嶋津隆文オフィシャルブログ

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被災地の人は早晩、暴動を起こしておかしくない

2011年06月27日 | Weblog

写真:「異臭の充満する女川町の一風景」本人撮影

6月24日(金)から3日間、石巻、女川、福島を訪れました。中小機構のメンバーによる被災地の調査に同行したものです。

3カ月以上たったこともあり、現地もそれなりに落ち着き始めているに違いない。そんな予想が、いかに外部の人間の身勝手なものであることを思い知らされました。どこから手をつけてよいか分からない瓦礫の山。塩害で真っ赤になり始めた木々、気が遠くなるほど強烈な腐敗臭。事態は形を変えてむしろ深刻になっていたのです。

地元の人たちは憤っていました。まちの再建や家の再築をしたくとも、防波堤の高さなどといった基本的な基準を国が決めない。避難している老人たちは、通帳におカネ(義援金)が記入されるだけで安心できるのに、まだ支払いはない。

ハエの飛び交う避難所の体育館の中で、力なく無表情に天井を見る幾つものまなざしを目の当たりにした時、ほとんど棄民に近い事態を生んでいる政府の責任というものを強烈に意識させられたものでした。

こんな話も聞きました。今次の東北の被害は、人災という点で戊辰戦争以来のものである。とくに福島原発に対する政府の混乱と姿勢はひどく、人災そのものではないかと。

戊辰戦争に負けた会津藩に対し、新政府(特に長州)は挙藩流罪として17000人もの会津(福島)人を下北半島に強制移住させ、多くの命を失わせました。徹底して抵抗した会津を極端に嫌悪したからです。

現政権が、東北の被災地に真剣に取り組まないのも、こうした歴史と無関係ではないのではないか。被災地には疑心暗鬼があるというのです。確かに菅直人なる首相は、紛れもなく長州出身。無策の国政が、かように100年の時空を超えての憎悪心まで呼び起こしているとしたら、「最小不幸の社会」などでなく、明らかに「最大不幸の社会」になっているという他ありません。


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上梓しました、全国向け『チエとセンス』の本

2011年06月20日 | Weblog

写真:嶋津著『カネよりもチエとセンスで人を呼び込め!』

出版まで一年余を掛けました。私にとっては7冊目の出版で、業績上も販売上もラッキーセブンとなることを信じています。

タイトルは柔らかくて、『カネよりもチエとセンスで人を呼び込め!』(東京法令出版)。
A5判、296頁、定価2,730円(本体2,600円)。全国の観光まちづくりの取組みを紹介するもので、取り上げた事例はほぼ40。松蔭大同僚の鷲尾裕子との共著です。

東大の月尾嘉男教授から推薦をいただきました。
「地域主権の時代、全国のチエとセンスが一覧できる!」

日本観光振興協会の吉田正嗣理事長からも推薦文をいただきました。
「全国の取組み方が分かる。個性ある観光まちづくりのノウハウ!」

大きくⅠ部とⅡ部に分かれます。Ⅰ部は鷲尾が執筆し、「観光まちづくりの今を知る!」として、安心院のグリーンツーリズムや川崎の工場景観ツアーなどの取組みを紹介します。Ⅱ部は私が担当し、「わがまちの観光プランをつくろう!」として、宇都宮のブランド戦略や岐阜県の飛騨美濃じまん運動など、全国の自治体の観光プランを紹介します。

極めてユースフルと確信する著書です。

なお、このブログを読んだ人は、必ず購入することが義務付けられています。よろしくお含みあれ(笑)。


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石巻市「ひょっこりひょうたん島」への学生支援

2011年06月15日 | Weblog

写真:田代島「にゃんこ・ザ・プロジェクト写真館」より

東日本大震災から3カ月。地域の復興計画が進まないのも、例えば堤防の高さや都市計画での政府方針が決まらないことが原因と、11日のNHK特集では強く糾弾していました。

そんな政府の無策の隙間を縫う様に、多くのボランティアが現地に足を運び、復旧の手伝いをしています。その一環として松蔭大学でも、学生たちが教師と一緒に昨夜の夜行バスで石巻市に向かいました。

行き先は、田代島で人口95人。NHKの人気人形劇「ひょっこりひょうたん島」の舞台になったところで、島民より多い100匹以上の猫がすみ、「猫の島」としても有名です。

人命被害は少なかったのですが、8割が65歳以上でなかなか復旧が進まない島です。ボランティアは、各家への水・物資の運搬、がれきの撤去や草刈り、そして猫の世話。活動期間は日曜までの5日間で、各人の持ち出し5万円。水筒や作業服を持っての出発でした。

学生達の動機は様々です。その一人の北島直人は「被災地の現場を自分の目でしっかり見ておきたい」といいます。三橋健太は「とにかく身体を動かすことで活動したいんです」。五十嵐祐介は「体験こそが大事と思っています」、そして古川裕介は「ボランティアは2度目ですがこの島はまだ人が入っていないと聞きます、何とか役に立ちたいです」と。

百の議論より一の行動。この学生の姿勢に心が洗われます。その一方で永田町は、アリバイづくりの現地視察とポスト延命策の復興論議。菅政権はなぜ若者の、いや国民なら誰もが持つ当たり前の目線を、失ってしまったのでしょうか。

コメント (1)
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アンジェイ・ワイダ監督『カティンの森』に慄然

2011年06月08日 | Weblog

写真:ポーランド映画「カティンの森」(2007年)の一場面

初夏の日差しがまぶしい6月です。しかしここ数日、小さいながら不愉快なことが重なり、その気分直しにと昨日は終日部屋の閉じこもり、映画を見て過ごしました。「マザーウォーター」、「ゴールデン・ランバー」そして「カティンの森」の3本です。3本に脈絡などありません。

「マザーウォーター」は鴨川を舞台に静かに生きる人間たちを描いた癒しの映画。小林聡美、小泉今日子、もたいまさこといった面々が登場し、これがいい。セリフも少なく、淡々と描かれる日常がいつのまにか極めて非日常的な世界に化していることに気づかされます。

「ゴールデンスランバー」は仙台在住の作家井坂幸太郎が原作。首相暗殺の犯人に仕立て上げられた男(堺雅人)の逃走劇です。派手なアクションで十分楽しめるものの、肝心の権力犯罪の説明が極めて不足。従って映画の出来としては不満。井坂の前作「重力ピエロ」や「アヒルと鴨のコインロッカー」の方が確実に面白いというものです。

そして「カティンの森」。劇場で見損なっていただけに何としても見たかった作品です。ポーランドという国家を抹消するために、1万5千人におよぶ将校たちを一人ずつピストルで撃ち殺し、森に埋めたというソ連による1940年の惨殺を描いたものです。しかもその史実をナチスドイツの蛮行だと戦後も一貫して喧伝し続けた、もう一つのソ連の犯罪性が身も凍るような映像で描かれます。

現代日本の浅薄なヒューマニズムを嗤うかのようなアンジェイ・ワイダ監督の作品であり、人間と社会のもつ闇の深さを思い切り知らされ、慄然とするばかりでした。私の映画史の中で、もっともおぞましく、またもっとも衝撃を受けた苛烈な映画と言ってよいものです。


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象グループ設計の沖縄の名護市庁舎、その光と影

2011年06月03日 | Weblog

写真:「あれから30年の名護市役所庁舎」本人撮影

写真をご覧ください。昭和56(1981)年に象設計集団が手掛けた名護市庁舎です。「自然を受けとめ、自然に親しむ」を原則とし、沖縄の気候や風土を重視した伝統的な建物を作るとして設計されました。その年の日本建築学会賞を受賞します。一つの「事件」ともなったこの話題のこの建物を見たくて、完成直後に沖縄に足を運んだものでした。

あれから30年。(・・綾小路きみまろ風の口ぶりですが(笑))。

現在の名護市庁舎の評価を知りたくて、今回あらためて名護市に向かいました。風格ある外観は歳月を重ね、一層この地に溶け込んでいるように見えました。しかし職員の話しを聞いて、驚愕させられました。

人口の空調を使わず、自然の風を流す「風の通り道」として庁内に設けられて通気窓は、その機能を果たさず随所にクーラーが設置されていたのです。「いや、もう10年以上前からですよ、空調を入れたのは。暑くて暑くって何人もが熱中症になりましたから」。

そう解説してくれた職員はさらにこう付けくわえました。「今年からはエレベーターも設置されました。高齢者には階段を上るのは大変なんです。階段の後ろの隙間に取り付けたんです」。

理念と現実との乖離。沖縄には建築物に限らず、政治にも経済にも、こうした生活する住民との思いの隔たりが随所にある。そう思い、些か気持ちをふさがれて名護の地を後にしたものでした。


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