あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

林八郎 『 不惜身命 』

2020年12月03日 14時05分52秒 | 後に殘りし者

北満駐屯のある部隊で、新年に当って松下教官が、
中隊の下士官全員を自分の官舎に招待して酒宴を開いたときのことである。

松下中尉は正面の席を立ち、今日は肩章抜きだから、
いちばん年長の堀内准尉に坐ってもらいたいといつて、
謙遜する准尉を抱えるようにして床の間の前に据え、自分は下士官のあいだにまじって席をとった。
彼は隊にいるときもなにかと老准尉をいたわっていたし、「 うちのお爺ちゃん 」 も正座にかしこまって心から嬉しそうであった。
そのことがその場の空気をひどくやごやかなものにするのであった。
堺もあまり飲めぬ酒をすすめられるままに何杯かかさねたが、盃を机の上に置くと改めて、部屋の中を見まわした。
・・・俸給を貰うとそのまま将校酒保の支払いなまわってしまうから、荷物なんかなんにもないんだ。
出動のときなんか荷造りが簡単で大助かりだ。・・・
当番兵が隊でそういっていたことがあったが、なるほど部屋の中はガランとして、
隅の方に粗末な小さな本棚が一つあるきりであった。
ほかには、いま彼らがそれに向かって酒を飲んでいる。
ちゃぶ台にもなる机がひとつあるだけで、あとには何もなかった。
本棚にもいく冊かの兵書と、ほかには 『 葉隠 』 と背に書かれた本が一冊あるだけであった。
ただこの座敷にはいった瞬間から、堺を強く惹きつけたものがあった。
それは一幅の軸であった。
小さな床の間の隅には一口ひとふりの大きな軍刀が無造作に立てかけられてあったが、
それは松下中尉が北支の戦闘で通信隊長をして活躍したことにより、
関東軍司令官から贈られたものであることは、堺も現役の兵隊から聞いていた。
だが堺が惹かれたのはそれではなかった。
堺が強く惹かれたのは、床の間の正面にかけられた一幅の掛軸であった。
堺が東京にいたとき、訪問するいろいろの家で、たいてい、掛軸の一つニつ かけられていない家はなかった。
しかしそれらの絵や書に堺は ほとんど興味を持ったことはなかった。
とくに書の場合にはそれが満足に読めた記憶はあまりなかった。
だが松下中尉の床の間にかけられた掛軸は、最初から不思議な力で堺をとらえるものであった。
それには
不惜身命
という字が大きく書かれていた。
それがどうして自分をこう惹きつけるのであろう ?
堺はそれをたしかめたい気持ちでそれをじっと眺めた。
字のうまさからくるのであろうか、あるいはその書かれている文句からくるのであろうか ?
堺はそう思って見直してみるのであったが、そのいずれでもなかった。
そして、それをしばらく眺めているうちに、それは黒々と墨で書かれているのにかかわらず、
まるで血ででも書かれたようなはげしさをもっていることが次第にわかるのであった。
いったいどんな人間が、また何歳ぐらいの者が書いたのであろうかと判断してみようとしても、まるで見当がつかなかった。
それは年齢を超越した、書いた者の生命そのものがそこに露出されているような一種無気味な感じのものであった。
堺は我慢しきれなくって、床の間のそばへ立って行った。
すると
『 不惜身命 』 という 四字の左端に、
為  松下孝君  焰峰  林八郎
と 書かれてあった。
・・・・林八郎 ?

堺はちょっと首をかしげていたが、すぐに思いあたるところがあった。
それは二 ・ 二六事件で死刑になった林八郎少尉であった。
堺が席を立ち、ひどくそれに興味をもったらしいことを見て、松下中尉は掛軸を指しながら彼に話しかけた。
・・・こいつは二度も海を渡ってやっと俺の手にはいったんだ。
ちょうどあの事件が起こったときは俺は満洲にいたし、とうとう死に目には会えなかったが ・・・・・・
こいつがの小包になって満洲にくると、入れちがいに俺は師団が転かわって内地に行くし、
それが内地に送り返されると、また俺が満洲にやってくるというぐあいだったんだ。
松下中尉と林八郎は、士官学校時代の同期生で親友であった。
・・・奴がやったことがいいことだったか悪いことだったかは俺は知らん。
しかし いい奴だった。
だが林のような奴が悪いことをやったとは俺には思えないんだ。
彼はもうだいぶ重ねた盃にいくぶん顔を赤くして、まるでどなるような口調でいった。
堺は松下中尉の顔をしみじみ眺めながら、はじめて彼のかくされた一面を知ったような気がするのであった。
その 『 不惜身命 』 という 四字は、そのまま林八郎のいのちの叫びを示しているようであった。
かれの血の中を煮え立ちながれている日本覚醒の火のような精神がこの四字にこめられ、まだ生きている。
そして同じ血がやはり松下中尉の中を流れているのではあるまいか、
堺にはそんなふうに思われてしかたがなかった。

・・・堺誠一郎著 『 曠野の記録 』 から