あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

清原康平少尉の四日間

2020年01月06日 04時26分54秒 | 赤子の微衷 2 蹶起した人達 (訊問調書)


清原康平
訊問調書
被告人  元陸軍歩兵少尉  清原康平
右ノ者ニタイスル 叛亂被告事件ニ附、昭和十一年三月二日、浅草憲兵分遺隊ニ於テ、
本職ハ右被告人ニ對シ訊問ヲ爲スコト左ノ如シ
氏名、年齢、所属部隊、官等級、族称、本籍地、出生地、住所及職業ハ如何
氏名ハ清原康平
年齢ハ二十三年
所属部隊ハ元歩兵第三聯隊
官等級ハ元陸軍歩兵少尉

族称ハ熊本県平民
本籍地ハ熊本県宇土郡三角町字三角裏九二六番地
出生地は本籍地と同じ
住所ハ東京市杉並區西高井戸一〇〇〇番地湯川八重方
職業ハアリマセン
位記、勲章、記章、年金、恩給ヲ有セザルヤ
位記ハ正八位ヲ拝受シテ居ルノミニテ年金、恩給等ハアリマセン
刑罰ニ処セラレタルコトアリヤ
受ケタコトハアリマセン
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二 ・二六事件

事件ニ關係セシ顚末ヲ述ベヨ
二月二十五日午後八時頃、
當時週番司令トナリシ安藤大尉 ( 第六中隊長 ) カラ、
私ニ直グ來ルヤウニ傳令ガアリマシタカラ週番司令室ニ行キマスト、
安藤大尉ハ、
明朝、愈々、昭和維新ヲ斷行スルカラ第三中隊モ出ロ、
ソシテ今夜十二時ヲ期シ非常呼集ヲヤルカラ次ノ服装携帯品ニ附イテ準備シテ置ケ。
服装、軍服ハ第三装甲ヲ着用、外套ニ肩章ヲ附スベシ。
軍帽ハ良キモノヲ着用スベシ。
携行品ハ、 戰帽、白帯、防毒面、三脚架、拳銃、鐡鉢、條鐡、手旗、兵器手ハ倶乾麵麭、
米、輕機關銃、實包、銃身、水筒、雑嚢、飯盒、衛生材料、
特ニ看護兵ヲ随行スベシ。
維新斷行ニ就キマシテ内命ヲ受ケマシタ。
ソレデ休養シテ居ルト、
二十六日午前零時頃、
週番司令ノ傳令ガ來テ非常呼集ノ命令ヲ受ケマシタ。
私ハ直ニ週番司令室ニ命令受領ニ行キマスト、
安藤大尉ハ、
午前四時二十五分、野中大尉 ( 第七中隊長 ) ノ指揮ヲ以テ出發、警視廳ニ向フベシ。
突入時刻ハ午前五時三十分ノ豫定。
之レガ爲速ニ彈薬受領者ヲ彈薬庫ニ差出スベシ。
ト 命令ヲ受ケ、
中隊ニ歸リ、下士官ヲ週番士官室ニ集合ヲ命ジマシタ処、
藤倉軍曹、山本軍曹、神田軍曹、野村伍長、宍倉伍長、関根伍長、小座間伍長、
平佐伍長、村上伍長、山崎伍長ノ十名ガ集合シマシタ。
渡辺曹長ハ風邪ノ爲 集合シマセン。
其処デ安藤大尉ヨリノ命令ヲ傳達シ 尚 昭和維新斷行スベキ旨附言シ、
兵器係下士官ヲシテ彈薬ヲ受領セシメマシタ。
彈薬受領後私ハ中隊全員ノ非常呼集ヲ實施シ
各内務班長ヲシテ下士官以下ニ一人宛六十發ノ彈丸ヲ交附シ、
何分ノ命アル迄各班内ニ於テ休養ヲセシメ、私ハ指揮官 野中大尉ノ下ニ命令受領ニ參リマシタ処、
第三中隊 ( 機關銃隊一分隊ヲ分属 ) 約百六十五名ハ、第七中隊發進ト共ニ舎前ヲ出發、
部隊ハ 第七、第十、第三中隊 ( 機關銃ハ各中隊分属 ) ノ行軍順序ヲ以テ營門ヲ出發スベシ。
本日ノ合言葉ハ 「 尊皇討奸 」 標語ハ 「 大内山ニ光サス暗雲ナシ 」 ヲ部下ニ傳達スベシ。
以上ノ命令ヲ受ケマシタノデ、私ハ直チニ中隊ニ歸リ下士官以下ヲ中央部廊下ニ集メ
【 只今ヨリ昭和維新ヲ斷行スル
第三中隊ハ清原少尉以下 野中大尉ノ指揮ヲ以テ警視廳ヲ占領ス
本日ノ合言葉ハ「 尊皇討奸 」 標語ハ 「 大内山ニ光サス暗雲ナシ 」 ト下命シ、
下士官以下ヲシテ復唱セシム 】
其ノ後 暫時休養ノ後、
午前四時頃全員 ( 第三中隊ハ清原少尉以下百五十五名、機關銃一ケ分隊ハ分隊長 「 伍勤上等兵 」
以下約十名 ) 舎前ニ整列シ、先頭中隊デアル第七中隊ノ發進ヲ待ツテ、
午前四時二十五分頃營門ヲ出發シマシタ。
行軍途中 野中大尉ハ
歩一裏門ノ処ニテ聯絡ノ爲 歩一ニ赴キマシタノデ、
約十分計リ 其儘ノ隊形デ同所ニ休憩後、交番ノ無キ処ヲ選ンデ第一師團長官舎裏ヲ經テ、
溜池、虎ノ門 ( 立番巡査ハ居眠シアリ )、警視廳ニ到着シマシタ。
午前五時過ギ頃、警視廳ニ到着スルニ先立チ、
別紙要圖ノ如ク配備ヲ命ゼラレマシタ。
 ← 別紙要圖
 ↓ 別紙等を基に作製したもの


私ハ輕機一ケ分隊、機關銃一ケ分隊 ( 兵力二十 ) ヲ以テ
警視廳ト内務省トノ間ノ通用門ニ向ツテ司法省表面附近ヨリ射撃準備ヲ命ジ、
殘餘ノ第三中隊主力ヲ以テ警視廳正門前ヲ通リ、
同庁西北ノ破壊セル板塀ノ個所ヨリ警視廳裏庭ニ歩三ノ各部隊ト共ニ待機シマシタ。
稍暫ラクシテ、野中大尉ガ警視廳ト折衝ノ結果、同廳ノ明渡シヲ受ケ、
私ハ第三中隊ノ一部 ( 約四十名 ) ヲ以テ ( 輕機關銃二ケ分、小銃二ケ分隊 )
警視廳屋上ヲ占領スベキ命ヲ受ケ、直ニ占領シマシタ・・・< 註 1 >
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< 註 1 >
「 本庄侍従武官長が天皇に上奏して
その御内意をうけたらそれを侍従武官府を通して中橋中尉に連絡する。
わが歩兵第3連隊が堂々と宮城に入り昭和維新を完成する。
これがあらかじめ組んだプログラムですよ 」
「宮城に入った赴援部隊が実弾をもたなかったというのもそれです。」
「 ・・・・所が陛下に叱られて本庄さんが動けなくなった。
陸相や真崎さんは、待てど暮らせど本庄さんから連絡がないから、自分の方から動けない 」
「 昭和天皇の怒りが全ての計画をホゴにしたことはあきらかです 」

「 私は宮城の中で点滅するはずの信号を、いまかいまかと待っていた。
その信号こそ、中橋中尉による宮城占拠の成功を知らせるものだった。
信号があり次第、安藤大尉が兵を率いて宮城に入り、昭和維新はそのとき成るはずだった 」

午前六時半を過ぎ、あたりはすっかり明るくなった。
私は部下に適宜朝食をとるようにいって 警視庁の階段を降りた。
降りながら蹶起は明治維新の蛤御門の戦に終るのではないか、という気がして肩から力が抜けて行くのを覚えた。
地上に降りて野中大尉を探すと、大尉は東口階段にドカッと腰掛けていた。
私は敬礼し、
「 宮城よりの連絡はありません 」
と 報告すると、
「 ウーム 」
と 言ったきり天を仰いだ。
・・清原康平 文藝春秋 1986年3月号掲載、『 生き残りの決起将校の全員集合の座談会 』

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第三中隊ノ主力ハ、山本軍曹ノ指揮ヲ以テ野中大尉ノ指揮下ニアリマシテ、
午前六時頃、
携帯口糧 ( 乾麵麭一食分 ) デ朝食ヲ爲シ、
警戒ニ任ジ、

正午ニ至リ
歩三ヨリ石井一等主計、原山二等主計等ノ運搬シ來レル ( 聯隊長命令ニ依ル )
昼食ヲ各自警戒ニ就キタル儘 了リ
私ガ屋上ノ警備ヲ藤倉軍曹ニ命ジ、裏庭ニ下リ、其後ハ何事モ無ク、
夕食ハ原隊ヨリ給与ヲ受け、其夜ハ中隊主力ト共ニ警視廳機關庫内ニ宿泊セリ。

(二十七日)
午前十時三十分
野中大尉ヨリ 「 宿營休養ノ目的ヲ以テ 華族會館ヲ偵察セヨ 」
トノ 命令ヲ受ケマシタノデ、私ハ一個小隊を率イ華族會館ニ至リマシタ。
主任者ニ聯絡ノ結果、約三百名ノ宿營能力アルコトヲ知リ、
野中大尉ノ命令ニ依リ中隊主力ヲ招致シテ中ニイレマシタ。
當時ノ華族會館ニハ、華族約三十名一室ニ居リマシタガ、
私ノ一存デ之レラノ人ヲ外ヘ出スコトヲ躊躇シ、自ラ首相官邸ニ赴キ栗原中尉ノ指示ヲ受ケマシタ。
スルト栗原中尉ハ、直グ華族会館ニ來リ、
彼等ニ蹶起趣意書ヲ朗讀シタル上退去ヲ許シマシタノデ、
私ハ兵ガ危害ヲ及ボス事ヲ虞レ、三、四名宛逐次ニ退去セシメマシタ。

二十七日午後六時三十分頃、中隊長森田大尉ガ來マシタノデ、
私ハ
「 中隊長ノ指揮下ニ入レテ戴キタイ 」
ト 申シマスト、
常盤少尉ハ
「 我等ハ小藤大佐ノ指揮ニアルカラソレハイカヌ 」
ト 述ベマシタ。

午後七時頃ニ至リ、
小藤大佐命令ニナリトテ蔵相官邸ニ引揚ゲヲ命ゼラレマシタノデ、
午後七時半頃
華族会館ヲ出テ蔵相官邸ニ入リマシタ。

(二十八日)
正午頃、
野中大尉來リ、將校ニ陸相官邸集合ヲ命ゼラレマシタノデ直グ參リマスト、
磯部等一見在郷將校ラシキ者集合シテ居リマシテ、何トナク自決ノ氣配ヲ感ジマシタノデ、
我等ノ行爲ガ完全ニ之等ノ人物ニ依リ利用セラレテ居ル事ヲ悟リ、
其処ヲ脱出シ、
幸楽ニ居ル安藤大尉ノ下ニ到リ、自己ノ所信ヲ開陳シ、蔵相官邸ニ歸リマシタ。
當夜ハ三宅坂ノ警備ニ附キマシタ。

二十八日夜、中隊長ヨリ私ニ電話デ、
「 俺ノ中隊ヘ歸レ 」
トノ 電話ガアリマシタガ、
前述ノ事ガアリマスノデ私ハ常盤少尉カラ聞イタ通リ申シマシタ。

(二十九日)
午前五時頃、
赤坂方面ヨリ 「 ラヂオ 」 ノ放送ヲ聞キ、初メテ奉勅命令ノ下リシ事ヲ知リマシタ。
次デ赤坂見附方面偵察ノ爲參リマスト、
四十九聯隊ノ大隊長ガ奉勅命令ガ下ツタカラ早ク歸レト云ハレマシタノデ、
中隊ノ兵ヲ集メ營門迄歸リマシタ。
スルト憲兵曹長來リ、
將校ハ陸相官邸ニ集合セヨト云ハレマシタノデ直グ參リマシタ。
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陸相官邸ニ於ケル状況ヲ述ベヨ
最初自決する考エデアリマシタガ、同志に諫められ大御心の儘ニナロート決心シタノデアリマシタ。

事件中所属上官ヨリ解散 或ハ 所属隊復歸ノ命令ヲ受領シ 或ハ知得セシ狀況ヲ述ベヨ
二十七日 午後六時三十分頃、中隊長森田大尉ガ
來マシタノデ 私ハ
「 中隊長ノ指揮下ニ入レテ戴キ度イ 」
ト 申シマスト、常盤少尉ハ
「 我等ハ小藤大佐ノ指揮下ニアルカラ ソレハイカヌ 」
ト 述ベマシタ。
尚 二十八日夜、中隊長ヨリ私ニ電話デ
「 俺ノ中隊ニ歸レ 」
トノ 電話ガアリマシタガ、前述ノ事ガアリマスノデ私ハ 常盤少尉カラ聞イタ通リ申シマシタ。

本計畫ニ對シ、被告ハ襲撃乃至準備ヲ爲シタルヤ 又 被告ノ地位 竝 役割ハ如何
全部 野中大尉 竝 安藤大尉ノ區署命令ヲ受ケテ行動シマシタ。
從ツテ第三中隊長トシテ行動シマシタガ、私ノ獨斷デ行動シタ事ハ歸順ノ時以外ハアリマセン。

本事件ニ參加ノ目的ハ如何。
財政權ノ奉還、統帥權ノ確立、天皇機關説排撃ノ爲デアリマス。

ソウ云フ思想ハ何時頃カラ抱持シタカ
昭和八年在隊間 士官候補生ノ頃カラ抱イテ居リマシタ、
特ニ最近ニ於ケル相澤公判ノ狀況ハ直接的動機ト思ツテ居リマス。

本事件ニ當リ、特ニ參加ヲ勧誘シタルモノアリヤ
安藤大尉、野中大尉、坂井中尉等デアリマス。

本事件ニ當リ、他人カラ金錢ヲ収受シタル事アリヤ。
何モアリマセン。

皇軍ノ本質 竝ニ威信上ニ如何ナル影響ヲ及ボシタリヤ
最後ニ至リ、惡影響を及ボシタト考ヘマシタ。

國内的ニ如何ナル影響ヲ及ボシタリト思料スル。
上御一人ノ御宸襟ヲ悩マシ奉リ、民心ヲ動揺セシメタト思ヒマス。

國際的ニ如何ナル影響ヲ及ボシタルト思料スルヤ
國際的ニ惡影響ヲ蒙ツタト思ヒマス。

皇室ニ對シ奉リ、敬虔けいけんノ念ニ如何ナル影響ヲ及ボシタルト思料スルヤ
國民ガ我等ノ眞ノ氣持ヲ理解シタナラバ、
皇室ニ對シ奉ル敬虔ノ念ニハ何等ノ影響ヲ及ボサヌモノトオモヒマス。

現在ノ心境ハ如何
現在ノ社會情勢ニハ不満ノ點モアリマスガ、
今度ノ事件ニ關シテハ全ク他人ヨリ動カサレ
自分ノ信念ト相當ノ距離ヲ生ジタ事ヲ深ク遺憾ニ思ツテ居リマス。
即チ 自分ノ信念ハ 軍隊ハ陛下ノ軍隊デアリマシテ、統帥命令デ動クベキデアリマスノニ、
強制的命令ニ動カサレマシタ事ヲ遺憾ニ思ヒマス。

將來ニ對スル覺悟如何
只々大御心ノ儘ニ動キマス。

本件ニ關シ他ニ陳述スベキ事アリヤ
別ニアリマセン

陳述人  清原康平
右讀聞ケタル処、相違ナキ旨申立ツルニ附署名拇印セシム
昭和十一年三月二日 
東京憲兵隊本部勤務
陸軍司法警察官  陸軍憲兵大尉  林弥衛
筆記者  陸軍憲兵伍長  氏家猛男

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