嶋津隆文オフィシャルブログ

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“革新系”会派の分裂と国立市議会の混迷ぶり

2009年06月29日 | Weblog

写真:わが家の庭先に咲く百合

国立市政に、いま流動化が起き始めています。現市長を支える与党会派で、共産党の“革新系”共同戦線からの離脱行為が顕在化し始めているのです。

いうまでもなく国立市では、与党の共産党、ネット、社民らが現関口博市長を当選させ、この2年間、共同してサポートしてきました。しかし、ここにきて共産党は、反関口的な言動を取り始めたのです。先般は保育園の民営化方針を突然打ち出した市長を糾弾し、その案を撤回させました。そして今回の6月議会では、何と補正予算にさえ反対したのです。

補正予算否決の一番の理由は、「国立駅周辺のまちづくりを進める」と表明した市長に反発したことです。とくに共産党にとって、JRのガード下の道路(3-4-10号線)を拡幅することなどの、駅周辺の整備の市長の「開発姿勢」は変節であり、許せないとしたのです。

私からみれば、この離脱劇は噴飯ものです。そもそも国立市の“革新市政”ではまちづくりは常にポーズでしかありませんでした。その姿勢に安心して(?)、乗っかっておればよいものを、「開発姿勢」のポーズさえも許せないと、関口にノーを突きつけたのです。

皆さん、思い出してみて下さい。上原公子前市長は、平成12年に駅周辺プラン作成に194万円、平成15年にその資料検討に157万円、平成16年にまちづくり提案書作成に257万円、平成17年に庁内検討に262万円も掛けました。いずれも報告書だけ出させ、肝心の着手にかかることなく任期中の8年間、駅周辺のまちづくりは放置されました。

関口市長になっても同様であり、平成19年に850万円でまちづくり基本計画を作成させた上で、21年度にまたまた1600万円かけ、検討させようというのです。積んでは崩し、積んでは崩す、賽の河原のストーリーです。6回に及ぶプラン作りのままごと遊びで、駅周辺のことを考えているようにみせかけて、まちづくりを手抜く、姑息な政治手法という外ありません。

駅周辺まちづくりは国立の未来のためにも、着実に進めなくてはならないものです。しかし関係人の調整が大変な大事業です。それだけに市長が、ポーズづくりに終始するのは分からないでもありません。しかしそんな市長に、共産党がマジに対応するのは、いかなる理由によるものでしょうか。それは、無力で姑息な市長の実態を見抜けず、本当にまちづくりに着手するのではないかと過剰反応する、代々木(本部)の意向ではないか。そう勘ぐってしまうのです。

しかしそれと関連して指摘すべきは、“保守系”会派の混迷ぶりです。これまで“革新”市長のまちづくり放置主義に幾度も煮え湯を飲まされながら、時としてまちづくり推進のポーズを容認してしまう、“保守系”会派の楽天主義は不思議という外ありません。それは政治的無防備そのものです。“革新市政”を変えなくては国立は変わらない。常にこの戦略的視点をもたなければ、“保守系”会派は混迷の度を深めるばかりではないでしょうか。


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監査請求に、国立市は謝罪しつつ責任逃れを表明

2009年06月24日 | Weblog

昨日23日、国立市のホームページに、先に監査委員から出されていた「国立市は(明和裁判費用の)求償の対象者と範囲について具体的に検討せよ」との勧告に対する、市の措置の結果がアップされました。ひたすら責任追及を逃げようとする内容に驚かされました。

この市の措置は、2か月前に住民259人から出されていた「国立市は、前上原公子市長が明和マンション騒動での一連の不法行為(最高裁が認定している!)を行い、そのことで市に損害を与えた3123万円を彼女に求償せよ」という監査請求を受けたものでもあります。

ざっと見た限り措置内容の注目ポイントは3つあります。

1つは、上原公子の不法行為性を、国立市として検討しなかったことを謝っていることです。いわく、「前市長の行為が営業妨害行為にあたることや信用棄損行為にあたることが裁判の判決で認定されていながら、その不法行為性を市として検討が及ばなかったことは遺憾と考えます」といっているのです。この謝罪は当然のことです。

しかし2つとして、「検討しないことは遺憾と考えます」と非を認めながら、「今後すべての職員はその責任を自覚し、留意していくことが必要です」と、ヒトゴトのような一般論を結論として締めくくりました。この一言で、血税の3123万円を費消してしまった上原前市長らの法的責任は不問にしようとしているのです。非を認めたなら、求償の具体的な検討に入るのが当然のはずなのに、その作業から逃避しようとしたのです。

さらに3つ目の問題点があります。監査委員の勧告が「国立市は庁議で(上原たちへの求償の範囲を)検討し、公表せよ」と求めているのに対し、「庁議で詳細に検討して公表することは適当でない」とはねつけているのです。いくら曖昧でいい加減な勧告を出した監査委員とはいえ、ここまで監査委員制度の存在そのもの、すなわち地方自治制度をコケにする行政の姿勢は危険です。

そんなこんなに目が行くと、監査勧告を不服として提起された住民訴訟の動きに警戒し、弱点を見せずに秘密裏に処理しようとしている関口市長、上原前市長らの、ピリピリした姿勢がかいま見えて不憫でもあります。しかしコトは巨額の公金の不当支出に関する責任問題です。不法行為をしつつ、その責任からひたすら逃げようようとする不正は、社会的に許されてはならないのです。

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ゴルフの林由郎プロに教えられる

2009年06月21日 | Weblog

久しぶりに習志野カントリークラブに、気の置けない間柄の都庁の仲間たちと出かけました。梅雨空を見上げながらの、超難コースといわれる、キングコースへの挑戦です。

クラブハウスに入って、いつものように林由郎プロに挨拶をしなければと、先生はどこに?とキャディさんに尋ねました。すると「林先生はもう久しく入院していて、記憶も少しおぼろげになっているようです」と、聞かされました。

えっ、あの健康な人が!と驚くとともに、自分の父親の入院を知らなかったような罪悪感を味わいました。確か大正11年生まれでしたから、そろそろ米寿の年齢です。小柄ながら、しかしあの頑丈な体躯からは老衰といった言葉は縁遠いと感じていただけに、衝撃でした。

林由郎プロは、自身が日本プロ、日本オープンに優勝した実績があるだけでなく、青木功や尾崎直道、福島晃子らを育てたゴルフの神様といってよい人物です。その神様と知り合えたのは、10年前に講演の依頼にお邪魔してからのこと。それ以来習志野に来るたびに親しく話しをさせてもらっておりました。

ある時、林プロは、「せっかくだから嶋津さん、スイングを見てあげましょう」と練習場に連れて行ってくれたのです。一通り私のスイングを見た後、林プロは、「あなたにはドローの打ち方を教えます」と、2つのボールをマットに置いたのです。

そしてすぐさま、パンパンと続けざまに2つのボールを打ちました。一つはフックのボールで飛んで行き、その後をドローのボールが飛んで行きました。「嶋津さん、よく見なさい。後から打ったドローボールが、フックボールを追いぬいて、しかも遠くまで行くでしょう。あなたはこのドローボールを習得するっといいですね、うん」。

その言葉もさることながら、パンパンと立て続けに打ったボールが、前のボールを抜いていく光景に、度肝を抜かれたものでした。ああ、これがプロというものなのだと。しかも引き続き、ドローの打ち方を丁寧に享受してくれたのです。その神様が、何ということでしょう、記憶を忘れかけているというのです。

かくいう私自身、林プロの教えも今やすっかり忘れてしまい、しかも気負って挑戦した今回のキングコースでまたもや大たたきをしてしまいました。林先生、ごめんなさい。元気になって、もう一度レッスンをお願いします。こう、最後の18ホールで叫びながら、苦り切って習志野を後にしたものでした。

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我が家の宝物「手塚治虫の生原稿」

2009年06月14日 | Weblog

「江戸東京博物館:特別展 手塚治虫展 」

江戸東京博物館で開催されている生誕80年記念の「手塚治虫展」がもうじき閉幕となります。今日あたり足を運ぼうと考えているところですが、手塚治虫といえば、しかし遠い存在ではなく、私にとっては近所の人でもありました。30代の時に住んでいた東久留米のちっぽけな自宅の近くに、でっかい屋敷がありました。そこに手塚治虫は家族とともに住んでいたのです。

当時、地域のコミュニティ雑誌「くろめがわ」の編集にボランティアで関わっていた私は、この近所の巨人に、無謀にも予約もなく玄関のドアをたたき、原稿依頼を申し込んだのです。「ふるさと・東久留米」という題で、何か執筆してもらえないかと。

すると二つ返事のOKで、しかも原稿料など要りませんということでした。超人気作家として多忙な中で、半月ほどして2枚の原稿用紙が戻ってきました。「タクシーの中で書いたようですよ」と夫人から笑って渡された原稿には、あの人懐っこい文字で、しかも自然保護への思いが滲む気持のいいエピソードがしたためられていたのです。

彼が映画の仕事でニューヨークの担当部長を訪れた際の、郊外の駅ホームでの出来事を綴ったものでした。その原稿のさわりを紹介しましょう。

「その駅は、北側は住宅が密集しているのに南側は家一軒見えず、ひくい雑木林があるだけだった。なぜ南側は家を建てないのかと訊いてみた。『なあに、この駅から見た月がとてもいいもので、役場が建てさせないんです』。部長のまじめな顔から、冗談でないことがわかった。ぼくは電車を待つ長い長い間、ひろびろとした南の空を駅から眺めていた」。

手塚治虫はことのほか、まちづくりにおける自然環境と地域住民の生活感覚を大事にし、その感覚を柔軟に受けとめる地域自治の形成を強く願っていたのです。その思いを、地元の小さなコミュニティ雑誌に快く綴ってくれたのです。

この手塚治虫とのやりとりと、彼の書いた鉛筆書きの生原稿は、いま私の宝物の一つとなっています。江戸東京博物館に勤務するかつての同僚たちに、今日はこの生原稿を見せびらかせてやろうと、ほくそ笑んでいるところなのです。


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厚木には、実は心霊スポットが多い?

2009年06月05日 | Weblog

画像:「せくさんぶる」(真崎守)

厚木市のシティセールスの検討委員会のメンバーになったことは前回記しました。そこで、市から幾つか関連資料を受け取ったのですが、それに目をやると、従来の行政の発想をすいっと越えていく、何とも楽しい展開があるというものです。

役所からの資料の一つに、庁内で作成した「シティセールス施策の検討について」というのがありました。厚木市役所の全職員を対象に、「厚木を市外にどうPRできるか?」という質問を行ったものです。約半数の800人の職員から、800近いアイディアが生の声で集められており、ユニークな試みで、内容もなかなかのものでした。

名物のアユで売り出そうとか、七沢など温泉地をセールスにしようといったオーソドックスなものがある一方、予想もつかない発案があって、思わず声を出して笑ってしまったものです。例えば、こんな着眼です。

①厚木には、実は心霊スポットが多い(七沢バケトン、山際病院)
②美容院がものすごく多く、人口当たりでの数は全国有数ではないか
③企業の門前町とのコラボで、市役所ロビーに日産GTRを置く
④同様に、厚木市ソニー一丁目などといったネーミングライツを考える

フムフム、と大いに感心しました。心霊スポットなどを観光資源と考える発想には、思わず脱帽するというものです。若い人たちからでないと出てこないアイディアでしょう。

しかし美容院の多さなどへの着眼は、ひょっとしたら観光の導火線にもなるかもと目が行きました。いまや観光消費額が年間70億円にもなった宇都宮市の餃子も、そもそもの発端は、市内の餃子の消費量が全国的にも多いといった漠然とした特長に着眼したところからであったといわれます。どこに将来性のあるポテンシャルが転がっているか、予断は許さないのです。

そんなこんなの若い人たちの斬新な発想に接すると、もう私たち退職者層ではない、世代交代の必然性を痛いほど知らされるというものです。もっとも世代交代といえば、どこぞの国で、67歳になる将軍様が27歳の3男に譲位するというニュースが流れています。しかしミサイルを祝砲代わりに狂ったように打ちまくっている光景に、こればっかりは、世代交代もいただけないというものです。

コメント (1)
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