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嶋津隆文オフィシャルブログ

嶋津隆文オフィシャルブログ

桜ばないのち一ぱいに咲くからに

2025年04月08日 | Weblog
大阪万博公園

 来週から開かれる夢洲の大阪万博。満身創痍のスタートで、担当者はさぞ胃をキリキリさせていることでしょう。ただ我々団塊世代にとっての万博は、異才岡本太郎の「太陽の塔」が睥睨する1970年のそれ。
「芸術は爆発だ」と一世を風靡した太郎の、その家族関係は複雑です。母かの子は愛人を夫一平の公認下で自宅に住まわせる。自身も放蕩経験がある一平は容認せざるを得なかったという。そういえばかの子の生き様を示す、満開の桜を前にして作られた歌があります。
「桜ばないのち一ぱいに咲くからに 生命をかけてわが眺めたり」
どうしてこんなに一方的で、官能的な生命賛歌を謳いきれるものだろうか。舌を巻くというものです。
 この家族を包む多摩霊園の桜は今年もみごとに満開。そして太陽の塔の万博公園の桜もみごとのようです。


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保坂正康「時代の証言者」で知る昭和天皇像

2025年03月11日 | Weblog

 保坂正康による「時代の証言者」(読売新聞)の36回連載が一昨日終わりました。軍事力で世界地図が塗り替わろうとする昨今であるだけに、吸い寄せられるように読みました。氏の歴史を辿る真摯さには頭が下がります。そんな中でとくに鮮烈な、昭和天皇に関する記述を採録しておきます。
「(昭和天皇の)誠実さを逆手に取るように軍人は天皇にウソをつき、謀略を重ねました。即位直後から、張作霖爆破事件、満州事変、5.15事件、2.26事件と相次いだのです」(30回号)
「陛下は戦後になってからも、自分を責めるような独り言を口にされた。まるでうめいているようだった」(30回号 元侍従長岡部長章証言)。

 そして最終回ではこう述べています。戦後民主主義に翻弄されてしまった、われとわが身を恥じるばかりです。
「私は「平和憲法」という言葉は使いません。戦争放棄の条文をお守りにすれば、平和になれるわけではない。それは「皇国史観」をうのみにした精神構造と変わらない」(36回号)。


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立松和平「遠雷忌」で青春回帰する

2025年02月12日 | Weblog

 去る2月8日に、下谷の法昌寺で立松和平の16回忌が持たれました。彼の作品に因み「遠雷忌」と称する命日には今年も友人知人が参集。例によって近所の中国料理屋での直会は、75年前の早稲田にプレイバックしての団塊世代交流会となりました。総勢16人。しかしそこでの顔ぶれから、改めて認識させられたのが彼の幅広い人間関係とそこから浮かぶ稀有な人生模様です。

 法昌寺の住職は絶叫歌人として有名は福島泰樹(写真右)であり、早稲田の熱き友人。司会はふるさと回帰センター理事長の高橋公、同じ福島出身で早大闘争の仲間。オカリナ奏者の宗次郎はともに星空を見上げて旅をし、南極観測隊長だった福地光男は立松が南極に出発するのをフォローした人物。参院議員の山田としおは「農」を共通項にする友人であり、ちょっと年配ながら総務事務次官だった嶋津昭は「ふるさと回帰」の運動つながり。そして今回は体調を崩して来られなかったのは高橋伴明・惠子夫妻。連合赤軍のリンチ事件を扱った「光の雨」の作者と監督の関係です。「光の雨」は例の盗作事件として立松が世間から徹底的にたたかれた著。私も最近出版した「中央線沿線物語」を持参して高橋惠子との出会いエピソードなど披歴するものの、なんともまあ存在感の薄かったことか(笑)。

 それにしても改めて知らされたのは、ワッペイの多様なネットワークとそこから見える人生ドラマ。いやいや、羨ましいというものです。


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謹んで新春のお喜びを申し上げます

2025年01月07日 | Weblog



  
昨夏、『中央線沿線物語』(風鈴社/1100円)を上梓しました。中央線に因んだ作家や文化人、その家族を2年かけ直接取材したエッセイ集。多和田葉子、石原慎太郎、黒井千次、高橋惠子、星野哲郎、藤森照信ら28人の「生」エピソードを載録しました。結構評価を受け、ネットでの売行きもそこそこです(皆さんもどうぞお買上げを)。
人生100年の終章をどう過ごすか。私にはやはり時代を映しての人間ドラマにこそ関心が向くというもの。そんな趣味が一番の長寿薬とも思い始めています。
先日、出来上がった本をもって近所の嵐山光三郎宅を訪ねると、「これ君にあげるよ」と一冊の文庫本を渡されました。『老人は荒野をめざす』(ちくま文庫)。「そう、いつ死んでもよくないのですよ」との一言も。
よし老残を越え今後もガンバってもよいかと、改めて運気を感じる、巳年新春の朝というものです。
令和7年元旦

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国立市長選の、候補者某の不実に絶望する

2024年12月11日 | Weblog
国立市HP

 2年前の8月20日、一本のメールが私の自宅のパソコンに入りました。
「初めまして。国立市在住の濵﨑真也と申します」。
「(国立)市の財政等を調べる中で、嶋津様のブログを拝見し、過去の選挙でご主張されていた内容等について非常に強く感銘を受けました」
「つきましては、大変差し出がましいお願いになりますが、嶋津様のご知見を賜る機会をいただけないでしょうか」。

 ここでいう「過去の選挙」とは2007年に実施され、自公の推薦で出馬した私が左派の候補者に僅差で負けた市長選です。あのころ国立市政は、明和マンション騒動で、某女性市長(社民)が景観保護の美辞の下に、マンション入居者への銀行融資や電気水道を止めようと奔走。そのことで彼女は後日、市長にはあるまじき違法な行動だと最高裁から4300万円もの支払いを命じられた荒んだ時代でした。
 そうしたイデオロギーによる「行政テロ」的な市政を苦々しく思っていたのでしょう、駅前の喫茶店で会うと彼はこう言いました。
 「私は「中道」を目指します。共産党などとは絶対に組みません。だから支援をお願いします」。
 いや私だけではなく、地元の人たちにもそう話し続けておりました。

 しかし選挙が始まった今日、読売新聞には驚くべき記事が載りました。
「浜崎氏は「完全無所属」をアッピール。一方で共産党都委員会の支援を受けた」。
何ということでしょう、地元に説明していた約束を思い切り裏切ったのです。

 彼の「中道」とは一体何だったのか。当選できれば、どんな党派からの支援も見境なく受けるというスタンス。この変節さに、私だけでなく地元の人たちが怒りと絶望を激しく味わったのは当然です。
 キャリア出身という経歴を持ちながら、その誇りを泥まみれにさせるとは何とも哀しい限りです。二枚舌による不実さは、文教都市の国立ではもっとも嫌悪される政治的行為。濱崎君、まだ長い貴君の将来の大切さを思って、次の言葉を申し添えておきます。どうぞ、過激に走らないで下さい。
 国立の町と市民を自分の欲望の玩具にしてはいけません。
 国立の町を再びイデオロギーの戦場にしてはなりません。


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