写真:『潮の騒ぐを聴け』 風媒社/1575円
この本の著者は小川雅魚(マサナ)椙山女学園大教授。62歳。その彼がまだ紅顔の美少年であった一橋大の学生時代、国立市のキャンパスの東隣に居を構えていた作家、嵐山光三郎とは駅前の飲み屋あたりで必ずやすれ違っていたに違いありません。
『潮の騒ぐを聴け』を読みながら、会うたびにいつも和服姿にカランコロンと下駄の音を鳴らしていたこの「昭和軽薄体」作家の、食に関するエッセイを思わず想い起こしたものです。例えば『海賊の宴会』の一節。
レタスのおいしい食べ方について。
レタスをちぎって皿に入れ、そこへ醤油と胡麻油をかけて、指でゴワゴワとかき回す。
「すると、レタスという性格の悪い野菜が禅を二十年修行したドイツ系ノルウェイ人みたいにピーンと生き返るのである」。
著者は、レタスに対してよい評価を与えていない。
「なにより気にくわないのは、オツにすました風体だ」。
「レタスをいかにしてぐれさすか、こいつが課題だった」わけだが、それに成功したのである。確かに、なかなかいける。
その軽妙洒脱な書き味。しかしマサナ教授の書き味の方がなおマサっていると私には断言できるのです。その所以は、間違いなく食だけでなく、エピソードの舞台となっている渥美半島と現地人(渥美原人!)たちへの慈愛(?)が随所に滲んでいるからです。
更に『潮の騒ぐを聴け』を読み進むにつけ、併せて想い出されたのがドラマ『北の国から』の脚本家、倉本聰とのやりとりです。20年ほど前にニューヨーク市役所に東京都の代表として駐在していた折、その彼から私はこんな話しを聞きました。
“こだわる”ということについて。
現代人は物ごとへの“こだわる”ということを忘れています。これはいけません。自分は常に“こだわる”ということを大事にしたいと思っています。
例えば、ハヤシライス。ハヤシライスにおおいに“こだわり”を持っています。第1にハヤシライスには、必ずグリーンピースが載っていなくてはいけません。第2にそのグリーンピースは色鮮やかな緑でなくてはいけません。しかも第3にその数は必ず3粒でなくてはいけません。
いやあ、たかが3粒のグリーンピースを取り上げつつ、聞き手を大きく魅了していくその話術に舌を巻いたものでした。食のエッセイとは、人を愉しませる魔法のような効用を持つものかも知れません。それにしてもマサナ教授の語り口は、その魔法の術をケレン味なく、まことにしたたかに駆使して殆ど倉本聰を凌駕しているというものです。
ここ数年来、久しぶりに堪能した読後感、いや食後感というものです。いやいや、この満腹感は決して私だけではありません。昨今の朝日新聞などマスコミに賞讃の嵐が吹いているのです。今やマサナ教授のこのエッセイは、現代日本の伝説にすらなろうとしているのです。