写真:お濠の水面はいつも穏やかである
8月15日が過ぎると、お盆とともに戦争もすーっと姿を消してしまうようです。昭和20年もこんな夏であったかもしれません。
しかし終戦直後の9月9日、昭和天皇は疎開先の皇太子にあて次のような手紙をしたためています。連合国による処分を覚悟していた天皇が、このように状況を冷静に吐露していたことに驚かされます。
敗因について一言いわしてくれ
わが国人が あまりにも皇国を信じ過ぎて
英米をあなどったことである。
我が軍人は 精神に重きをおきすぎて
科学を忘れたことである。
明治天皇の時には 山県 大山 山本等のごとき
陸海軍の名将があったが 今度の時は
あたかも第1次世界大戦の独国の如く
軍人がバッコして大局を考えず
進むをしって 退くことを知らなかったからです。
手紙の発見は昭和61年と言われます。恥ずかしながら最近になってこの事実を知ったものです。私自身の備忘録としてこのブログに載録します。
歴史と制度の中で身動きの取れなかった昭和天皇。しかし責任者としての苦渋と悔悟の念が、しみじみ伝わってくる手紙といってよいでしょう。
英米人は、民主的な方法により個人選びをすることにより、社会の意思決定 (決断) をすることにする。特定の個人行動に自由を与えることにする。
個人に意思がなければ、せっかく個人選びをしても、社会の意思決定(決断)は行われない。
各人に意見はあっても、社会的に問題を解決するには至らない。
だから、日本人の社会には、政治問題が山積している。
意思は未来時制の内容である。
日本語には時制はなく、日本人には意思がない。
日本人は、意思薄弱に見える。指導力に欠けている。
全てをさせられ体験としてのみ語る。自己の意思を高らかに示す欲望もなければ、期待もされていない。
能動がないから、日本人の精神には閉塞感がある。
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