「都庁の局長室からの夜景」:職員撮影
生きていると良いことがあるものです。いやあ、そう仰山にも感じ入ったことが先般ありました。
先週のある夜に、ゼミ学生のミッチャンこと三橋健太君から一本の電話が入りました。
「先生、今度の日曜の夜は空いていますか。皆で食事会をしたいんですけれど」。
すぐOKの返事をしました。夏休みも近く、そろそろ学生達も顔を合わせる機会がなくなるので、その前の懇親会かな、それも楽しいなと軽く考えたものでした。
厚木の駅近くの、Meltyという西洋料理のレストランで、後で聞くとゼミ学生の一人ナオトこと北島直人君のアルバイト先でもありました。駅前で待ち合わせた学生に連れられて行くと、既に全員が揃っており、生ビール等での乾杯から歓談が始まりました。
小一時間も過ぎた頃でしょうか、店のマスターが大きなケーキを運んできたのです。しかもろうそくが何本も灯されていました。すると皆がこう歌い始めたのです。
「Happy birth day to you.」
何ということでしょう、私へのサプライズ誕生パーティだったのです。まったく予想もしないことでした。しかもプレゼントまで用意されていました。パーカーのボールペンです。学生達の笑顔と拍手で包まれて祝われるシチュエーションに、思わずホロっとしてしまったものです。
そんな幸福感の中でふと想い出した写真があり、今日はそれをアップします。ネコと夜景のこの写真は、私が都庁を退職した3年前に、「局長室からの東京の風景を記念にして下さい」と、部下の職員達が撮影し、プレゼントしてくれたものなのです。
そうなのです。生きている時に良いことがあるものです。
「平家物語絵巻・壇の浦の合戦」
民主党が惨敗しました。54議席が44議席です。参院第2党に転落し、これで与党単独で立法手続き等を進めることは不可能になりました。衆院300余の大量議員数で、わが世の春を謳歌していた昨日までの民主党とは、まったく異なる政治運営を強いられることなります。
参院選の敗因については、唐突な消費税提案だと多くのマスコミが指摘しています。しかしそうではないでしょう。政権を取って有頂天になった長年野党の、国会審議を無視するなどの狼藉ぶりに、多くの国民が不快に思ったからに違いありません。「平家にあらずんば人のあらず」との風潮を苦く思いはじめていたのです。
今朝(7月13日)の読売新聞に、こんな痛烈なコメントがありました。「長い野党暮らしから一夜にして躍り出た政党も、海面に急浮上した深海魚に似ているだろう。下積みの圧力から解放されて体内から飛び出すのは、内臓や眼球ではない。「傲り」である」。
とかく衆愚政治だと批判のあるわが国の選挙実態です。しかし時としてバランスある行動が示されるものです。長年の自民党政治での閉塞状況に、国民がしびれを切らして自民党を第2党に陥れた昨年の総選挙等もそうと言えます。
「驕る平家は久しからず」。800年も前の鎌倉時代に著された作でありながら「平家物語」は、人の世と人間の業の姿を示して何とも深いものがあるようです。
「お世話になった梅棹忠夫先生」
文化人類学者の梅棹忠夫先生が逝かれました。寂しくなるというものです。先生とはNIRA(総合研究開発機構)の研究員として過ごした昭和62、3年頃に、ご一緒する貴重な機会を得ました。首都に関する文化的研究プロジェクトでのことです。
あるとき、最終まとめの集中論議をすることとなり、伊勢の志摩観光ホテルが宿泊合宿の場所となりました。他に矢野暢京大教授、川添登早大教授らも加わり、当ホテル名物料理のあわびのステーキを食しながら、皆で口角泡を飛ばしたものです。
そのとき、忘れもしない“事件”が起きました。メンバーの一人が、京都の国際日本文化研究センターの新設を話題にした際のことです。梅原猛教授が当時中曽根首相に働きかけていたこのセンター開設に関して、梅棹先生が突然に声を荒げてこう言ったのです。
「私が日本文化センターを狙っているのだと? 何を言っているのか。私は民俗博物館で100人余の手勢をもつ大将である。わずかばかりの研究員しかいないセンター等に触手を動かすことなどない。あの(あらぬ噂を流す)梅原猛の魑魅魍魎めが!」
この激しい口調に私たちは息をのみました。知的で穏やかな風貌の梅棹先生の、思いもよらぬ激昂ぶりに、梅原猛との根深い対立を知らされたのです。何よりも魑魅魍魎という言葉が、こんな風に他人をののしる際にも使われるものかと感動したものでした。梅棹先生名を聞く時、私がいつも思い出す30年前の強烈な場面です。
その梅原猛先生が、梅棹先生追悼の談話を翌日新聞に載せました。「梅棹先生は天才。私は凡才。その悔しさが羽根になって「梅原日本学」と呼ばれる仕事ができたと思う。梅棹氏なくして私の仕事はない。冥福をお祈りしたい。」(読売新聞7月7日)。
梅棹vs梅原という二人の巨頭の相克と嫉妬の度合いは、凡人の私らには推量すら出来ません。しかし、梅棹先生の能力と功績をひたすら称えながら綴る追悼文の、そのさりげなさにこそ、人間の心の闇の深さを感じてしまうのはどうしようもありません。
「昨日今日のわが家の庭の一風景 本人撮影」
西の阿久根市、東の国立市。いまわが国には2つの無法地帯が生まれています。北朝鮮のような“ならず者国家”というか、“ならず者自治体”が2つも発生してしまった事態を、どこまで地方自治法は想定したでしょうか。
昨日のニュースで、鹿児島県知事は、議会を無視して専決処分を乱発している阿久根市長に対し、議会を開くよう是正勧告を出しました。鹿児島県では初めてのことです。
鹿児島県知事は記者会見でこういいます。「法が想定しない違法状態。法治国家なので速やかに対応してほしい」。しかし阿久根市の竹原市長は、この勧告に従う気配を見せません。そればかりか先日も圧倒数の職員が出した署名付きの改善要望書を、「シュレッターにかけろ」と叫んだ程です。
鹿児島県知事はこうもいいます。「常識人が制度運営をすることが地方自治法の前提となっている」。勧告を無視しても何も罰則規定のないことを逆手に開き直る市長に、現行制度は手の施しようがないのです。
現在の国立市もまったく同様の事態を生んでいるのです。住基ネットを切断し、年金支給の高齢者に不便を強いたり、住民の税額控除の権利を奪ったりする行為に対し、平成20年に国立市議会は即座に接続するよう決議を行いました。最高裁も住基ネットは違憲ではないと判示しました。しかし国立市長はこれを無視しました。
東京都知事もこの無法状態を座視しません。この国立市の違法状態に対し、東京都は平成21年に鹿児島県と同様に、是正勧告―是正要求を出しました。しかし国立市長は一貫してこれを無視し、今日に至っているのです。勧告に法的拘束力がないからです。
「常識人」でない首長をもった自治体は絶望的です。先日民主党政権は、住基ネットを活用して、税と社会保障の軸に共通番号制を導入する方向性を公表しました。この動きに対しても国立市は住基ネットの接続を認めず、国家システムに穴を開けようというのでしょうか。そうなるとコトは、国家にとっても絶望的になってしまうというものです。