嶋津隆文オフィシャルブログ

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大学教授には自治体○○委員でお座敷がかかるが

2010年06月25日 | Weblog

「春先の松蔭大キャンパス」:撮影本人

前から話しは聞いていたものの、確かに大学の教には、自治体を中心にいろいろな審議会や検討会の委員として声がかかるようです。「学識経験者」という何とも深奥なタイトルの範疇での選出のようですが、まあ地元の各団体の力関係に与せず、使い勝手が良いということが、お座敷がかかる所以なのでしょう。

新年度になって地元厚木市からは新規に3つ、4つの声がかかりました。「観光振興委員会委員」、「フードバトルinあつぎ特別選定委員」、「マスコットキャラクター選定委員」などです。厚木市とは「食のブランド選定委員」選定委員は引き続いての就任ですし、昨年の「シティセールス検討員会」では委員長としても関与してきました。

地元は厚木市だけではありません。綾瀬市の「観光コーディネーター」、大和市の「観光アドバイザー」に就き、今年度は宮ヶ瀬湖周辺振興財団(国交省、清川村、愛川町)の「観光アドバイザー」としても関与する運びになっています。神奈川県からも新たに委員の委嘱が現在2つほど予定されています。

神奈川以外の自治体からも声がかかっています。以前からふるさと田原市(愛知県)の「観光アドバイザー」となっており、また中野区の「個人情報保護審議会委員」も2年目に入ります。昨日は朝霞市(埼玉県)の「外部評価委員」としても委嘱を受けました。

なかなか楽しいものです。様々な自治行政の取組みの生の姿が見られ、また多くの自治体の第一線の人たちとの輪が広がるからです。

しかしそれにしてもと、ひっかかることがあります。報酬の一回1万円前後という相場です。半日つぶれる場合、例えば講演ということであれば5~10万円位は払われるものですから、そのアンバランスぶりが分かるというものです。いったい誰がこうした水準を自治体の中につくってしまったのでしょうか。

そういえば今日の新聞に、ニッサンのゴーン社長の年間の報酬が8億9千万円、ソニーの社長が8億1千万円などと公表されていました。「じっと手を見る」と謳った石川啄木の歌を思い浮かべない訳に行かない今朝の心境です(笑)。


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めでたい!友人の鎌田薫が早大総長になった

2010年06月17日 | Weblog

写真:「早稲田の大隈講堂」

友人の鎌田薫が早大総長になりました。いやあ、めでためでたの若松さま♪です。昭和42年入学の法学部の同窓で、大学闘争が激しかった時に知りあいました。苦い思い出の少なく頃です。スグレ者の彼は、やがて民法の篠塚昭次先生に見込まれてそのまま早大の教授となっていきます。

数年して、パリのソルボンヌ大学にフランス民法の研究に留学しました。その時、家族がお邪魔し、美味しい生カキをご馳走になりました。20代の後半のことながら、その時に既に新進気鋭の学者の風格があったとは家人の言です。

甘いマスクも手伝ってファンが多かったのは間違いありません。ある時タクシーの中のラジオで、「法学部にはとても素敵な先生がいます。鎌田先生です。どことなく翳(かげ)を感じさせるのがたまりません」などと電話する女子学生の声を聞いたこともありました。

東京都の収用委員会の事務局を担当していた時、彼を収用委員にしようと依頼し、就任してもらいました。ところがその時の私の秘書が、何と彼の大ファンの早大の女子学生の一人だったのです。彼女の喜びようは尋常ではありませんでした。

ところで前総長の白井克彦先生は、人前での話し方にやや物足りないものがありました。その前の総長の奥島孝康先生は、風貌においてやや物足りない点がありました。そうした点から言えば、文句なく知性を漂わせる人物が久しぶりに早稲田の総長になったと言えるのではないでしょうか。

ハハ。何にしてもめでたい限りです。


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「明治の日本人と地方自治」の書評が載りました 

2010年06月14日 | Weblog
「明治の日本人と地方自治」の書評が載りました 



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大空院慈眼雄峰清居士という戒名は清々しい

2010年06月11日 | Weblog

「ふるさと渥美に舞うホタル」 撮影:mahiroo

郷土の渥美半島の大先輩、山本雄二郎高千穂大教授が逝って、半年が過ぎようとしています。この週末に帰省した折、先輩の眠る潮音寺のお墓にお参りしました。

このブログでも、数回紹介してきた先輩です。渥美半島の福江町に生まれ、早大法科に入学を機に上京。卒業後は産経新聞の政治部記者として活躍し、弱冠36歳にして交通担当の論説委員になります。

50代で高千穂大学教授となるものの、あの流血の惨事を繰り返した成田空港問題には国からの依頼もあり、一貫して関与を続けました。1994年から14年間、「成田空港地域共生委員会」の代表になり、地元に足しげく通い、反対派農民からももっとも慕われる人となりました。

そうした山本先生の努力が実を結び、国は強制的な空港建設を詫び、反対派の多くが運動から身を引くことになったことは、多くの人が知るところです。誕生日が奇しくも同じ7月13日と言うこともあってか、私には常に温かい言葉をかけていてくれました。

その先輩が逝って、遺骨はふるさとへ帰ってきました。その社会に尽くした姿勢と温厚な人柄を見てきた郷土の菩提寺の住職は、こう戒名を付したのです。

 「大空院慈眼雄峰清居士」

大いに納得するというものです。「大空」は成田空港と日本の空にかけた労苦と夢を表わし、「慈眼」は柔らかくて小さい瞳を表現しています。そして「雄峰」は雄二郎の一文字と志の高さを伝えているのです。

先輩の眠るお寺の近くに、きれいな小川が流れています。今そこには写真に載せたようにホタルが優しい光跡を残しながら飛びまわっているのです。そのホタルを雄二郎先輩は、いつもの細い眼で空から優しく眺めているに違いないのです。


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花ニ嵐ノ例ヘモアルゾ「サヨナラ」ダケガ人生ダ

2010年06月06日 | Weblog

「今朝のわが家のツルバラの風景 本人撮影」

写真は6月になった今朝のわが家の庭です。もうツルバラが盛りを過ぎようとしています。その風景の変わっていくのがいささか切なくて、数枚の写真に残しました。

鳩山政権があっというまに崩れました。そしてあわただしく菅新首相が決まりました。民主党代表選挙での、菅さんの笑顔も印象的でした。しかしと思うのです。あの笑顔がいつまで続くのだろうかと。

ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

ご存じ、井伏鱒二の名訳詩です。「花発(ひら)いて風雨多し 人生離別を知る」が中国詩の原型です。この詩がふと思い出される昨日今日の首相交代劇です。

普天間問題は「はい、さようなら」と放り出され、収拾のめどがつかないほど混乱しています。子ども手当てなどの乱暴なバラマキ施策もいよいよ迷走し始めています。封印しようとしてきた消費税問題も避けて通れない時限爆弾です。民主党の内紛の顕在化も不可避でしょう。

この紛糾した国家と政府の運営を、菅政権はうまく展開していけるだろうか。はなはだ心もとないのです。恐らく一年をまたずしてまた花が散るのではないかと心を痛めます。いや、政権が崩れることでなく、国が崩れていくことに心が痛むのです。

 

 

 

 


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鳩山首相の辞任は21世紀の攘夷論の帰結

2010年06月02日 | Weblog

鳩山首相が辞任しました。一瞬驚きました。しかしちょっと間をおくとその辞任が当然であることがわかります。基本的な政治スタンスが明らかに誤っていたからです。その典型的な例が普天間問題です。

今日の両院協議会での発言で、普天間基地移転問題がその主因であったと口にしました。しかしもしそれが、「社民党が離脱したからだ」という理由であるとしたら、少しもコトの本質がわかっていないというべきです。

そもそも国外移設論というものは、欧米は出ていけといった幕末の攘夷論の21世紀版のような空想主義であり、その空想論を党是とする社民党との連立そのものがムリでした。しかし「友愛」や「いのち」などといった歯の浮くような言葉を本気で信じていた鳩山には、グアムへの移転論などは快く酔える主張となったのでしょう。

国際情勢を無視した鎖国攘夷論も空想的平和論も、さすがにすぐにその甘さを知らされることとなります。しかし知ったところで、沖縄の人の痛みを知ることとはなりません。

橋本政権は、沖縄住民の合意をとるのに泥にはいつくばるように努力したといわれます。今朝の読売新聞に自民幹事長であった野中広務の言葉が載っていました。「今の民主政権の面々は、その合意した時の感動を知らない」と。

私の郷土の先輩で、先日逝かれた山本雄二郎高千穂大教授は、自民党の大失政であった成田空港問題の収拾に、実に長いこと命をかけました。成田共生会議の議長となった後も反対派農民の中に入り込み、深夜まで議論し、酒を酌み交わし、家族の愚痴も聞きました。先般の彼の葬儀には反対派の農民たちも多く参列したほどです。

交渉とはこういうものなのです。口先ではないのです。こうして「ガラス細工のように作り上げた」普天間移転策を、鳩山は空想的社会主義に惑わされて一夜にして突き崩してしまったのです。沖縄の人たちの苦渋の選択を足蹴にしてしまったのです。

宇宙人はどこぞの星に帰ればそれで済むことでしょう。しかし地球に残された人たちは大変です。民主党の面々は、この大混乱した沖縄の事態をだれがどう収拾しようとしているのか。そう怒って電話をかけてきた沖縄県庁の友人の声が耳から消えません。


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