嶋津隆文オフィシャルブログ

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農水省のヤミ専従隠しと国立市政

2009年03月26日 | Weblog

今日3月26日付けで農水省の秘書課長が更迭されました。当然のことです。昨年の4月に調査し、ヤミ専従の職員が142人も大量にいることが発覚したにもかかわらず、「大変なことで、省の信用が失墜する」とそれを隠ぺいしたからです。

所長など管理職を職場で公然と罵倒し自分に睥睨させる組合職員。組合の会合や喫茶店に出掛けても正規出勤したことにする出勤簿改ざん。新規の仕事はすべて事前の組合協議とさせていた労使慣習。こうした風景が日常的であったといいます。

にも拘らず、その組合の横暴さに口をはさめず、おどおどする小心の管理職という情けない構図が、広く日本の役所にはあるのです。そしてその職場風土が、例えば社会保険庁(厚生労働省)の年金作業をめちゃめちゃにしてきたことに、私たちは気づくべきなのです。

昨日今日、国立市議会が激しく紛糾しているようです。一つは3・4・10号線というJRのガード下道路の拡幅計画を巡る市長の逃避姿勢です。もう一つが突然に市報で発表された公立保育園の民営化問題です。2億円コスト削減できるからと公表した保育園民営化について、一方的過ぎると強い反発を受け、市長は「いや、あれは単なる情報提供です」と弁明し混乱しているというのです。

気づかねばならないのは、問題の根っこがもっと深いところにあるということです。国立市政の最大の欠陥は、組合職員の既得権です。保育園や給食従業員など技能労働職員の給与は他の市と比べぬきんでています。月額給与でみると国立市は52万円。立川市は44万円、東京都も43万円です(平成17年度)。この既得権を守ることを組合職員は最大の結集軸にし、すべての行政改革を拒んできているのです、市政の赤字はそっちのけで。

この優遇職員で構成される職員組合が、国立の“革新”市政の有力な支持母体であることがコトを複雑にします。市長として財政改革は進めなくてはならない。しかし本気で“革新”グループの足元(給与)を崩すことはしたくない。であれば、ただ改革のポーズを示すことが、今は大事だと考えたとして不思議はありません。

すなわち、改革の姿勢は口先だけで、絶対に民営化を実行することなどしない。私にはそう思えます。その点では、現市長の、発言をくるくると変えることにいささかの恥辱も痛痒も感じない性格が重宝に作用します。しかしその結果として、財政混乱がさらに拍車がかかり市民にしわ寄せを強いることになるのですから、農水省の秘書課長より幾段もクリミティブではないかと思うのです。

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観光庁の産学官シンポの諸発言に納得

2009年03月14日 | Weblog

「松蔭大学キャンパス 4月から観光文化学部が新設される」

3月12日(木)~13日(金)は港区三田で、観光庁主催のシンポジウムがありました。名づけて「観光関係人材育成のための産学官連携検討会議」。ややホスピタリティに欠ける長いタイトルではないかと苦笑しながら、参加してきました。JTBやJRなどの企業や全国の大学関係者らが350人ほど集まって、熱のあるやりとりもあり、なかなかの盛況でした。

観光学部の一教員として、最近の動向は把握しておかなくてはいけないと顔を出したものですが、このブログを読む人にも面白いのではないかという、印象深かった発言が2つ、3つあったので、それを今日は採録しておくことといたしましょう。

①ロイヤルパークホテルの中村裕会長の発言。
「観光関係の学生育成にインターンシップが大事というけれど、ホテルに来てもらっている学生の、たった1週間や1か月といった期間の研修では何の役にも立ちません。廊下をうろうろしておしまいというだけです。インターンには1年は必要です」。

②セントフロリダ大学の原忠之准教授の発言。
「学生には社会人講座が大事というけれど、自分が人生でやってきたことを誇らしげにしゃべっておしまいとする、“語り部”メニューでは人を白けさせるばかり。ナンセンスという外ありません」。

③もう一つの原忠之准教授の発言。
「大学にとっての商売相手は企業です、ターゲットは企業なのです。学生は“商品”であって、いかに企業のニーズにかなう“商品”を作るかが大学の問題なのです。企業もどんな学生を求めるか、明確な希望をしっかりと示すべきです」。

まあ、身もフタもないといえばそれまでです。しかし現実はこういったものでしょう。その一方で、文部科学省の大学設置担当者の「大学にはアカデミズムがなくてはいけない」などという大正教養主義のような過日の発言を思い出し、これまた苦笑してしまったというものです。

ゆとり教育を叫んだり、競争主義を否定したり、現実社会を見ようとしない文部科学省の古色蒼然ぶり。国交省(観光庁)のシンポに出て文科省の批判を言うのも気が引けますが、大学人のはしくれとなってみると、文部行政の持つアナクロニズムは、何とかならないものでしょうかね。(昨今、花粉症がひどいせいで当たり散らしている次第です!)

 


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「シリーズ団塊世代論」もとうとう最終回です

2009年03月05日 | Weblog


団塊の世代の死とダンディズム

3月は年度の終わり。そして一年間連載してきた私の執筆シリーズ「もうひとつの団塊世代論」(「地方財務」(ぎょうせい)より転載)も今回の3月号のアップで最終回です。最後まで「死」についてのコメントとなってしまいました。白梅でも見ながらお読みください。

死の論議を回避してきた団塊世代
団塊の世代が吉永小百合主演の映画「愛と死をみつめて」に涙していたのは昭和40年代初めの高校生の時のこと。今や「愛と死」ではなく、「老いと死」をみつめる年齢になった。先人の誰もが通った「死」との対面だが、宗教学者の山折哲雄は、「高齢化を考える際に重要になるのは人口の約1割を占めている団塊世代のことだ」としてこう言っている。
「団塊の世代は、老病死に対して全く無防備な世代であると思うからです。老病死はゆっくりとやってくるわけですが、それに対応していくための人生観や価値観についての教育をこの世代はほとんど受けていませんので、人間いかに生きそして死んでいくかについて、周章狼狽することが予想されます。」(「人口減少と総合国力」総合研究開発機構(NIRA))
大量の死者を出した太平洋や中国での戦争への反発として人の死、わけても社会的な死というものが否定され、強くタブー視されてきたのがこの半世紀余の日本である。その結果、団塊世代は戦後の民主主義教育の中で、死の迎え方を考えることを敬遠し、「死の美学」や「殉死」(社会的な死)といった視点での論議をともすれば右翼的、反動的なものとして排斥してきたことは事実だろう。

死に際を意識し始めた団塊世代
久しく「人生80年の時代」といわれてきた。男80歳、女87歳。だがこれは生まれてすぐに亡くなった赤子まで算入しての平均余命の数値である。60の坂をこえた世代の平均余命は男85歳、女89歳なのである。要するに現在生きている団塊世代は、死ぬまで30年はあるのだ。それだけに「なかなか死なない人生90年」というスローな感覚が昨日までの団塊世代であった。しかし昨今、次々と知人友人が死に始めたという事態に、「死」を正面から考えねばならない季節の到来を痛感し始めてきているのである。老いを実感する日常の中で、団塊世代は自分がいかに納得して死を迎えるか、当事者として問題視し出したのである。
昨夏知人の建築家黒川紀章が逝った。その直前、都知事選に立候補し参院選にも出馬し、派手なパフォーマンスで話題を呼んでいた。だがあの極端な派手さを思い浮かべると、ひょっとしたら死期を知った彼が、自分の存在を人々の目の中に焼き付けておきたいという演出ではなかったかと思えるのだ。死に際しそれなりの形跡を残して逝きたい、さらにはやり残したことを整理して逝きたいと思うのは当然というものだろう。黒川紀章世代と団塊世代は一回り違う。しかし団塊世代の間でも、「死ぬまでのもう一旗あげる」「死ぬまでにオトシマエをつける」として最近次のような主張がされてきている。「戦後失ってきたもの、特に民族の知的遺産ともいえる江戸や明治からの日本の教育というものを復活したい」。「戦後日本は、国家と自信を失ってしまった。健全なナショナリズムをもたねばならない」。「団塊党といった運動体を作り、もう一度改革のエネルギーを集めたい」。意気込みが溢れているというものだ。

持ちたい死へのダンディズム
だが、戦後民主主義の申し子として、その自由至上主義を満喫するばかりで社会的な責任をとらなかったといわれる団塊世代。改革を口にしながら、ニート・フリーターやモンスターペアレントを放置したまま、さらに最近問題が顕在化した期間労働者制度などを導入したまま現役を退いてきた。さすがにこうした行動パターンでは、「いつも口ばかりの無責任な団塊世代」と前後の世代から不信をもたれるのである。「社会貢献して逝きたい」とのは確かに一つの「死の美学」である。しかし常に中途半端な終結が予想されるだけに、団塊世代にはもう強い気負いなど持って欲しくない等といわれる昨今なのだ。
過日、もっとも親しかった友人の弁護士が亡くなった。彼女は胆癌で余命6ヶ月と診断され、その言葉通り半年を過ぎて逝った。しかし彼女は宣告を受けた後、その事実を一切秘匿して、時間と身体が許す限り友人や知人に会い、その姿を思い出としてそっと印象づける。他方で、財産や仕事上での身辺整理を滞りなく済ませ、その時を迎えたのである。大変な勇気と精神力があったものだ。老病死に対して無防備だと案じられた団塊世代であるが、こうした死に様を貫いたダンディズムが存在することを同世代人としては誇りたいと思う。
社会的貢献を声高に語ることもさることながら、かように自らの死を着実冷静に対処する姿勢こそ、家族と社会に対するもう一つの誠実な貢献といえるのではないだろうか。


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