嶋津隆文オフィシャルブログ

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「小さな村g7サミット」と仕掛け人小村幸司

2023年03月08日 | Weblog



 一見すると何とも平凡な記念写真です。しかし首相を囲む7人は日本でもっとも「小さな村」の首長たち。北海道から九州までの人口300人~1000人といった音威子府、檜枝岐、丹波山、北山、新庄、大川、五木の7村です。
 小文字の小さな村「g7」サミットは、2018年の伊勢志摩「G7」サミットの向こうを張って!スタートしました。「消滅自治体」などとの心配はどこ吹く風、「過疎を逆手」に全国発信しようとの挑戦です。しかし野とも山とも分からぬままに、しかもコロナ禍で交流が制限される中で相互啓発の交流を続け、今や首相に面会し移住促進やふるさと納税の7村共同を提言する存在となりました。
 このユニークなg7事業を着想したのは小村幸司氏。1965年の長崎生まれ、TVディレクターを経て地域おこし協力隊で丹波山村へ移住します。当時の伊勢志摩G7サミットの報道を見て、全国の7つの村に事業を仕掛け、発足させたのです。丹波山では「村民タクシー」なども企画し、さらに昨今は大田区にg7の東京拠点オフィスを開設するなど、その企画力の豊富さには圧倒されるというものです。
 小村幸司。この素晴らしいアイディアマンの名前を少しでも多くの人に知って貰いたく、この「小さなブログ」にアップする次第です。


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「遠雷忌」での受賞報告と監督・高橋伴明

2023年02月09日 | Weblog



 先週の2月5日の日曜は「遠雷忌」でした。63歳で逝った立松和平の14回忌。会場は菩提寺の下谷の法昌寺で、絶叫詩人としても知られ、立松のよき理解者であった福島泰樹住職の、朗々たる読経を聞きながら黙想の時を過ごしました。
 直会は、いつもの近所の中華料理屋。時のたつのは早いもので、立松和平を「わっぺい」と呼ぶ、団塊世代の同僚も20数人ほどに固定化してきています。その一人、映画監督の高橋伴明がやや遠慮しながら「今回はキネマ旬報の映画監督賞をもらいました」と報告。大きな拍手を受けました。受賞作は『夜明けまで、バス停で』。
 そういえば高橋伴明が、連合赤軍リンチ事件を扱った立松和平の小説「光の雨」を映画化したのは2001年。もう20年が経ちます。小説「光の雨」は雑誌に連載中の1993年に、死刑囚として獄中にあった坂口弘から盗作と抗議を受け、筆を折った作品です。しかし立松和平はその後、新たに「光の雨」を完成。そんな傷心の彼への、エールを込めて制作したのが映画「光の雨」といってよいでしょう。
 連合赤軍事件の苦い過去。盗作事件の重い記憶。そうした経緯を皆知るだけに、直会の会場での伴明監督へ送られた拍手は、ひとしく「わっぺい」への供養であったことに間違いないのです。


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渡辺京二「逝きし世の面影」に想う

2023年01月06日 | Weblog



 思想史家の渡辺京二さんが逝ってしまいました。名著『逝きし世の面影』で、外国人の目を通し江戸期の日本人の心優しさや風景の美しさを伝えます。終始幸せな気分が続く稀有な本です。「日本には貧乏人は存在するが貧困は存在しない」という評価に何と心が癒されたものでしょう。しかし近代化でこうした日本人の優しさが全て消えてしまったかといえばそうではありません。私がNY市役所に駐在していた時の、こんなエピソードを一つ。

 1990年のある日、市長室の担当者が白い封筒を持って私の部屋に来ました。「Mrシマヅ、こんな手紙が届けられたが日本語なので分からない。なんて書いてあるのか」。「ニューヨーク市長さま」と宛名が封筒に大きく書かれた手紙は、読み通してみるとこんな内容がしたためられていました。

 私ども夫妻は、楽しみにしていたニューヨークに初めて来ました。しかし緊張していたものの荷物をなくしてしまいました。パスポートも失い絶望していたところ、翌日ホテルにその鞄が届けられたのです。鬼が住むと言われたこの街でこんなこともあるのだと、夫婦で涙して喜びました。そしてこのニューヨークの親切な人への感謝をどう表わしたらよいかと話し合い、ニューヨーク市長さまにお礼の手紙をしたためました。本当にありがとうございました。

 内容を知った担当者は、日本人は何て丁寧なんだと驚き、これは市の広報誌に載せようと鼻歌で帰って行きました。そうなのです、「逝きし世の面影」はまだまだ日本人の心に残っているのです。


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辻仁成を育てた多摩平団地を歩く

2022年12月08日 | Weblog


サッカーのベスト8前に敗退したサムライジャパンのショックを癒す狙いもあって、一度はじっくり見てみたかった日野の多摩平団地に足を運びました。

ここは、今はパリに住む芥川賞作家の辻仁成が、幼い頃に育った団地。何気なく読んでいた彼の著『84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと』に、こんなくだりがあったことがきっかけです。

ある時、彼はこの団地から、沈みかけていた夕陽が、西の空を赤く染めるのを見て立ち竦む。探しに来た母親の言葉に包まれながら、世界をもっと知りたいと思った。そして、これまでに数えきれないほどの、様々な世界を発見する。それゆえ、「そのはじまりがあの日野市に沈む夕陽であり、日野市の夜空に輝く星たちであった」というのです。

多摩平団地は日本で最初のマンモス団地であり、昭和30年代初め当時の募集パンフレットには「富士の見えるニュータウン、40万坪の緑の街」と謳われました。それから60年余。
大半の建物は建て替わりました。しかし今歩いてみる町並みにはどこか違和感があるのです。

計画街区のはずが半世紀で雑然とした町になっている現実。今後全国の住宅団地の建て替えが始まろうとしているこの時代なのに、URのアイディアに限界があるのかと暗然としてしまったのです。

整然としたパリの町に住む辻仁成。かつて感動的な夕日を見せたこの故郷の団地の変貌を、果たして今どう表現することでしょう。



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東大農学部の忠犬ハチ公と上野英三郎博士

2022年11月09日 | Weblog


数日前、共生社会に関するシンポジウムで本郷の東大農学部に足を運びました、すると正門傍に、おやっと思われる銅像が目に入りました。上野英三郎博士と彼を迎える忠犬ハチ公です。数年前に完成したとのこと。渋谷駅の哀し気なハチ公と比べ、喜び一杯の姿は感動的。東大も粋なことをするものです。

そういえば忠犬ハチ公の話が出る度に思い浮かべる人がいます。既に故人ですがアイメイト協会の塩屋賢一会長さん。盲導犬を世に提供し続けて高い評価を受けていた人です。お会いしたのはもう50年も前のこと。

盲導犬には「GO」「STOP」など英語でシンプルに覚えさせる、尻尾を踏まれても吠えないようにする、排泄は外出先では絶対にさせないなど話しはとても新鮮でした。なかでも興味深かったのは「忠犬ハチ公といった日本犬は盲導犬になじまない」との言葉でした。

えっ何故に?と不思議がる私に彼はこう説明してくれました。「盲導犬は次々に主人が変わります。どんな主人になっても、その人に尽くすことが必要となる。ところが秋田犬などはダメなのです。忠犬ハチ公のように、いつまでも前の主人が忘れられない義理人情の性格を持つからです。その点でシェパードとかラブラドルレトリーバーという洋犬は、その時々の主人にしっかり尽くすのです」。その時、私は「そうするとゴルゴ13のように、感情を排しビジネスに徹する犬が良いのですね」と応えて、二人で声を出して笑ったものでした。

涙もろいが良いか、クールが良いか。そういえば過日、リチャードギアの米国映画「ハチ」を見て涙をポロポロ流してしまいました。加齢とともに、どうも涙もろい方が良いと思い始めてしまう昨今です。



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