嶋津隆文オフィシャルブログ

嶋津隆文オフィシャルブログ

景気の低迷する北海道での観光資源に期待を寄せる

2013年05月31日 | Weblog

写真:「美瑛のラベンダー畑」

この月末は北海道の旭川市で開催された全国教育長会議に出席してきました。教育委員会制度の見直しなどの趣旨、今後のスケジュール等が論議され、当事者であるだけに多くの参加者は強い関心を持って議論に参加していました。

その後の視察で話題の観光資源、旭山動物園を廻りました。しかしなぜここがあれほどまでに喧伝されるのか。率直に言って戸惑いました。すべてが平板なのです。私の心がもはや動物に心躍る年齢ではなくなったのか、それともマスコミの喧伝が過ぎるのでしょうか。

少し足を延ばして訪れたのが美瑛のファーム富田のラベンダー畑です。やや時期には早いと云うものの、息をのむような紫のじゅうたんが広がっていました。
経済の冷える北海道の景気活性化の起爆剤になってくれることを祈りながら、幾枚もの写真をカメラに収めたものでした。


小田原で二宮尊徳の業績とその悲哀を思う

2013年05月27日 | Weblog

写真:「報徳二宮神社」

この土曜日は大学のゼミの一環で学生を連れ、小田原の経世家二宮尊徳を学ぶべく当地を訪れました。いやもう少し正確にいえば、今秋10月の予定されている田原市のイベント・プログラムの事前準備を兼ねての訪問でした。

そのイベントは、佐久間象山、細井平洲といった郷土の経世家たちを首長たちに語り合ってもらおうと始まり、今年で7回目になる「嚶鳴フォーラム」です。当該フォーラムで、今年は田原市が田原藩の開明派家老で画家でもあった渡辺崋山を軸に展開し、来年は小田原藩の二宮尊徳を軸に、この全国首長サミットが予定されているのです。

二宮金次郎の名で小さい頃から私たちの頭に浸透してきたはずの尊徳です。しかし報徳二宮神社や小田原城を巡り、また尊徳の生家の傍に建てられた二宮尊徳記念館での丁寧な説明を聞くと、思わぬエピソードに新鮮な尊徳の姿を知らされるというもいうものです。

わけても印象的であったのは、尊徳が財政緊縮と支出抑制を主張したあまり、小田原藩から事実上の追放を余儀なくされたことです。故郷に尽くしながら、その改革の原則主義の故に放逐される尊徳。改革派尊徳の既得権層からのしっぺ返しに憤然としたであろう尊徳の悲嘆たるや、いかばかりかと痛く想像した次第です。


ホンダF1参加のニュースに思い浮かぶセナの墓

2013年05月22日 | Weblog

ホンダが2015年からのF1復帰を発表しました。マクラーレン・ホンダがサーキットに戻ってくる。わくわくするような朗報です。ものづくり日本の象徴となり、停滞する日本活性化の起爆剤にもなることでしょう。

さらに私にとっては息子がホンダの技術者で、米国ホンダに滞在しているだけに、息子のうれしそうな顔も目に浮かぶというものです。

ところでこの朗報は、私にもう一つの感慨を呼び起こしました。アイルトン・セナ。伝説のF1ドライバーです。彼は1991年の日本GPでは、ホンダのエンジンで年間個人総合優勝を決めました。しかし1994年の5月、レースで激突し死去。34歳。

そのセナの眠るブラジルはサンパウロの墓地を訪れたのは、まさに同じ1994年の5月のことです。芝生の広がる広場の中央の一本の木の下に、花束に埋もれてセナの墓がありました。間違いなくブラジル全国民の惜涙が滲み広がっている。そう感じたものでした。

それにしても英雄とは、常に悲劇と同居しているのかも知れない。そんな呟きを同行した同僚が口にしていました。もう20年も以前のことなのに、F1という言葉を聞くと、直ちに鮮烈に思い浮かばれる光景なのです。


「嵩上げ道路は太平洋を見渡す観光資源となる」

2013年05月12日 | Weblog

写真:「渥美半島観光ビューローより」

学校の統廃合問題で各地域を回っていますと、色々な意見が耳に入ってきます。

とくに渥美半島の先端の堀切、伊良湖地区。ここは南海トラフの大地震の到来とそれに伴う津波が20mを越えることも想定され、それだけに、子どもを持つ親御さんの声は真剣です。

「一時も早く小学校を高台に移し子供の安全な教育環境を確保してほしい」と。現に堀切小学校では全校による避難訓練を欠かすことができず、落ち着いて勉強にいそしむ環境になっていないのです。

しかしこんな声もありました。「学校移設は緊急だ。が地域全体を守る津波対策はどうなっているのか」と。その住民は、堀切、伊良湖の海岸沿いの国道を嵩上げし、防波堤とすべきと強調するのです。そうすれば地域住民の生命だけでなく、三河湾にいたるまでの中山、福江地域への浸水を一時的に防げる。さらに言えば愛知県全体への被害を抑えることになるはずというのです。

さらに彼は言葉をつなげます。「国道が嵩上げされれば、その小高い丘陵の上を走る道路からは、それまで見えなかった太平洋の海原が広がって見える。そうすれば渥美半島の新しい観光資源になる」と。うむ、地域にはチエ者がいるものです。


子どもの未来こそ教育行政の主軸にすべきもの

2013年05月05日 | Weblog
写真:「研究会が持たれた加賀屋旅館」
 
田原市に赴任して一か月がたちました。その一か月目の51日~2日は、おりしも東海北陸教育長研究会が開かれた能登の和倉温泉ですごしました。

そこでの教育長たちの議論のテーマの一つは、過疎化に伴う小規模校の統廃合問題でした。一学年に数人しか居なくなった過疎地の教育の現状は深刻です。小学校の6年間、あるいは小中の9年間、数人の同じ児童生徒だけで学校生活を過ごしていくのです。

子ども達の社会性の育成のためにはクラスに多くの児童が存在することが確実に望ましい。しかしコミュニティの軸となっている学校が消えて行くことには、地元の反発が大きい。この住民の対立する問題に多くの教育長は困惑していたのです。

しかし年配者の想い出をとるか、子ども達の未来をとるかと二者択一で問われれば、教育行政に身を置く者としては、まずは子どもの未来を主軸に考えていくべきでしょう。それなのに議論では、統廃合に向けた決断が出来ない教育委員会の戸惑いと、とかく政治問題化する統廃合問題に消極的な首長への恨み節が、口の端にのぼっては消えていたのです。

百の議論でなくただ実行が求められる逼迫した事態の中で、いったい何を逡巡することがあるのでしょう。私には大いに違和感を覚えた和倉の夜と云うものでした。