嶋津隆文オフィシャルブログ

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女優原節子の引き際と黒柳徹子の紅白の司会登用

2015年11月27日 | Weblog

映画『東京物語』

女優原節子が亡くなったと昨日ニュースが流れました。95歳といいます。42歳で引退。伝説の女優と称され、今日までの半世紀を表に出ることなく逝きました。私にとっても思い浮かぶのは、小津安二郎「東京物語」で父親役の笠智衆と、凛としてやりとりする初々しい姿だけです。

「潔かった。同時代の女優たちが高齢になるまで演じ続けたのに対し、きれいなうちに辞めた。引き際の美しさで神話になったのではないか」。そう評論家の川本三郎が今朝の読売新聞にコメントしていました。

実情はもちろん知る由もありませんが、若くして何も言わずに引退して姿を消した原節子の生きざまは、一つの美学を感じさせられるというものです。

同じ昨日、今年の紅白に黒柳徹子が総合司会を務めるとのニュースが流れました。82歳。世の中は人生90年、100年の時代です。彼女の登用には何に不思議もなく、NHKとしてはむしろ高齢化社会のシンボルとして登用させたのかも知れません。

しかし何とも違和感を持ちます。「徹子の部屋」での彼女のやりとりで、その滑舌の悪さに多くの人が戸惑っていることでしょう。率直に言ってあの呂律の回らない痛々しい姿で、国民が楽しもうとする大舞台に登場するのでしょうか。

老いは残酷なものです。しかし避けられない現実です。他方で娯楽は娯楽でなければなりません。紅白を福祉番組にしてしまう愚を、NHKは犯してしまったようです。


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亡くなった金泳三元大統領が発していた言葉

2015年11月24日 | Weblog

韓国の金泳三元大統領が昨日の22日に亡くなりました。87歳。1993年から5年間、文民政権を率い、軍事政権に終止符をうった大統領です。
20年ほど前になりますが、当時東京都庁の国際部で姉妹都市関係の課長をしていた私は、鈴木俊一都知事と金泳三大統領を青瓦台に訪ねたことがあります。同席したのは日本大使で日本側は私を含め3人だけの訪問でした。

そのとき金大統領はこう発言しました。「韓国と日本は<近くて遠い関係>です。しかしこれからは<近くて近い関係>にしていきましょう」。「未来志向」のこの発言に鈴木知事も私も明るい気分で青瓦台をあとにしたものです。

しかも驚いたことに大統領執務室から廊下に出ると、都知事に日本語で話しかけてこられたのです。2002年に金大統領は早大の特命教授に就任しますが、日本語の堪能なことも含め、そうした行動にはほっと気持ちが和むというものです。

それにしてもあれから20年。昨今の韓国の対日姿勢はいまだに後ろ向きです。「歴史問題」を鵺(ぬえ)のように徘徊させる韓国の人たちに、金大統領の発していた言葉をはっきりと伝えたいものです。


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パリのテロ、NYのテロ、次はどこかと湧きあがる怒り

2015年11月17日 | Weblog

画像:Wikipediaより

この嘔吐しそうな不快感は抑えようがありません。13日の夜に起きたパリの同時テロ。フランスの検察は死者129人、重体が99人と発表しました。何ということをしてくれるんだと叫んでいます。

15年前の2011年ニューヨークの同時多発テロ。死者2700人余。世界貿易センタービルが炎上し、その巨大なビルが崩壊する様子にがくがくと身体が震えたものです。直後にNYの知人女性から絶叫に近い声で、東京に電話が入りました。

「ミスター嶋津、何ということでしょう、ポートオーソリティの皆が死んじゃったよ。ロッシーさんも旦那さんも亡くなったみたい。みんな、みんな死んじゃったよ」。

世界貿易センターを所有するNYポートオーソリティは、空港、港湾などを保管する巨大な企業体です。都庁にとってはNY市とともに友好関係にあり、東京都NY事務所も、この世界貿易センタービルに現地オフィスを構えていました。その入居選定は当時の駐在代表であった私の仕事でした。

それだけにあの崩れ落ちたビルには多くの知人、友人が働いていました。その人たちの死が次々と知らされたのです。とりわけテレビ映像から聞こえるドス、ドスという音は、地上に落ちる同僚たちの身体のようにさえ聞こえ、身震いしたものでした。

あの時に絶望的な怒りを、今また味わわされています。嘔吐を催させる、あの不快感です。ニューヨーク、そしてパリ。次は東京になろうとは誰も否定できません。しかし怒りが大きいだけ、無力感も大きいという外ありません。


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圏央道で4高速がリンクしたことを我がことように喜ぶ

2015年11月11日 | Weblog

圏央道の埼玉県部分が開通しました。これによって東名高速と東北道、関越道、中央道が圏央道経由で初めて結ばれることになりました。私にとっても10年来、待ちに待ち続けてきたニュースです。

 そうなのです。10年前、私は圏央道の高尾トンネル界隈の収用手続きの責任者でした。当時この辺りは、高尾山の自然を守れとの反対運動が一部に高まっていました。天狗党と名乗るグループが激しい抗議を続けていたのです。

 日夜その対応に苦労する部下たちと、高尾神社にお参りしつつ、やがてこの圏央道が東名高速や東北道と結ばれ、首都圏の交通の利便さを飛躍的に高める日の来ることを気持ちの支えにし合っていたものでした。

 東名から東北道までの走行時間は首都高経由では約130分かかっていました。それが75分に短縮されるのです。1時間もの短縮なのです。他方で首都高の渋滞解消をもたらします。

 よく役人の世界では、職種によって職員を事務屋と技術屋といい方で分けます。技術屋の喜びは、たとえば建物や橋の建設だといいます。仕事の成果が形を持って現れ、しかもいつまでも残っているのです。その喜びは君ら事務屋にはないだろうと、よく私は彼らからからかわれたものです。

 しかし今次の圏央道の4高速のリンクにはちょっとばかり感動しています。事務屋の私が思い切り技術屋の喜びを感じているのです。週末には何としてもこのルートを車で走りぬけてみることとしましょう、そうそう、口笛を吹きながら。


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トヨタ博物館のクラシックカー野外展示の可能性は?

2015年11月04日 | Weblog

【トヨタ博物館にて】

先月末は東海市でオープンした文化ホールで嚶鳴フォーラムが開かれ、泊まり込みで童門冬二先輩や松平定知NHKアナウンサーの話を堪能しました。

その帰路にふと思い立って、長久手にあるトヨタ博物館に立ち寄りました。田原市博物館での企画に関し、少し確認したいことがあったからです。アポなしでしたが、布垣直昭館長に時間を割いて貰いました。

トヨタのレクサス工場をもつ縁で、田原市内でクラシックカーの展示を催したいこと、その車を安藤忠雄設計の田原駅から博物館までの街路に並べたいことなどを話しました。

館長は趣旨さえ理解できれば協力は惜しみませんとのこと。しかし途中から雲行きが怪しくなってきました。「街路に並べるというのは屋根なし、壁なしでしょうか?」、「渥美半島の海に囲まれていますが、潮風はどんな具合でしょう?」。

上の写真にあるように、トヨタ博物館の陳列されるクラシックカーは超高級の一品ばかりです。ファンならずとも多くの人の垂涎の的。「野外に陳列して部品紛失ということはないでしょうか。潮風でさびが出ることはないでしょうか」。

言われてみれば、その心配はよく分かるというものです。代替品などもう入手する術のないクラシックカー部品などは少なくないでしょう。ましてさびがついたら致命的です。

うーん、世の中、なかなか思うようにはいかないようです。


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