嶋津隆文オフィシャルブログ

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この1年が「最新行政大事典」で締まりました

2009年12月30日 | Weblog

 

一年はやはり何らかの嬉しい出来事で終わらねばなりません。私にとってその嬉しい出来事が「最新行政大事典」(㈱ぎょうせい)の刊行です。クリスマスのプレゼントのように12月25日に世に出されました。全4巻の予定ですが、今回は第1巻の「行政一般・地方自治・税・財政」が配本されたのです。B5判で定価42000円の大著です。

ちなみにこの大事典の特徴は、書籍版だけでなく、WEB版としても提供されることです。インターネットを通じて常に用語改訂が行われるとともに、読者はいつでも最新の『データベース』にアクセスすることが出来るというのです。是非㈱ぎょうせいのホームページにアクセスし、「WEB版最新行政大事典」の有用性を知ってほしいものです。

ところで何がそんない嬉しいのか、そう言われるでしょう。実はこの執筆に私自身、大きく関与したからです。200項目ほどは書き下ろしたでしょうか。そればかりではありません。執筆者の調整に編集スタッフのように駆けずり回ったからなのです。

それにしてもこの作業には翻弄されました。行政は例えば経済・金融分野などと異なり安定的なものであるといわれます。しかしこの夏の民主党政権への移行で、行政事典に載録すべき事項の内容が、行政分野であろうが大きく変更し始めたのですから大変です。

例えば「事務次官」などという項目があります。従来の官僚トップという明治来のイメージが、次官会議が廃止されたばかりでなく、ポストそのものまで廃止するという議論さえ出てきました。「大事典」という性格の書籍に、この「事務次官」などをどう記載するのか、すこぶる見極めが難しい事態になってしまったのです。一事が万事です。

それにしても完成本が世に出るのは嬉しいものです。かのナポレオンは、フランス民法典が完成したことを誇りとし、「40回の戦勝は私の真の栄光ではない。永遠に残るのは私の民法典である」と流罪先で述べたと言われています。私も小さなナポレオンになったような気持ちになっているのです。

何はともあれ、いつも私のブログにアクセスして下さっている皆さま、一年アクセスをありがとうございました。どうぞよい年をお迎えください。


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国立市の住基ネットに住民訴訟が提起される

2009年12月25日 | Weblog

写真:「12月25日 読売新聞より」

いよいよ国立市の違法な住基ネット切断に対して、住民訴訟が起こされました。多くの国立市民や他の自治体から望まれていた行動です。一昨日のことです。その際に報道機関に伝えられたメッセージが手に入りましたので、参考に掲載しておきます。

「拝啓 心せわしい年の暮れ、皆様方におかれましては、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
 私たちは国立市が全国で僅か2市町村のみである住基ネット切断をしている自治体であることを憂いております。切断によって国立市民は他市では当たり前である様々なサービスを享受することが出来なくなっているからです。とくにお年寄りの年金受給者は現況届を役所に提出しに行かなくてはなりません。パスポート取得時にも住民票の取得がわざわざ必要となっています。E-TAXの税額控除5000円も受けられないのです。
 さらに国対市長は、住基ネットを接続せよとの市議会の決議や、国や東京都の指導も無視し、最高裁も認定した違法な状態のままの事態を放置しているのです。

そこで私たちは、去る9月29日、国立市に対して「住基ネット切断に伴う違法支出の差止と違法支出相当額の補填を国立市長に求める住民監査請求」を行いました。しかし、去る11月27日に出された、この住民監査請求に対する国立市監査委員の監査結果は、「合議不調」ということでした。つまり、私たちの住民監査請求に対する監査委員の勧告は、出されないままになってしまいました。
私たちは何とかこの状況を打開する為に、12月22日に住基ネット切断に伴う違法支出の差止と違法支出相当額の賠償を国立市長に求める住民訴訟を提起しました。(以下略)」

それにしても住民訴訟にしても監査請求にしても、多くの時間とお金がかかります。行政の違法、不正をただすのに、こんな大きなエネルギーを割かなくてはならないのかと、このメンバーの皆さんは汗をふきふき嘆いていました。商売の傍らでの手弁当の作業だけに、苦労が多く、この嘆き節ももっともなことだと思います。

そういえば民主党でさえ、年金制度の一元化のためには、背番号制的な措置が必要だと表明し始めてきています。情報機器を活用することが大いに有効であり、コスト低下につながることが分かるからです。にも拘わらず、いつまでもジョージ・オーエルの『1984年』(国民を監視する共産主義への批判小説、1949年発表)の世界のような感覚で行政を展開するというのですから、国立市政の時代錯誤性には驚くというものです。いい加減、悪夢の被害妄想で市民を翻弄することは止め、ネットを明日にでも接続してほしいものです。


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「伊良湖岬村長物語」がやっと脱稿しました

2009年12月21日 | Weblog

1年半前から執筆にとりかかった「伊良湖岬村長物語」(仮題)。この年末まで来て、やっと完成の段となりました。約10万字ですからそんな大作でもないのですが、何せ資料集めと当時の事を知る人たちのヒアリングに、思いのほか時間がかかったのです。

副題は「日本人と地方自治」と大きく構えました。が、幕末明治から終戦に至るの、戦前の我が国の地方自治の姿を、故郷渥美半島を舞台にその地域史として追ったものです。主人公には自分の祖父を含め数人の個性的な人物たちを登場させました。

それにしてもこの作業を通じて、幾つもの焦燥感と悲哀感を味わうこととなりました。
時間がたつということの残酷さを、幾度も味わわされ続けてきたのです。

一つは関連資料の散逸と古い人たちの死亡などに因るものです。明治の事を聞くためには、少なくとも大正生まれか昭和初めの人達でなくてはいけません。そうなると、死亡とまで至らなくとも、発声困難や記憶混乱といった人も多く、ヒアリングはなかなかはかどりませんでした。そうこうしているうちに、一度聞いた人が次に行くと亡くなっていたということも二、三回ではありません。

ついで、この著作が完成したら、ぜひ見て欲しいと思っていた人達が、次々に逝ってしまうことでした。東京から疎開してきた中学の時の音楽の先生、戦艦大和の建造に関わっていた叔父、そしていつも温かく見守ってくれていた同郷の恩師。完成したらすぐに見せたい。そう考えて居た人達の訃報に接するのは、執筆作業の意味そのものが失われていくようで、ひどく落胆したものでした。

そういえば、過日自殺した友人の墓参りに八王子の上川霊園を訪れました。彼の墓のすぐ傍には劇作家菊田一夫の墓があり、そこにあの「君の名は」の一節、「忘却とは忘れ去ることなり 忘れえずして忘却を誓う 心の哀しさよ」が刻まれていました。

人は死に際し、何を残したと納得して逝くのだろうか。菊田一夫ほどの大きな足跡は残せないまでも、せめて親しい知人や友人には早々と忘却されたくはない。そう思って非才を顧みず、焦りながら著作作業を重ねている昨今なのです。「伊良湖岬村長物語」の発刊まであと数カ月です。その時間が今の自分には、長すぎて長すぎてたまらないのです。

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谷保天満宮での句会に心楽しく時を過ごす

2009年12月14日 | Weblog

先週末のよく晴れた土曜日、谷保天満宮で句会が持たれました。席亭は嵐山光三郎、プロデュースは佐藤収一。にわか俳人も含め、40人近い国立界隈の人たちが集まり、何とも心楽しい時を過ごしました。私もズブの素人ながら、声のかかったことをこれ幸いと末席を汚した次第です。

嵐山光三郎席亭の、味のある手書きの応募要項(上記の挿し絵をご覧ください)にはこうありました。「席題のなかから二つを選んで投句して下さい。参加者は全員がシロウトですから、あんまりうまい句はかえって点をとれません。投句した人が互選するので、名句は落ちてしまいます」と。この誘い文句に思わずそそのかされて参加してしまったのです。

席題は、①焚火(たきび)、②雑炊(ぞうすい)、③冬の空 の3題です。なかなか難題とも思われたのですが感心させられる作品は多く、その中から皆の票を多く集めた幾つかを挙げてみましょう。
       懐に焚火の匂い持ち帰る
       雑炊に列する男ら無言なり
       雑炊の煮汁こぼれて酔い廻る
       冬天に打つ拍子木の凛として
       燃え尽きぬ焚火の中のラヴレター

私の句は、過日盛り上がった大学の学園祭の様子をテーマに、学生達の表情を幾つも浮かべながら作ってみました。
       影もなし学園祭の焚火跡
ところがこれがなかなか評判が良かったのです。嵐山光三郎席亭からも、「祭りの後の切なさがよく出ている。非常に鋭い句だと思う」とまで称賛されました。そして更に嬉しいことに、賞品に「嵐山光三郎 花の俳句歳時記」のCD4巻セットをいただいたのです。

それにしても3時間半をこの句会に過ごしてみて、句会という知的遊戯の面白さに遅ればせながら気づかされました。同時に日本人の伝える「文化的贅沢さ」というものに触れた気になれたことも収穫でした。日本というのもなかなか捨てたものではないな。そんな大げさなことを呟きつつ、谷保天満宮を快く後にしたものでした。

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「玄侑宗久」を仏語に翻訳するというシンポ

2009年12月01日 | Weblog

写真:「当日の案内パンフ」

「中陰の花」が芥川賞をとり話題になったのがもう8年前のこととなります。作者は三春の福聚寺の住職の玄侑宗久。「中陰」という死後49日の、魂があの世とこの世の間をさまよう時間をテーマにしたこの作品は何とも穏やかで、その作者には一度会ってみたいものと思っていました。

先週末の11月28日(土)に、赤坂の日本財団で開かれた、NPOの日本文学出版交流センター(略称:J‐Lit)の主催するシンポで、ラッキーにもその機会を得ました。

案の定、彼は風貌のみならず語りも無理なく、聞く人を静かに頷かせる人物でありました。「心とはコロコロと変わるというもの。幾つもの価値を受容するという点で八百万の神に通じるもの」と、殆ど臨済宗の僧侶であることを忘れ、仏教と神道との結びつきも抵抗なく説諭するところなど、大いに納得したものです。

しかもシンポのパネラーは、「中陰の花」を仏語に訳した当のコリーヌ・ダンカン女史、何と漢訳の法華教を仏訳したノエル・ロベール教授らです。シンポの課題は、自ずと「中陰」とは何か、翻訳とは何か、仏教文学が正しく外国語に伝えうるものかが本論となっていきます。聞く方は、わくわくしない訳にはいきません。

もっとも「聖書での聖母マリアについて、「女の人」という表現を「処女」と訳したばかりに問題が生じた」、あるいは「三島由紀夫の「天人五衰」で「天人」を「天使」と誤訳し、そのまま欧米世界にひろがってしまった」などといったおぞましい例を聞かせられると、とても落ち着かない気分になるというものです。

それだけに、「イスラム教やユダヤ教は翻訳されることに極めて消極的だ」という話には、本来、原理主義に立つ宗教の原文尊重主義というものがよく理解されるというものでした。またその結果、例えばレヴィ・ストロースが「翻訳とは“裏切り”である」と喝破したという話など示されると、これまた大いに肯じる次第でした。 

それにしてもこうしたシンポジウムの醍醐味は、知識のストックが贅沢に飛び交う所にあるといってよいようです。しかも今回は日本人だけでなく、第一線の世界の翻訳者たちを交えての、潤沢な言葉のやりとりなのですから堪りません。テーマの重さと関係なく、確実に心弾ませるものと言ってよいでしょう。

ただ帰り際にこうした日本を世界に紹介するといった事業が、政権交代のなかで、ともすれば消されてしまいかねない危険があると出席した友人から聞かされました。予算編成という目先の作業が、悠久の文学や歴史への“裏切り”にならないことを切に祈りつつ、会場を後にしたものでした。


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