嶋津隆文オフィシャルブログ

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ネパールの仏塔が思わず連想させる村上隆作品

2012年03月28日 | Weblog

写真:「 カトマンズ盆地を見渡すスワヤンプナート仏塔」

またまたヒマラヤ紀行です。まずは写真をご覧ください。

カトマンズの街を見下ろす丘の上のスワヤンプナート寺院の仏塔(ストゥーパ)です。密教の本尊の大日如来像が安置されています。しかも当地では、この大日如来がゴーダマ・シッダールタ(釈迦)に生まれ変わったと語り継がれるほど信仰を集めています。

大きな目は仏様の眼で、鼻の部分はネパール数字の1で統合を示します。しかし見れば見るほど楽しくなるような造形ではありませんか。秘密仏教といい曼荼羅といった神秘主義的とは凡そかけ離れた、素朴な親近感をもたらします。思わず村上隆のフィギュア作品を連想してしまったというものです。

考えてもみれば密教など多くの仏教は、そもそもこうした衆生の心を掴む素朴さを出発点としていたはずです。それが中央アジア、中国、そして日本へと渡って来る間に、小難しい漢文をそのまま音読みする、衒学的な教示方式に変わっていったのでしょう。

仏の教えを難解にすることで経文を権威づけ、そのことで自らの立場を権威づけるという、各地の僧や支配者のそれぞれの作為があったのではないかと思うのです。カトマンズの寺院の仏塔から、そんな人間のもう一つの心の闇も知らされたというものです。


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鳥葬で鳥たちが今や遺体を食べなくなったという

2012年03月23日 | Weblog

写真:「水汲み場に並ぶカトマンズの女たち」本人撮影

耳を疑うような慄然とする話しもネパールでは聞きました。

ガンジスの上流が街を走るカトマンズでは時おり川岸から荼毘の白い煙が上ります。ヒンズー教徒が8割と言われるこの地では火葬が一般的で、しかもその火葬は骨にするのでなく白い粉にまで焼き、そしてその粉を川に流しあるいは山に撒くというのです。

そんな葬送の説明の際に、ふいに地元のガイドがこう付け加えたのです。
「山の方ではチベット系の人たちがいて、現在も鳥葬を行っています。しかし最近では鳥葬をしても、鳥たちは遺体のホンの一部しか食べず大半を残すようになりました」。

えっ、なぜですか?

「人間の身体に有害な物質が入っていることに警戒しているようです。水葬も行う地域もありますが、ここでも魚たちが死体を食べなくなったと言われます。やはり魚たちも人間の身体の変化を警戒しているのです」。

本当にそんな事態が生じているのですか?

「ネパールでは、ホンの最近まで全ての汚物は自然の土に帰りました。しかし近代化が進みプラスチックごみが入ってから、そうした生態系が崩れて廃棄物が街に溢れるようになりました。人間も同様で、その身体に自然には戻らない有害物が浸透し、そのことを鳥や魚たちが気付き始めたといえるのでしょう」。

文明を進化とみる現代人に対する何という残酷な警告でしょうか。これもヒマラヤの神々の、我々へのメッセージの一つと捉えねばなりません。


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いまネパールでは「明治維新」が進められている

2012年03月21日 | Weblog

写真:「ネパール最古の寺院スワヤナートにて」本人撮影

神々の住む美しいヒマラヤの一方で、地上の街カトマンズは人間の汚濁の中にありました。川という川には汚物が散乱し異臭が漂い、また道という道には車とオートバイが溢れ、大気の汚れに誰もがマスクを付着せざるを得ない状態でした。

「明らかにインフラが足りないのです」。そう地元の通訳ガイドが嘆いていました。「道路も水道も下水も何もかもこれからです。そのためには外国資本が必要であり、政権が安定し、憲法制定が行われなくてはなりません。いまネパールは「明治維新」の心構えで国づくりを進めています」。

ネパールは20年前に立憲君主制となり、2008年にはその王政さえ廃止され民主共和制へ移行しました。しかしマオイスト(毛沢東主義者)と議会派の内紛状態は解消されず、他方で中国、インドという周辺大国の進出に脅かされています。

そういう状況は確かに明治維新に似ていましょう。それだけに欧米列強の脅威を跳ね返し、徳川幕府から立憲君主制への移行に取り組み近代化に成功した日本の存在は、ネパールの人々にとって大いに継承すべき歴史であるのです。

しかしわが国の国力の衰退を間近にみる昨今、ネパール人の日本評価には、いくばくかの気恥ずかしさを感じないではおれません。

コメント (1)
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エベレスト(サガルマータ)を仰ぎ言葉を失う

2012年03月19日 | Weblog

写真:「中央にそびえるのがエベレスト」本人撮影

これがあの世界最高峰のエベレスト(サガルマータ 8848m)です。
飛行機の窓からとはいえ、間近に見る壮大さには言葉もありません。

Beautiful!
Wonderful!
Greatful!
Amazing!

いやいやこんな表現ではとても間に合わないのです。
身震いのする巨大建造物です。
明らかに神々の居城です。

立体の迫力を伝えきれない2次元の写真は歯がゆい限りです。


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さあ出発します、神々の住むヒマラヤの山々へ

2012年03月12日 | Weblog

写真:「ヒマラヤ・ネパールはここ!」

いよいよ今晩(10日)からヒマラヤへ出発です。次のブログは帰国後の20日頃になりますので、早めのメッセージを第一報としてアップします。

今から羽田に行き、深夜12時半の便で出発。シンガポールに早朝着、そこからカトマンズに向かい現地時間の9時に到着。飛行時間は12時間余です。

しかし寝不足など吹き飛ばす大パノラマが、飛行場周辺から展開されているものと信じています。多分このブログがアップされる時(12日)は、ちょうどナガルコットの丘からヒマラヤの壮大な日の出を眺め、世界最高峰エベレストのそびえる姿に興奮しているに違いないでしょう。

今回のツアーの行程の中で、トレッキングのような山歩きが3日間、地上からだけでなく空からも神々の住むヒマラヤを見たいとセットした遊覧飛行が1日。

山と山歩きだけではありません。世界遺産に指定されるバクタブル、カトマンズ、バタン等といった幾つもの伝統的なエリアの散策も3日間、入っています。

なかなか欲深な行程です。しましまあ、何とも楽しみな旅と言うものです。皆さん、どうぞ羨ましがって下さい。


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訪れてみるとそこは「新思潮」メンバーの拠点宅

2012年03月09日 | Weblog

写真:「小山内薫らが刊行した「新思潮」創刊号(明治40年)」

“犬も歩けば棒にあたる”と言われますが、一昨日執筆作業のヒアリングで尋ねた練馬区羽沢2丁目でのこと、まさにワクワクするような事柄に出くわしました。

訪問先は、元東大にも勤務していた山本一郎歯科医師の自宅です。そこでの世間話の中で、ふいにこんな話が出たのです。

「この家は、以前新聞社に勤務していた義兄の住んでいたところ。文学に関心のあった彼は東大時代に「新思潮」のグループに入り、ここがそのメンバーの拠点となっていたのです。三浦朱門や吉行淳之助、和辻哲郎なんかが出入りしてたんですよ」。

その言葉に、思わず天井を見上げ、回りの書棚にも食い入るように目が行ってしましました。
いうまでもなく「新思潮」は明治40年に小山内薫が創刊した文芸雑誌で、その後東大系の同人誌として著名な作家を輩出することとなります。大正期には菊池寛、芥川龍之介、久米正雄らを、戦後でも阿川弘之、有吉佐和子、梶山季之などを出す等、キラ星のごとき人材が集まった文芸運動なのです。

その拠点の一つがこの居宅であると言うのですから、それはもうワクワクしない訳はありません。
しかしそれにしても、かつて文学や作家は時代を領導した感がありました。振り返って昨今の世相を見るに、文学の注目は芥川賞というイベント位となってしまいました。小説のリアリティが現実のそれより貧弱になってしまったからか、それとも人々からゆとりが消えてしまったからなのか。いずれにせよ一抹の寂しさが湧くのは否めません。

 


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1年半の検討を終え厚木市観光振興計画を提出

2012年03月06日 | Weblog

写真:「厚木は山と川のある街(富士、大山、厚木市街、相模川)」

厚木市の観光振興検討委員会が発足したのは1年半前の夏のことです。その最終の委員会が昨日(3月5日)持たれ、長期的な視点に立っての厚木市観光振興計画を提出しました。

委員会の委員長という立場にあっただけに、計画の完成に正直ホッとしているところです。市長からの正式の公表は来月となるようですが、計画倒れに終わらない、着実な実践を期待するところです。

それにしてもこの厚木は多様な魅力を持っています。ソニーや日産など日本の先端技術が集積することで有名ですが、その一方でなかなかの歴史資源のあることを知らされ、楽しい1年半を味わうことが出来ました。

例えばです。厚木は長州毛利家の発祥の地であるのです。鎌倉時代の毛利家を想起させる三島神社が残ります。江戸時代には木材の集散地として繁栄し、幕末の経世家渡辺崋山が「まるで江戸のようだ」と記したと言われます。昭和になっても、多い時には120人もの芸者衆がひかえていたと検討会のメンバーが懐かしんでいました。苦い歴史では、厚木の飛行場に降りたマッカーサー元帥の強烈なシーンも残ります。

「住めば都(みやこ)」とはよく言ったものです。厚木の松蔭大学に勤務してそろそろ丸5年。間違いなく、この街が好きになってきているようです。


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