嶋津隆文オフィシャルブログ

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三笠宮殿下に拝謁した日の出来事

2009年10月26日 | Weblog

10月23日は上野の美術館で冷泉家展を慌ただしく見た午後、すぐさま三鷹の中近東文化センターに向かいました。設立30周年のセレモニーが行われ、そこに臨席される三笠宮殿下に私をご紹介したいと、宮家に親しいある知人から話しを受けていたからです。

殿下は昭和天皇の弟君です。文字通り大変に貴重な機会であり、またオリエントや西域に若いころから関心を持っていた自分にとって、オリエント学者としての殿下にお会いすることは何とも慶びとするところでした。

ただご紹介いただくだけではいささか寂しい。何か殿下に印象に残ることをお話しできないだろうか。浅薄にもこう思いついたばかりに、その経緯は、以下のような顛末となりました。恥ずかしながら書き記すことといたしましょう。

ご夫妻でお茶を召し上がっていた席に知人に連れられて伺うと、殿下はわざわざ椅子から立ち上がられて、対応して下さいました。そこで私はこう申し上げたのです。

「殿下、きょうこうしてご挨拶できることになりましたことを、たいへん光栄なことと存じております」
「あ・・・」
「実は私、殿下の書かれたオリエント学の本を高校時代に読まさせていただきました。大変に触発され、それ以来オリエントやシルクロードに魅かれ、当時この分野の権威であった京都大学に何としても進学したいものと心に決めたのでございます。」
「・・・」
「しかし受験に2年続けて失敗いたしました。高望みしたことで、それ以来東京に参って、意に染まない人生を歩むこととなりました。それだけに殿下の本を40年間、お怨み申し上げておるところであります(笑)。」
「・・・」

殿下は終始無言でありました。こうした話に少しは微笑まれるのではないかと考えておりましたのに、およそ場は盛り上がることなどなかったのです。私はいささか戸惑ってしまい、同伴した知人の声かけを機に、早々に退散した次第でした。

いやあ、焦りました。シモジモの発想がために、かように殿下とのやりとりは汗顔の至りというものでした。まことにもって歴史的な日(?)であったという他ありません。
コメント (1)
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国立市の住基ネット切断は問題!との漫画ビラ

2009年10月22日 | Weblog
国立市が住基ネットを切断していることに対し、先月末に監査請求の出されました(9月29日ブログ参照)。
 その趣旨を徹底するため、今日、市内に配布されたのがこの漫画ビラです。住基ネット切断の問題点がたいへん分かりやすく示されているもので、参考までにここに掲載します。どうぞ楽しんでください。




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箱根駅伝の予選会での悲喜こもごも

2009年10月18日 | Weblog

スポーツの秋です。ゴルフにも、ここのところ遠ざかっている昨今の私ですが、一昨日(17日)行われた立川昭和記念公園での箱根駅伝の予選会には、早朝からでかけました。もちろん松蔭大学の駅伝部が参加することから、その応援が目的です。

松蔭大学の昨年の成績は47の出場大学の19位。新春の本番に出場権を得るのが11校ですので、まだまだという位置です。しかし学連選抜には昨年2人が入っています。今年はさらに好成績をと期待し、また何よりも教え子が走るということもあり、駆けつけたのです。

松蔭大の結果は22位。タイムはアップしたものの順位は3つ下がりました。近藤監督の沈痛な表情や選手の頬を流れる涙に、掛ける声も小さくなったものです。もっとも、学連選抜の2人は今年も確保できるということにはホッとしました。

それにしても会場は文字通り悲喜こもごもの声に包まれました。歓声に沸く駒沢や上武大、泣き崩れる国士舘や順天堂大等など。まさにこの日のために昼夜を問わず汗を流してきた学生達の、すべての思いが決着させられるのです。独特の緊張感が充満するのも当然です。勝者がいれば敗者もいる。喜びもあれば悲しみもある。しかしそこに感動もあるのです。

しかしその感動を否定する人たちがいることに今更ながら驚かされます。過日広島、長崎がオリンピックを招致したいとニュースが流れたところ、「広島は平和を希求するまちです。競争を助長するようなものは持ってくる必要はありません」などとインタビューに答える女性がいたのです。何といういびつな平等主義なのでしょう。

こうなると、改めて思いだすことがあります。かつて国立市では公立小学校の運動会で、例えばかけっこで順番をつけてはならないと、子供たちに一斉にゴールを跨がせたことが行われました。民主主義教育のばかげたはき違えです。しかしこうした価値観を絶対ものもとして、絶叫する先生達が少なくなかったのです。

その考えの延長でしょうか、民主党政権になって再び全国学力テストが事実上なくされようとしています。競争を煽るものとして、日教組が一貫して反対してきたものです。教育に手を抜く組合教員への批判が出てくることを警戒しているからだともいわれます。しかしこれで、またまた子供たちの学力が低下するものと心配しないわけにはいきません。

さわやかな一日であるはずの、駅伝の祭典の一日。が、そこでふと頭をよぎった偏狭な日教組などの動きに、思わずこころ沈ませて帰路についたものでした。

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九州は知覧のまちの、静謐と喧噪に戸惑う

2009年10月12日 | Weblog

(写真タイトル: 知覧の武家屋敷群 本人撮影)

熊本で開かれた全国都市問題会議の帰路に、足を南に向けてみました。鹿児島には数度、訪れています。しかしどうしても知覧のまちを訪れてみたいと思い立ってのことでした。庭園文化を凝縮したといわれる知覧麓の武家屋敷群と、特攻の出撃地であった知覧飛行場跡。それぞれに気持を掻き立てるものがあり、大いに期待を寄せての紀行でした。

上の写真はその武家屋敷群の一風景です。ご覧のように、薩摩の小京都と称される風雅な町並みが広がっているのです。薩摩藩が外城と呼んでいた武士集落が、260年もの歳月を経て往時の面影を残しているのですから、息をのまされたものでした。

何よりも感動したのは、この町の気品とも風格ともいうべきたたずまいでした。町全体が静謐そのもので、それぞれの家を守る人たちの凛とした気配が界隈を包んでいたのです。それだけに保存会の人に思わず訪ねてしまいました。「不思議なくらい、生活臭がしないですね。一体、ゴミ出しや洗濯物はどうなっているのでしょうか」と。

ゴミはもちろん表通りの方に出しますよ。洗濯物は皆様に見えないところに干しています。定年になった人たちが多いので、生活に困っていることはありません。ただこれからは後継ぎがいない家が多いだけに心配していますね。そう物静かに答えてくれたものでした。

特攻の平和会館は、その地域から車で10分くらいしか離れていないところにあります。いうまでもなく隊員たちの遺品や手紙、あるいは海から引き揚げた戦闘機等が陳列されています。昭和19年の11月に、フィリピンのレイテ沖での特攻で散った叔父の心情を思い、その重さに押しつぶされそうになりながら、私は会館に向かったものでした。

しかし入館したとたん、大きな違和感を持たされました。山のような人ゴミ、自分の言葉に酔って涙で語る解説者、特攻隊員を「勇士」とばかり礼賛する説明書。映画「ホタル」や「俺は、君のためにこそ死ににいく」の映像や音声が流され、ほとんどそこはアミューズメントセンターといった感がありました。

そんな喧噪の中では、死を直視しながら離陸していった若者の心情を汲むことは困難です。歴史を追うことも難儀です。静謐の中で、凛とした生きざまを伝える武家屋敷の一方で、こうした騒音の空間をもつことに、知覧のまち自体も戸惑っているに違いないだろう。そう思って私も気持ちを切なくしつつ、この地を巡ったものでした。


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毎日新聞にインタビュー記事が掲載されました

2009年10月05日 | Weblog
毎日新聞の10月1日付けで、以下の記事が掲載されました。私の初めて担当するゼミ学生の面々で、厚木シロコロホルモン店の前です。



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