嶋津隆文オフィシャルブログ

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実は少子化よりはわれとわが身の今後が心配

2018年08月13日 | Weblog

『学校統廃合と廃校活用』(東京法令)の本を出版したのは2年ほど前。いまになってあちこちの自治体から講演依頼の声がかかるようになってきた。

先月は名古屋市のシンポと千葉県庁の職員勉強会、そして近々に広島県福山市の山間で。

内閣府からもこの秋刊行の『廃校活用QA』なる冊子の監修を依頼された。

 

都市部、農村部を問わず、今や我が国の地元の風景は少子化で大変容。しかし現場を歩いて見ると、この学校統廃合問題がこじれる根っこにあるものは、必ずしも子供の問題なのではない。むしろわが故郷とわが身はどうなるのかという年配者の将来不安感がそこにはある。だから問題が複雑化し、地域全体が紛糾する。

 

お盆のこの時期、遠くにセミ時雨を聞きながら、年配の同僚たちに声をかけたい。

「社会貢献を叫ぶんだったら、若い次世代への貢献こそ!」と。今日も朝から日本は暑い。


「近藤寿市郎伝―豊川用水と東三河百年を構想した男」を上梓

2018年06月15日 | Weblog

人は加齢とともに過去が近くなる。すると歴史を辿りたくなる。

人は加齢とともに故郷が近くなる。すると故郷に尽くしたくなる。

しかし過去は手痛いこともあれば、故郷はほろ苦いこともある。だが今回の「近藤寿市郎伝」の執筆には、大いに熱をもって手掛けてきたつもりである。

 

こう後書きに記した『近藤寿市郎伝』。完成したばかりである。四六版・360頁・上製本・定価2000円(㈱公職研)。この執筆に集中して一年余、ブログを中断した次第。多くの人に読まれることを期待する。書き出しは以下で始まる。

 

近藤寿市郎は天下の風雲児である。

明治3年渥美半島に生まれる。自由民権運動にあこがれ、東三河の立憲政友会の中核を担った。明治、大正、昭和を県会議員、衆院議員、豊橋市長と駆け抜けた。

そして愛すべきホラ吹きである。

東三河を日本一の農業地域にした豊川用水を敷き、自動車輸出台数日本一にした大三河港を構想する「大ホラ」を吹く。半世紀後、その夢は実現した。


詩人大岡信が逝ってしまわれた、桜の中で

2017年04月10日 | Weblog

【三島大社HP(4月5日)】

2、3か月ぶりのブログに訃報を載せるというのは抵抗があります。しかし詩人大岡信先生が逝かれたとのニュースに、どうしても一言書き込まねばと筆を取ります。

「白梅のあと紅梅の深空あり」(飯田龍太)。

浅学ながら自分のもっとも好きな一句を挙げるとすれば、迷うことなくこの句を挙げます。早春の甲州の、色彩り豊かな風景を写し切った日本画の大作のような一句。この作を教えてくれたのはほかならぬ「折々のうた」でした。

それ以降、朝刊を開くたびにまず目を遣るのがこの「折々のうた」欄となっていきます。短文ながら大岡解説には、時空を超えた世界の広さを知らされ、或いは自然をめでる日本人の細やかな心を教えられたものでした。いやこの「折々のうた」は、ともすれば偏りがちな朝日の社説への読者への憤りを、それとなく鎮める作用もあったようにも思います。

大岡先生は三島の生まれ。亡くなったのは4月5日(写真)。病院の近くの三島大社に満開の桜を目に焼き付け、その艶やかな光景の中て逝かれたに違いない。そんな安らかな眠りを願うばかりです。


謹んで新年のお慶びを申し上げます。

2017年01月01日 | Weblog

【嵯峨野】

山に登ると海が近づくように加齢とともに過去がどんどん近くなるようです。昨秋は近現代史の舞台に直に触れたいと、奉天、新京、ハルピンなど満洲各地をめぐり、あるいは朝鮮国境の鴨緑江を旅しました。のみならず年末は山形に石原莞爾の墓、岐阜に杉原千畝記念館と足を運びました。現地に座標軸を置くと歴史はもう一つの姿を見せてくれます。

それにしても齢70を前にし、これからは未来でなく過去ばかり関心が行く日々になるものかと思わず苦笑する、酉年新春の朝というものです。

平成29年元旦


『廃校活用』『渥美半島の風』『太田洋愛』で多忙極める

2016年12月27日 | Weblog

佐世保シンポの折に立ち寄った針尾通信塔。

ここからニイタカヤマノボレが発信された。

 

書くことがいくら好きだからと言って、一年で3冊も重なるとさすがに大変。その辺りの事情を説明し、めっきり減ったブログの弁解を兼ねての今年のラストメッセージです。

 『学校統廃合と廃校活用』(東京法令出版)を刊行したのは11月。その取材でこの春先も佐渡へ、四国へと足を運び、その後執筆に集中。脱稿したのは残暑厳しい8月の末。

 『渥美半島の風』はふるさと田原で地元の有志と始めた地域文化誌。東京になんぞ負けないと気負っただけに編集会議は毎回、侃侃諤諤。創刊号にこぎつけたのは7月の末のこと。

 『評伝・太田洋愛』は2年がかりで進めている田原出身の太田画伯の評伝。我が国のボタニカルアートの第一人者。その弟子たちの生の言葉をヒアリングすべく、山形、高知、湘南などと東奔西走し、何とか脱稿したのはこの年末です。刊行は年明けを予定。

 かてて加えて多忙の極み要因となったのはいくかのシンポの開催です。「半島文化と地域活性化」で長崎国際大ワークショップを、「廃校活用」で愛知大シンポを、「藩校理念とまちづくり」で鶴岡の研究会をFJKとして主催。その準備に奔走したのです。

 いやはや、それにしてもよくぞエネルギーが続くものと我ながら感心する次第。もっとも東京―田原と往復する新幹線のなかで、ぴんぴんころりという流行言葉が常の脳裏を横切ります。いやいや、それはそれで望ましい限りですが。