嶋津隆文オフィシャルブログ

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天空の城・竹田城は間違いなくマチュピチュである

2015年07月30日 | Weblog

【但馬の竹田城】

南米のマチュピチュを訪れたのは30年前、30代の半ばのことです。ボリビアの古都クスコから鉄道で登り、バスで登り、そして天空の遺跡に登りついたとき、その偉容さに文字通り圧倒されたものでした。「人智を超えている。宇宙人が造ったものに違いない」。そう呟いた友人に大きく頷いたものでした。

先週姫路を訪れる機会があり、ふと思い立って「日本のマチュピチュ」といわれる但馬の竹田城に車を走らせました。雨上がりの朝来は観光写真にある雲海にこそ包まれてはいないものの、しかし十分に「天空の城」の風格を見せていました。きっとシャビィだろう。そう思っていただけに苔むした石垣の佇まいに大いに納得したのです。うん、日本も捨てたものではないと。

「日本のマチュピチュ」といえば豊後竹田の岡城(竹田城)も有名です。地元出身の滝廉太朗が名曲「荒城の月」に織り込んだ古城です。数年前に何としてもこの城跡を目のあたりにしたく、熊本の会議を放りだして車で向かったものです。累々たる石垣は、人をして時空の存在を思い切り感じさせる迫力を示していました。

司馬遼太郎はかつて『街道をゆく』のなかで、山口の雨に浮かぶ瑠璃光寺を見てこう表現していました。「長州はいいい塔をもっていると惚れぼれする思いであった」。その口吻を借りれば、「日本はいい古城をもっていると惚れぼれとした」と。竹田の城下から吹き上げてくる風に浸りながら、心愉しくそう倣ってみる盛夏の一日でした。


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戦後70周年、田原市でも「渥美半島と戦争」展を開催

2015年07月23日 | Weblog

今年は終戦から70年の節目の年。安倍政権がどんな70周年談話を出すのか、かまびすしい議論がなされる昨今です。わが田原市博物館でも、夏の企画展として「渥美半島と戦争」展を開催しました。期日は先週から8月の末日です。

日露戦争で近代兵器の必要性を痛感した政府は渥美半島に陸軍伊良湖射場を設置します。また太平洋戦争末期には、後背地の名古屋圏を守るとの視点から、水際作戦による陣地が造られ、それらは貴重な“歴史資料”ともなって故郷に残されています。

この伊良湖岬の陸軍試射場は、さらに二つのストーリーを抱えることで、全国への発信力を持っています。一つは三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台として、もう一つは柳田國男の青年時代の逗留地としての二つです。柳田の伊良湖岬との関わりは、島崎藤村の『椰子の実』の作詞に寄与したとの逸話と絡み、地元では自慢とネタともなっています。

ところでこの陸軍試射場の建設は明治38年に建設され、そのために柳田が逗留した伊良湖村は全村(114戸)をあげて集団移転され、それもわずか180日という短期間で完了したと記録されます。

そういえば「戦後の日本に内戦があった」とさえ言われる流血の成田闘争。そのきっかけは、政府・運輸省の地元軽視の結果だと言われます。国家的な使命を持つプロジェクトにいちいち地元の合意などとってはおれないという姿勢であったことが、猛烈な反発を招いたのです。

戦後の政治家や運輸官僚が、何とも明治の時代感覚であったことには言葉を失います。しかしその国の失策を、20年の歳月をかけて収束したのはこの渥美半島出身の山本雄二郎高千穂大教授(成田共生委員会代表)でした。

戦後70周年。かように渥美半島がさまざまな政治と文学の舞台であることを感じさせる好機でもあると言ってよいようです。


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浅草の夜は早い、いや余りにも早すぎやしないか

2015年07月21日 | Weblog

【夜9時のすし屋通り】

東京五輪の新国立が白紙になりました。国際イベントにミソのつくのは気持ちの良いものではありません。そんななか、久しぶりに浅草ビューテルで友人たちと懇談の場を持ちました。東京五輪を控え世界からの観光客をどう迎えるか。結構熱っぽく時間を過ごしました。しかし帰りしなに眼下に見た仲見世界隈の暗さに動揺させられました。

浅草の夜は早い。そくそう言われています。しかし「眠らない街・東京」の観光スポットが何と8時には人気がないのです。聞けば仲見世は午後6時を回るとシャッターが閉まり始めるとか。上の写真はすしや通りの夜9時の光景です。明かりが煌々としているようですが、開いている店も訪れる客もほとんどなし。このことを尋ねるとくだんの友人が次のように教えてくれました。

「浅草の商店街は個人経営者が多くて、今でも十分に食っていけるから、わざわざ夜遅くまで営業する必要はないそうです」。
「年配の経営者は朝や早くから働いているんだから、夜遅くまで働きたくないと言っているようです」。

浅草はいまや国際観光の街。界隈のホテルの各室は中国人などの外国人が半数を占めるといいます。しかし彼らが夜の街に遊ぶことは困難なのです。東京五輪を控える浅草がいったい何を考えているのでしょう。

少しでも「おもてなし」の心を世界に示したいと思うのであれば、商売スタイルを変えてみるべきは当然ではないでしょうか。いやいやあれだけの巨大な観光客を集める浅草です。その消費額のことを少しでも考えるなら、何とも「もったいない」という言葉がつい口に出てしまうというものです。


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思い出したい、まちおこしの原点は内発的まちづくり

2015年07月14日 | Weblog

【リンゴの飯田駅】

FJKの7月セミナーは講師に全国のまちづくりのエキスパート、斉藤睦(むつみ)地域総合研究所(CSK)所長を招聘。テーマは「地方創生へどう向き合うか~自治体の計画づくりの現場から~」です。そこでこういう話しがありました。
 
「1970年代では、CSKは地域が元気になるまちづくりを意識してやってきました。“志を持ってやっていく、小さなムラから行政を変える”こととし、当時の地域開発行政の流行にとらわれない「内発的地域開発」を目指しました」。

「例えば沖縄の石垣島などの「シマおこし交流会議」、長野県飯田市の「住んでよく、訪ねてよいまち」観光振興計画、大分県安心院シンポジュームで生まれた「一村一品運動」などがあります。沖縄のシマおこしは、今の「ムラおこし」につながっています。「村」でなく「ムラ」と表現したのも、人による内発的取り組みを強調したかったからです。飯田市のまちづくりの合言葉になっている「住んでよく、訪ねてよいまち」は、今も受け継がれていますね」。

ああ、そうだったんだ。全国のまちづくりを席巻した試みは、これら地域と彼女らのアイディアで始まったんだ。久しぶりの思い出される感動でした。とくに飯田市観光計画の「住んでよし、訪ねてよいまち」のフレーズは、30年後の国の観光計画のキャッチフレーズ「住んでよし、訪れてよし」に結実しています。そんな実績を積んできたCSKの所長だけに、以下の発言はさらに説得力を感じました。

「実は全国の自治体計画では、電通、博報堂、JTBの大手コンサルタントがそのほとんどに関与しています。地域振興のメニューが並べられ、その模倣を行う動きがあります。地域振興メニューは、参考にはできるかもしれませんが、
模倣では決してうまくいかないでしょう。地域を知り、現場を知った人が、自分の頭で考えたプロジェクトが良い結果を出しているのです。地域経営型の行政システムが必要です」。

久方ぶりに元気を得たレクチャーでした。
 


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「スタジアムは基本設計から直すとしなきゃ」と安藤忠雄

2015年07月07日 | Weblog

昨日の日曜の雨の中、田原市の総合体育館で安藤忠雄特別講演会がもたれました。会場は1000人を超える入場者です。地元の三河田原駅の設計者であり、いまもっとも旬な建築家であれば当然でしょうか。

テーマは「地方都市の生き残りをかけて」と重いもの。しかし例のよってのあのだみ声と笑いを取り続ける語り口です。ほとんど田中角栄を彷彿とさせる歯切れのよい安藤節に、会場は大いに盛り上がったというものです。

「時代の変化にこそ対応しなくてはいけない」
「自分自身で考えねばならない」
「あきらめてはならない」
「自由に前を向いて歩くこと」

昨年すい臓ガンなどを摘出した後であるにもかかわらず、立ったままの一時間余の講演をこう話し続け、その前後では長蛇のサイン会までこなしたのです。元気の“気”をもらったと誰もが感じたに違いありません。

帰り際、そんな安藤先生の後ろ姿に、私はふと思い立って声を掛けました。「お疲れさまでした。実は私は東京都庁でスポーツ部長をしておりました。東京五輪についてその節は…」と話した途端、憤然としてこう言われたのです。

「僕のところにいっぱい電話がかかってくるんだよ。(文句があるんだったら)五輪スタジアムは基本設計から直すとしなきゃあおかしいんだよ」。

突然の反応に驚きました。要はあの女性建築家ザハの案を基本設計として認めているんだから、それを前提とすべきだと言うことなのでしょう。それにしてもその言葉づかいに、かなり批判にナーバスになっているものと感じました。

「いやいやかくいう私も現役役人ではありませんので、何も申し上げることは…」と答えるのが精いっぱいです。かまびすしい昨今の五輪のスタジアム騒動。しかしこの騒動は設計的にも、財政的にもどうやら20年や30年は消えることはないようです。


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