嶋津隆文オフィシャルブログ

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田原(渥美半島)ふるさと大使の多彩ぶりは誇り

2013年10月30日 | Weblog

わが田原市は平成15年の10月にスタートしました。旧来は渥美半島の田原町、渥美町、赤羽根町の3自治体が合併したもので、昭和の合併の愛知県第一号でした。今年はその10年めです。

その10周年の記念イベントとして、田原ふるさと大使(渥美半島大使)を8人選びました。その顔ぶれは多彩で、以下のように心楽しくなる人たちと自負しています。大いに田原市と渥美半島を広く喧伝していくものと期待してます。

<渥美半島応援大使>
 白井文吾・中日新聞会長(中日ドラゴンズオーナー)/佐藤敏信・トヨタ自動車陸上長距離部監督/森野美徳・都市ジャーナリスト
<渥美半島夢大使>
小川康弘・ヤクルトスワローズ投手/太田剣・ジャスサックス奏者/尾川智子・世界的なフリークライマー/金子大樹・プロボクサー
<渥美半島元気大使>
金田哲・お笑いコンビ「はんにゃ」

なお田原といえば今一番ブレークしているといわれる三浦靖子、大久保佳代子の二人は、余りにも多忙で参加できないとの話だったようです。


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新しい三河田原駅オープン、設計は安藤忠雄

2013年10月28日 | Weblog

写真:「新三河田原駅」 

わが田原市の玄関口、三河田原駅に新駅が完成しました。10月27日オープン。ちょうど田原市制施行10周年に併せての完成式となりました。

設計は安藤忠雄。言うまでもなく瀬戸内海の直島プロジェクトなどを手がけ、常に話題を呼んでいる世界的な建築家です。
落ち着いた城下町である田原市の玄関口にふさわしいシックな彩の駅舎であり、和風でシンプルな扇形のデザインとなっています。鄙には稀な外観ではないかと今後話題に上ることを期待するものです。
鉄骨造2階建て、延べ床面積は約446平方メートル。写真正面から見て左側は駅施設として豊橋鉄道が使用し、右側は田原市の多目的スペースで観光や交通案内などの情報発信の機能が設けられます。

この新駅舎から田原城界隈まで、懐かしい彩の昭和の街の風情が広がるといい。誘客というより住んでいる人たちが静かに満たされる、そんな街が形成されるといい。渋いこげ茶色の格子戸のデザインから、そんなメッセージを受け取ったとしても大いに許されるというものでしょう。


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渥美半島の土と技が生んだ国宝「秋草文壺」

2013年10月21日 | Weblog

写真:渥美「秋草文壷」慶応大学蔵

写真の壺をご覧ください。いい色彩であり、いい光沢でしょう。国宝の「秋草文壺」です。国産の陶磁器で国宝指定はわずか5点。そのうちの一つがこの壺です。この国宝を含む渥美窯の特別展が、一昨日から私が館長を務める田原市博物館で開かれました。

写真家の土門拳がこう絶賛しています。「日本のやきものの中から、ただ一点を選ぶとなれば、ぼくは秋草文の壺を選ぶ。雄渾にして繊細、重厚にして華麗、日本のやきもののありとあらゆる魅力を一身に担っているのである」(「古窯遍歴」)。

渥美古窯は中世、平安末期から鎌倉後期にかけて渥美半島に存在した古窯。発見が昭和39年というだけにほとんど世に知られていません。いわゆる六古窯とされる瀬戸、常滑、越前、信楽、丹波、備前といった仲間に列せられずにいるのです。

しかしこの渥美古窯は、最近になって東北の平泉や鎌倉など全国に流通し、大いに重宝されていたことが判明してきています。ところが鎌倉時代を機に、渥美古窯は忽然と途絶えてしまったというのです。

そこにはワクワクするような歴史と出来事が渥美半島と中世日本にあったに違いありません。そんなミステリアスな展開を想像するだに、壺の秋草の文様は殊のほか神秘的な輝きに見えるというものです。その確認にぜひ来館していただいてはどうでしょう。


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こんなヒットアイディアを出した田原市女子職員

2013年10月15日 | Weblog

写真:「本物の四つ葉が押花のお守り(@600円)」

田原市の職員は約700人。中には新鮮な発想と行動力を持つメンバーがいるものです。

田原市役所の背後には風力発電の白い風車と360度眺望の展望台を持つ蔵王山がそびえています。その8合目に鎮座するのが愛染明王。この妖しい(?)響きを活用し、ここを「縁結びのパワースポットにしよう」と考えたのが、このアイディア女子職員のスタートです。

そしてそのためのツールとして「幸せの四つ葉プロジェクト」を考案します。中心は本物の四つ葉のクローバーを押し花にしての手作りのお守り袋「幸せ守り」(写真参照)。のみならず四つ葉の形をくりぬいた木札「は~と絵馬」も工夫しました。これがウケタのです。四つ葉のクローバーは本人も栽培するものです。

彼女の発想はさらに留まりません。地元のパン屋さんと連携し、渥美半島名産のマスクメロンを使用した「幸せの四つ葉メロンパン」の販売にこぎつけ、そして圧倒的なPR戦略として地元のスター、ヤクルトの小川康弘投手を活用したのです。

しかもそのPR戦略がしたたかなのです。小川選手に「幸せのお守り」を送ってその喜ぶ写真とメッセージを貰い、さらにその同じお守りを彼の背番号にちなんで29個の限定販売としたのです。各マスコミもそのアイディアに飛びつき、果たして爆発的な問い合わせを受けている昨日今日なのです。

小さなまちの、小さなアイディアによる、大きな出来事といってよいでしょう。


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渡邉崋山の命日に墓前祭と崋山神社大祭に参列

2013年10月11日 | Weblog

10月11日は郷土の偉人渡邉崋山の命日です。天保12(1841)年のこの日、田原藩江戸家老であった崋山は蟄居先の田原の池之原で割腹しました。いうまでもなく蛮社の獄で捕らえられ、国許の田原に送られて2年余り後のことです。死の直前、崋山は「不忠不孝渡邉登」と大書きして逝きました。

命日の今日、午前10時から菩提寺である城宝寺で墓前祭りが執り行われ、11時からは城の近くの崋山神社に処を変えて御神事がもたれました。その行事に参加しつつ、百数十年の揺れ動く社会の評価の中で、すっかり地元に浸透した崋山の姿を感じ取ったというものです。

今月末にはこの崋山を含め、江戸期の経世家たち十数人を自慢しようと全国から首長たちが集まる鷗鳴フォーラムがこの田原で開催されます。そのメインスピーカーは歴史作家の童門冬二氏。東京都庁の先輩です。彼がどんな崋山像を話すのか、大いに期待するというものです。

しかし崋山が絶対的に賞賛され神社まで建立されたこの地にあると、ふと自虐的な欲望が出てくるというものです。それはちょうど芭蕉の神格化の背景を検証し『悪党芭蕉』と銘打った本を出した嵐山光三郎の心情に似ているかもしれません。光り輝く崋山像だけでなく、人間としての弱みや悩み、あるいは彼を毀誉褒貶した人々の心情を探ってみたいと思い始める昨今なのです。


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朱建栄教授が行方不明3カ月、その安否を案じる

2013年10月05日 | Weblog

朱建栄教(東京新聞8月23日)

朱建栄東洋学園大学教授が消息を絶って3ヶ月。中国安全省が彼の拘束を認めて1ヶ月。その安否が案じられてなりません。大学人仲間であり、またかつてはNIRA(総合研究開発機構)で机を並べ熱く議論を重ね合っていた同僚です。

中国のみならず日本の歴史・経済・社会に精通した豊富な知識と冷静な分析力に、私たちは常に啓発されていたものでした。日本の華人教授会の会長を務めるなど中国の人たちから慕われたとともに、トヨタの会長も顧問となるなど我が国の経済界からも強い信頼を得ていました。

その彼の突然の拘束と安否不明。21世紀の現代社会にあって考えられない不条理です。東京新聞の佐藤優氏の中国への憤りに深く同感するものです。


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