嶋津隆文オフィシャルブログ

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ボストン郊外、夏のタングルウッド音楽祭はいい

2013年08月30日 | Weblog

昨日、地元で音楽文化普及に活躍する田原楽友協会の訪問を受けました。クラシックなどが幅広く浸透しているとは言い難いこの地にあって、資金や人集めに奔走する協会の方々の労苦が痛いほど伝わってくるというものでした。

しかし不謹慎ながら、そんなやりとりの場であるにも関わず、ある音楽祭の風景を思い出してしまいました。

タングルウッド音楽祭。

タングルウッドは ボストンの郊外にあり、ニューヨークからも車で4時間くらいのリゾート風の田舎町ですが、何と言ってもボストンフィルが主軸となる夏の音楽祭で有名です。

ニューヨークに駐在した20年ほど前の夏、家族とともに車でこの地に出掛けました。あいにく指揮は小澤征爾でなかったのですが、ボストンフィルによるチャイコフスキーのバイオリン協奏曲が五島みどりのバイオリンで演奏されたのです。

いや感動しました。しかも凄かったのは、その演奏をのんびり芝生で寝っころがって聞くことができたことです。何と子供たちと一緒にコーラやポテトチップを口に運びながら。窮屈な日本の音楽会場との違いを痛感した、忘れえぬ懐かしいアメリカ生活の思い出の一コマです。


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サマルカンドで知らされた暑さ・寒さのうそ

2013年08月21日 | Weblog

写真:「レギスタン広場」

お盆を過ぎても暑さが一向に衰えません。今日も朝から蒸し暑さに辟易しています。そんな折、ふと思い出すことがあります。ちょうど30年前でしょうか。8月下旬にシベリアから中央アジアを旅したことがありました。もちろん旧ソ連時代のことです。

酷暑の中央アジアで、何とかすがりつきたいと思ったのは日本を出るときに聴いた言葉です。「サマルカンドのあたりではね、空気が乾燥していて、だからいくら暑くてもいったん木陰に入ればそこは涼しく気持ちがいい」。

しかし違うのです。40度近い灼熱の中央アジアです。木陰に入ろうが建物の影に身を潜めようが暑いものは暑いのです。気が遠くなるほどに。湿気の多い日本と異なり乾燥地帯では直射日光を避ければ涼しい…。いったい誰がこんな期待を交えたウソを言ったのでしょうか。

そういえばこんな言い伝えもありました。「富士山の上で自炊して食べるご飯は、山頂の気圧の低さから十分に沸騰しない。従っておいしくは炊けないのです」。
しかしこれも他の人から聞いてみるとまっかなウソのようです。すなわち当時富士山に登る若者の多くは皆貧しく、安いお米しか持参していかなかったというのです。安ければおのずとおいしい米とはなりません。

こんなことを立て続けに思い出していると、いやはや暑さがどんどん増してくるというものです。


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議員の報酬は一体どの程度が適切なのだろうか

2013年08月13日 | Weblog

減税日本が揺れています。名古屋市議会で減税日本の会派の幹事長の職にある人物が政務調査費を不正に受け取ったとの報道がありました。ほんの数日前には愛知県議会で若年の減税日本の県議が、同じく政務調査費の不正受領で辞職したばかりです。昨年夏も、政務調査費の不正使用や女性同伴の公費視察と不祥事を重ね、除籍された議員のいたことなども記憶に残ります。

減税日本は河村たかし名古屋市長のもとに結集した地域政党です。そのメーンの主張は各種減税であり、特に地方税(県民税・市町村民税)の10%減税を掲げます。また他方で、議員報酬の大幅削減を唱ってきました。現に名古屋市議の年俸を1600万円から800万円に下げました。

しかし相次ぐ不祥事を見ると、報酬の大幅削減というものが議員の活動を狭め、「貧すれば鈍する」というみっともない事態を招来させているのではないではないでしょうか。議員の報酬は少なければ少ないほどよいとか、無給のボランティアでよいといった理想論は、やはり無理があるようです。

松陰大学でのゼミで厚木市議会の活動を調査した時、年800万円弱の報酬では生活できず、夜アルバイトをする議員のいる実態を知りました。議員の有効適切な活動を望むならば、然るべき水準の報酬はやはり保障しなければなりません。


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『骨まで愛して』…お盆に季節に思う人間の業

2013年08月10日 | Weblog

写真:「渥美半島」

幼なじみの友人の奥さんが逝きました。先日葬儀がもたれたのですが、近所の人は大いに戸惑いました。

というのはその人がエホバの証人に属していたからです。エホバは輸血を拒否することで知られていますが、葬儀についても火葬だけを行い、それ以外の仕切りはないのです。彼女も遺骨へのこだわりはなかったといいます。

旧来からの仏教による通夜、読経、葬儀、火葬、納骨といった一連の流れが、生活の一部そのものになっているこの地の人たちにとって、葬送のない別れにさすがに困惑したようです。

幼なじみの友人は、それでもと気持ちを切り替え、少しのお骨をつぼに入れて帰り、こうしみじみ言っていました。「自分はよく登りに行く山があります。その山の樹木の下にこの骨を埋めてやります」と。

そういえば信州の友人が数年前に妻を亡くしたおり、お骨を墓に入れるのは忍びないと、その骨を粉状にしてガラスのつぼに入れて部屋の中に置いていました。そのガラスのつぼの真っ白な光沢に、彼の妻への愛情を感じる一方、確実に戸惑いを憶えたものでした。

昭和40年代初めに城卓矢の『骨まで愛して』という歌が流行ったことがありました。子供心に痛切なギャグではないかと笑っていたものの、この歳になると、人間の業の強いリアリティを感じない訳にはいかないというものです。


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伊良湖岬での学校統合問題で汗を流す昨今です

2013年08月06日 | Weblog

暑い日々が続きます。そんななか、故郷の愛知県伊良湖岬で少子化に伴う複式学級化の回避と津波からの被害防災をすすめるべく取り組んでいるのが学校統合問題です。その一端を扱った新聞記事が出ましたので今回採録します。

 


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豊後竹田出身の広瀬武夫、瀧廉太郎、阿南惟幾

2013年08月01日 | Weblog

写真:「豊後竹田駅」

先週の沖縄での話をもうひとつ。教育長会議で私の隣に座した大分県の竹田市の教育長とのやりとりです。郷土の偉人をいかに子どもたちに教え伝えるか。単純なようで、ことはそれほど簡単ではないという悩みです。

人間には様々な面があります。社会的評価が高くても家庭的には問題の少なくありません。また社会的評価もその時代時代によって大きく変わってきます。分けても郷土の偉人という存在は、とかく偶像化が強く進められることから問題が深刻化するようです。

「たとえば広瀬武夫」と竹田市の吉野秀勝教育長。日露戦争での軍神とされながらも、現在そのままの評価をするわけにもいかず、「むしろ日露の文化交流に貢献した郷土の偉人と強調しています」と説明します。

名曲「荒城の月」の作曲家の瀧廉太郎であれば問題は少ないことでしょう。しかし終戦時の阿南惟幾陸軍大臣となると、地元竹田市でもさらに話は難しくなってきます。人柄誠実を評価されつつも、本土決戦を主張し8月15日に「一死大罪を謝す」と割腹したこの生涯を、子どもたちにいかに伝承していくか。確かに課題は小さくはありません。


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