一年が過ぎようとしています。時間はいろいろなことを忘れさせます。それは人々が生活する上できっと良い知恵でしょう。それにしても、愉しみもさることながら、怒りや憎悪も持続することはなかなか難しいものです。
何年か前、イスラエルは死海のほとりにあるマサダの砦を訪れたことがあります。ユダヤ王国がローマ軍によって滅ぼされ、それ以後ユダヤ人たちは世界の各地に散っていくことになった歴史的な場所です。紀元前73年のことです。
そのことを一緒に説明してくれたユダヤ人の友人ナンシー・リー女史は、しかし単なる説明者ではありませんでした。そのマサダの滅亡がいかに民族にとって悔しいものであったか、自分たちにとって辛い事件であったか、涙を浮かべて語るのです。2000年前は歴史ではなく、彼女たちにとってはほんの昨日の出来事なのです。
時空を超えて怒りや憎悪を持続するエネルギーに大いに驚きつつも、他方で民族独特の「しつこさ」に少々辟易したものでした。こうした性向は日本人にはないようです。しかし忘れないという作業も時には必要ではないでしょうか。
春の国立市長選から8ヶ月。既に過去のものになってきているような気がします。しかしこうして年の瀬を迎える昨今となれば、やはりケジメとして記しておかねばならないことが一つ二つあると考えています。それは、昨今の国立の政治動向と保革それぞれの問題点です。
国立の町は、久しいこと大きく偏ってきていました。まちづくりはしない、国旗には背を向けるといった姿勢を重ね、そうした革新の思想至上主義の中で、駅周辺整備も学校教育も混乱を招きました。新市長は4月の選挙後、前上原市長路線を継ぐとしながら思想至上主義を踏襲せず、一定のまちづくりも進める現実路線を選択したように見えます。国旗掲揚も認めました。そんななかで保守系会派では、様子見という穏やかな姿勢をとり始めています。この事態から、何を掴みとることが出来るのでしょう。
まず革新内部ですが、このまま無風でいくことはありえないと予想されることです。例えばまちづくりです。富士見通りのマンション建設で住民は9階以下にすることを求めました。駅周辺の例えば公共駐車場の跡地利用に、現在の高さ以上の建物は建てさせないとの意見もあります。しかし図書館や保育施設にはスペースが要ります。建設資金には高層化が避けられません。まちづくりで、どこで折り合いをつけるのか、3-4-10号のガード下道路でさえ不要という議員を抱える革新内部の意見調整は困難なのです。対立の顕在化、すなわち支持基盤の脆弱化は不可避です。
他方で保守の姿勢は、一見大人びて見えるものの、無気力の感が否定できないことです。発言がコロコロ変わり、そのことに痛痒を感じない市長には攻めあぐねてしまう。それなりにまちづくりに前向きではないか。そうした曖昧なスタンスのなかで矛を収めているといいます。しかし座して時間を過ごすのは危険です。少なくとも常に言質をとっておくことをしなくてはいけません。「言葉が風船のように軽い」一介の市長であれ、言葉は政治家の生命のはずだからです。
要は保守系の今日の曖昧さは、政権をとるというハッキリとした姿勢と戦略を持たないところに起因するように思えるのです。国立の町を偏らせている市政を変える。そのために革新市長の攻略の視点を長期的に、しかも個人でなく組織としてつくっていくこと。そうしたことが必要なのです。散発的な質問や様子見の姿勢の中からは、この国立での政権交代は困難でしょう。
怒りを持続することは大変です。しかしコト政治に関する限り、正当な怒りはどこまでも持続すべきではないでしょうか。