嶋津隆文オフィシャルブログ

嶋津隆文オフィシャルブログ

出版しました、「明治の日本人と地方自治」!

2010年05月28日 | Weblog

いよいよ出版に至りました。2年前から執筆していた地方制度史であり、どうしても書きあげたかったふるさと史です。タイトルは「明治の日本人と地方自治」。サブタイトルは「伊良湖岬村長物語」としました。出版社は公職研、販価1400円、ページ数240ページです。

愛知県渥美半島の伊良湖岬が舞台です。いうまでもなく私の故郷の物語となります。

時代は明治維新から終戦までで、登場人物は、伊良湖岬村(現在の田原市)の嶋津十文字ら幾人かの村長です。できるだけ実証的でありたいと、地元に古くから保管されていた文書と、何人もの古老たちからのヒアリングを基礎としました。

表紙の帯にはこう記されます。
「常に志を遠大に馳せて理想を失はず」
こう称えられた明治生まれの一人の村長の生涯を通じて、明治の日本人の地域に尽くす意気込みと苦悩の姿を追う力作。
明治維新から戦前に至る、わが国の地方自治制度の改革の歩みも、その功罪とともに検証される。

石原新太郎都知事からの添え書きも受け、帯に記しました。
「現代人は先人と歴史に学ばねばならない。地方自治は常に一つの挑戦である。― 石原慎太郎 」

それにしても今一度、表紙を見ていただきたいものです。浮世絵風のこの故郷の風景は、私の抱き続けていたふるさとへの懐かしさと愛着が込められているようです。こうした柔らかなイラストで装丁を作りあげてくれた友人の娘さんとオフィスJの女性編集者には大いに感謝するところです。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒラリー大統領夫人を堂々と迎えた都知事

2010年05月22日 | Weblog

「ヒラリーさんの写真」

ヒラリー国務長官が昨日来日しました。韓国船を撃沈させながら「でっちあげだ」と猛り立つ北朝鮮問題もさることながら、普天間を積み木崩しのようにぐちゃぐちゃにしつつ恰好だけは付けたい鳩山問題にどう対応したのか、大いに注目するものです。

そんなヒラリーさんを、東京都は平成5(1993)年に新宿の都庁に迎えたことがありました。先進国サミットがあり、クリントン大統領に同行して来た折のことです。私は担当の外事課長として、歌舞伎などの東京の見学に夫人メニューをどう組み立てるか、警備をどうするか、さっそく外務省や警視庁と議論したものでした。

そんな矢先、突然に米国大使館から「夫人は目黒の清掃工場を見たいと言っている」と連絡が入ったのです。お茶やお花のコースではなく、大都会の真ん中に清掃工場を設置している東京都の先進的なごみ問題対策の現場を見たいと言うのです。

驚きました。夫人メニューなどに関心はなく、都市問題を見つめようというのです。「ああ、この女性は自らが政治家になろうとしている」。そう思いました。「場合によっては夫の後に大統領になろうとしている」と口にしたものでした。

しかしバスから降り立ったヒラリーさんは、満面に笑みを浮かべ、間違いなく大輪の花のように輝いていました。40歳を過ぎたばかりの彼女でしたが、オーラを放つ女性とはこういう風情を言うのだ。そう感じ入ったものです。

他方で驚いたのは鈴木都知事の対応でした。「ヒラリー夫人に清掃工場を見てもらいことは有難い。しかし工場に行く前に都庁に来てもらう。そこで私が東京のごみ対策を直接レクしよう」と言い出したのです。

時間がないので直接に清掃工場にだけ行きたいと主張する米国側。しかし鈴木知事の強引さにヒラリー夫人たちは折れ、小1時間のレクを知事から受けることになったのです。いま思い出しても首都の行政の長としての鈴木知事の態度は毅然とし、何とも自信にあふれておりました。

それにしても別れ際に握ったヒラリー夫人の手は、柔らかくもいささか冷やっとしたものがありました。しかしそれは決して気のせいではなかったと思うのです。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大好きな鈴木俊一元都知事が逝かれてしまった

2010年05月15日 | Weblog

「米国で知事と二人でゴルフを楽しむ」

「鈴木俊一元都知事死去」。朝刊を見てウワっと声を上げてしまいました。戦後の地方自治制度を作り上げ、都知事を4期16年。「地方自治の神様」とも言われます。99歳。久しく車いすの生活であったことは夫人から伺っていました。何とも寂しいものです。

知事とは海外に行く時に必ず随行する外事課長として、長いこと傍で仕えました。NY、北京、ソウル、シドニー、ベルリン、サクラメント等など世界中を巡ったものです。それだけに随分可愛がっていただき、写真のようにゴルフも一緒に楽しんだものでした。

幾つもの忘れられない思い出があります。くつろいだ時に見せる微笑ましい言動等を記しておきましょう。私にとっては宝物のような思い出です。

ベルリンから帰国し成田に着いた時のこと。旅の疲れをみせない健啖家の知事に「時差ぼけは大丈夫ですか」と尋ねると「時差ぼけ? ハハ、私には関係ない。そういう言葉のあることは知ってはいるが」。誠に健康な人でした。

国連でブトロス・ガリ総長から平和賞を受賞した際のこと。車に乗り込むや「嶋津君、賞を見たい。早く出してみてくれ」。まるで子どものようにそのメダルを撫でる姿が無邪気で、普段の重厚な態度と異なる面を見せられ、痛く親近感を覚えたものでした。

北京を姉妹都市交流で訪れた時のこと。陳希同市長と別れる際、抱擁し涙していました。陳氏はそのあと解任され、モンゴル自治区に幽閉されてしまうのです。上海派の陳氏は北京派に放逐されたのです。その事態をうすうす察し、涙したのに違いありません。

ソウルの青瓦台に大統領表敬をした際のこと。韓国側の警備が厳しく、面会は知事と日本大使と私の3人しか入室が許されませんでした。その緊張の中で金詠三大統領から「これからは近くて近い国になりましょう」との発言がありました。帰路、「君、たしかにそう言っておられたね」と率直に喜びを顔にしていました。

NYで自治体国際化協会(クレア)の開設パ-ティがあった時のこと。受付をしていたブロンズの、グレースケリー似の美しい人が目にとまりました。「嶋津君、・・彼女は何者かね」。すかさず傍におられた敦子夫人が「もうお好きなんだから」と苦笑されたのです。

こんなことを書き綴っていると、どうしようもなく涙がポロポロと出てきてしまいます。何とも何とも、寂しいものです。合掌。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「マニフェスト」という言葉を死語にした政権

2010年05月13日 | Weblog

写真:「わが家の庭に咲いたバラ」本人撮影

民主党政権の罪つくりはあれこれと多いようです。その大きな一つが「マニフェスト」という言葉の死語化ではないでしょうか。

「マニフェスト」は、候補者が政権に就いたら、どんな政策をいつまでにやるかの約束ごとです。その一番の眼目は、カネの工面です。ある政策にいくら掛け、その財源をどこから捻出するかということを示すところにあります。

おカネ(財源)を重視するのは、口先だけの無責任な選挙公約の蔓延を防ぐためのものでもあります。それだけに「マニフェスト」は科学的な選挙手法になるのではないかとの期待を抱かせ、ここ数年来のブームになったものです。

しかしこの新しい試みの意義を、民主党政権はあっという間に崩してしまったという外ありません。

高速道路の無料化。子ども手当の26000円の支給。大風呂敷ばかりが広げられ、肝心の財源は「隠し金がいくらでもある」などとしてしまったのです。これはもう「マニフェスト」でもなんでもありません。現に今日、財政努力も財政規律も放棄し、赤字国債という安易な手法で泳ごうとする羽目になってしまっているのです。

「マニフェスト」の理念を愚直に正当化してきた多くの政治学者たちに、明らかに冷や水を浴びせるものです。今日(5月13日)の読売新聞にこんな記事がありました。

「公明党は国政選挙での公約をマニフェストと呼んできた。今回は「民主党のせいでマニフェストへの信頼が損なわれた」(幹部)との声を受け、呼称を「重点施策」などに変えることを検討中だ」。

「昨年の衆院選では「マニフェスト」を使ったみんなの党の渡辺代表も記者会見で、この呼称が「詐欺という印象を持たれている」と断じた。参院選に向け、既に「アジェンダ(政策課題)を多用し始めた」。

「マニフェスト=詐欺」などと喝破するみんなの党の渡辺喜美代表は、風貌もユニークですが、表現方法もなかなかにユニークです。しかしこのストレートな批判には、大いに納得してしまうというものです。

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神奈川フードバトルin厚木で汗をかく

2010年05月06日 | Weblog

「会場入り口」

連休末の5月4日、5日に厚木で開催された「神奈川フードバトルin厚木」。神奈川を中心としたご当地グルメが50ほど出品され、10万を超える人たちが集まりました。このお祭りに特別審査委員として参加した私は、汗をかきつつも役得というべきでしょう、すべての料理を口にする幸せを味わいました。

ご当地グルメというだけに感心させられる料理が少なくありません。シラスを使ったたこ焼き風の「平塚しらすボール」、三崎港まぐろの「トロちまき」、足柄山の金太郎をもじった「まさカリー黄金(きん)のポット」など。ネーミングもさることながら、その着眼と工夫の仕方には何とも驚かされると言うものです。

また当地の厚木も、ひとり「シロコロホルモン」だけの突出ではいけないと、第二弾、第三弾の全国発信の挑戦が試みられていました。ロース肉のみそ漬けの「豚漬け」、その豚漬けを使っての「厚木バーガー」、「豚バラ肉のスタミナ串」等などであり、大いにエネルギーを感じさせられたものでした。

それしても10万人がグルメを楽しんでいるこの5月4日、沖縄では鳩山首相による普天間の県内移設が明示されました。先週に9万人を集めての反対集会があったばかりの沖縄です。「少なくとも県外」などと口当たりの良いことを言って、沖縄を大混乱に陥れていれた首相への怒りは当然でしょう。

米軍基地と言えば、マッカーサーの厚木と考える人は多いものです。事実、この神奈川県の県央界隈は、座間のキャンプや大和の海軍飛行場など、同様の騒音や治安の問題を抱えています。それでも沖縄の人々の負う苦痛に比べ、後ろめたさを感じているようです。グルメの会場でも、沖縄の人たちの心をもてあそぶ首相への、強いさげすみの会話があったことは記しておかねばなりません。

 

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嬉しい!「満鉄30年略史」が入手できた

2010年05月02日 | Weblog

「大連の満鉄本社」

いま、とても気分よくはしゃいでいます。ゴールデンウィークに入ったからでも、新緑がキラキラしているからでもありません。以前から欲しかった「南満州鉄道㈱三十年略史」(原書房)が手に入ったからです。

満鉄には、常に関心がありました。それだけに5年ほど前には、大連の満鉄本社跡(写真参照)や満鉄が経営していたヤマトホテルを訪れ、また瀋陽(昔の奉天)では関東軍が爆破した満鉄の現場にも足を運んだものです。

今回、とくに近刊の拙著「明治の日本人と地方自治」(公職研)を執筆するにあたっては、満鉄の存在をなぞることが必要でした。しかしインターネットで見ると、その最良の資料「30年史」は3万円近い高額で殆どあきらめかけていたものです。

その30年史を、何とさっき、ふらっと立ち寄った立川の古本市で見つけたのです。小躍りしたとはこのことでしょう。昭和12年出版の復刻版です。通し番号191。売価7350円。躊躇する理由は全くなく、すぐに買い求めたものでした。

いま、再校のゲラ作業中の「明治の日本人と地方自治」のなかでも、満鉄の兄弟会社である「満州拓殖公社」で理事をやっていた親戚の一人を追いかけています。それだけに今日は急いで、この本に目を通さなくてはなりません。しかしその作業は苦痛でも何でもなく、ドキドキするばかりなのです。

そんなこんなブログに書きながら、ああ自分もひょっとしたら研究者の端くれになったのかと、苦笑する次第です。いやあ、それにしても、窓から見える今日の5月の空は快適です。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする