友人の訃報に混乱して暫くブログから遠ざかってしまいました。
しかしそんな姿をみてか、ある知人から盛岡市の観光振興をかねて新井満のイベントがあるからと誘われ、過日お堀沿いのパレスホテルに出かけました。
開催されたのが「ふるさとの山に向かひて」と銘打っての、新酒と新曲CDの披露イベントでした。盛岡市が生んだ歌人石川啄木を素材に、芥川賞作家であり「千の風になって」の作曲家でもある新井満が中心となって製作し、そのお披露目として盛岡市とともに企画した催しでした。
新酒「ふるさとの山に向かひて」は、いうまでもなく啄木の「一握の砂」でもっとも良く知られる「ふるさとの山に向かひて言ふことなし」の歌から命名されたものです。盛岡の地の酒造会社が大吟醸、純米酒として販売します。銘柄名としては長すぎるのではないかとの声もありましたが、いやいや望郷の念は無限のものだとの声が勝っていたようです。
ついで新井満は自らのCDの披露も行いました。啄木の上記の歌と併せて「やわらかに柳青める北上の岸辺目に見ゆ泣けど如くに」と「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにいく」とのいう二つの歌を入れ込み、「ふるさとの山に向ひて」というタイトルで世に出したのです。「涙が出るほど懐かしい」。このフレーズで、既にNHK「深夜便のうた」で流されているので耳にした人は少なくないことでしょう。
80人ほど集まったその会場は、盛岡出身の在京の人たちを中心に埋められていました。それだけにふるさと盛岡礼賛の雰囲気は大いに高まりました。そしてその際驚かされたことは、私の隣のテーブルには石川啄木の孫、ひ孫が招かれて座っていたことでした。ひ孫の石川氏は世田谷区に居を構えているとの話しでしたが、「歴史」と肩を並べることに何とも落ち着かなかったことは否めません。
ちなみに新井満は、啄木の子孫の人たちに語りかけながら、そのCD「ふるさとの山に向ひて」の収益金を盛岡市に寄付すること、しかもその資金が石川啄木記念館に流れることを希望する旨表明したのです。「千の風になって」の実績からすれば、最高のプレゼントを啄木と盛岡に提供したことになるといってよいでしょう。何とも小憎い選択です。
それにしても啄木と新井満という過去と現在のコラボ。新酒と新CDという地場産業と文化のコラボ。そして東京と盛岡のコラボ。有機的な紡ぎの中で、新しい観光振興のありようが示された点で、観光行政に関わる私には極めて新鮮なイベントでした。
ただ余談ですが、私にとって石川啄木には苦い思い出があります。40年前に京都大学を受験したときのことです。英語の第1問が何と、こういうものでした。
問 次の石川啄木の歌を英訳せよ。
やわらかに柳青める北上の岸辺目に見ゆ泣けど如くに
面くらい、動揺し、そして落第してしまったのです。爾来啄木の歌には、過剰なほどに哀感が漂ってしまうことになったのは、私の人生の誤算という他ありません。