嶋津隆文オフィシャルブログ

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野田総理、“掃き溜めに鶴”と言うと過ぎますか

2011年12月30日 | Weblog

写真:こんな鶴の写真がありました。

昨夜、民主党は消費税増税を決めました。平成14年に8%、15年に10%。口先だけでなく、それなりにしっかりと決着したのです。国の財政を按ずるものなら誰しもがホッとしたことでしょう。

それにしても今回の野田総理の決着は 久方ぶりに政治家らしい振る舞いであり、この間の民主党の面々のお粗末さを見る時、まさに“掃き溜めに鶴”と言ってよいものです。

言葉が風船よりも軽い鳩山さんは、沖縄の基地返還を台無しにしました。イラ菅と称された菅さんは、その通りの短絡さで放射能対応を大混乱させました。口だけ番長と揶揄される前原さんは八場ダム中止を叫び、地元に二年間の大空白を生じさせました。日教組出身のゾンビといわれる輿石さんは、公務員給与20%削減を簡単に放置しました。

その無責任さは枚挙にいとまがありません。こんな政権交代の実態を2年余も見せられてしまうと、今回の消費税増税は、年末のぎりぎりにやっと届いた民主党から小さなお歳暮のような気持ちになるというものです。願わくば野田さんには、これからも足が地についた“鶴”であって欲しいと願うものです。


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稀代の首長・黒澤丈夫上野村村長を哀悼する

2011年12月26日 | Weblog

写真:「上野村役場の前に立つ銅像」本人撮影

朝起きて新聞を開き、黒澤丈夫村長の訃報に接し(12月22日逝去)、思わず声を挙げてしましました。ああ、とうとう亡くなってしまわれてしまったと。

520人の犠牲者を出した日航墜落の現場で大混乱する中、優れた陣頭指揮を執り、遺族からも日航からも深く信頼されたといわれた人物です。海兵を出て零戦のパイロットとして終戦。戦後、全国で最長の10期40年を村長として過ごし、全国市町村会の会長にも就きました。

3年前の夏、御巣鷹山の慰霊の塔にお参りに出かけた際、アポも取らず、村のご自宅を訪問しました。墜落事故処理だけでなく、平成の合併時に、反対を声高に唱えていた黒澤村長の存在は強烈であり、その生の話しを何としても聞きたかったからなのです。

折悪しく風邪で伏しておられたのですが、わざわざ起きてこられ30分ほどお話しを伺うことが出来ました。はじめは心もち静かな会話でしたが、話題が合併に及ぶや、熱を帯びて政府批判を展開されました。

「こんな山村(人口1300人余)で合併したら、少子高齢化の中で住民はとても生活していけなくなる。近くで助けてくれる人がいなくなる。合併は、都市を中心とした投資効率に捉われた暴論であり、人口の少ない山村や離島は無視されることになる」。

お話しを聞きながら、ああ、もし可能であればこの人の伝記を書きたい。そう思わせる気迫と歴史が伝わってきたものでした。享年97歳。大往生とはいえ、やはり惜しい人を失ってしまったと嘆かずにはおられません。


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違法を重ねた元国立市長二人へ賠償訴訟は当然

2011年12月24日 | Weblog

写真: 12月の大学通り(国立市観光まちづくり協会HP)

12月は各自治体とも議会の季節。国立市はその最終日の21日に、議会の議論を踏まえ、元市長上原公子へ3120万円、前市長関口博へ40万円の損害賠償訴訟を起こしました。

当然のことです。二人が返還を拒否しているがための、不可避の措置というものです。

この提訴は上原公子に、市長という公職を奇貨として行った営業妨害行為でマンション業者に支払った損害賠償金を、市に返還させるものです。また関口博に、住基ネット離脱を放置して生じさせた不要な費用を取り戻すためのものです。

二人の行動はいずれも裁判所により、法を守るべき市長にあるまじき違法行為だと厳しく指弾されました。しかし聞くところでは、一部の市議はその理念が正しいと称し二人を容赦すべきと主張しているようです。法を破ることを容認する点で元前市長の反社会感覚と同罪です。

人民と革命のためという理想が正しければ、多くの仲間をリンチで殺めた連合赤軍の行為も容赦されると言うのでしょうか。人々を救済するためという信条が正しければ、サリンを撒き大量虐殺する麻原彰晃の指令も容認されると言うのでしょうか。

法を守ることは社会を構成していく上での最低のルールです。そのルールを守ることさえ軽視するよう、こともあろうに首長によって叫ばれ続けた国立のまちの不幸を、改めて悼まない訳にはいきません。

 

コメント (1)
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受験生は新鮮です、若者は常に新鮮です

2011年12月16日 | Weblog

写真:「秋田の竿灯まつり」

年の瀬の迫る昨日今日、各地の高校から集まった受験生の面接試験に携わっています。そして少しハッピーな気持ちになっています。試験場のこととはいえ、直に高校生に接触すると、わくわくするような元気をもらえるからです。不思議なものです。

秋田から来たバレーボールを得意とする女子高生は、実に明るくはきはきと応対し、何よりもふるさとの風土と竿灯まつりの魅力を、おおいに誇りを持って語っていました。

野球部を長く続けているという世田谷の男子高生は、大好きな巨人軍の内紛に心を痛め、それにしても渡辺恒夫会長の球団私物化がいけないのではないかと、率直に感想を述べていました。

こんな平凡なやりとりでさえ、若い受験生が精いっぱいこたえようとするとき、その姿勢は間違いなく新鮮で、心楽しくさせられるというものです。

それにしても将来ツアーコンダクターになりたいとの希望を持つ何人かの受験生が、行ってみたい国に東南アジアを挙げていたことに戸惑いました。
「カンボジアに私は興味があります」
「水害で苦しむタイを訪れてみたいです」。

外国と言えばヨーロッパや米国と相場が決まっていた我々世代とは、明らかに違う日本人が出て来ているようです。その所以は何だろう・・・。この受験生たちを4月のキャンパスで見つけたら、じっくり話しを聞いて見ようと期待を膨らませているところです。


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証言録『海軍反省会』を読む真珠湾攻撃の日

2011年12月09日 | Weblog

写真:「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の開戦
暗号を発信した佐世保・針尾の電波塔

12月8日です。いうまでもなく真珠湾攻撃の日であり、日米開戦の日です。しかし今日の新聞などは殆どその記事のない昨今です。

そんな歴史を縮ませかねない空気に反発して、朝から日本海軍中堅幹部の証言録『海軍反省会』(PHP研究所)を手にしています。一昨年にNHKでも放映された、往時の海軍中枢部の肉声を載録したものです。

なぜ海軍は勝てもしない対米戦に踏み切ったのか。誰もが抱く疑問に、とくに目を引いた証言者たちのやりとりを挙げます。

「明治の海軍には山本権兵衛はじめ武人がいた。ところが歴史の流れといいますか、武人が文人になり、職業軍人になり、立身出世主義になり、事なかれ主義となった」(鳥巣証言368p)。自己保身がその理由にあげられています。

驚くべき証言もあります。
「(永野修身元帥は)陸軍と右翼で内乱になると、そうすりゃあ海軍は負ける。(中略)やはり一致して戦争をせざるを得なかった。自存自衛のため同意した、と言う」(三代証言373p)。開戦容認は海軍の組織防衛だというものです。

それにしても70年前の風景は、今も変らぬ日本の風景そのものといえるようです。
「私は我々を含めて、日本海軍の人が本当の意味の立派な歴史教育を怠ったという点を反省しなきゃあならない、というふうに思います」(鳥巣証言369p)。

天候と同じく、どんよりとした気持ちの晴れぬ12月8日でした。

 


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吉原で幇間(ほうかん)の芸に圧倒される

2011年12月03日 | Weblog

写真:櫻川七好師匠の芸(左が「太鼓腹」)

いやあ昨夜は感動させられました。幇間(ほうかん)の芸。場所は吉原の料亭「中江別館金村」の2階の座敷。芸者さんの三味線を楽しもうとでかけたのですが、何よりも感動させられたのです、櫻川七好師匠の芸に。

声色・声帯模写、屏風を使って身体を出し入れしながら旦那と幇間の一人二役を演ずる「太鼓腹」、うら若き娘と老婆を演じ分ける「どうぞ叶えて」などなど。いずれも芸は細かく、そのエンターテイナーぶりは圧倒的でした。

幇間は「太鼓持ち」、「男芸者」ともいわれます。「幇」は助ける、「間」は人と人との間。接待する側とされる側、客同士や客と芸者の間、雰囲気が途切れた「間」を愉しく盛り上げるのが、その役割です。

その言葉のとおり櫻川七好師匠の芸は、6時間を超える長いわれわれの座敷を、少しも飽きさせることなく場を盛り上げ続けたのです。

その師匠もいま齢60歳。現在では我が国で5人だけになってしまったという幇間です。粋で洒脱で艶っぽい、こうした芸をどう残していったものか・・・。そう思い付くと、せっかくのエンターテイメントを堪能しつつも、胸を騒がせて吉原の街を後にしたというものです。


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