「国立市の話しは程々にしてほしい。読んでいると気持ちがクラクなるじゃあないですか」。時おりブログに、そんなクレームもある国立の一件ですが(笑)、しかし今日はやはり直接傍聴した立場からきちっと書きとめなくてはいけないと思っています。
8月22日に明和マンション訴訟に関する国立市議会の、調査特別委員会がもたれました。石原一子補助参加人らが勝手に最高裁へ上告したといわれていたことが、実は上原公子市長が委任状依頼をするなど、事前に共謀していたことが前回判明しました。その驚きの経緯をふまえ、結果的に遅延利息金など3124万円を市が支払うことになった責任問題が争点の委員会です。当の上原前市長が呼び出されました。
ここでは幾つもの問題点の中から、特に2つ取り上げます。一つは関係者に「政治は結果責任」という視点が著しく欠落していること、二つは市議会と首長という地方自治の二元主義が崩落させられているということの2点です。
ワイマール憲法を起草したM・ウェーバーは、「政治は結果責任である」と指摘しています。この3月の最高裁で国立市の敗訴が確定したとき、前市長は「国立市と市民におわびいたします」という文書を議会に出しました。ところが、22日の答弁では、「あれはいわば脅迫されてやったこと、市民に謝るつもりなどありません」という発言でした。会場にはどよめきが走りました。
敗訴し、市民に多くの巨額の賠償金負担をかける一方、電気やガスを止めると明和マンションの住民を脅かし続けた行為の責任をいささかも感じてはいないということです。裁判所の判決は、上原市長の不法行為性を具体的に認定しています。また最高裁への上告は遅延金を膨張させているのです。その結果としての賠償金と遅延金の支払いは、政治家であろうとした者のせめてもの責任と考えるのが、ウェーバーならずとも世の理というものでしょう。
二つ目の大きな問題は、市議会が上告を否決していたにも関わらず、補助参加人が上告できるという条文を奇貨として上告につき進んだことです。「市民が上告してくれるというのは、(労力として)大変なことです」。これが議会の決定を無視し補助参加人と連動した上原市長の理由です。仲間の市民運動家5人の行為を、国立市議会の全体の意思より優先させるというものです。
憲法92条を常に枕詞として唱えていた前市長。その人物が、憲法での地方自治の基本たる、議会と首長のチェック&バランス規定を堂々と崩すという選択を行ったのです。にも拘らず上原前市長は、「上告の取り下げを改めて決議しない議会にこそ責任がある」と答弁で叫びました。会場は、一瞬茫然としました。既に市議会は市長の上告案を本会議で否決しているのに、何を責任転嫁をするのかという驚きと反発です。
それにしても傍聴していてもう一つ感じたことは、多くの議員諸兄の発言がとかく散漫な様でした。ここまで市議会の存在を愚弄されながら、ここまで市民が負担を強いられながら、ここまで無責任さを開き直られながら、なぜ前市長の強弁に振り回されるのかと思ったものです。国立という市の議会の、組織的な努力不足をつくづく感じないわけにはいきません。地方自治が危ういのです。
そんな苦さを抱きながら翌日の土曜日は、群馬県の日航事故の上野村「慰霊の園」へ向かいました。そして一度は訪れねばとしていた、この事故に村を挙げて挺身した黒澤丈夫前村長を表敬訪問しました。評判どおりの信念の人であり、村人ならず他者への貢献も怠らない首長としての、気迫ある話しに感動を覚えたものです。それだけに、他市からの転居さえ拒もうとした排他的な国立の為政者には、ぜひ聞かせたい言葉だと感じた次第でした。