嶋津隆文オフィシャルブログ

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東京新聞に載ったB1グルメのインタビュー記事

2010年12月31日 | Weblog

写真:東京新聞・平成22年12月27日付け

あわただしい空気のなかで今年が過ぎ去っていきます。振り返って感慨深いのは、『伊良湖岬村長物語』(明治の日本人と地方自治)の出版でしょうか。月刊『地方財務』での「全国自治体観光プランの今」シリーズも、毎月連載なだけになかなか印象深いものです。

その一方で楽しくとも大変だったのが地元厚木市との共同事業です。「シティセールス推進指針」の策定作業や「B1グランプリ」関連イベントへの参画です。

その関連で一昨日、東京新聞に私のインタビュー記事が載りました。年末のご挨拶代わりにアップしますので、ご笑覧ください。それでは皆様、よいお年にお迎えください。

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「賠償」を2重取りと言うなら明和地所に返すのがスジ

2010年12月27日 | Weblog

写真:「三角駅舎も解体放置されたまま4年もたつ」

先日出された東京地裁の「国立市長は上原公子前市長に3123万円を請求せよ」との名判決は、国立市民を中心に関係者に大きな安堵感を与えているようです。国立市の松嶋としのぶ市議は「天網恢恢、疎にして漏らさず」とつぶやいたほどでした。

そのなかで気になる意見があるのでちょっと触れることとしましょう。例えば東京新聞です。「国立市は既に明和地所から賠償と同額の3123万円の寄付を貰っている。ここで上原公子に求償しては、賠償の2重取りになるのではないか?」というものです。

明らかに市側の身勝手な論理に与するものです。そもそも明和地所が平成20年に勝訴した後、被告の市側に何故3123万円を寄付したのでしょう。「私たちはおカネが欲しくて訴訟したのではない。理がどちらにあるか明確にしたかったのです」。そして「ピアノなどの教育費に使ってほしい」と申し入れたのです。

見上げたものです。昨日まで自分を殴り続けた相手(市)に、そっとおカネを差し出すのですから。逆に言えば加害者の国立市が、被害者からおカネを提供されて、恥も外聞もなく懐に入れた市長のセンスこそ、まことに見苦しいものというものです。

ところで考えて見るべきは、国立マンション訴訟の最初の原因です。そもそもは、国立市が事前にきちっとした建築規制もかけず、まちづくりのスタンスを明確にしていなかったところにあります。要は行政の怠慢が、一連の景観騒動の発端なのです。

業者としてみれば当然の企業行為として、当時の法の規制にしたがって建築に着手したのです。にもかかわらず前市長は、後出しじゃんけんの規制を掛け、さらに明和を「悪徳不動産」呼ばわりのなかで、営業妨害行為に奔走していったのです。

こうした経緯を知ってか知らでか、東京新聞も国立市側の弁護士も「二重取り」等といった表面的な表現を使っているのです。偏った、おかしな言い方です。

もし二重取りと言うような「後ろめたさ」があるとするなら、その解消策としては、国立市が明和地所の好意にのっとった甘えを捨て、明和地所から寄付された3123万円をそっくり明和に返却することです。これが本来のスジというものです。
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「上原公子前市長は3123万円を支払え」と判決

2010年12月22日 | Weblog
写真:国立の大学通りから明和マンションを見る

明和マンション建設をめぐって違法行為を繰り返した国立市の上原公子前市長に対し、今日12月22日に、以下のような痛快な判決が東京地裁から出されました。

「被告(関口宏国立市長)は、被告補助参加人(上原公子)に対し、3123万9726円及びこれに対する平成20年3月28日から支払い済みまで年5分の割合による金員の支払いを請求せよ」。

住民訴訟を起こしていた良識派の全面勝利です。判決文では上原市長の「マンションへの水道を止める」といった発言や、明和地所に対する一連の営業妨害行為を厳しく指弾しています。「長に求められる公平・中立性を著しく逸脱した行為」であると。

「市長」というポストを奇貨として、「職業活動家」といった過激な行為を繰り返したことへの指弾でもあります。「行政」の名の下に極端な狼藉行為を許してきた国立市の一部革新グループに対する警鐘であり、法治国家を支える裁判官としての矜持を示したものと言えましょう。

サンタさんは、1日早い素晴らしいプレゼントを、国立にもたらしてくれたものと、納得しています。手弁当で、このシンドイ訴訟を進めてきた住民の皆さんには敬意を表したいものです。

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孤独死防止への町内会努力と個人情報保護制度

2010年12月18日 | Weblog
写真:「中野区役所は中野駅徒歩3分です」

尖閣諸島での中国船のビデオ流出を巡り、海上保安官が書類送検されました。検察が起訴するかどうか、情報公開のあり方も含め多くの国民が耳をそばだてています。

そんな先日、中野区での個人情報保護審議会で、或る議論がありました。「地域支えあいネットワーク」と称した新しいしくみを施行するにあたって、個人情報を提供することが問題ないかというのです。

このしくみは孤独死を防ぐために、町会や自治会の人にお年寄りを見守ってもらおうというものです。悲惨にも死後2週間も3週間もたって発見されるといった事件が、もはや稀有の例ではなくなっています。そんな事態に対応するため、区が工夫しました。

単身者であれば70歳以上、夫婦であれば75歳以上の人たちが対象で、その年寄りの人たちの合意を前提に氏名や年齢等を町会自治会の一部の人に知らせるものです。

「個人情報保護の面からは余り好ましいことではないでしょう。本人の同意があることが大前提です」。これが一般的な論調です。しかし、ある町会関係者からの発言に思わず顔を挙げてしまいました。

「情報提供を同意してくれる人は、むしろ何も問題はないのです。自分のことは放っておいてくれと、かたくなに近所との接触を拒む人こそ危ないのです」。

しかし、かと言ってそうした近所と溶け合わない人を、勝手にしなさいとは言えません。町会としては、区役所に時おり訪問してもらうことなどを期待するしかないのです。

そんなやりとりを聞くにつけ、プライバシー至上主義を生んだ、個人情報保護法の問題性を感じないわけにはいきません。この法の施行以来、同級会名簿が消え、クラスの連絡網が消えました。人と人とのつながりを消し、社会としての結びつきを極端に窮屈にしてしまいました。個人情報保護の過剰反応にあらためて疑問を挟むものです。

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「武士の家計簿」に笑い、ホロっと泣きました

2010年12月09日 | Weblog

写真:磯田道史著「武士の家計簿」

昨日は暖かで気分の良く、それであればもっと良い気分になろうと映画館へ向かいました。観たのは「武士の家計簿」。ご存知、磯田道史著のベストセラーの映画化で、期待通りの出来に大いに笑い、そしてホロっとして2時間を過ごしました。

もっともここで取り上げるのは映画の出来でなく、原作者の磯田道史茨城大准教授の才覚です。軽やかでユーモアたっぷりの語り口、読み手をぐいぐい惹きつける論理展開。専門の基礎情報をしっかり固めた上での、「遊び心」が駆使された本にすっかり舌を巻いたものでした。

こうしたしたたかな才能を持つ人は極めて稀でしょう。しかし私には二人の人物の名がすぐに思い浮かびます。

一人は東大名誉教授となった建築史の藤森照信工学院大教授です。「明治の建築計画」といった骨太の著書を著す一方、路上観察学会などと称したグループを立ち上げ、赤瀬川源平や南しん坊らとともに、人心を惑わかせてきた人物です。

二人目は国際日本文化研究センターの同じく建築史の井上章一教授です。「霊柩車の誕生」から始まり、「造られた桂離宮神話」「美人論」「パンツが見える」などと一見、人を食ったような著書を出し続け、世間を騒がせている人物です。

この両人には、NIRA(総合研究開発機構)時代に知己を得ました。京都の四条畷のクラブで、何が話題であったか忘れましたが、初めての出会いながらとてつもなく盛り上がったことを覚えています。そして「ああ、こんなユーモアと知性を持つ人間が世の中には居るんだ」と感心したのです。もう20年以上も前になるでしょうか。

「武士の家計簿」の映画は、図らずもこんな貴重な人間関係まで思い出させてくれました。もっともっと気分が良くなった小春日和の一日でした。

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「負けたのは傲慢だったから」と渡部恒三さん

2010年12月05日 | Weblog
写真:「実り続けるのはなかなか難しい―近所の風景(本人撮影)」

師走になり、昨日臨時国会が終わりました。これで不快な一年が終わってくれればよいがと願う昨今です。

数日前、国会での式典で民主党の中井洽委員長が、こともあろうに秋篠宮夫妻に「早く座れよ」と難じたと報道されました。みんなの党の渡辺善美代表が「土下座して謝れ」と怒ったのも当然です。

その少し前には仙石由人官房長官が、質問する野党の自民党議員に「もっとも拙劣な質問だ」と侮りました。さらに、議場で広げたメモを写した新聞社を「盗撮した」となじり、法改正して規制するとまで恫喝しました。

こうした一連の行為の根底にあるものはなんでしょう。まぎれもなく傲慢さというものです。長い野党生活の屈折体質が、権力の座に突然躍り出て歯止めがきかないようなような光景であり、寒々とすると言っては過ぎるでしょうか。

この夏の参院選で民主党が惨敗した時、その原因は「菅が消費税を口にしたからだ」などと与党内では騒がれました。しかし民主の長老、渡部恒三議員はこう言ったのです。「負けたのは民主党が傲慢だったからだよ。謙虚さがないことに国民は怒ったんだ」。

考えても見れば昨年の今頃、当時の小沢民主党幹事長は、陳情を一本化し、すべて自分の部屋に来て頭を下げるよう指示しました。事業仕訳では「正論」をかざして、口ごもる関係者を公開処刑のように断じ、しかもそのシーンをテレビで全国に流しました。

渡部さんは人の心を知る政治家です。最高顧問の味わいのあるこうした言葉を、なぜ民主党の面々は競い合うかのように壊そうとするのでしょうか。淋しいものです。

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