嶋津隆文オフィシャルブログ

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小金井の黒井千次宅にお邪魔して

2024年06月24日 | Weblog


 人と会うというのは楽しいもの。まして著名な作家というのであれば、気持ちが弾みます。
 先週の土曜、黒井千次さん宅を訪れました。昭和7年生まれの93歳。小金井に住まわれ、ここ十数年は『老いの味わい』『老いのゆくえ』など「老い」シリーズを書き綴られています。それだけに、現実にどんな「老い」の日常をお過ごしなのかと、ちょっと緊張しつつお宅の呼鈴を押しました。
 奥からご本人が元気な姿を見せ、道に迷いませんでしたかと語りかけられる。招かれた居間で、持参した私のゲラ原稿をお見せしながら過ごすこと小一時間。いやあ、何と静かな語り口。その温和さには圧倒されたというものです。
 「そろそろおいとまを」と立ち上がると、こんなひとことを口にされました。「私の紹介原稿に、先月もう一冊出したことを入れてほしいです。『老いの深み』というんです」。えっ『老いの深み』ですか? 先生の立ち舞いそのものではないですか。僭越にも思わずそう発言しそうになって口を押さえたものでした。
 それにしても久々に、気品ある人に会う醍醐味を味わえたもの。心温まった一日でした。

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国分寺の飛べない2羽の白鳥

2024年04月08日 | Weblog

 国分寺駅北口に広大な森として広がる日立中央研究所。コロナ禍で中断されていた市民開放日がやっと昨日設けられ、楽しみに足を運びました。大正期に今村銀行(後の第一銀行)頭取の今村繁三が6万坪余の別荘地としていたところです。
 目的はその一角の大池(おおいけ)です。野川の源流のひとつで、面積3千坪。カモたちのほか白鳥が悠然と泳いでおりました(写真)。聞くとこの白鳥は皇室から下賜された2羽とのこと。しかしよく見ると羽が切られているのに気づきました。大事な白鳥なので逃げられてはならないための措置のようです。
 この敷地は昭和17年に日立の研究所となります。その折、創業社長の小平浪平はこう厳命したと記録に残ります。「良い木は切らずに、よけて建てよ」。そうして保たれてきた国分寺崖線の壮大な自然林の中で、しかし羽を切られた2羽の白鳥が泳ぐのです。帰路の思いは複雑でした。

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NHK学園の講座への自己PRです

2024年03月06日 | Weblog


「もうすぐ春ですね ちょっと気取ってみませんか」。
キャンディーズの爽やかな歌詞がふと口に出る季節です。そんな風に乗っての、ミニ自己PRです。
 来月の4月から、5月、6月と3回にわたりNHK学園「くにたち学」講座が開催されます。講師は私。
 4月26日は、100年前に箱根土地の堤康次郎が、多摩の谷保村100万坪を買い上げて進めた「国立学園都市」まちづくりの歴史をお話しします。
 5月22日は、その学園都市に開花した「くにたち」を彩った、直木賞、芥川賞、あるいはミュージシャンら文化人たちの、地元での「生」エピソードを紹介します。
 6月26日は、これら作家たちのエピソードの舞台になった国立の茶房、散歩道などを解説しつつ巡ります。
 ちょっと声を掛け合って、こんな講座に足を運んでもらってはいかがでしょう。

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“世界のオザワ”が逝ってしまった

2024年02月13日 | Weblog


 巨星、墜つ。平凡な表現とはいえ、この言葉が口に出ます。“世界のオザワ”が逝ってしましました。88歳は若い。どうしようもなく寂しいものです。
 始めて演奏を聴いたのは40年前のボストンフィルの舞台。登壇し、瞬時にタクトを挙げたその自信と迫力に驚愕したものでした。夏のタングルウッド音楽祭での、家族とともに芝生に横たわって聴いた小澤指揮のチャイコフスキーなどは最高の贅沢でした。
 しかし遠い存在だった彼が一挙に身近な存在となったのは、昨年から取り組んでいる『中央線沿線物語』の執筆がきっかけです。小澤征爾が家族とともに満州から移り住んだのは立川市柴崎。6歳の時です。そこで若草幼稚園、柴崎小と過ごし、6年後の12歳の時に立川を離れます。取材で訪れた若草幼稚園の園長さんの叔母がこんな思い出を語ってくれたのです。
 「セイジちゃんと言えば、すぐ近くの空き地で10人くらいで戦争ごっこをやった時、エイコ上等兵行け!なんて命令されたことがありましたね。家に入ると、目の前に大きなピアノが置いてありました」。
 地元の人が懐かしみを込めて語る小澤征爾。“世界のオザワ”は、ここ立川では“柴崎のセイジちゃん”なのです。地元の誇りです。そして間違いなく、立川在住の私にとっても誇りなのです。


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謹んで新年のお慶びを申し上げます。

2024年01月10日 | Weblog



 小3になった孫が、頼朝や島津義弘あるいはチンギス汗など、洋の東西を問わず歴史に関心を持ち、あれこれ本をめくるようになった。歴史好きの私にしてみれば、何とも好ましい光景と目を悦んでしまう。
 人生100年の終章をどう過ごすか。それこそ人さまざまだろう。が、私にはやはり時空を越えての人間ドラマの追求にこそ関心が向く。そんな趣味が一番の長寿薬とも思い始めている。
 そう考えると、我が家近くは近現代史の宝庫のように思えてくる。陸軍立川飛行場跡や宇垣一成の揮毫碑、戦後では詩人草野心平、芥川賞作家の中上健次、あるいはロックの忌野清志郎の実家など、界隈は歴史の資料室である。正月には孫が来る。一緒に散策することとしよう。
 しかしそんな私の期待ぶりを見て、「お正月早々、小さな子供に押し付けなどするとすぐ嫌われるわよ」と家人。歴史の長さとは違い、自らの居場所が狭くなるを痛感する、辰年新春の朝というものである。


令和6年元旦

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