丹生誠忠
訊問調書
被告人 元陸軍歩兵中尉 丹生誠忠
右ノ者ニ對スル叛亂被告事件ニ附、昭和十一年三月一日、東京衛戍刑務所ニ於テ、
本職ハ右被告人ニ對シ訊問ヲ爲スコト左ノ如シ
氏名、年齢、所属部隊、官等級、族称、本籍地、出生地、住所及職業ハ如何
氏名ハ丹生誠忠
年齢ハ二十九年
所属部隊ハ元歩兵第一聯隊
官等級ハ元陸軍歩兵中尉
族称ハ鹿児島県士族
本籍地ハ鹿児島市牟田町三七四二番地
出生地ハ同右
住所ハ東京市世田ケ谷區北沢四丁目五百六十八番地
職業ハ元官吏
位記、勲章、記章、恩給、年金ヲ有セザルヤ
従七位ヲ拝受シテ居りまスガ、勲章、記章、年金、恩給ハアリマセン
刑罰ニ処セラレタルコトアリヤ
アリマセン
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二 ・二六事件
本事件當初ヨリ鎭定サレル迄ノ行動如何
私ハ歩兵第一聯隊 第十一中隊長代理デアリマシタノデ、
二月二十六日午前午前三時、
中隊全員百七十名ニ對シ非常呼集ヲ命じ、
午前四時患者ヲ殘シ營庭ニ整列セシメ、
栗原中尉ノ指揮スル機關銃隊ノ後尾ニ續行、陸相官邸ニ向ケ進行致シマシタ。
午前五時頃 陸相官邸に到着。
直チニ各一部ヲ以テ、
三宅坂附近及參謀本部正門附近ヲ警戒セシメ、
主力ヲ以テ陸軍省表門 及 玄関 幷ニ陸相官邸周囲ヲ警戒シ、
關係方面トノ聯絡ヲ斷チ、出入者ヲ制限シタノデアリマスガ、
其間、香田、村中、磯部氏等ハ目的遂行ノ爲努力シタコトト思ヒマス。
二十六日の午前六時 丹生部隊の配備
山王ホテル
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二月二十七日ノ朝、
新議事堂前ニ集結ヲ命ゼラルル迄、其ノ儘警戒ヲ續ケテ居リマシタ。
新議事堂前ニ集結待機中、午後八時頃 ( 夕食後 ) 配布命令ニ依リ、
私ハ中隊 ( 重機關銃一分隊 ) ヲ率イテ山王ホテルニ行キ、
衛兵ヲ設ケ、処要ノ警戒ヲ爲シ、
他ハ山王ホテル食堂広間ニ就寝サセマシタ。
二月二十八日中
ハ何レモ變化アリマセンデシタガ、
午後七時頃カラ狀況ガ險惡ニナツテ參りマシタ。
午後十二時前安藤部隊 ( 約二〇〇名 ) モ山王ホテルニ參リマシテ、
協力シテ其附近ノ守備ニ就イタノデアリマス。
二月二十九日ハ
払暁カラ歩三 及 歩兵學校ノ部隊 及 戰車隊等ト對抗スル様ニナリマシタノデ、
私共 同志將校ハ合意ノ上 下士官以下ヲ歸隊セシメ、
陸相官邸ニ赴キ、私共ハ自首シタノデアリマス。
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本事件實行ノ目的ハ如何
目的ハ昭和維新ノ斷行デアリマス。
五月事件 相澤中佐事件 等ニ依リ、吾等ノ目的ハ少シハ達セラレマシタガ、
未ダ充分で有リマセンノデ 吾等同志將校ガ起ツテ重臣官僚政党方面ノ改革ヲ圖リ、
陸相ニ進言シテ昭和維新斷行デ最モ適當ナル人物ヲ擁シ
根本的ニ國家ヲ改造スルノ機ヲ作ルニアッタノデアリマス。
本事件實行ノ原因動機ハ如何
遠因トシテ五月事件及十月事件、
近因トシテハ相澤中佐事件ニ依リ國家改造ノ必要ヲ認識シテオリマシタ処、
二月二十五日朝 栗原中尉カラ明朝實行スル旨命ゼラレテ實行シタノデアリマス。
本事件中所属上官ヨリ、解散又ハ所属隊復帰ノ命令ノ受領或ハ知得セザリシヤ
私ハ命令ヲ受ケタコトハアリマセンガ、忠告ヲ受ケタコトハアリマス。
ソレハ二月二十八日夜 山王ホテルニ居タ時、
石本中佐カラ聯隊ニ歸ル様ニトノ電話ガ二回程有リマシタガ、
私ハ、只、歸リマセヌガ、下士官兵ノ事ハ御心配無用デスト答ヘタノデアリマス。
又、聯隊長殿ガ命令デ全部引率シテ歸ルト謂フ事ヲ誰カラトモナク聞キマシタノデ、
私ハ歸ラウト思ヒマシタガ、
其後間モナク 聯隊長殿ガ命令デ全部引率スルノデハナク、
歸ル者ハ歸ツテ來イ ト云フ事ガ判リマシタノデ、
歸隊スルコトヲ中止シタノデアリマス。
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< 2 9 日 >
午前一時 香田大尉殿より達し有り、
「 皆の者此処に聯隊長殿が来て居られ、皆を原隊に帰させると言ふが 帰りたい者は遠慮なく言出 」 と、
其の時の兵の気持 悲壮と言ふか
声をそろえて 「 帰りたくない、中隊長達と死にます 」 と いった。
香田大尉も感激し 「 良く言ってくれた 」 と、
それから 各処々に陣をはりいつでも来いと応戦の用意、
営門出かけてより此の方、此の位緊張した気持ちはなかった。
亦 今日が自分達最後の日かと覚悟した。
・・・「 声をそろえて 帰りたくない、中隊長達と死にます 」
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本事件ニ對スル奉勅命令ヲ知レルヤ
奉勅命令ガ有ツタコトヲ聞キマシタガ 又ソレハ僞リト謂フ事モ聞キマシタノデ、
何レガ眞實ナルカ私ニハ判リマセン。
本事件ノ計畫竝結盟ノ狀況如何。
私ハ計畫竝徒党結盟ニ關シテハ一切シテ居リマセヌ。
又 實行ノ前日タル二月二十五日朝
栗原中尉カラ明朝決行スルコトヲ聞キ、
二十五日夜 中隊長室ニ於テ
陸相官邸内ヲ通過セシムベキ人名表、斬殺スベキ人名表ヲ磯部氏ヨリ、冩サシテモライマシタ。
決行ノ前夜迄 私ニ計畫内容ヲ知ラセナカッタノハ、
私ト岡田首相トハ親戚 ( 母ノ姉ノ配偶者ト亡岡田首相夫人ハ兄妹) ノ間柄デアリ、
又 秘書官大久保利隆ハ叔父 ( 母ノ弟 ) 關係ニ當ルノデ、秘密ガ洩レテハ不可ト思ツテ、
知ラセナカツタカモ知レヌ。
本事件ニ對スル地位役割ノ狀況如何。
私ノ任務ハ
私ノ中隊タル歩兵第一聯隊第十一中隊及機關銃隊ノ一部ノ下士官以下一八四名ヲ指揮シ、
陸軍省 參謀本部ヲ警戒シ
各方面トノ聯絡ヲ斷チ、昭和維新斷行ヲ容易ナラシムルニアルノデアリマスガ、
其ノ任務モ二十五日夜 栗原中尉ヨリ中隊長室ニテ命ヲ受ケタノデアリマス。
從來ヨリ消極的反對ノ意思ハ以心伝心ニ栗原中尉ニ通ジテ有リマスガ、
栗原中尉ノ方ニハ私ガヤレバヤルモノト判斷シテ居タ様デシタ。
栗原中尉ハ事件中モ 「 スマナカッタ 」 ト 言ハレマシタガ、
自分モ決行シタ以上 斯カル言葉ハ言ツテ貰ヒ度クナイト云ヒマシタ。
本事件ノ計畫及指揮ハ誰ガ行ツタカ
計畫モ指揮モ 栗原、磯部、野中ノ三人ガ協力シテ行ヒ、
其ノ下ニ 村中、香田ガ居テ働イタト思ヒマス。
( 想像デス )
現在ノ思想又ハ観念ヲ抱持スルニ至リタル原因動機竝經過如何
私ハ士官學校ヲ卒業シ
見習士官トシテ歩兵第一聯隊ニ參リマシタ時カラ、
栗原中尉ノ指導ヲ受ケテ居リマシタガ、
當時其ノ思想ハ良イモノヤラ惡イモノヤラ見當ガ附キマセンデシタ。
五月事件後 殊ニ相澤中佐事件ノ公判ガ開カレテカラ深ク其ノ思想ニ共鳴スル様ニナリ、
現在ノ日本ヲ救フニハ昭和維新斷行ヨリ外ニナイト想フ様ニナッタノデアリマス。
又 香田大尉ガ昭和十年十二月旅団副官ニ轉ズル迄、私ノ中隊長デアリマシタ。
本件ノ實行手段方法如何
私ハ栗原中尉ノ命ニ依リ 部下中隊ヲ指揮シ、
陸軍省參謀本部ヲ警戒シ、
關係方面ノ聯絡ヲ斷チ
一般人ノ通行ヲ禁ジ、
目的遂行ヲ容易ナラシメタノデアリマス。
本事件ニ對スル關係者ノ狀況如何
私ハ前ニ申上ゲマシタ通リ 栗原中尉ノ指導ヲ受ケ 香田大尉ノ部下デアリマシタ。
尚 五月事件當時栗原中尉ニ伴ハレ、西田税ノ処ニ 二、三回行キマシタ。
其他 右翼浪人、政党、敎育家、左翼等ノ各方面トハ何等ノ聯絡モアリマセン。
本事件ノ資金關係ハ如何
私ハ資金關係ハ知リマセン。
本事件ガ皇軍ノ本質竝威信上ニ及ボシタル影響如何
中隊ノ兵員ヲ率ヒ 決行スルコトハ惡イト思イマシタガ、
此ノ計畫ハ實行セバ必ズ成功スル、成功セバ必ズ軍隊ガ起チ、
昭和維新ノ目的ガ達セラレ、
結局軍隊ガ一團トナリ統帥命令ニ歸ルコトニナルカラ、
惡イコトハナイト思ヒマシタ。
又 皇軍ノ威信ヲ高メテモ 決シテ失墜ハシナイト思ツテ居リマス。
何故ナレバ 皇軍仲今尚正義ノ爲メ身命ヲ賭シテ働ク軍人ガ相當居ルコトヲ認識セシメ、
從ツテ皇軍ヲ信頼スルノ念ヲ増ス事ト想ツテ居リマス。
本事件ガ國内的ニ及ボシタル影響如何。
眞相發表スレバ前申上ゲタ通リ、皇軍ヲ信頼スルノ念ヲ高メマスガ、
眞相ヲ僞装シテ發表セバ 或イハ惡影響ヲ及ボスカ知レマセヌ。
本事件ガ國際的ニ及ボシタル影響如何。
先方ノ認識如何ニ依ルト思ヒマス、眞相ガ傳ハレバ好影響を齎もたらシマスガ、
其ノ反對ナレバ影響モ亦反對ニナルト思ヒマス。
「 ソ國 」 ニ對シテハ非常ニ好結果ヲ齎ス事ニナルト思ヒマス。
ソレハ正義ノタメ身命ヲ賭スル者ノ多イ第一師団ガ満州ニ出動シテハウツカリ手出シハ出來ナイト用心シ、
自然ニ軍ノ士気ニ多大ノ打撃ヲ加ヘ、士気沮衷セシメル事トナルト思ヒマス。
皇室ノ敬虔上ニ及ボシタル影響如何。
二月二十六日ヨリ二十九日迄 宸襟ヲ悩まシ奉リ 誠ニ申譯ナイト想ツテ居リマス。
事件當時ノ心境ト現在ノ心境如何。
事件着手時ハ必ズ成功シ日頃ノ目的ガ達セラルルト想ヒ、
心ニ一點ノ曇モナク意気衝天ノ勢デシタ。
現在ノ心境ハ非常ニ複雑シテ居リマスノデ申上ゲ様ガ有リマセン。
只 靜カニ反省シテ居リマスガ行爲ニ對シ決シテ後悔ハシテ居リマセン。
神様ト同一心境ニテ爲シタルモノト思ツテ居リマス。
將來ニ對スル覺悟如何
現在ノ心境デハ未ダ将來ノ事ヲ考ヘル餘裕ハナク、
只 正シキ事ハ何百年何万年經ツテモ、
正シキ行イナリト信ジテ居リマス。
本件ニ附陳述スベキコトアリヤ
アリマセヌ。
丹生誠忠
右讀聞ケタル処、相違ナキ旨申立ツルニ附、署名拇印セシム
昭和十一年三月一日
東京憲兵隊本部勤務
陸軍司法警察官 陸軍憲兵大尉 金沢朝雄
筆記者 陸軍憲兵軍曹 角田謙一
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