嶋津隆文オフィシャルブログ

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厚木の移動観光大学での「アフターB1」論議

2010年11月29日 | Weblog

写真:「ポツダム会談のもたれた建物」

週末の土曜日の27日は、厚木の松蔭大駅前キャンパスで「かながわ移動観光大学」の講演とシンポが持たれました。2週連続の大学と神奈川県とコラボで、テーマは「食と観光まちづくり」です。

80人近い聴講者をフロアに、9月の厚木市のビッグイベント「B1グランプリ」の盛り上がりを一過性のものとせず、いかに次につないでいくかとの論議でした。端的に言えば、シロコロホルモン騒動の後の厚木をどうする、アフターB1は?という話しです。

「シロコロの全国的な発信機能は今後とも大事にしよう」
「大腸はブタ1頭の3%に過ぎない。残りの97%の豚肉の部位全部を活用することを考えるべきだ」
「シロコロは特上のA級グルメとし、その他の大勢の部位はソーセージにすればよい」
「従来からの“とん漬け”を厚木バーガー等にも工夫して発展させることがその道だ」

まちのイメージづくりとしてはこういう意見も出ました。
「厚木はシロコロのまちから、肉(ブタ)の美味しいまちと広げればいい」
「厚木はビール、ハム、ソーセージなどで人気があるから、ジャーマンタウンとしてはどうか」
「厚木には森と川がある。森林セラピーにも指定されている。自然と一緒に食を楽しむドイツの郊外都市といったイメージもいいではないか」

そういえばベルリンの壁の崩れた90年代、私は東京都とベルリン市の姉妹都市提携の担当課長として幾度もドイツに足を運んだものです。その時にベルリン市からバンゼー湖の森の中で、いっぱいのビールとソーセージで歓待されたことがありました。

その思い出もあって、厚木市とポツダム市の姉妹都市化をふと思い付いたのです。ポツダムは首都ベルリンの南西に位置するベットタウンで人口15万人。厚木は首都東京の同じく南西に位置する人口20万余の郊外都市。いずれも森と川(湖)に囲まれる。かたやポツダム会談、かたやマッカーサーで歴史的な共通性もある。何よりもビールとソーセージのイメージがあるではないか。

しかしシンポのコーディネーターをしていた私のこの提案に、フロアはいささか引き気味であったようでした。いやあ、残念というものです。

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梅棹忠夫先生を偲ぶ下河辺淳理事長の追悼文

2010年11月22日 | Weblog

写真:「法隆寺の五重塔」本人撮影

週末、平城遷都1300年の会場を見たくて、ピークを越えたこの時期に奈良を訪れました。しかしシルクロードの終点とされるこの地で幾つかの寺社を回るうちに、ふとこの夏亡くなられた梅棹忠夫先生に思いが至り、翌日に大阪千里の国立民族博物館に向かいました。

館では、先月に梅棹先生をしのぶ会が持たれたこと知らされ、「先生の親しい方なら」と小さな冊子をいただきました。それは当日の追悼集でした。そのなかにかつて私がNIRAに身を置いていた時の下河辺淳理事長の文が載っていました。こうです。

「梅棹忠夫」は関西が生んだ、日本が生んだ、アジアが生んだ、20世紀が生んだ特異な日本人である。梅棹は頭で考え、手で物を書く学者・研究者・教授として知られているが、私にとっての梅棹はそうではない。彼は肉体で受け止めたものを考える。頭ではなく、全身に深くしみ込んで感じたものを語るのである。

「梅棹忠夫」は死んだ。「夜はまだあけぬか」という言葉を残して死んだ。死の世界は果たして失明者にとっていかなる世界なのか。おそらく視力を必要としない世界、失明者「梅棹忠夫」にとって何の不自由もない世界であろう。今そこに飛び込んだ彼は晴れ晴れとした気分でいるに違いない。

身ぶるいしてしまいそうな語りかけではないですか。二人の知性の何とも深い交流と信頼観が、思い切り滲み出ていると言ってよいでしょう。

法隆寺の空にあった白い雲よりも、唐招提寺を広く包んでいた紅葉よりも、この下河辺理事長の追悼文には何とも深い爽やかさを味わわされたものです。晩秋の、心なごむ関西行でありました。

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島根はやはり今も神々のおられる國なのです。

2010年11月16日 | Weblog

写真:「古事記1300年に向け製作されたぐい飲み」

どうも最近は島根づいています。半月前には益田市の東京大会に、そして昨日は目黒雅叙園で開かれた島根県の観光説明会に出席しました。大盛会でした。

特に印象的であったのは、島根県が来年から4年間、古事記編さん1300年のイベントを展開していこうと企画したことです。平城遷都1300年にあやかるとの算段が見えるとはいえ、古代神話でむすびつく時空を超えた壮大な広域連携構想です。出雲(島根)―大和(奈良)―日向(宮崎)―伊勢(三重)を繋ぐもので、何ともわくわくするというものです。

こうした神の国々の話しになると、鮮烈に思いだす話題が2つほどあります。これを出雲大社の千家隆比古権宮司に確認したところ、そんな話しは初耳ですと笑っていました。が、楽しくなる内容なので、ここにちょっと記載しておきましょう。

一つは20年ほど前の出雲での「まちづくりシンポ」の時のことでした。ある地(ぢ)の出席者の一人がこう話したのです。
「小さい頃に聞いたんだけど、戦艦大和が沈んだ時、出雲の年寄りは“大和が負けた、大和が負けた”と喜んだというのです。それ程に出雲の人は大和を長く恨んでいたのですよ」。

もう一つは最近耳にした話しです。これも出雲出身の法政の大学教師から聞きました。
「竹下登が首相になった時、島根の地元では非難の声があったと言います。出雲は大和に国譲りをした國のはずだ。その大和の大将になんで今さら出雲の人間がなるんだと詰問したのです」。

どうですか。真偽のほどは分かりませんが「まっこと愉快やねえ」(←坂本龍馬ならこう言うに違いない)というものです。島根はやはり今も神々がおられる國なのです。

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週末は田原市で「伊良湖岬村長物語」の講演を

2010年11月08日 | Weblog

写真:「講演会の案内パンフレット」

週末はふるさとの帰省し、11月6日(土)は渥美文化会館で先に出版した私の「伊良湖岬村長物語」についての講演会を行いました。主催は地元の郷土史クラブ。140人ほどの参加があり100人収容の会場は満杯の盛況でした。ありがたいことです。

中身は明治初めからの、渥美半島の政治と生活の風景です。清水次郎長が来て賭博を開き村の有力者たちが財産を簒奪されたこと、板垣退助が来て地元民に歓迎されたこと、政友会と民政党との相克で村々のあちこちで対立のあったことなどを話しました。自分たちの先祖の話しと言うこともあり、興味深く聞いてもらえたようです。

最後のまとめとして、過去でなく未来を考えるならば、「集落点検」といった作業をしてはどうかと提案しました。少子高齢化や都市化で大きく変わる10年後、20年後の集落の家々の風景を、近所の人たちでチェックし地図に落としてみようと言うものです。Aさんの家は誰も跡取りがなく廃屋となる(×)。Bさんの田畑は全部放置される(×)。Cさんの家族は2人の孫が中学生と高校生くらいだから、元気がある(○)等など。

そうすると、今から地域として、あるいは家族として、10年後までに何を準備しておくか、行政に何をやってもらうかが浮き彫りになると思ったのです。この話には、事態が逼迫しているからでしょうか、さらに耳を大きくして聞いてもらえたようでした。

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秋はセオドル・ソレンセン氏を奪っていった

2010年11月02日 | Weblog

写真:「私が勤めていたニューヨーク市庁舎」

新聞のパラパラと開いて、思わず訃報欄に目がいきました。「セオドル・セレンセン氏(82) 10月31日 ニューヨーク市内の自宅で死去 ケネディ大統領特別顧問」。えっ、あの人が亡くなられたんだと、暫く瞑想してしまいました。

20年前に私が東京都の代表として姉妹都市ニューヨークに駐在していたころ、ニューヨーク市側のカウンターパートはギリアン・ソレンセン女史でした。後に国連に活躍の場を移しますが、彼女がセオドル・ソレンセン氏の夫人だったのです。

エレガントと言う言葉はこの人のためにあるのではないかと思わせた美しい女性でした。家族どおしで付き合うことにはならなかったのですが、夫君と言うことで、セオドル・ソレンセン氏にはとても親近感を持っていたものです。

ワシントンのアーリントン墓地にはケネディ大統領の墓があります。その土台に、大統領就任スピーチの有名な一節が刻まれています。セオドル・ソレンセン氏が起草したものです。

「国家が諸君のために何をするかでなく、諸君が国家のために何が出来るのか問おう」
 Ask not what your country do for you :ask what you can do for your country.

ところで今、この文を載録していてふと気づきました。文の中に“you can do”なる言葉が入っていることです。オバマ大統領の選挙戦の時のキャッチフレーズではないですか。うん、そうなのかも知れない。オバマ氏はきっとここから引用したに違いないと。

それにしても今年の秋は、また一人大事な人を奪っていきました。私からニューヨークをどんどん遠くさせていくような、そんな寂しい訃報ではなかったかと思わずにはおれません。

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