代に於ける第一の經綸家也、大化革命に於ける南淵先生也、
安岡氏は北氏と提携する可能大いにあり。自ら名言せり。
時勢逼迫せば提携せざるべからず。

大川氏は北氏に離れ行動中。
只その牧野 ( 牧野伸顕 ) によつて大權降下を考へ居ると言ふは當人之に讃せず。
故に大川氏を救ふの道は牧野を倒すにあり。
然らば北氏と合一せんか。
大川氏の下には金子中佐あるのみ。具體的の運動は爲し居らず。
皆この一味は氏によつて何事かなさんとするもの、積極的ならず。

満川氏はあまり活動し居らず。北氏とはよし。
田口氏も學者なれば打開には多くを望むべからず。
今は妻は病床に臥し、児は飢になきつつ然も塾を開き、ささやかながら活動中の心事察すべし。

日本國民党は寺田氏しつかりせず。八幡氏また金なければ働けざる人物、
西田氏手を引いてより有名無實なり。
---手を引きしは財界攪乱の怪文書事件に頭山翁がおこりしためなり。
鈴木善一君のみはしつかりし居る ( 井上日召氏下に現今在り )

内田良平翁が大日本生産党なるものを計畫中、之は生産者を第一とせる党。
大本教 を土台にせむとの考、成功難からむ。
國民党はこれに合同するやも知れず。今や殆んど取るに足らず。
斯る運動は本脈にあらず、末の問題なり。
潰す方或は可ならむ、若し作るとせば西田氏を當主として表面政党、
裏面結社のものたらしめて農民労働者を團結せしむべきのみ。

愛國社勤勞党も有名無實なり、中谷氏はヒステリーにして同志より嫌はれつつあり。
綾川氏は日本新聞に籠りて筆を振ふのみ、實兵殆んどなし。
津久井氏の一統は團結最も健固なり。高富の國家社會主義一派也。
同氏は有望、西田氏ともよし。
元々、日本國民党は、西田、津久井、中谷 三氏にて計畫せしもの
途中に別れし時も只方面を異にして活動せむと兄弟的に成立したる党也。
欠陥はここにあり。
中央の状況 以上の如し。

人、夫々運動の方針を異にす、己の立場を固守して人に下らず、性格のためもあり、功名心もあり。
---即ち俺の地盤の者を引張つたからと何かと言ふものあり、
この人民を利用する心---既成政党、無産党式の心理起る時 日本主義者も堕落なり。
人を利用して己の地歩を占め、功名を高からしめんとす、悲しむべき人性也。
或は新日本の崩壊もここに原因せむか、嚴重に戒しむべき點なり。
この故に眞の革命家を養ひ、團結し、續出せしむべきを要す。

小生の方針は
民間に於ては、北、西田氏を中心とし
海軍に於ては、末次、小林を中心とし
陸軍は眞崎、荒木 ( この二人はよし ) を中心とし、
而して
○○○○を戴き ( ○○○は○○○○と最もよし、○○○には御帰朝後手を伸さむ )
この團結を以て斷行せむとす。
今や海軍軍人の日米戰爭を望むや切なり。
一九三六年以後は勢力益々衰ふる故に、同年頃は開戰すべしと云ふものあり。
然れども飛行機等實戰に使用し得るものは八十機に過ぎず、在庫品は一機もなし。
機械の不良なる、十年は後れたり。
財政は立ち行かず。地方は極度に衰へ、人心の萎縮此の如し。
戰ふべきからざる論なし。
若し戰ふとも負くるかやつと引分くるかなり。
日露戦争の時は國民に意氣ありたり、今は然らず、よくて引分なり。
米國を抑ふべからざるは勿論順序は先づ國内の革命なり。
この革命をやり切らぬ日本ならば日米戰は無論、再び地上に生存する価値無き國也。
農村の窮乏は言語に絶す、革命の遠からざらむ事は明白也、
丁度仏蘭西革命、ロシア革命の前夜の如し。
浜口内閣をして生殺のままに長生せしめよ海軍問題を長引かしめよ。
これ打開を早からしめて日本を救ひ、海軍を救ふことなり。
先づ國亂は風前の燈火たらしむるを要す、
ここに眞乎の國民は金剛不懐の力を振ひ起さむ---以下數行略。

「 右翼思想犯罪事件の綜合研究 」 ( 司法省刑事局 )
これは「 思想研究資料特輯第五十三号 」 (昭和十四年二月、司法省刑事局 ) と題した、
東京地方裁判所斎藤三郎検事の研究報告  第四章  ロンドン軍縮条約と其影響
代史資料4  国家主義運動1  から


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