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嶋津隆文オフィシャルブログ

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マカオと田原と菜の花と

2008年11月24日 | Weblog

写真:マカオで乱立するホテル 本人撮影


先週末は観光振興に関する講演会の講師として招聘され、愛知県の田原市に行ってきました。メロンやキャベツの生産で農業収入日本一ともなった地域であり、またトヨタ最大の生産工場もある財政力指数が合併する前は1.62、現在も1.23という豊かな自治体です。

しかし観光入込数はここ数年激減し、大きな課題となっているところです。とくにこれはという観光資源がないといわれるこの地で、観光の素材として生かせるものはないのか。何を持ってくればよいのか、担当者は頭を痛めておりました。

その点で思えば、先般の香港・マカオの旅行は示唆的であったようです。変容が著しいこれらアジアの両都市ですが、特にマカオではここ数年、観光を軸に都市の全体構造まで変えようとしていたからです。

「ポルトガルからマカオが返還された時、ポルトガル人は美味しいものはすべて持っていってしまったのです。財物もお金も。何もなくなった私達が何とかしなくてはと着眼したのが観光です」。

そう案内人が説明するのを興味深く聞きながらも、乱立するホテル群の偉容に息をのみました。立ち寄ったザ・ベネチアンは3000室をもち(東京ドーム6個分)、カジノ会場の広大さはラスベガスがここに移ってきたのではないかと言われるほどでした。

カジノ産業は経済の好不況には関係ないといわれます。しかし、昨今の世界的な経済低迷の中で、いつその影響がこの都市に押し寄せるかと案ぜずにはおられません。莫大な投資がなされているこの地の埋立地エリアに、文字通り「砂上の楼閣」を想像するのは避けられないというものです。

「ないものを考えてはいけません、あるものを生かすことを考えることです」。地域観光を考えるとき、自戒とされる言葉です。花の観光地づくりも、その地の土質にあった花々でないとダメなのだといわれます。バラが綺麗でも、ラベンダーが美しくても、無理して移植しては定着することはないのです。

「渥美半島菜の花浪漫街道」。こういうネーミングで観光まちづくりに取り組み始めている田原市です。地味な菜の花であれ、そんな風土に叶った素材への着眼が、この地の取り組みには何ともふさわしいと納得する行程でした。


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学生から贈られた素晴らしいプレゼント

2008年11月17日 | Weblog

今夜はとても爽快です。松蔭大の一人の女子学生(名前を言っちゃいましょう、佐藤梓さん)から素晴らしいプレゼントが贈られたからなのです。いえいえ決して赤いハートのついたチョコレートなどではありません。課題として出した「私の育ったまち」というテーマで書かれた一枚のレポートがそれです。ふるさとへの愛着と歯切れのいい文章、情感豊かな言葉遣い。読み終えて素直に感激しました。その感激を少しでもまわりに広げたいと、ここにアップする次第です。ぜひお読み下さい。

「私の育った町は、ここ神奈川県厚木市から遠く離れたはるか北にある、青森県弘前市だ。この地で18年間過ごした。春は桜が一面に咲きほこり、夏は情緒溢れるねぷた祭りに乱舞し、秋は山の紅葉を楽しみながらすぐに来る冬を待つ。そんな四季が溢れる土地である。

桜祭りはとても盛大で、日本一だけあって普段閑散としているJR弘前駅前も新宿顔負けのようにごった返す。駅から少し離れた場所にある弘前公園は、日本各地から集まった人々で埋め尽くされる。お堀に咲いたしだれ桜。その木々に囲まれた弘前城。関東に来て、弘前出身だと伝えると「桜がとてもきれいでいい所だ」と言ってもらえるのが何より嬉しい。

夏のお祭りは“ねぷた”、青森市は“ねぶた”、五所川原は“立ちねぶた”と3種類あり、弘前の“ねぷた”は比較的知られていない。しかし観客も出演者も楽しめる素晴らしい祭りだと自負している。私も向こうに住んでいた頃はよく出たものだ。男も女も揃って上半身はさらしを巻き、下には白い装束、足には足袋、頭には網の様なかざりをつけ、大人は明るい内から酒を飲み、日が沈んだら待ってましたとばかりに声を上げ、汗をかき、ねり歩くのだ。この異様ともいえる街全体の雰囲気が大好きだった。青森の夏は短い。

秋には岩木山、八甲田山、奥入瀬、各々の紅葉が目に美しい。寒さも深まってくる頃だ。部屋の窓からでも、山の衣替えは一目瞭然で冬の近付きを知る。寒さも本格的になり、長い冬の到来である。朝起きて窓から道路を見渡すと一面真っ白なのが日常だ。除雪車が通った後の道路はとても滑りやすく、交差点で回転している車もよく見る。普通タイヤからスタッドレスタイヤへの交換は手伝っていたので、小学校の頃から出来るのも自慢だ。小さい時はよく庭の雪だるまを作ったり、かまくらを作ったりして遊んだのを覚えている。

厚木の冬は冷え込むにもかかわらず、朝外を見ても雪が降っていないのが少し残念だったりする。本格的に雪が降る地域での積雪は死活問題なのに、実際、その雪がみえなくなると寂しく思うのも不思議なものである。」

いかがですか。予告なしに出題された課題を下書きすることもなく、1時間余で一気に書き上げてきたのがこの原稿です。四季の彩りに埋め尽くされたような、また何とも若者らしいみずみずしい一文ではないですか。今夜の私はとても幸福です。
コメント (1)
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香港で味わう喫煙、携帯ルールの違い

2008年11月14日 | Weblog

写真:ビクトリアピークから見る香港本人撮影

 香港、マカオは、手軽さで定番の旅。しかしそこへ向けて先週末に出発したツアーは、私にとっては随分久方ぶりの海外でした。わずか4日間とはいえ日本での日常生活を離れると、それなりにわくわくとする発見をするものです。今回その一つに、日本社会との市民ルールの違いがありました。例えば香港の地下鉄内に掲載された公共ポスターの幾つかの内容に、大いに戸惑ったものでした。

第一は地下鉄車内での飲食の禁止です。パンとコーラの絵に赤い禁止のマークが掛けられたポスターが張られているのです。いえ、車内だけではありません。香港では戸外での飲食も禁じられているのです。自由なニューヨーク生活を経験した自分としてみれば、これはいささか窮屈という外ありません。紳士の国英国の支配統治のなごりなのか、治安維持の問題なのか、公園のベンチで弁当を広げてくつろぐことも出来ないというのです。

香港での第二のルールの違いは、携帯電話の使用制限なしというものです。地下鉄内でのあちこちで鳴り響く携帯電話の着信音と、地下鉄の騒音に負けまいという大声での話し声に、終始辟易させられました。身勝手、傲慢といった言葉が頭の中をぐるぐる回ります。車内での携帯音に息を殺して警戒する日本人の異常さに失笑しつつも、香港での騒々しい会話の連続に、携帯騒音はこんなにひどいものかと驚いた次第でした。

第三はトイレ内での禁煙の徹底です。違反者には罰金5000香港ドル。日本円でおよそ7万円です。ばかにならない額ですが、これは大いに結構なことです。しかし徹底されるトイレ内禁煙ですが、街頭での喫煙は不思議にもフリーなのです。ストリートでは、老いも若きも男も女も、山ほど煙草をふかせているのです。あちこちで煙が立ち込め、耐えられない不快感がありました。もっともその不快感は、禁煙条例の制定に反対し、こうした条例化は国家権力を介入させる口実となる等と反対していた国立市の前市長のエキセントリックさを想起したからかも知れません。

そんなこんなを市民ルールとして味わっているうちに、ふと香港警察が、投宿したホテルに隣接していることに気付きました。そこで、こうしたルールを順守させる警察諸兄にその苦労話を聞こうと思い立ち、警察署に足を運びこう尋ねました。

「貴署にいるジャッキーチェーンに会いに来たのですが。おりますか。香港市民の治安のために活躍する彼に表敬訪問したいのです。」すると、若い警察官がニヤッと笑いながらこう答えたのです。「あいにくですね。彼(ジャッキーチェーン)はここの警察署の勤務ではないのです。ハーバー(港)の近くの警察の建物の中ですよ。」

このユーモアに、不快だった喫煙の香港の街も、思い切り煙に巻かれて好きになってもいいかなと、心楽しくしてホテルに戻ったものでした。


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「団塊は定年とともにコミュニティに入る」という幻想

2008年11月08日 | Weblog


「団塊は定年とともにコミュニティに入る」という幻想

(月刊「地方財務」(ぎょうせい)11月号【シリーズ:もう一つの団塊世代論⑤】より転載)       

全国での「お帰りなさいお父さん」コール
地域は市民の社会活動の場として大いに活用すべきステージである。とりわけ団塊世代など老後を迎える世代にはすこぶる有用な舞台である。そう行政は考え、次のような風景が全国に展開されてきている。

「団塊やシニアの支援を行う総合的な窓口として団塊世代等地域参加支援デスクを設置した」(八王子市)、「地域の中で自立し、充実した人間関係を築きましょうと団塊世代地域デビュー促進支援事業を始めた」(山口県)、「定年を迎える団塊世代のボランティア活動など地域参加を促す具体的方策を研究協議する」(静岡県社会福祉協議会)というものである。そのほか「地域デビューのすすめ」(岡山県)、「入間団塊元気サイト」(入間市)、「団塊世代フォーラム」(福岡県古賀市)等などが開催され、「お帰りなさいお父さん」コールはまさに全国の津々浦々で響いているのである。

地域にほとんど流入しなかった団塊世代!
しかしこうした自治体の熱い秋波にも拘らず定年を迎えたはずの団塊世代は、現実に地域に入ったかといえばそうではない。「2007年問題」と騒がれようと、ほとんど目立った変化は地域にはないのだ。なぜだろうか。

①第一の理由は外でもない、定年が事実上延び、多くの団塊世代はそのまま働き続け
ているからである。再雇用や新規事業の開拓といった形で、働けるうちは働くと今日も職場に出勤しているのである。他ならぬ年金支給が65歳まで延期され、しかも削減されることが一番大きく影響していよう。昨今の生活不安の中で、蓄えを費消するよりまだまだ貯えなくてはならないと判断したのだ。

②第二の理由は、はっきり言って、地域という舞台には自治体が叫ぶほどの魅力が感じられないことである。例えば町内会、自治会は相変わらず土着的に過ぎ窮屈である。また生涯学習というものの、自治体の提供するメニューは身近とは言え、どことなくシャビィであり食指が動かない。

③第三の地域に入らない理由は、へんな蔓延する平等主義である。例えばコミュニティ活動では古くから言われるルールがある。地域に入ったら現役の頃の肩書ははずし、一兵卒として動かなくてはいけないといった類である。一見正しいように聞こえる。しかし一方で「現役の時に培ってきた経験やネットワークを地域に活用してもらう」と現役時代のストックに期待しながら、他方で肩書を外せと強調するのだ。おかしい。

自治体は「地域至上主義」に陥ってはならない!
それにも拘らず、自治体ではコミュニティ参加を強調してやまない。その自治体の団塊コールに伴う異和感をもう少し分析してみると、さらに行政サイドに次の問題点のあることを指摘しておかねばならない。

その一つは、地方自治体の姿勢には、地域至上主義ともいうべき思い込みがあるということだ。地元コミュニティこそ唯一ユートピア空間になるかのような口ぶりを示す。いかがなものか。人はすでに地域にこだわらない様々なネットワークを持っている。学窓ネットがあり、会社ネットがあり、知縁ネットがある。そのネットワークを捨て、一夜にして地域に向かうことなどないのである。だいたい地域を大事だと叫ぶ役所のコミュニティ担当者にしても、休日に自分の地元で地域参加をやっているだろうか。否だろう。建前で言うほど地域には魅力がないからである。この辺りのことに思いを巡らし、コミュニティ参加の喧伝に、行政はもう少し謙虚であってよいのである。
二つめの異和感は、高齢者を一律に扱う行政のマス感覚である。住民を十把一からげにする姿勢に、多くの団塊世代は明らかに反発する。先輩世代に比べ団塊世代は強く「個性」にこだわっている。このこだわりの団塊世代に対し、投網にかけるような一緒くたの扱いを行っては火傷をするというものだ。加えて昨今のコミュニティ行政には高齢者への弱者救済的な姿勢も見え隠れする。これも危険である。団塊世代はもっと攻撃的なのだ。事実、スポーツや文化施設の提供を強く求め始めているとも聞く。その大量で多様な要求を広く受け入れ出せば、地域の財政はとたんに逼迫し始めるというものだ。

団塊世代などは、自治体があれこれ言おうが言うまいが、趣味なりボランティアに、けっこう各人は勝手にのびのびとやっていく。団塊世代の地域参加づくりには役所も焦らず、しばらく様子をみるというのも一つの手だというべきである。


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ボツとなった裁判員制度批判の原稿

2008年11月03日 | Weblog


数日前、仙台と福岡の拘置所で2人の死刑囚の執行が行われた。これで残された死刑囚は全国で101人となる。おりしも裁判員制度の導入の半年前の出来事である。しかも一昨日は、この裁判員制度を一貫して推進してきた竹崎東京高裁長官が最高裁長官に抜擢された。裁判員制度の導入を失敗させまいとする、司法行政の異常な思いが伝わってくるというものだ。 しかし「くじ」で選ばれた市井の人達に、死刑判決という人を殺める作業に加担させるこの制度に、私は大いに疑問をもつ立場に立つ。その思いもあって先般、以下の文章(4か月前に執筆)を雑誌の連載シリーズに採録しようとした。が、編集部より強く難色を示され、掲載を断念した。 昨日今日の、裁判員制度を意識させる事態を見るとき、せめてこのボツ原稿をば自分のブログ欄に載せることで、この制度への問題提起の軌跡を残しておきたいと考えるものである。以下がその全文であり、団塊世代論の一つとして執筆したものでもある。読まれて皆さんはどう感じられることだろうか。


[ある死刑囚の営みと裁判員という制度]    


この春、若松孝二監督の映画「実録・連合赤軍」が封切られた。事件から36年。亡くなった多くの人への鎮魂を込めた作品である。14人の仲間をリンチで殺し、浅間山荘での銃撃戦で多くの血を流した戦後最大の事件の一つといわれる。しかし団塊の世代にとって、連合赤軍事件は自らの吐瀉物を喉に押し戻され続ける“現在の”出来事といってよいだろう。だがこの事件を含め70年代の運動や戦後民主主義について、団塊の世代はまともな反省をやってこなかったと今日難じられてもいる。


死刑囚坂口弘という存在


しかし事件の主犯の一人坂口弘は違っていよう。昭和21年生まれのこの同世代人は獄中で「あさま山荘1972」(上・下巻)等をしたため、なぜかかる行動をとり多くの人を殺めたのか、自分の臓腑を切り刻むような作業を展開している。果たして死刑判決を出した控訴審判決でもこう判決文でいわれている。「武装闘争路線は誤りであったことを潔く自認して国外からの脱出の呼びかけ(注:赤軍の同志奪還闘争)にも応ぜず」、「被害者、その遺族に自らの反省の情を綴った謝罪の書簡を送り」、「世間の目に耐えてひたすら我が子の罪状を詫びる母親ともども弔意と慰籍の気持ちを述べ」、「その心情を訴える被告人坂口の真摯さは疑う余地のないところである」。一方で短歌を通じ多くの心情も伝えている。朝日歌壇にも載録され出版もされた。  

女らしさの総括を問い問い詰めて
「死にたくない」と叫ばしめたり (「坂口弘歌稿」坂口弘)

彼の歌には、一人の人間の反省に可能な精一杯の営みと、犯した過ちから逃げまいとする痛々しい思いが込められる。それは生と死への慟哭そのものとも評される。

死刑判断が対象の裁判員制度


そんな折に降ってわいてきたのが裁判員制度の導入である。内乱罪や殺人罪、強盗致死といった重大な事件に裁判官でない素人を複数参加させるもので、判決が市民感覚から乖離しないようにとの趣旨だという。有罪無罪の判決と死刑を含む量刑を行うことが義務づけられる。しかも証拠調べを含め延べ5日間という出廷日数である。死刑囚坂口弘は自らの罪を30数年、血反吐を吐くような作業として重ねてきている。こうした重い営みを、他方で素人にわずかの期間で判断させようというのである。いかがなものかと思う。死刑は極刑である。その罪と犯した者の主張については、社会的背景とともに十分に分析され、今後につないでいく仕組みが必要である。そのステージとなりうるのが司法の過程である。その過程を床屋談義もどきとしかねないのは、生命に対する冒涜ではないか。


危うい市民参加主義幻想


もちろん何事であれ、公の行為に市民の目は重要である。しかし例えば市民参加ということでは先行する地方行政での実態を振り返ってみよう。不幸にして多くのケースで、人は付和雷同的、打算的、時にイデオロギー的であることを否定できない。そうした実態を、壇上の裁判席からしか国民を見ていない裁判官が、どこまで理解しているというのだろう。市民参加という美しい表現を、響きどおり美しく教室民主主義的に受けとっているとしか思えないのである。

しかもである。自治体での市民参加はいかなる場合でも強制はない。自発性が民主主義というものだからである。しかし今次の裁判員制度は、法でもって裁判員を「くじ」で選定し、参加を拒む人を処罰してまで強制的に裁判所に向かわせる。それでもって死刑判決の可能性の高い司法判断に加担させるのである。国家が人を殺めることを合法的に強いる点で、戦時中の召集令状(赤紙)と同一だと指摘されるのも頷けるというものだ。

それにしても人の生命を奪うことは厳粛な営みのはずである。昭和23年生まれのどこぞの法相は、就任以来の半年余でハイペースに13人の死刑を執行している。その一方で自分をテロリスト・アルカイーダの友人の友人といってはばからない。こうした言動に、反省もなく戦後の手続き民主主義にどっぷり身を漬けてきた団塊世代の絶望的な浅薄さを感じるのは、同世代人としての思い過ごしであろうか。

(とさつ)なる言葉   
おのずと思ふなり   
三人、四人と一挙の処刑に 
(歌集「常しへの道」坂口弘)

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