嶋津隆文オフィシャルブログ

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西夏文字を解読した西田龍雄先生が逝かれた

2012年09月28日 | Weblog

写真:「西夏文字とはこんな文字」

昨夜、夕刊を開いてふと目に止まった訃報記事がありました。西田龍雄京大名誉教授死去、83歳。西夏研究の道を開き世界的に評価された文化功労者。

西田龍雄先生。直接には一度も会ったことはありません。しかし私には一番忘れられない先達の一人です。

高校生の頃、この西田先生が幻の西夏文字を解読したという、小さな新聞記事を目にしました。えっ、西域のあの西夏国に挑戦している日本人がいたのか。凄い。当時、シルクロードに嵌っていた自分には衝撃的な事件でした。

よし、大学は京大に行こう、そして西域に行こう。こう決めて京大を受験したのです。当時京大には梅棹忠男、今西錦司、吉川幸次郎らキラ星のごとき人たちがおられました。しかし落第します。

仕方なく東京での学生生活となるのですが、シルクロードという地名の持つロマンはいつまでも自分の脳細胞に刻まれて今日に至っています。大学を出て暫くして未だソ連領だった頃にサマルカンドやブハラを訪れ、60代の今もチベット(吐蕃)に行く等、病膏盲(こうこう)に入ってしまったのです。

かように西田先生は、10代の若く苦い思い出であり、私の60年の足跡にもう一つの方向をつけてくれた人なのです。


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「曼珠沙華 抱くほどとれど 母恋し」(汀女)

2012年09月22日 | Weblog

写真:「なかなか死ねない彼岸花咲く」(山頭火)

今年の秋は遅く、曼珠沙華(彼岸花)で有名な日高町の巾着田の咲きもまだまだのようです。にも拘わらず彼岸は暦にしたがって着実に到来し、昨日今日、お墓参りと思われる家族の連れ添っていく姿が散見されます。

それにしてもこの歳になってみると、親戚や知人、友人の死に頻繁に遭遇することになっていることに気づきます。ここ何年かの友人だけでも、すぐに5指を越えてしまい、しばし言葉を失います。寂しいものです。

「曼珠沙華 抱くほどとれど 母恋し」

女流俳人の中村汀女の作です。彼岸の季節のたびに思い起こされる句です。この汀女が逝かれたのは20数年前の9月の彼岸の入りの日でした。私の母が逝ったのも10数年前のこの9月でした。

それだけの偶然に過ぎないのですが、汀女の一句はこの季節の私には常に鮮烈に響くのです。多分それは、曼珠沙華がもつ戸惑う程に強烈な形相と色彩に、「恋しさ」の深さが滲むからではないでしょうか。


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「忘れる勿れ、9.18」という江沢民の呪文

2012年09月18日 | Weblog

写真 瀋陽(奉天)「9・18歴史博物館」

昭和6(1931)年9月18日は満州事変の始まった日です。あれから81年。しかし昨今の尖閣諸島国有化に関連し、この日はもっとも反日デモが激化するのではないかと懸念されています。

何年か前にこの満州の地を旅する機会がありました。瀋陽(奉天)につくと私は、ほとんど義務感に駆られるような思いで、張作霖爆破の現地・柳条湖に向かったものです。しかし人影の少ないなかで、突然に目に入ってきた反日歴史館の威容さと、特に入口に刻まれた文字の大きさに驚かされました。

  「勿忘“九.一八” 江澤民」

「忘れる勿れ 9月18日」。事件後半世紀たった1991年、しかも100億円近い巨費をかけ建設された「9.18歴史博物館」です。当時江澤民主席は、天安門事件で国際的に経済制裁を受け、他方でソ連などの共産主義諸国が崩壊していく中で、国家体制を維持する手段として反日教育を徹底したと言われます。

そんな土地柄もあるのでしょう、毎年9月18日の瀋陽では、関東軍の爆破工作が行われた夜10時を機に、市内を走るすべてのバスや車が一斉に警笛をならし、日本への抗議の意を確認し合っているとも聞きました。

江澤民の執拗な反日教育の成果は、中国の中にしっかりしみ込んでしまっているようです。その結果が怒号を発し日本スーパー破壊に押し寄せる昨今の異様な若者らの大量産出です。全体主義とはおぞましいものです。


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日の出山荘で大勲位中曽根康弘の功績を想う

2012年09月12日 | Weblog

写真:「青雲堂(ロン・ヤス会談記念館)」本人撮影

自民党の総裁選や民主党の代表選がかまびすしいからではありません。ふと思い立って一昨日、西多摩の中曽根康弘別荘(日の出山荘)にでかけました。一度は訪れてみたいと常々思っていたところです。

この写真の青雲堂で中曽根は、昭和58年の11月、レーガン大統領夫妻と囲炉裏端を囲み、抹茶を立ててもてなしました。ロン・ヤスの二人が庭先で法螺貝を吹くシーンは世界に配信されたものです。

それにしてもこの萱葺き山荘に入ってみると、徹底した日本風のもてなしを展開した大勲位の発想には舌を巻くと言うものです。したたかなものです。世界の指導者の一人としての風格を、演出し切ったと言ってよいでしょう。

中曽根は、外交においては「日米は運命共同体」として米国との信頼関係を高め、内政では新自由主義に立ち国鉄分割民営化等を断行し、また現行憲法は日本色がないとその改正を一貫して主張し続けてきました。今にして思うと、何とも骨太な保守政治家と言えます。

振り返ってみれば、基地問題を風船のように軽く発言したり、メモを見ながらぼそぼそと中国主席に話すといった、醜態を演じる首相たちの続く昨今です。中曽根とは時代が違うからと逃げることは凡そ許されない、資質の差というものを感じないわけにはいきません。


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加賀温泉で思う、交通インフラ整備の必要性

2012年09月07日 | Weblog

写真:加賀山代温泉に完成した人気スポット「総湯」

ここ数日、北陸の加賀温泉に学生達とゼミ旅行に出かけました。山中、山代、片山津という加賀の3温泉地を市役所観光課のメンバーに案内で、のんびり温泉に入り、九谷焼の実習などして過ごしました。

しかしその最終日に、山代温泉のホテル五万石が休業に入ったとニュースが流れました。天皇が宿泊したこともある名門です。市役所の人に聞くと、この地の温泉客は、最盛期の半分にも1/3にも減少しているとのことでした。

いかに東京など都会から人を呼ぶか。地元の人たちが一番頭を悩ましている課題です。ソフト策の工夫も必要です。しかし限界があります。有効策はやはり道路や鉄道の整備といってよいでしょう。

北陸新幹線の金沢―敦賀間の工事着手にOKが出たのがこの8月。地元待望のゴーサインです。とくに能登半島などはまだまだ遠い存在です。

ゼミ旅行の一日を割いてその能登の北端、輪島や珠洲を巡りました。加賀から片道3時間。それも能登の自動車専用道があってのことです。能登空港など、この地域が交通インフラの更なる充実を求めるのは理解できるというものです。

「コンクリートから人へ」。どこかの政党のマニフェストにありました。こうした発想が、東京から遠い現地に身をおいて見ると、かなり一方的な都会の論理であることが分かると云うものです。


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尖閣に東京都が関わるのはおかしいとの愚論

2012年09月03日 | Weblog

写真:「尖閣列島(東京都HP)」

東京都による尖閣諸島の東京都による調査が終わりました。中国が例によって、非難めいた口調でのニュースを流していますが、おだやかな天気にも恵まれ、まずはホッとしたところです。

ところで可笑しな議論が出されています。地方自治体は自分達の地域のことをやればよいのであって、国家がやるべきことに口を挟むべきではない。東京都は尖閣から手を引くべきであると。

ちょっと考えてみようではありませんか。例えば非核都平和市宣言。本来、外交や国防は国の専管事項だが、住民の生命と財産を守ることを使命とする自治体が国にすべてを委託できないとして、国に対して行う「異議申し立て」とされています。既に300程の自治体がこれを行っています。
その他にも、地方議会から首相の靖国神社参拝の要請決議もあれば、逆に参拝の中止決議もあります。なかには無防備都市宣言という売国的な宣言まで出そうとしている自治体もあります。
尖閣にクレームをつける輩は、こうした自治体の行動もことごとく否定するというのでしょうか。非核も平和も靖国も領土問題も自治体は関わるなと云うのでしょうか。

某新聞の論調など、全くためにする議論であり、ひたすら中国を逆なでしてはいけないとばかり、都の行動を抑制する議論に外なりません。暑い日が続く中、こんな愚かな議論は一刻も早くやめてほしいものです。


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