写真:「松江・宍道湖の夕暮れ」
先日、還暦を迎えた友人の一人からこんな手紙が入りました。
先般、島根の生れ故郷で高校の同窓会があり、半世紀近くたっての再開に、涙や笑いに包まれ、青春時代と郷里の大切さを改めて認識したと言うものです。しかし中にこんなくだりがありました。
「同級生と話していて感じたのは「精神の居場所」の大切さです。同級生の中には帰郷したいと思っている人がたくさんいました。それでも決心できない大きな要因のひとつは、帰郷したら自分の知的好奇心を満たす場がなくなるのではないかということです」。
フムフム、と納得した次第です。半世紀の空白は、間違いなく帰った際の郷里での居心地の悪さをもたすことでしょう。しかし、と思うのです。そうであれば、郷里にどっぷり生活の場を移すのでなく、生活の軸足を複数持てばよいのではないかと。
島根では、親の居なくなった実家か別荘もどきの家に暮らす。そして懐かしい友人たちと交わる。その一方で月に1、2度は東京に帰り、青い灯、赤い灯の下で知的好奇心を充足する。
「土着」でなく「漂流」する住まい方。これが21世紀の日本人の一つのライフスタイルになるのではないか。実はこの考えを私は、ちょうど30年前の朝日新聞の懸賞論文で主張し、第一席を受賞しました。そんなことを懐かしく思い出しながら、改めてこの選択肢をこれからの生活スタイルのベクトルとして主張してみようと思う次第です。