嶋津隆文オフィシャルブログ

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加賀の市長選に出る友人への伝言

2009年07月28日 | Weblog

写真:「加賀市の大聖寺・長流亭」

北陸はふるさと加賀市の市長選に出馬するという友人から、選挙戦での留意点を聞きたいという突然の電話があり、昨日は急いで新宿の喫茶店にでかけました。選挙はこの10月。地元の強い要請を受けたものの、もう時間がほとんどない中での戦いです。

選挙資金の工面、政党との関係の持ち方、地元のまわり方、マニフェストの作り方等など、聞きたいこと、話したいことは山ほどもありました。しかしとても時間は足りず、追々連絡しあうこととして、加賀に向かう彼を送ったものでした。

別れてから、ふと後味の悪さを感じました。結局、自分が伝えようとしていたことは、手段を選ばず勝て!ということだったからです。2年前の自分の選挙の時に先達者たちが口をそろえて言い、それに少なからず違和感を抱いた言葉、すなわち「本当にやりたいことは選挙後にやればいい。とにかく選挙は勝てばよい」という言葉を、今度は自分が言い続けていたのです。

先週末のテレビ東京の、早大の先輩田勢康弘さんの番組で、引退するベテラン津島雄二衆院議員(あの太宰治の娘婿!)の発言に、ハッとする一言がありました。「小泉総理の前回選挙は問題だった。争点を郵政だけに限定させ、改革かノーかと迫った。その一方で少子高齢社会にいかなる政策をすべきか、消費税も含めた国民の将来の負担問題を議論しなかった。そうしたやり方に、昨今の与野党の、集票だけを考える選挙スタイルが生まれたのではないか」。

民主党は昨日、選挙公約を公表しました。財源を無理(無視?)した子供手当、農村へのばらまき、高速道路の無料化などの風呂敷に、一種のポピュリズムを感じずにはおれません。しかし、こんな選挙戦風土を生んでしまったのが、自民政権であったのだとすれば、一度はオトシマエとして、与党がヤケドを負うのも仕方のないことでしょう。(あっそうそう、財源無視といえば、国立市の駅周辺まちづくり計画も同様でしたね。)

加賀市長選に向かった友人。生まれたふるさとの加賀が、多くの温泉地を抱えながら観光客が激減している事態に心を痛めていました。彼は、有能な官僚です。それだけに単なる人気取りでなく、ふるさとをいかに活性化するか、いかに財源を有効に確保しながら共助しあえる地域を作っていくか、正面から市民に政策を問うに違いありません。そう期待を込めて、今日はブログを書き記しています。


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どうなるか、いよいよ衆院選挙戦に突入

2009年07月22日 | Weblog

昨日の解散を受け、いよいよ8月30日の衆院選挙の戦いに突入です。自民が大敗し、民主が第一党になると予想されています。先日の、あの衝撃的な都議選の結果をみると、まちがいなく9月からは民主を軸にした新政権が始まることでしょう。

与党にとってははらわたの煮えくりかえる事態でしょう。が、内閣支持率を20%以下にしたオトシマエを強いられるのはやむをえないことです。「未曾有」発言や定額給付金騒動など、マスコミのマッチポンプのような無責任な報道姿勢がありました。その悪意にかき回された面があったにしても、M.ウェーバーがいうように、「政治家は、(意図や思惑とは関係なく)結果に責任を負わねばならない」ものなのです。

それにしても何が自民政権への、一番の批判要素なのか。それは思うに、やはり拡大する国民の間の生活不安に由来するのでしょう。給料が下がる。年金がもらえない。育児も老後の介護がおぼつかない。こうした生存に関する、もっとも基本的な要素への不安が現実化してきたところに、政府への昨今の批判が出てきたのです。

この空気を読んで民主党は、「月2万6千円の子供手当」「高速道の無料化」、そして「高校の授業料無料化」等といった公約まで発表しました。何とも美味しそうな施策です。しかしこれだけでも財源は10兆円近くかかります。にも拘らず消費税導入は考えず、無駄を削減することで賄うと説明します。役人の端くれであった自分にしてみれば、こんな大雑把な話には怯えてしまいます、一体どうなっていくのかと。

発足する新政権の今後を、ちょっと予想してみます。9月に鳩山由紀夫が総理になります。しかし総理という人物の政治資金不正処理は致命的です。野党の攻撃の下で、早晩舞台を降りるハメになります。北朝鮮や海賊問題、あるいは憲法問題などで、社民、共産は離反し、国会運営が紛糾します。公約の大判振る舞いのツケとして、国民にかかる負担や増税問題も顕在化してきます。そして方針の動揺にマスコミがハイエナのようにかみつき始めます。1~2年後の新政権は、きわめて危ういものとなるでしょう。

1~2年後といえば、統一地方選挙の季節です。いまの保守政権と同じく、そのころは民主政権が地獄の事態に苦しみ出すのです。財源を無視した、口先き施策のツケを思い切り味わうことになるのです。財源も考えず、イメージだけで駅周辺などのまちづくり論議に市民を翻弄する国立市(あっ、また固有名詞を出してしまった!)のような政治では、社会は混迷するばかりなのです。そのことを痛いほど知るハメになった人々は、もう同じ轍を踏むことはないと思うのですが、いかがでしょう。

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民主、ネットに負けた北多摩2区の都議選挙

2009年07月13日 | Weblog

写真:「混雑する国立駅 平成18年 本人撮影」

北多摩2区。国立市と国分寺市で構成される選挙区です。定数2人のこの区にあって、昨日の都議選で自民が負け、唯一の保守系議席が消えました。これまで自民1人、ネット1人と分け合ってきたのが、今回は民主、ネットの2人が占めたのです。
  ①興津秀憲(民主)  27,328   ③高椙健一(自民)  21,976
  ②山内玲子(ネット)  22,116   ④渡辺淳子(共産)   9,798
         
なぜこんなことになったのでしょう。もちろん、国政での民主への追い風、自民への逆風という構造があります。麻生首相の失態イメージが拡大し、麻生おろしという自民の内紛の醜態が、多くの国民に失望感を与えたことも間違いありません。

そうはいえ、この国立の都議選の結果には、この地の特殊な土着的構造に敗因のあるのではないかと、改めて指摘しなければなりません。要するに、国立市界隈の自民系の組織としての統一性、戦略性が欠落していること、すなわち「自民党は自分党だ」といわれるところの問題です。

2年前の統一地方選挙の時、国立市の市長選で、今回同様、僅差で保守(13,701)が革新(14,707)に負けました。また市議選においても、自民が従来の5議席を4議席に減らしただけでなく、新人3人も全員落選しました。得票率では保守系が16,415、革新系が12,555と優っていたにもかかわらず、自民は議席をとりこぼしていったのです。

しかし敗北した自民では、その原因(世代交代の難渋や選対体制の混乱)の究明を曖昧にしました。その結果が昨日の都議選の惨敗に連なっているのではないでしょうか。聞くところによると、今回も後継問題で紛糾したと言います。市議会の自民内部での相克も国会以上に激しいと聞きます。

保守系政治家はかつて名望家といわれました。野心をもちつつも、私利私欲を超え、常に大局を見ることをその志(こころざし)としてきました。自民党はその保守本流でなくてはなりません。

昨今国立市では、現市長の市政をめぐって共産党が反旗を翻し、革新内部での対立が本格化していると聞きます。しかし反撃のこの事態にもかかわらず、肝心の保守本流が、個人的思惑で対立、迷走しているというのです。何とも寂しい限りという外ありません。
同じ轍を2度も3度も踏むことは、もう避けて行きたいものです。


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唐十郎の「ベンガルの虎」に翻弄される

2009年07月10日 | Weblog

写真:「ベンガルの虎」

都議選の宣伝スピーカーの声から逃避するためではないが、昨夜は井の頭公園に新宿梁山泊「ベンガルの虎」の公演に足を運びました。唐十郎作、金守珍演出で、この種の舞台には珍しい休憩2回の3幕の長さです。蒸し暑い夜の、ぎっしりと客の詰まった紫テントの中は、まさにビルマのベンガル湾の熱風の充満する世界でした。

初演が昭和48(1973)年というこの作品は、学生時代に見逃していたもので、今回の上演には大いに楽しみに出かけました。「いつでも見に来てほしい」という唐十郎本人や、劇団の美人メンバー渡会久美子さん(田原出身)から声をかけられたことも大きな要因です。

しかし予備知識がまったくなかっただけに、この作品が竹山道雄の「ビルマの竪琴」の、一種の残酷なパロディであることには、驚かされました。

「おーい水島、一緒に日本に帰ろう」。部隊の同僚にこう呼びかけられようとも、同胞の遺骨を収集するため僧となり、帰国を拒んだ水島上等兵。多くの日本人が涙した、あの名作です。しかしその水島は、既に日本に帰国しており、そればかりか商社マンになって現地に幾度も行き、人骨を送ってはハンコを作らせる業についていたというのです。

その意表をついた設定に思わず動揺してしまいました。美談を、泥だらけや糞尿だらけにする、唐十郎と独特の創作世界。加えて南洋の戦線での、「ビルマの竪琴」といった男たちの悲劇の一方で、ともすれば忘れがちとなる唐行きさんの悲哀も、何人もの赤襦袢の姿の女たちを登場させることで、汗臭く、息苦しく体感させてくるのです。

しかしだからといって唐作品は、戦争はいけない、反戦こそ大切だなどという薄っぺらな主張を演出するものではありません。

ところで唐十郎の作品は常に発想が過剰、セリフが過剰、演技が過剰、舞台設営が過剰といっていいでしょう。この舞台もそうでした。しかもセリフが早口です。消化不良になるのは避けられません。しかしその辺りが彼の狙いのようです。その過剰さで、既存の価値体系も観客の平衡感覚も崩して喜ぶヘキが、彼にはあるのでしょう。理論づけや体系化などは、日常の庶民の生活には存在なんてしないんだ。下町の住民たちの今日レルな人間臭さを露呈させ、そう哄笑する挑戦性を感じるのです。

それにしても唐十郎は不条理と未消化をもてあそぶ、現代の暴君なのです。そういえば今回の最後も、シャベルカーがテントを突き破り、大量の水と白骨を落とし、主人公の水島カンナを拾い上げて空中に連れ去っていくというド派手なものでした。まさに唐十郎不条理ワールドの極みです。しかしこの演出にいつも負け、そしてまたまた暴君唐の舞台に足を運ぶハメになってしまうのです。

 


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はしご外される国立“革新”市長の悲哀

2009年07月03日 | Weblog

写真:平成18年夏の国立駅前 本人撮影

今回もしつこく国立市政についてのブログです。我慢して読んでください(笑)。

昨晩、国立市公民館で「駅周辺まちづくり基本計画」の関する市案の説明会があり、出席した友人から、こんな激しい質問が共産党関係者からあったよと聞かされました。予算案の否決に続き、いよいよ“革新”内部の崩壊劇が始まったのです。

「(市の計画案では)国立駅前のロータリー機能がなくなってしまう。車社会なのに、ロータリーに車を入れないのは時代に逆行する」
「国立市は年に10億円の赤字を抱えているのだから、3.4.10号道路(駅東のガード下道路)の拡幅など、やるべきではない」

「計画案は、JR、警察、東京都など関係機関との話し合いをしていないではないか」
「我々は市長を選挙で応援した。市民参加を公約としているのなら、この計画案に対し、住民投票すべきである」
「市長はもっと勉強をしろ。福祉軽視もはなはだしく不愉快だ。辞職しろ」

そういえば同趣旨のビラが、市内の各戸にも配布されました。「このままの国立を守り、育てたい」とし、「市民一人20万円もかける国立駅周辺まちづくりを見直そう」と訴える内容です。先の市長選で「修復型まちづくり」と称していた、まちづくり放置思想に立つ市長攻撃ビラです。それにしても、与党と野党が拮抗する24人の国立市議会にあって、共産党4人の造反は、“革新“市長には致命的な痛手です。

これを聞いて私は突然、先の国分寺市長(平成9年~13年)の山崎真秀教授の最後を思い出してしまいました。「平和の憲法学者」といったキャッチフレーズで当選したこの隣町の“革新”市長は、何の事はない、わずか1期で市長を辞めます。それは支持母体であった共産党との確執によって崩壊したからです。その裏切りの悔しさを赤裸々にこぼす彼の著書は痛々しい限りでした(山崎著『自立した自治体は可能か』)。

「フーセンのように言葉が軽い」と揶揄されていた関口国立市長。さすがに今回の事態には頭を抱えていることでしょう。それにしても、補正予算に反対した共産党の行動に動転し、自民党に賛成してほしいと頭を下げに行った姿は、語るに落ちるというものです。しかし指導力のない首長の末期とは、往々にしてこういった恥辱的なものなのです。


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