台風一過の秋晴れの中、昨日は多摩障害者スポーツセンターでの市議会等OBの大先輩達との意見交換会に招かれました。元市長さん、助役さん、議長さん、議員さん。総勢20名。かつての文教都市国立の名を全国に知らしめた面々です。楽しみに出かけました。
その街の歴史を知らなくてはならない。国立の歴史は先達者から学ばねばいけない。そう強調していた出席者の若手議員の発言に大いにうなづく結果となりました。どの人の話も貴重な経験に裏付けられており、また多く示唆に富むものがあったからです。面々の風貌とはやや異なり(?)、話の中身は新鮮そのものでした。
例えば石塚市長からは、昨年度末の国立六小用地代として2億円を市が支払った件について、こう過去を教えられました。美濃部都知事時代に、あの矢川周辺に急きょ都営団地を造ることになった。都の都合により造るので国立市には迷惑をかけない。それゆえ小学校用地の無償貸与が事実上行われてきたというのです。なぜ上原市長はその経緯を聴きもせず、2億円もの出費をしてしまったのかとの難じるものでした。
あるいは谷市長は、国立市の大事業であった下水道の整備について中傷される口惜しさを憤慨していました。かつて大学通りは雨が降ると川のようになった。その事態の中で、下水道の早期整備は市民の悲願であった。それなのに先の市長選ではただ工事で膨大な借金を作ったとなじられてきた。まことに心外である。そういう趣旨の発言をしておりました。
議員歴32年の井上スズさんは、上原市政が口にしていた「市民参加」「情報公開」は、国立市が長いこと築いてきたものと違うインチキなものだと嘆いていました。それを継承するという現市長の路線は警戒しなければいけない。そう満身で叫んでいたのです。
そういえば昨日の朝、国立市のHPを開いてみて驚きました。非公開で行うと決めていた駅周辺まちづくりの検討会(作業部会)を、第1回目となる10月30日は一転して傍聴可能とすると変更していたのです。多くの人が秘密裏の運営を非難したからでしょうか。しかしその公開も第1回目だけで後は決めてないと聞かされ、2度驚きました。
まったく唖然とするばかりです。「市民参加」「情報公開」は国立市政の生命であったはずです。それを秘密会にするといい、公開するといい、コロコロと都合に応じて変更しようとするのです。これが井上スズさんが、怒りをもってエセ「情報公開」、エセ「市民参加」となじる所以かと納得したものでした。