嶋津隆文オフィシャルブログ

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春の気配がすぐそこなのに春の来ない国立市

2011年02月27日 | Weblog

写真:青空に突き抜ける白梅

昨日(2月26日)の土曜日から、近くの谷保天満宮で梅祭りが始まりました。境内の梅の本数は余り多くはありませんが、なかなかの人出です。

白梅のあと紅梅の深空(みそら)あり

毎年今頃の季節になると、必ず口にしてしまう爽やかな句です。飯田龍太の作。飯田蛇笏の4男で、ちょうど4年前の2月25日に亡くなりました。生れは山梨の笛吹川。梅や桜ならず、もうじき桃の花に埋め尽くされる甲府盆地の人なのです。

そう思い付き、改めてこの句を読むと、絢爛たる日本の春の世界が彷彿としてきます。そうすると、なぜか原田悠里の歌「津軽の花」(麻こよみ作詞)の、あの軽快なリズムも頭をよぎり始めてくるのです。

♪ 林檎も桜も 一緒に咲いて
花の津軽は 春盛り 花盛り

日本は良い国です。しかし、それにしてもと突然に、現実世界に戻されます。こんな花の季節が到来する昨今なのに、どうして国立のまちは、人間の確執ばかり蔓延する土地になってしまっているのでしょうか。

梅の花が市の花の国立です。春告草と呼ばれる梅を軸にしながら、何故に前向きな改革努力のできない政治風土になってしまったものでしょう。改めて失望せざるを得ない昨今というものです。

 


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風せんより軽いといわれる国立の市長言動

2011年02月21日 | Weblog

写真:「一月から咲く今帰仁村(沖縄)の桜」

地方選挙が近づいてきています。民主党では人気が凋落し、予定候補者が辞退し始めたと報道されています。沈む船からねずみが逃げ出すようなものです

子ども手当の財源問題、小沢代表の金銭問題、尖閣や千島の外交問題など、政権から国民が離反する理由は幾つもあります。しかしそのなかで決定的な一つは、何と言っても鳩山由紀夫元首相の言葉の軽さでしょう。

政治家の言葉は命です。それなのに思いつくままの言葉を発し、地元沖縄の心をもてあそぶ「方便」を重ね、米国には「Trust me」と囁き続け、あげくに国と党の立ち位置をすっかり危ういものとしてしまいました。

無責任な言葉(公約)で市民をもてあそんだ、という点では国立市長も同類です。昨年の夏、与党であった共産、民主、社民が現市長の街づくり計画に怒り、三くだり半を突き付けました。与党体制が空中分解してしまったのです。

その背景には、無責任な公約とコロコロ変わるノー天気発言があり、その風せんのような軽さに、さすがの仲間たちも絶望したというのです。具体例を聞いて見ると、なるほどと納得するというものです。

最近の市議会では、「DV」(ドメスティック・バイオレンス)というところを「DVD」と発言し居並ぶ議員を仰天させました。このDVは、住基ネット切断の唯一の根拠としているものであり、そのキーワードにしてこの程度の認識というのです。

また昨夏は、猛暑の中で教室に冷房を入れようという提案に対し、「夏休みを50日にすればいい」などといった思い付き発言が飛び出し、失笑を買ったというのです。

市役所では、市長の挨拶が始まると、その内容の稚拙さにハラハラして顔もあげられないと、ある市職員はぼやいていました。「国立は曲がりなりにも「文教都市」。市長には最低の知性はあってほしいものです」とは、もう一人の若い職員が口にした話です。

ちょっと寂しい話題と言う外ありません。          
コメント (1)
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太宰治が憤慨した青森県庁の所在地問題

2011年02月16日 | Weblog

写真:五所川原市金木の太宰治の生家「斜陽館」(本人撮影)

先日、都庁の畏敬の先輩で、歴史作家である童門冬二さんから、一冊の本をいただきました。先輩が書き下された『人生を励ます太宰治の言葉』(致知出版社)です。腰巻にこうありました。「本当の太宰治は、苦悩の底に明るい心を持っていた」と。

しかしあのペシミストの権化と称された太宰です。「人生を励ます」言葉があろうものかと、大いに訝りながらページをめくったものでした。そしてその警戒心は半分当たり、しかし半分は修正を余儀なくなされました。

修正を余儀なくされた言葉は、たとえばこうです。
「いったいこの城下まち(弘前市)は、だらしないのだ。旧藩主(津軽氏)の代々のお城がありながら、県庁を他の新興のまちに奪われている。日本全国、たいていの県庁所在地は、旧藩の城下まちである。青森県の県庁を、弘前市でなく、青森市に持って行かざるを得なかったところに、青森県の不幸があったとさえ私は思っている」。

何とも心楽しくなる指摘ではないでしょうか。しかも更にこうも言っているのです。
「私は、ただ、この弘前市が負けていながら、のほほん顔でいるのが歯がゆいのである」。

昨秋、弘前大学で学会があり、はじめて津軽を訪れました。その折に味わった青森市の殺伐感に比しての、異様なほどの弘前の落ち着きを思い浮かべるとき、この太宰の愚痴には大いに納得してしまうというものです。

そうなのです。何にしても青森の県庁は、新参の青森市でなく、藩都の弘前市でなければいけなかったのです。地域の結集軸には、歴史や伝統が欠かせないからです。

それにしてもと、はっと別のことに思い当たりました。童門先輩は、ペシミスト太宰の言葉だからこそ、その意外性を逆手にとって、一層効果的に「人生を励ます」作用を展開しようとしたのではないかと。そう思うと、先輩のしたたかさに改めて舌を巻かされるというものです。

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名古屋ははしゃいでいて大丈夫なの?と不安

2011年02月10日 | Weblog

写真:「名古屋の味噌煮込みうどん」

先日曜の名古屋市長選で河村たかし氏が当選しました。圧勝です。市民税10%減税と市議会議員の報酬・定数の削減とが市民に受けたからと言われます。名古屋は大いに盛り上がっているようです。

しかしそのはしゃぎ様に、一呼吸おいた人は、明日の生活混乱の予兆を感じたに違いありません。10%減税でつき進んで名古屋の行財政は大丈夫か、市民サービスは本当に大丈夫かと。

名古屋市の個人および法人住民税は2259億円です(21年度)。その10%だと226億円。他方で75人の市議報酬を半減(800万円)して浮くカネは6億円。焼け石に水であり、とても減税のマイナス分を補てんできる額ではありません。

そうなれば市民サービスを大幅に削ることになります。その対象は老人対策費なのか、教育費なのか、インフラ整備費なのか、はたまたその全部なのか。その事業と額が明らかになった時、名古屋市民が今と同じにはしゃげるとはとても思えないのです。

そもそも不景気で法人住民税は急減しており、名古屋市の財政は逼迫しています。一昨年は交付団体に転落しました。それではと、財源の穴埋めに地方債を発行するとしたら、財源の目途もなくバラ色のマニフェストをバラ撒いたどこぞの党と同じです。

私に言わせれば、市民税10%減税など人気取りの「大人向けの子ども手当」、すなわち「大人手当」というべきものです。はしゃいで踊ると、あとで悲しい思いをすることとなるのです。
     「おもしろうて やがてかなしき 鵜飼哉」。
名古屋ならず、隣の岐阜・長良川で歌った芭蕉の句を思い出さずにはおれません。



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「国立のネット切断は違法」と胸のすく判決出る

2011年02月05日 | Weblog

写真:国立市役所

2月4日、東京地裁で国立市の住基ネット切断行為に対し「違法」とし、市長に40万円の支払いを命じました。胸のすくような判決です。傍聴席も笑顔で包まれました。

私たちの国立の仲間が提訴していたもので、あたり前の判決内容とはいえ、無法地帯を形成する国立市を強く指弾するものとなっています。それを受けての今朝の読売新聞の社説を掲げました。これまた極めて正しい指摘と言うべきです。


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