嶋津隆文オフィシャルブログ

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市選の弁護士意見!「国立市は前市長に求償できる」

2009年02月27日 | Weblog

国立市が、明和マンション裁判で敗訴し、賠償金など3124万円を支払ったのが1年前の3月のこと。この巨額の市費について、「ルールを無視し、信用棄損行為や名誉棄損行為を行い、賠償の責任をつくった上原公子前市長に返還を求めるべき」との市議会や市民の声がすこぶる強くなってきていました。返還請求の時効が1年間で目前となっているからです。

この声に押され、関口現市長が弁護士に法律的な意見を求めたのが年末です。そしてその一つが2月13日に提出されました。行政関係の訴訟を専門にする伊東健次弁護士によってです。明確に前市長の責任を認めたもので、極めて正鵠を得た内容と評価できます。「色」のついた弁護士だけでなく、客観的な弁護士も人選した点では、国立市に敬意を表するものです。以下に伊東意見書のポイント部分を掲載します。

Q1 国立市は、上原前市長に求償権を有するか(前市長の行為には故意ないし重過失があったか)? 
A1 国立市は、上原前市長に対し、国家賠償法1条2項による求償権を有する(注:上原前市長の行為には営業妨害の「故意」があるとの意味)。ただし国立市が求償権を有する公務員は、上原前市長のみに限られるわけではない(注:市の関連部長たちも求償される対象となるとの意味)。

Q2 (国立市は)損害賠償金(2500万円)のみならず、遅延損害金(624万円)についても求償権を有するか?
A2 国立市は、遅延損害金に対しても、求償権を有する。

Q3 国立市は、明和地所から寄付を受け取っているが、この寄付(注:明和地所は「おカネが目的ではないので」と支払いを受けた賠償金と同額を教育・福祉のためにと市に寄付している由)によって損害が補填され、上原前市長への求償権はなくなるのか?
A3 寄付金の受け入れにより、求償権の対象となる「損害」が填補されたことにはならない(注:賠償金と寄付金とは別個の行為であるとの意味)。

聞くところによると、今日あたり、国立市議会の「明和マンション裁判特別調査委員会」
での「報告書」が出され、その内容は、良識あるこの弁護士とほぼ同様だといわれます。
また市民グループも上原前市長らの求償を求める住民監査請求を提出するようです。

朝から牡丹雪のちらほら舞い落ちる天気です。しかし非常識を許さない、こうした良心的な動きに、ふっと暖かさを感じる今日の国立といえるようです。

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山口百恵と国立市に思う「時」というもの

2009年02月21日 | Weblog

 

いつものように国立の、三浦友和邸の近くを車で通過しながら、大学に通う昨日の朝、ラジオから何んと「オール山口百恵」特集が流れてきました。あの日本武道館でのファイナルコンサートで、「さようならの向う側」が唄われ、そしてプロデューサーの思い入れもあったのでしょう、いつまでも続く熱狂の騒音の中で、コトッという音も放送されました。最後に白いマイクを置いたあの瞬間の音です。

「私のわがままを許して下さい」。そういってわずか21歳の秋に、7年間の芸能界を引退しました。その潔さに、多くのファンが涙しました。その彼女もいまや50歳。時の流れの速さに驚くとともに、いつまでも私たちの記憶に残る、あの引け際時のドラマ演出に改めて舌を巻くというものでした。

ふりかえってわが国立市についてです。「時」というものに無頓着な行政が、いかに市民生活を混乱させ、自らの醜態を示しているかと感じさせられています。例えば「住基ネット切断」の問題です。

国立市が個人情報の漏れの危険性があると住基ネットから突然に離脱したのが7年前の2002年のこと。それから、個人情報保護法ができ、最高裁判所も昨春に「プライバシーの侵害はない」との判断を下しました。次々と全国の自治体が復帰するなか、国立市は今も拒否を続け、ついに先日、国からの是正要求が出されました。

住基ネットには、年金の現況届提出や、パスポートの申請時に住民票添付が不要で済むなど、多くのメリットがあります。しかし国立では、ネットを切断していることで、そのつど年金生活者や海外旅行する人は市役所まで足を運ばなくてはならないのです。町を歩いていると、このことへの不満を多くの人から聞くことがありました。

左派独特の観念論に走っていた国立市長も、こうなってくると収束の時期を考え始めなくてはなりません。国や都に言われて接続を復活するのは見苦しい、しかし裁判をしても必ず負けることになるし、また市税を消費することになる。果たしてにっちもさっちも行かなくなっているのが現市長ではないでしょうか。

それにしても、収束するにふさわしい「時」は幾度かありました。一つは個人情報保護法の制定時です。二つ目は最高裁の判決が出た時です。全国の多くの首長たちは、それを奇貨として決着をつけました。横浜市も中野区も杉並区もそうでした。しかし国立市は、つっぱるだけつっぱってしまい、今、収拾の場づくりに混迷してしまっているのです。

国立市の収束の醜態ぶり。これを山口百恵の引け際の爽やかさと比べるとき、「ベンチがアホだから」という江本某の言葉を呟かざるを得ないのです。国立左派といわれるグループの、政治的な戦略センスのなさと、「時」というものを考えない無責任さに、そのしわ寄せを受け続けている国立市民に何とも同情を申し上げる外ないというものです。

 


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建国の日に思う神話、伝説、伝承

2009年02月11日 | Weblog

写真:豊鹿嶋神社(東大和市) 本人撮影

今日2月11日は「建国記念日」です。いや正確には「建国記念の日」です。この日の法制定を社会党が反対したために、当時の与党が「建国を記念する日」と曖昧にすることで昭和41年に国会を通過させました。40年余り前のことです。

そんな記念日の今日、せっかくの神々にあやかる機会だからと近隣の神社を訪れました。東大和にある豊鹿嶋神社、昭島にある日吉神社、そしてちょっと趣旨が異なるものの昭島大師にも参拝してきたのです。

神武天皇が100年も生きたなどとは非科学的だ。当時は縄文時代であり日本には文字もなかった。何よりも天皇制の神格化は民主主義に反するものだ。こういう思考が戦後久しいこと普及されてきました。

確かにこうした見解には否定できない面もあります。しかし千年、二千にわたって伝承されてきた神話等の果実を否定し去るというのは、幾代にもわたって培ってきた日本社会に対する冒瀆ではないでしょうか。

旧約聖書にいうノアの方舟やバベルの塔、あるいはモーゼの出エジプト記を非科学的だと嗤うことは勝手です。あるいはガリラヤ湖でのイエスの奇跡を冷笑することも自由です。しかしそれらの伝承には実に多くの先人たちからのメッセージが込められていることを誰も侮ることはできません。

同様にわが国の天照大神の天岩戸、やまたの大蛇、大国主の命の神話などにも、長いこと伝えられてきた民族のドラマがあります。蓄積された様々なメッセージがあるのです。私たち日本人は、こうした民族のDNAのようなものを、戦後ほとんど学ぶこともなくないがしろにしてしまったのです。神社には日露戦争や日中戦争の碑等も数多くあります。これも完全に無視してきているのです。

いまや神社との接点は、お正月とお賽銭だけ。そんな姿になってしまいました。今日廻った何処の神社も訪れる人などほとんどなく、実に閑散としていました。家々の玄間に往時は立てられていた日の丸も、すっかり見られなくなっています。

民主的でいい世の中になったものだ。そう喜び、先人たちの伝承を消しゴムで消してしまったことに得意然としている人もいることでしょう。しかしそうした姿勢にはやはり違和感があるというものです。神話、伝説といった営みに、もっと「畏怖」を持つべきではないか。昨今の加齢現象も手伝ってか、強くそう感じる「紀元節」の今日なのです。


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一周遅れの亭主の狼狽を嗤うか団塊世代女性

2009年02月03日 | Weblog

写真:「時間の流れをじっと見つめる」(宮島にて本人撮影)

一周遅れの亭主の狼狽を嗤うか団塊世代女性


月刊「地方財務」(ぎょうせい)の2月号での、シリーズ連載【もうひとつの団塊世代論⑧】のテーマは「団塊世代女性」です。苦手の女性論を以下のようにしたためてみました。ご笑覧下さい。

「男は仕事、女は家庭」に反発した団塊女性?
70年代に中ピ連というウーマンリブ運動があった。中絶禁止に反対しピル(経口避妊薬)の自由化を主張する女性グループである。生む、生まないは女性が決めるという姿勢は、男性社会を否定するものとされた。マスコミは彼女らを大いに喧伝し、また彼女たちも大いにマスコミを活用した。それだけに自壊も早く、最後は選挙に女性党を立て惨敗して消えた。違和感はあるものの、これも団塊世代の女性たちの姿の1つであったことは間違いない。
当時、大学改革を主張し社会変革を唱えるデモの列の中には多くの女性がいた。彼女らは「男は仕事、女は家庭」という伝統的な思考に反発し、旧弊とされた戦前の「イエ」制度の打破を戦後民主主義の向かうべき目的としていた。男女の平等、女性の権利の容認といった変革を、学園闘争と連動させて運動の軸としていたのである。そして学園を離れ就職した団塊女性の人たちの中には、職場での男女差別に反発し、寿(ことぶき)退職に反対したり育児休暇を求め、組合結成などを展開していった人も少なくない。

団塊女性は結婚で「団塊世代」を終えた
ところがその団塊女性も20代の半ばになると一斉に職場を離れ、家庭に入っていったのである。もちろん子どもが出来て、育児のために不本意ながら職場を去った人も多い。だが今にして思えば、もし「団塊世代」というものが“改革”をトレードマークとする世代だとしたら、この段階で「団塊世代」としての存在性を彼女たちは終えていったといえるだろう。
ちなみに「出産で勤めをやめ、子供が大きくなったら再び勤める」という考え方が当時の過半数であった(昭和46年労働省「既婚婦人の就労に関する調査」)。「団塊世代女性の労働力率は20代前半から20代後半にかけて70・6%から42.6%に減る。この減り方は他のどの世代と比べても最も著しい。団塊世代女性は、25歳までに結婚して、子供を産んで、専業主婦となるというライフコースを最も忠実に歩んだのだ」」(三浦展「団塊世代の戦後史」)などと指摘される。
そして後日、上記調査の通り、子育てを終えた団塊世代主婦たちは、再び職場に出始めるのだ。女子のパートタイム雇用者数は、1970年は130万人だったが団塊世代が40才近くとなる85年は333万人と2.5倍増となっている。大半の女性たちは結婚で家庭に入り、やがて子供に手がかからなくなって再び職に就くというパターンをとったのである。変革志向の世代的な特長をもつと思われがちな団塊世代女性ではあるが、実は結婚後は「男は仕事、女は家庭」と棲み分ける、スタンダードな存在となっていたのである。もっともこのパターンは、何も団塊世代だけの特長ではなく、我が国女性の一般的な就労形態である「M字カーブ」そのものに外ならないが。

一足早かった団塊世代女性の「定年」
しかし注目すべきは、団塊女性たちが50代前後になっての行動である。彼女らは社会変革ではなく、それ以後の自分の暮らし方をそれぞれ自由に選択し始めたということである。ここ10年に団塊女性は、パートタイムを軸に働くことを選ぶ一方、趣味や社会活動を心置きなく探し始めている。グルメを楽しみ、韓ドラブームに浸り、又おりしも発効したNPO等を媒介に社会貢献活動を大きく拡大させてきたのである。「2007年問題」などといって、男たちの定年問題を騒ぎ始める何年も前に、団塊女性たちはしっかり一人で生きる人生後半の方向性を選択していたのである。
だがいわば一周遅れとなっていた男たちは、それにも関わらず、自分たちが団塊世代全部であるかのように「昔はこうだった」等と改革幻想を語り続けていたのである。あるいは一人で生きる警戒感のないまま定年後も妻と一緒に過ごしたいとの期待感を募らせ続けていたのである。日経産業消費研究所の調査(平成17年)によると、定年後に余暇を楽しむ相手を配偶者とするのは、男性は67.8%、女性は52.2%であった。15%も差をつけて、男は女(妻)に期待をしているのである。男と女のギャップは大きい。
いつまでも口先だけの改革幻想と配偶者との生活幻想を持つ団塊男性。他方で理想主義や変革意識を捨て、しっかり「世間と老後の常識」をもって一人で生きている団塊女性。そんな女性たちからみれば、定年コーナーで狼狽する男の姿は恐らく冷笑ものなのだろう。こうなると、まことに気乗りのしないところではあるが(笑)、団塊男性は確実に先達者たる団塊女性に学ぶ外ないというものである。


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