嶋津隆文オフィシャルブログ

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「剣詩舞は日本文化の粋といってよい」とメッセージ

2014年11月27日 | Weblog

「東日新聞」より

10日ほど前の11月16日、田原文化祭の一環で剣詩舞の25周年大会が持たれました。その折の記念パンフレットに載せた私のメッセージ、ちょっと評判になったものですから気分を良くし、ここに載せることとします。

「剣詩舞はどうして胸がすくほどに格好よいのでしょう。勇壮で凛々しく、そして何よりも完成された形式美がたまりません。日本人の文化は形式美にあるとしばしば指摘されます。華道、茶道、能、歌舞伎など、さらには俳句や短歌にして然りです。そういう点では剣詩舞はかなり贅沢な舞台といってよいでしょう。刀剣と詩吟と舞いという3つの形式美が束ねられているからです。

昨年(平成25年)の秋、三河田原駅が完成しました。設計者である世界的建築家の安藤忠雄氏に対して、田原市はリクエストを出します。「田原は城下町、ですから和風の雰囲気を出してほしい」と。完成された新駅は、濃い茶色で日本家屋の格子のイメージを持たせ、しかも全体のフォルムは扇の形で貫かれました。扇の流線型は日本刀の鋭さを想起させ、扇の広がりは日本舞踊の柔らかさを漂わせます。新しい姿を見せた三河田原駅を前にして、私は皆さんの心、剣詩舞の心との共通性を大いに感じ取った、そう申し上げたいと思います。

それにしても剣詩舞の演目は、どれもこれも日本人の心に響き伝わるものばかりです。たとえば忠君楠正成を謳った「大楠公」、甲斐の虎と呼ばれた「武田信玄」、光秀の反逆で信長の最後の舞台となった「本能寺」、主君のあだ討ちで名をはせた「ああ赤穂浪士」、戊辰の戦での自刃した少年たちの悲劇を描いた「白虎隊」。私たちの心にぐさっと来るエピソードが並びます。剣詩舞はこうした日本人の琴線に触れる題材を縦横に生かして演じているのです。人気が深まらないはずはありません。」
さて皆さんはどう評価されるでしょうか。


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健さんが残した、赤、白、そしてブルーの三色の時代

2014年11月26日 | Weblog

映画「あなたへ」

高倉健さんが逝きました。大俳優であれば誰もが健さんへの強い思い出を持つことでしょう。もちろん自分も団塊世代。例外ではありません。健さんは常に我らの傍にいたのです。

追悼番組でテレビ放映された主演映画を見ながら、ふと自分の中には3つの色の高倉健ワールドができていることに気付きます。赤と白とブルー。それは明らかに時代とともに形づくられているようです。

まずは赤。70年代前後であり、それは血の色といってよいかも知れません。「唐獅子牡丹」(1966年)であり「網走番外地」(1967年)、「死んで貰います」(1970年)といった健さんです。大学紛争の汗と催涙弾の臭いと絡む苦い思い出と重なります。

白は80年代前後です。吹き付ける吹雪のイメージであり、「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)、「八甲田山」(1977年)、「動乱」(1980年)、「駅station」(1981年)、「居酒屋兆治」(1983年)、そして「南極物語」(1983年)などが頭に浮かびます。浮かれたバブル期であっただけに一層その苛烈さが印象的であったのでしょう。

しかし平成に入ると大きくイメージが変わってきます。透き通った、あるいはくすんだブルーの彩りとなるのです。「ホタル」(2001年)、「単騎、千里を走る」(2005年)、そして最後の出演となった「あなたへ」(2012年)。それぞれに人や社会の深みを漂わせる海のブルー、空のブルーが脳裏に残る映画となっているのです。

こうした区分などいかほどの意味もないでしょう。しかし今こんな小さな作業を営むことが、自分なりのこの大俳優に対するせめてもの供養と思えるのです。そう、健さんは常に常に我らの傍にいてくれたからです。


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日本大使館の窓を見つめ続ける少女慰安婦の像

2014年11月17日 | Weblog

警察車と大使館

ソウルを訪れたのは金泳三大統領を東京都知事、在韓日本大使と一緒に青瓦台(大統領官邸)へ訪問した以来のことでしょうか。その折に金大統領は、「韓国と日本はこれまで近くて遠い関係でしたが、これからは近くて近い関係にしなくてはいけません」と話されておりました。

 あれから20年。日韓関係はすっかり悪化した状態にあります。その理由の一つが慰安婦問題です。日本軍が女性たちを強制連行したという主張の下で、日本への謝罪と賠償を求める気運が高まっているのです。しかもその気運の醸成には朝日新聞の作為があったことが判明し、さらにコトを複雑にしています。

 韓国最後の9日の夜にソウルのホテルを抜け出し、この慰安婦の像に足を運びました。日本大使館の前に設置された像には多くの花束が置かれ、その周辺は多くの警官が配置され、ものものしい警備がしかれていました。極めて異様で、写真を撮るのも緊張したほどです。

 戦争と性の問題は歴史的にも常に大きな課題です。果たして日本でも終戦時に米軍用のための慰安所が設けられ、多くの日本人女性が待機しました。ベトナム戦争時には韓国軍のための慰安所が設置され、ここではベトナム女性が待機しました。

 もし少女慰安婦の像を建てるのであれば、米国大使館の前にも韓国大使館の前にも建てるべきではないか。そう発言した米国人のいたことを思い出し、そして近くて近い関係になろうとの大統領の発言を思い出し、苦い思いでホテルに戻ったものでした。


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わが田原市の友好自治体は韓国のアリランの里

2014年11月13日 | Weblog

漢江上流のアリランモニュメント

韓国東北部に位置する江原道の旌善(チョンソンと読む)郡は、わが田原市との友好自治体です。ほとんどの日本人にはなじみの薄い土地ですが、アリランの発祥の里と言えば興味を持ってくれることでしょう。韓流スターのウオン・ビンの出生地でもあります。

 山間にある人口4万人の農村自治体です。20年ほど前は14万人の自治体であったこの郡は、主産業の炭鉱が閉山したことで一挙に人口減となりました。しかし先週、「食文化交流団」の代表として訪れてみて驚かされました。何にかといえば、わが田原市との類似性です(田原の人口は6,5万人)。

 人口の激減に悩む旌善郡では、その活性化のためカジノをオープンします。現在それによる税収が30億円と聞きました。トヨタの工場からの税収が突出して数十億円と大きい田原市の財政構造が似ているのです。

 また旌善郡ではその山間の環境を生かしてスキー場を整備し、冬季オリンピックやスキー客の誘致を図っています。田原市が海を生かして、トライアスロンのオリンピック合宿誘致やサーフィンの世界大会を誘致するのと同じでしょう。

 しかしこうした類似性を感じながら、何よりも刺激的であったのはこの旌善郡の地域活性化への強烈な熱意です。アリラン祭の盛り上げ、独自の農業技術センターの設置や炭鉱廃線活用のレジャー施設の整備など、様々なチエをしぼり実践していることです。

 うーん、わが田原市の努力もまだまだと痛感させられる訪問でした。


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韓国の大学センター試験にみる緊張感と社会の歪み

2014年11月11日 | Weblog

延世大学キャンパス

11月6日から4日間、韓国を訪れました。その7日の金曜日は韓国の大学のセンター試験の日。おりしもソウルの名門大学である延世大学の前を通過した際、「センター試験の日は国中が大変な事態となります」と韓国人通訳が話した内容は大変に驚きでした。

 「当日は受験生に影響があってはいけないと朝の会社の始まりが9時ではなく、10時からとなります」。

「当日は警察だけではありません、軍隊も受験生の不測の事態に備えて待機しています」。

「当日は飛行機の航行さえも制限されます。英語のヒアリングの時に飛行機の音がしないよう配慮するのです」。

 現在の韓国の大学進学率は75%。他方で最近の少子化は急速で出生率は1.20~1.25。事実上の一人っ子現象の中で、我が子を何としてもブルー層にはさせまいと、有名大学に向けた受験戦争は昨今苛烈を極めているというのです。

 しかしその通訳はこう付け加えました。「大量の大卒者が出てきた結果、その誰もがホワイトカラーになることができず、社会の混乱と若者の失望を招いてしまっています。ブルー層が社会的評価を持ち就職の選択肢となれるような構造にしなくてはいけません。韓国の最大の悪弊は学歴至上主義にあります」。

 変化の激しい韓国には随所に社会的歪みは存在するようです。それにしても「人生がセンター試験の一日で決まる」という韓国の若者には、大いに同情せざるをえない日でありました。


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東大での国際シンポに出席し大都市政策論をレク

2014年11月04日 | Weblog

【本郷キャンパス】

先週末の11月1日(土)に東大の本郷キャンパスで、「東アジアのメガロポリス建設の将来 ―日中韓協力とネットワーク構築の可能性」をテーマにした国際シンポジウムが持たれました。

 その第1セッションの「メガロポリス建設と大都市制度」の発表者として招聘され、都市問題の日中韓の研究者たち100名余をフロアーに迎えて「東京圏の大都市経営、その歩みと課題」をレクする機会を得ました。また併せて日中友好のための都市間交流のあり方も論議しました。

 印象的だったのは中国の研究者から、中国の持続的な経済発展を期して、北京や天津等を包摂しての大都市圏、上海や南京等を包摂しての大都市圏を形成しようといったメガロポリス構想が熱を込めて発表されたことです。

 もちろんその一方で、大構想による農民へのしわ寄せを強く懸念する意見も同じ中国の研究者から出されました。pm2.5などといった環境汚染の深刻化への対策の緊急性を強調する発表も続きました。

 それにしても中国研究者の中国社会発展への気負いは強烈です。シンポでその激しさを目の当たりにし、どこか違和感を覚えてしまうのは否めません。先行する開発の歴史を持ち成熟社会に入った日本人としては、開発至上主義はやはり冒険的ではないかと思えてならないのです。


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