嶋津隆文オフィシャルブログ

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調査委員会で不可思議な住民発言に汗ばむ

2008年07月31日 | Weblog

今日は久方ぶりに国立市の話です。今週初めの7月28日に国立市議会で開かれた、明和マンション裁判の調査特別委員会に関連します。余り涼しくはならない内容ですが、とても驚き、また国立という独特の精神風土を良く示しているという点で、やはり掲載しておくべきものと考えました。

この裁判は、明和マンションが前上原公子市長の水道や電気を止めようとした営業妨害行為を訴えたものです。地裁も高裁も最高裁も彼女の不法行為性をみとめ、市に2500万円の支払いを命じました。一審では市に4億円もの支払いを命じていましたが、二審では2500万円と減額になり、それだけに裁判継続を希望した前市長に対し、市議会はもう上告すべきでないとの議決をしたものでした。

しかし、その議決を無視して、前市長支援の住民グループ5人が補助参加人という立場で上告をしてしまったのです。2年前の1月のことです。前市長は、この行動を住民グループが勝手にやったこととしつつも容認し、その後裁判を今年の3月まで継続させ、市に2500万円の賠償金と利息624万円まで支払う結果を招きました。

委員会当日、住民グループの石原一子代表ら3人のメンバーが招致されました。そこで思いもよらぬ発言が飛び出したのです。特に問題となる二つを挙げておきましょう。

一つは、5人の補助参加人が勝手に上告したのでなく、「前上原市長の同意は取った」「上原市長自身が上告の委任状を各人にもらいに回った」という発言でした。要は議会の議決を無視して支援住民を抱きこみ、前市長が玉砕的な上告を行ったということです。すっかりだまされた形になった議会の、調査能力や判断能力のなさは痛々しいばかりです。

二つは、明和マンションを訴えたのは、「(高層化が)国立のまちにある“不文律”を破ったから」という発言でした。えっ不文律? さすがに耳を疑いました。民主主義はルールを大切にすることです。ルールを設けず、不文律でまちづくりを規制することをよしとする感覚に言葉を失いました。日本は法治社会であるのに、国立は “不文律”の自治体なのでしょうか。

これでは、国立のまちは混乱するはずです。刑事でいえば近代法の基本である罪刑法定主義を否定するようなものです。国立にとって景観の保持はとても大事なことです。しかし私有財産を制限します。きちっとした事前のルールの設定が不可欠のはずです。ところが国立市長は高さ制限など具体的ルールづくりに長いこと手をこまねいてきているのです。

もう混乱は避けねばならない。“不文律”といった恣意性や、不作為が昨今の住民間の争いを招いている事態を国立市政は猛省してもらわねばならない。汗ばみながら、そう友人と語り合い、ルール作りの早期策定を願った特別委員会の帰り道でした。
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中華思想に押しつぶされる周辺の国々

2008年07月25日 | Weblog

あと半月で北京オリンピックです。聖火騒動が鎮静化したものの、先日も雲南省で爆弾テロが起きています。そういえば数百人を殺したともいうチベット問題はその後どうなっているのでしょうか。

そんな折、奇しくも同僚の大井功教授が上梓した一冊の新書を私にくれました。「『チベット問題』を読み解く」(祥伝社新書)。幾つも示唆に富む記述の多い中で、とくに目が行った一文がありました。中国の日本観に関するもので、「中華思想からすれば、異民族の住む朝鮮半島の、さらにその向こうにある「序列末席」の日本が、近代以来ずっと国力で中国より優っていることは受け入れがたいことなのだ」という指摘です。
     
考えてもみれば江沢民主席は、日本の「歴史認識」を憤然と叫び続け、靖国問題を含め執拗に日本の戦争責任を糾弾する姿勢をとっていました。瀋陽(奉天)に100億円近くもかけ反日記念館も建設しました。が、こうした一連の態度も、上記の視点を踏まえるならばその理由が明確に読み解けるというものです。根っこは確かに中華思想なのでしょう。英国のアヘン戦争は許せても、日本の中国侵略は“アジア盟主”として許せないのです。

何年か前、ベトナムのホーチミン市を訪ねたとき、同行の高校教師がベトナム人通訳におずおずと話しかけていました。「日本はお宅の国にずいぶん酷いことをしました。今もベトナムの人は日本人を憎んでいるんでしょうね」。すると通訳の人が「よく日本の人はそういうお詫びの質問をするのですよね」と苦笑しながらこう答えたのです。

「日本の支配は短いものです。それからフランス、米国が侵略する訳ですが、支配という点から見れば中国は何百年も昔から支配してきています。中国はベトナムだけでなく、カンボジアもラオスもインドシナ半島全部を自分たちの属国と考えています。そういう点では、中国の姿勢に一番憤りを持っています。」

その中華思想が排他的な共産主義思想とリンクしたのです。失脚したら一族も殺されかねないという恐怖の中で、政権を揺るがす周辺の異国文化や政治的自治を鎮圧するというのは必然的かもしれません。にも拘らず、ひたすら過去の贖罪意識で謝り続けることが最大の誠意と信じる今日の日本人。そこには、中国がチベットに行っている行為はかつての日本軍がやった進攻と同じだと難じることなど、およそ思いつくことではないようです。

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殉死の世代、散華の世代となるか、団塊世代 (2)

2008年07月15日 | Weblog


殉死の世代、散華の世代となるか、団塊世代 (2)

(月刊「地方財務」(ぎょうせい)7月号・【シリーズ】もう一つの団塊世代論①より転載)

(前号ブログ続き)
殉死の世代、散華の世代になるのか

私は久しく「団塊の世代は殉死の世代、散華の世代になるのではないか」と口にしてきた。すなわち大量の老人の社会になった時、自発的に命を絶つことが期待されるようになる。それが家族や社会の負担を軽減するための、あるべき姿だと言われ始めるのではないか。お婆さんが死ねば、お爺さんも後追いして逝ってもらう。そのことによって一挙に社会的コストを2倍減にできるばかりか、長いこと連れ添ったお婆さんへの美しい夫婦愛の証しだと言われ出すのではないか。そんな価値観が醸成される危険性を、自嘲的に指摘したものである。そして今、その懸念を笑い飛ばすにはいささかリアリティが出始めているように感ぜられるのだ。

思い出してもみよう。私たち日本人は、ちょっとした社会ムードやマスコミの煽り立てで一挙に見境なく走り出す国民性をもつ。そのことを過去に幾度も思い知らされてきた。戦後の平等主義を極端に礼賛する余り運動会での徒競走の順位づけさえ否定する学校を生んだ。沖縄戦での悲劇の特攻作戦を過剰に賞賛したのもホンの半世紀前のことである。高齢化社会でのコストの逼迫の下で、「自死」や「夫婦殉死」を美風とする風潮が、いつ台頭しても不思議ではないのである。

現役を退き老化も始まり、かつての数を恃んでの強者から明らかに弱者に移行した団塊。社会環境はすっかり様変わりした。本シリーズでは、こうした団塊世代の動態を当事者の一人として見据えつつ、これまで思い入れやデフォルメされた団塊論とは異なる、もう一つの視線を提示してみようと思う。


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殉死の世代、散華の世代となるか、団塊世代 (1)

2008年07月15日 | Weblog


殉死の世代、散華の世代となるか、団塊世代 (1)

(月刊「地方財務」(ぎょうせい)7月号・【シリーズ】もう一つの団塊世代論①より転載)

「課長島耕作」はこの春社長になったが

終戦後の昭和22年(1947年)から24年の3年間に生まれた大量の団塊世代。その数およそ680万人。全共闘時代を演出し、ニューファミリーを形成し、そしてバブル経済を謳歌したといわれる。だが近年、2007年問題として騒がれつつその大半は退職した。

にも拘らずその名付け親の堺屋太一は、団塊世代によって今後も消費がリードされ、新しい文化を生む「黄金の10年」が始まると喧伝する。おりしも昭和22年生まれとされる「課長島耕作」(弘兼憲史・週刊モーニング)はいよいよこの2008年5月に社長に就任した。まだまだ華やかな舞台が設けられ、この世代の夢がひきつづき大切にされようとしている。

しかしそうした耳障りのよい論調に、昨今の団塊世代は違和感を持ち始めている。今春ある企業が実施した団塊対象のアンケートで、自由に使えるお金が、平均5.7万円だったものが、定年後は3.6万円と一気にダウンしたという。現実化する老後の不安から縮小された月3万円ちょっとの小遣いでは、シャビーにこそなれ、黄金の生活など及ぶべくもないからである。

沸々として団塊世代「お荷物論」が

人生80年時代になったと言われて久しい。しかし例えば現在65歳の人の平均余命は男83.5歳、女88.5歳である。それより若い団塊世代などは、あと30年近くを生きていく。なかなか死なないのだ。今や人生90年時代になっている。しかもこの長い90年人生の後半に疾病と老衰で多くの人は介護が必要となる。社会保障費は激増する。

厚労省の最近の「負担の見通し」では、2025年には全体で141兆円となり、今より50兆円余、55%も増加するという。その老年人口のかなりの部分は80歳近くになる大量の団塊世代が占めることとなる。沸々として年寄り「お荷物論」、とりわけ団塊世代「お荷物論」が口にされる理由が分かろうというものである。

かてて加えて気づかねばならないのは、この世代にはもう一つ冷たい風が吹いていることだ。反発の理由がコスト負担だけでなく、団塊世代はそのキャラクターや生き方で後続世代から強い憎悪を受けているのである。

「『団塊の世代』が一番ひどいと思う。最後まで年金を食い逃げして若い世代を苦しめて死んでいく。オレは『食い逃げ世代』と呼んでます」(金子勝「先行き不安だらけの日本」)。
「過剰意味づけ、自己主張、せっかち、リーダーシップなし、責任回避、被害者意識過剰、身勝手で傲慢、自分優先の人生」(由紀草一「団塊の世代とは何だったのか」)。
「『失われた10年』の間に業種・企業を問わず職場の合理化が進みました。要は中高年による若年層への「つけ回し」が行われたわけです」(玄田有史「仕事の中の曖昧な不安」)。

最近でこそ沈静化してきた団塊世代バッシングではあるが、こうした反発感が後続層に常にあることは否めない。

次号ブログへ続く


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気分新たに新HPを立ち上げる朝

2008年07月13日 | Weblog

2ヶ月の長いこと「嶋津隆文オフィシャルサイト」がクローズとなっておりました。ドメインの扱いの手違いからの空白でした。しかし今月からいよいよイメージチェンジしての再オープンです。理由は何であれ新装開店なっての再開は、勢いよく軍艦マーチ♪を響かせるパチンコ店ならずも、気分が明るく乗ろうというものです。

そういえば前身の私のオフィシャルサイトを開設しましたのは、ちょうど一年前の7月13日、私の誕生日でした。そのとき連載するブログ書き込みのため設定したスタンスは3つです。これらを今後も踏襲しつつ世間様に発言していくこととし、以下に改めて掲げておきます。

① 大学教授という立場から若い世代に、社会的課題を積極的に語りかけていくこと
② 専門の「地域行政」の問題と今後のあり方を、具体例を通して提示していくこと
③ 団塊世代の一人として戦後の総括と、死や老をテーマにした提言をしていくこと

これまで素材として国立市政にややこだわり過ぎた嫌いがあるようです。地元で問題がヘンに紛糾し、どうしても当事者として座視できなかったのです。しかしその一方で、長州藩の行政改革をテーマにした執筆依頼などがあって歴史モノに関わることになり、これが気分を新鮮にさせブログ書きに楽しみを与えてくれました。今後は極力社会一般の話題も入れ、発言テーマの幅を広げていこうと考えています。

松蔭大学での教授職(経営文化学部)がこの4月から本格化し、若い世代との接触が私の日常生活に刺激を与えてくれています。来春からは「観光文化学部」が新設されそこの教授に移行する予定です。それだけに、さらに観光行政という軸も取り込んで、ブログに弾みをつけようと気を入れています。

なお団塊の世代というテーマでいえば、「もう一つの団塊世代論」というタイトルで、エッセイ(小論評)をこの7月号から月刊『地方財務』(㈱ぎょうせい)に連載し始めました。そこでその文を、そのまま発行月のブログの一つとして掲載します。一回目は「死ぬことを期待される団塊世代」、2回目は「団塊世代のふるさと回帰幻想」、3回目は「死刑囚坂口弘という存在」といった予定です。

楽しみにして欲しいものです。
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