嶋津隆文オフィシャルブログ

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国立も府中、国分寺も大いに観光資源がある!

2007年09月28日 | Weblog

始めにひとこと。市長が変わり、国立市政が曲がりなりにも駅周辺などのまちづくり整備に前向きになってきたことで、いよいよ“革新”ばなれが始まったのではと先般のブログ(9月24日)に書きつづりました。そしたらすぐに「状況認識が甘いのではないですか」との電話をいただきました。ジョークのつもりが真顔で指摘されて、苦笑させられている次第です。

さて一昨日の夜は「観光と地域振興」というテーマで、若林陽介内閣参事官(前の国交省の観光地域振興課長)らと懇話会をもちました。来春に「観光庁」が新設される運びになることに関連し、観光振興の重視は実は官僚サイドでなくむしろ官邸指導で進められたことを知らされました。これからの時代、観光が重要になるとの政治家の嗅覚というのはなかなか鋭いと感心したものです。

国立市では先般、観光まちづくり協会が発足し、人をよび寄せる知恵をあれこれ出し合いながら、地域おこしに取り組み始めているようです。先日の嵐山vs頑亭 という両巨頭の対談もその一環だったのでしょう。国立には花がいい。朝顔がいい。そんなやりとりも快く印象に残りました。

それにしても国立の観光資源って何がいくつあるのでしょうか。大学通り、谷保天満宮、そして・・うーん、すぐに指折りが止まってしまうのです。そうなのです。国立に物(ハード)だけ求めるのはきっと誤りなのです。文化や歴史、そして教育。やはり国立はソフトではないでしょうか。市民自治やいい行政実績さえ積めば市役所でさえ全国の人が視察に来る観光資源になる時代です。

もう一つ、今後の観光は一自治体のエリアで考えず、五日市憲法草案や武蔵国分寺や府中の歴史などと広域的なリンクがないともったいないですね、とは集まったメンバーの言でした。さらにこんな話もありました。地域おこしには3者(もの)が要る。必死でやる「ばか者」、それを支える「若者」、冷静に見る「よそ者」の3者です。国立にはこの人たちがいますかとも問われました。

ところで駅周辺のまちづくりも、観光振興や地域振興の視点からの検討も必要です。こういうと三角屋根の復活だけを思い浮かべそうですが、それに止まるものではありません。国立のブランドイメージから、教育産業や文化産業の小ぶりのシリコンバレーのような地域を形成してもよいのです。そのためのステージとして、南口公共施設用地などが活用されることも有効です。今回の駅周辺まちづくり計画作業はこんな面からも目が離せません。

“革新”離れの進む市長とその迷走ぶり

2007年09月24日 | Weblog

先日終了した国立の9月議会。4月の市長選後の始めての本格的な議会であり、何よりも国立市100年の未来を決める駅周辺まちづくり計画の論議が開始されるなど、この半年の動きと絡め大変に関心をもちました。

駅周辺まちづくりは、前上原市長が数年来放り出していたものです。そのビッグ開発について、関口市長は今年度末までの数ヶ月で具体的な行政計画をつくると宣言したのですから、その前向きさにまずは驚かされるというものです。

とくに南口公共施設用地の整備には事業費で100億円はかかり、それを民間業者で行うことも事実上決めました。公共文化スペースの確保や三角屋根保存でJR用地も買収する(最近の地価上昇で30億円近い)となれば、かなりの高層化による資金捻出策は避けられないプロジェクトです。

こういう積極姿勢は企業誘致についても同様です。南部の未整備地区を中心とした開発は長いこと地元の人たちの懸案でした。ひとり清化園跡地だけでなく、市は矢川、谷保、国立駅にも企業誘致すべきという基本方針案を7月に公表しました。このプロジェクトに今後大いに取り組んでいこうというのですから、いつ常識を持ち始めてくれたものかと、これまた驚かされます。

さすがに市長のこうした開発に対する積極的な姿勢に、議会で共産党の女性市議から「修復型まちづくりしかやるな」との反発や、「新しい風」とかを名乗っていた市議から「左から右に突然変異する」との懸念が出てきています。革新市長が“革新”離れをしてきているのですから、彼らにとっての動揺は当然でしょう。

そういえば、日の丸掲揚についても、これまで卒業式や入学式の子供たちの前で背を向けて抗議行動をしていた関口氏。その市議時代と打って変わり、今や市長として粛々として敬礼するようになったことも、社会人としての良識を取り戻したこととはいえ、共産党はじめ“革新”の諸兄には不愉快な変節ではないでしょうか。

それにしても、こうした思想や政策の矯正ぶりとは裏腹に、この間の駅周辺まちづくりの基本方針案をめぐる迷走ぶりは、行政責任者としての力不足を示して余りあるというほかありません。たとえば次のような経緯があったのです。

駅周辺まちづくり計画について、市民協議会で論議してもらおうと発足させたのが8月20日。にも拘らず当初から、市の公式の方針はこの通りですといって、市民会議の論議を拘束する所為を行ったのです。まして一番大事な、財政(財源)の本格的な検討を欠いた姿勢を示し、出席の商工会関係の委員から異論の声が出たほどでした。

加えてその方針案をよく見れば、平成16年に公表の報告書の見出し部分をそのまま並べただけのペーパーでした。それだけに議員からクレームがつき8月31日に持ち回りで修正、さらに議会最終日にまたまた再修正案を配ってまわったのです。また少数会派には連絡もしないという非民主的なやり方で、彼女たちから抗議文が出されたいきさつさえありました。

いやしくも本プロジェクトは国立の100年を決める市にとっての大計画です。議会や市民に情報公開し、じっくり検討を願っていくのでなくてはなりません。その前提となる方針なるものが、市長当局としてのまともな準備もなく、コロコロと変わるいい加減な内容と手続きでコトを進めようとしたのです。市政や議会が混乱するのも当然です。

この迷走ぶりを見るにつけ、あと数ヶ月で市民や商店街の意向をまとめ、JRや都と調整し、議会の合意までとりつける本格的な計画が策定できるのか、大いに不安をもってしまいます。しかし駅周辺整備を遅らせてはいけません。財政スキームをきちっと備えた実現性のある行政計画を策定させなくてはいけません。これ以上、前市長のように市民会議と報告書だけ積み重ねては放り出す、積み木崩しのような市政を受容できる時間的、生活的な余裕は、もうこの国立の街にはないからです。

緊急提言! 議会は“付帯決議”をつけるべき

2007年09月19日 | Weblog

国立の9月市議会が明後日21日に終了します。市が迷走した「駅周辺まちづくり基本方針」の委託費が通過するとのコトです。この駅周辺全体の姿を変える、200億円を超える大プロジェクトが、市民に不鮮明なままに進められようとしています。座視することはできません。

一番不安なことは、この膨大な費用を誰が、どんな風に負担するのかという道筋を、明確にしようという姿勢が市長にないことです。ご承知のように平成16年の市が公表した報告書や資料で、すでに事業費や手法の案が出されているのです。今次の委託作業は、それを踏まえて具体的な手法と財源手当ての目途を示すものでなくてはなりません。それでなければ前回委託だけで1000万円かけた同じ作業を、またまた850万円という大金をかけてしまうのです。文字どおりどぶに市税を捨てるようなものです。

そのあたりのことを今回の議会では野党の議員が口をすっぱくして追求していました。しかし、歯切れのいい答弁は、本会議でも委員会でも全員協議会でも一度も示されませんでした。なぜでしょうか。それは約束する怖さを知っているからです。手法と財源を明確にするということは、例えば南口の公共施設用地の高層化など駅周辺の本格的整備が避けられないと分かるからです。JRや東京都との交渉の困難さに萎縮するからです。

しかしこんな形で今までどおり放ったらかしにしていては、駅周辺の自転車の散乱は収まりません。三角屋根駅舎も残せません。市の出先コーナーや保育園、文化施設など設けることもできません。にぎわいも得られず商店街の発展も期待できません。

そもそも国立駅の周辺まちづくりは、計画段階でなく実施段階に入っていなくてはならないものです。駅整備にJRはこの春に既に着工しているのです。それなのに市側ではまたまた計画づくりだけしか考えない姿勢なのです。これ以上、時間を浪費していくというのは許されません。

明後日は最終日です。そこで思います。ひたすら行政の責任を回避する市長に対し、議会は明確な意思表示をしておくべきではないでしょうか。それには駅周辺まちづくり基本計画の策定について“付帯決議”をつけることです。例えば次のようなものです。

一 計画に策定にあたっては、各事業について具体的な事業手法を明確にすること
二 計画の策定にあたっては、事業費およびその財源の手立てを明確にすること

この間一貫して無視され続けてきた議会が、ことここに至ってやれる、唯一の法的手段はこの“付帯決議”ではないでしょうか。市長を拘束する、議会の正式な意思表示です。議会の追及から逃避してきた市長への、最低の抗議の形ではないかと考えるのです。市民の不安は少しでも取り除かれるべきです。

これが、市民の“心”です。

秋ちかき心の寄るや四畳半

2007年09月17日 | Weblog

この句は、芭蕉が親しい門人たちと狭い小部屋に集まって過ごす醍醐味を詠ったものだといわれます。いや、これを突然とり出すのは、先日国立の芸小ホールでお会いした天下の風流人、嵐山光三郎先生からいただいた『悪党芭蕉』(新潮社)から引用したのでも、秋風が確実に感ぜられるようになった季節のせいでもありません。

それは風流とはもっとも遠い、通勤ラッシュ時の、四畳半ならず電車の狭い空間での苦々しい事件を想い出したからなのです。先日中央線で、都心に向かう車内で突然声が上がったのです。この人痴漢、痴漢です! 違うぞ、ぶつかる鞄を払っただけじゃないか!と。次の駅で女性とともに一人の年配の男性が駅員に同行されていきました。

真実は分かりません。ただそのとき強烈に頭に浮かんだのは、先般テレビで放映していた国立市の50代の男性が、痴漢容疑が冤罪だとして裁判闘争を行っている映像でした。一方的な女性側の主張があり、男性は無罪を主張しつつも、やがて会社も辞めさせられ、近所の刺すような視線を家族とともに受けているのです。数年たってまだ裁判は続いているというのです。

痴漢がいいとは誰もいいません。しかしコト痴漢事件に関する限り、どうも最近バランスを欠いているのではないかという気がします。弱き被害者=女性という視点は、揺るぎない力を持って男性を追い詰めることができるようです。男と目線が会えば突然、この人痴漢と叫ぶ女性が以前蕨の駅で保護されました。しかしその妄想と常習性が判明するまで、幾人もの男性が警察に犯罪者扱いにされたと駅員に聞いたことがあります。

一方で警察も、力を持っての強引さでは同質です。容疑を否認すれば、証拠隠滅のおそれ等を理由に何とサラリーマンを23日間、法の「適正な執行」として勾留するのです。その間に当該男性が社会的に抹殺されてしまうにもかかわらずです。

力(権力)を持ち始めた人たちは、いつのまにかその権利意識を膨張させ、他人の立場に鈍磨していくのかも知れません。女性と警察による、一方的、査問的な取調べや立証のやり方は、そろそろ反省していかなければいけない時期に来ているのではないでしょうか。 

「この頃は電車で近くに女性がいると怖くて、両手をずっと挙げたままで通勤するようにしているよ」。こうこぼす人たちが年配層に少なくないことも知りました。「このおっさん、キモイから痛い目にあわせてやる」。こんな女性がいたら、一巻の終わりというのです。

そんな会話を夕食時にしていたら、家人が「それだったら女性専用車両だけでなく、男性専用車両もつくるといいよね」と提案しました。「女子高生のひと声で30年の会社員生活が一挙に崩壊するんだから」。なるほど、男性専用列車ねえ。笑えないジョークの重さに、夕食の旬のサンマもひときわ苦い味わいとなったものです。

国立の夏は朝顔の街にしよう

2007年09月12日 | Weblog

味わいのある街には、味わいのある人がいて、味わいのある言葉があるものです。

昨夜(9月11日)は久方ぶりに、こんな風につくづく納得する幸せな時間を味わうことができました。「国立の生き神様」の関頑亭先生と嵐山光三郎先生の公開対談「くにたちを魅力的な町にする法」(芸小ホール)でのことです。

国立(谷保)の歴史を、何と平安から江戸、堤康二郎の大正・昭和のまちづくりに至る1000年軸で語りあい、その一方で国立のそこここの界隈と人々に秘せられた、玉のような思い出を披瀝してくれました。大学通りに今上天皇の誕生を祝って桜と銀杏を植えた経緯や大田蜀山人と谷保天にまつわる由来などを様々に聞くにつけ、この街の歴史と街並みは抱きしめるように大切にしていくべきものと会場の誰もが思ったに違いありません。

 そんななかで嵐山先生が、これでも今日のために必死で考えてきたんだと例の人懐っこい笑顔でこう主張していました。「国立の夏は朝顔のまちにしよう」と。国立の春は桜があり、秋は銀杏が色づいて人々を和ませる。しかし夏には街に欠かせない大事な花がない。そこで朝顔の花を家々の庭先に植え、しかもお互いにそれを協力し合って広げていく。朝顔を国立のもう一つの誇りとする。おカネのない国立でも志はしっかりある街であることを示していこうではないか。そう訴えたのです。

 朝顔の根には深さが必要だからコンクリートの道の傍らに植えることは難しいのではないか。
それにしても協力する人とそうでない人がいるからね。かかるおカネを今の市役所ではとてもカバーできないよ。会場を去りながら、そんな言葉が行き交っているのを耳にしながらも、この朝顔プランはけっこういけるんではないかと心を高ぶらせたものでした。

 しかしそんな会場の隣では昨日も一日中、国立市議会が紛糾していました。国立駅周辺まちづくり計画の基本方針案をめぐって市長の姿勢が迷走しているからです。財政フレームを明確に示そうとしない市に反発が出たりしたからであります。

この駅周辺のプロジェクトは200億円を越す大事業です。そんなこともあって何よりも議会の不信の根っこにあるものは、またまた論議だけで実際の工事作業に入らないのではとの不安ではないでしょうか。前の上原市長は、7年前に諮問会議から早期に市の計画案をつくれと提案されてそのままにし、3年前にも同様に提案され、その間にも商工会からも幾度も提案がありながらそのまま放置して来ました。やりたくない(財政や住民の調整が大変)、やれない(JRや都との交渉が苦手)という思いがそこにはあったのでしょう。現市長はそんな経緯を冷静に反省することなく、前市長路線を単純に継承するというのですから、不信は拡大するというものです。何にしても財政を軽視して行政は絶対にやれません。

味わいのある街にも、時として味わいのない人がいて、味わいのない市政を行ってしまうものなのでしょうか。

道筋が間違っているのではないか

2007年09月02日 | Weblog

国立市政には驚くことばかりです。
行政としての議会手続きを知らないのではないかと愕然としています。
まちづくりを本気でやるつもりがないのではないかと暗然としています。

一昨日(8月31日)に突然、市から「基本方針案」なるペーパーが各市議に配られました。私は昨夜(9月1日)に見ました。「国立駅周辺まちづくり基本方針」(案)だというのです。A4ペーパーでたった4枚。

しかしもしそうだとすると、これは駅周辺整備で初めて公式に出される国立市の行政としての方針となります。こんな粗末な内容で、百年の大事業(上原前市長の表現)の基本を決めてしまうのは明らかに間違っています。あれは単なる作業指針メモでしたと撤回してくるのを祈りたいほどです。

(手順の2つの問題) まず手続き面での問題が2つあります。
第一にこの4枚のペーパーは、平成16年の北沢報告の表現がそのまま採録されています。これを市の方針とするということなのです。市長は、このたったの4ページものを本格的な議論もなく議員への手渡しか一方的報告だけで済まし、それで百年の計の基本方針をオーソライズしたというのでしたら、明らかに市民と議会を愚弄しています。

②駅周辺まちづくりについては、一方で基本計画案づくりを8月20日(議会の予算承認も受けず!)に北沢東大教授たちを集め依頼しました。数ヶ月かけて精力的に計画案をまとめて欲しいとのことでした。その一方で基本方針案なるものは市自身であっという間にメモ書き的にまとめてしまうというのです。この手軽な姿勢は明らかに協議会の作業を愚弄しているというべきではないでしょうか。

(内容の2つの問題) ついで内容面での問題が2つあります。
方針案の内容である事業6項目は追ってみて驚くというものです。南北道路は「整備します」といっています。当然のことです。南口の広場用地も総研線跡地の活用も「整備します」といっています。しかしポイントの南口公共施設用地の活用は「検討します」、高架下の活用では「西改札口は検討します」、何よりも一番大事な財政フレームも今後「検討します」というのです。一般的に行政の「検討します」表現は極めて後ろ向きのメッセージです。こうした大半が不作為的な方針をハナから認めよというのですから、市長も無思慮です。

幾度も言うように行政の計画というものにはスケジュールと財源は不可欠の要素です。それが明確でなければ市民も議会も事業の適否は判断できないからです。今回手渡された市の案には、基本方針とはいえその認識は全く示されていません。ポンチ絵以下というばかりです。あえて注目してよいのは、「(事業実現には)民間活力を導入し、投資額を事業効果全体で吸収することを前提に、基本計画で検討する」と記してあること位でしょうか。

何にしても駅周辺のまちづくりをいい加減に考えてはいけません。215億円の大事業です。道を間違えば国立は確実に第2の夕張です。議会や市民を侮ってはダメです。皆が心配するスケジュールや財政措置(事業費と財政スキーム)を誠実に示してこそ、責任ある首長といえるのです。作業メモのようなものを基本方針案として出してくるようでは危ういばかりです。

それにしても市議会にあっては、ここまで無視や軽視され続けながら、メモ書き的な基本方針案や事実先行した協議会予算案を無条件で認めてよいのでしょうか。国立の将来のためにも、議会の本来的役割を示す意味でも、ここはじっくりと議論をしてほしいものです。

もう一度指摘しておきたい駅周辺問題

2007年09月01日 | Weblog

その後、話しがおかしいので、もう一度指摘しておきます。
いや、今次の国立駅周辺まちづくりの計画策定作業の件についてです。

平成16年3月に「国立駅周辺まちづくりに関する提案書」が出ました。検討会の会長であった北沢猛東大助教授の名前から「北沢報告」と言うべきものです。もちろん市税で取りまとめられました。思い出して欲しいものです。

そこでは「厳しい市財政の状況を承知の上で、多額の財源が必要と思われるものについても、市民要望が強いものは取り込んであります」としていました。そして、その第一の要望として「本提出後、市の方針としてすみやかに成立を図ること」を市に求めていたのです。

それから3年。「市の方針」としては策定されず今日にいたっています。ところでなぜ市の方針とすることが必要か、それは整備計画としての信頼性を担保するためです。市民や関係者(JRや東京都)に市の方針としてブレないこと、財源的にも行政として大丈夫であることを明示する必要があるからです。しかし上原市長はこの作業を放棄してきたのです。三角屋根であれだけ混乱する事態になったにも拘らずです。

確かにこの周辺の整備計画は大変な事業です。市民の意向調整もさることながら、何よりも金額的に膨大であるのです。北沢報告は平成14年から先行した市職員の「国立駅周辺まちづくり計画検討委員会」の資料を踏まえて進められていますが、その資料にこう記されているのです。

例えば駅東ガード下道路拡幅に50億円、南口駅前広場(ほぼ三角屋根だった所)に17億円、北口駅前広場に7億円、駐車場のある南口公共施設用地の活用で93億円(6階建てを想定)等などです。総事業費215億円になるとしているのです。国立市の年間予算は200億円ちょっとですから、市にとって天文学的な数字であることが分かります。

他方で収入です。都や国の交付金をもってくれば足りるという人たちがいます。しかし資料では「まちづくり交付金」は32億円が限度額であるとし、市の負担は132億円(ガード下道路分は除外)になると算定しているのです。市民負担は避けられないのです。

「市の方針」としての整備計画をつくるということは、とりもなおさずこういった財源の困難さを考えて事業の優先順位をつけ、場合によっては一部整備を放棄する選択をしなくてはならないということになります。民間委託も避けられないでしょう。夢を語りたい首長としては頗るつらい決断を迫られるのです。それだから前市長はこの計画づくりから逃げていたのです。

しかし新市長は、基本計画づくりに着手すると宣言しました。ようやく現実的なまちづくりが進むものと評価します。ところが話しを聞くと、市の方針でなく、またまた協議会をつくって報告を出してもらうというのです。しかも前回と同じ北沢猛東大教授が会長です。他の参加メンバーも大半が前回と同じです。

そうであれば基本的な方向に変わりはなく、また財源問題には触れず、単に「まちづくりの夢を具体的なプランとする」だけのものになってしまうと心配するのが当然です。しかもこの屋上屋を架す作業(既に作成資料は山程ある)に850万円もの委託費を出すというのですから言葉を失います。

中央線の高架化はあと少ししたら完成です。もう周辺の整備は時間的に火がついているのです。商工業の人など周辺住民の利害関係は錯綜し不安は大きいものになっています。一時も早い市としての提案が求められているはずです。一番大事な財源の工面と財政スキームを明示した、情報提供が必要です。あれもこれもというバラ色報告でなく、優先順位をつけた責任ある行政の方針をもう出さねばいけません。

したがって、百歩下がって申し上げるべきは、もし北沢協議会が議会で認められてスタートするなら、そこで財政問題の整理もしてもらわなくては時間がないということです。三角屋根の土地を買収するのか否か。駐車場のある公共施設用地には何階建て程度の建物を建てるのか。その事業は民間でやるのか、市の単独事業でやるのか。そういったことも明確にして欲しいのです。もうここまで来て曖昧はダメです。情報はきちっと公開して、市民に問いかけなくてはいけません。

その際、もう一つ気になることがあります。軽視されている議会の存在です。今次の北沢協議会も、委託予算(850万円)の可否を9月議会で審議する前に、既に8月20日に発足されてしまっているのです。民主主義の基本が堂々と無視される風土に、失笑しないわけにはいきません。

それにしても、駅周辺の整備計画は百年の国立市の姿を決めるものです。十分な意見表明が必要です。議会は議会としてこの歴史的プロジェクトに早急に特別委員会などを設け、市長と協議会のチェックをすることも大切ではないか。そう考えますがいかがでしょう。