嶋津隆文オフィシャルブログ

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一年かけ伊良湖岬の3つの小学校の統合、合意決着

2014年07月31日 | Weblog

田原市の教育長に赴任したのが昨年の4月。すぐに私が着手したのが小中学校の統廃合問題です。とくに少子化による複式学級と津波災害を懸念していた渥美半島の伊良湖岬地区の3小学校(伊良湖、堀切、和地)の統合は喫緊の課題でした。

この一年、地元とは数十回にわたる話し合いを重ねました。そして先般、やっと合意に至ったのです。3小学校の統合だけでなく、新設校舎の移転先も伊良湖岬中学校の他校統合も決着したのです。地元の人の労苦に感謝します。それにしても私自身、心底ホッとしたことは事実です。嬉しいのでその合意の折の新聞記事を採録します。


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自治体外交の成果となるか、都知事の青瓦台訪問

2014年07月28日 | Weblog

写真:「韓国大統領官邸(青瓦台)」

先週(7月23日)の朝、何げなく開いた読売新聞の朝刊に驚かされました。目に飛び込んだのは一面全面を使っての、ソウル市長の日本向けのPRです。

「ともだち ―ようこそ、ソウルへ!」のコピーで、手を振るのはソウル市長は似顔絵イラスト(わたせせいぞう風)。背景はソウルの町並みと韓国料理。そして右上には「東京都知事のソウル訪問を歓迎します」とありました。

反日キャンペーンの続く韓国です。そんな険悪な国家間のなかで首都のソウル市長が大々的な歓迎メッセージを送っているのです。これは一体どういうことだろう。国家外交とは違う、自治体外交としての試みだろうか。

しかし一日あけると、桝添都知事が安倍総理のメッセージを持って朴大統領に会うとの報道が出ました。うーん、やはり純粋な自治体外交でなく、国家関係の生々しさを背景に持っているのかと思い知らされました。

都知事の韓国大統領訪問といえば平成3年、当時東京都庁の国際部で姉妹都市関係の課長をしていた私は、鈴木俊一都知事と金泳三大統領を青瓦台に表敬訪問したことがあります。同席したのは韓国駐在の日本大使で日本側は3人だけの訪問でした。

そのとき金大統領はこう発言しました。「韓国と日本は<近くて遠い関係>です。しかしこれからは<近くて近い関係>にしていきましょう」。いわゆる「未来志向」のこの発言に鈴木知事も私も明るい気分で青瓦台をあとにしたものです。

あれから四半世紀。しかし現在の朴大統領の反日姿勢は「未来志向」という観点からはかなり遠いものがあります。今次の都知事のソウル市訪問という自治体外交が新しい日韓関係の展望が開く機会とならないものか。そう、切に望まないわけにはいきません。


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子どもは地域で守るという赤羽根のサーフィン教室

2014年07月24日 | Weblog

写真:「赤羽根小HPより」

渥美半島の赤羽根海岸は太平洋ロングビーチとも言われ、プロサーフィン世界大会も開催されるサーフィンのメッカとして全国的に有名です。当然のことながら地元の小学校でもサーフィン人気は高く、毎年夏には高学年の子ども達全員がボディボード体験学習を楽しみます。

しかし今年は事情が違いました。6月はじめ、豊橋の表浜海岸でサーファーがサメに腕をかまれ大怪我をしたとの事件があったからです。危険な場所には子ども達を入れるべきではない。海の体験学習は中止すべきだ。当然そういう声が出たのです。

この事態を受け保護者たちと学校は話し合いました。伝統のこの事業を止めるべきではない。子ども達も楽しみにしている。そこでアンケートをとりました。すると保護者の8割が賛成し、難色を示したのは2割だったというのです。

私が驚いたのはその数字だけではありません。実施に当たっての地域や学校がとった安全対策です。①まずサメが来るとは考えられない浅瀬でこれを行う。②子ども達には保護者が必ず一人に一人が付いて守る。③しかもその子ども達の周りをサーフィン協会の人たちが取り囲んで警戒する。この三段階のガードを徹底することで実施したのです。

この体験教室は昨日の22日に赤羽根海岸で行われました。現場に足を運んだ私は、文字通り子ども達を地域が守るというテーゼを数十人の大人たちが見事に実現している光景に、少なからず感動しました。じりじりと照りつける日差しを受けながら、気持ちは大いに爽やかになったものです。


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渥美半島はジオサイトの宝庫、ジオパーク登録を

2014年07月22日 | Weblog

写真:「日出石門(ひいのせきもん)by mahiro」

先週末の7月19日(土)より8月末の31日まで、わが田原博物館では「東三河ジオパーク」展が始まりました。夏の田原市のウリの企画展で、8月31日まで開催されます。

ジオパークって何? そう尋ねられそうですが、「ジオ(Geo)」は大地や地球の意味で、パークは公園です。ジオパークは「大地の世界遺産」「大地の日本遺産」といえましょうか。世界ジオパーク、日本ジオパークがそれぞれ認定されます。

日本で世界ジオパークネットワーク(ユネスコ)に認定されているのは、2013年9月現在、洞爺湖有珠山、糸魚川、山陰海岸、島原半島、室戸、隠岐の6ヶ所です。これ以外にも多くの地域が加盟を目指しています。
さてわが渥美半島はといえば、三河湾国定公園、渥美半島県立自然公園に指定された自然環境を有し、中でも蔵王山や伊良湖岬(日出の石門、恋路ヶ浜)などは、堂々たる「ジオサイト」(観光資源)といってよいでしょう。

もちろん東三河全体がジオパークそのものというべきものです。中央構造線に沿い、赤石山脈系を軸に、新城の鳳来寺山、豊橋の石巻山など、文字通り宝の山なのです。

「東三河はひとつ」。地理的、歴史的なつながりもさることながら、昨今では政策的に大いに強調されるコンセプトです。ジオパークは、まさにこの東三河一体のコンセプトをもっとも象徴的に具現化するものとして、今日的な結集軸になるものといえます。そういう点でも、田原博物館での今次の企画展の成功を期待したいものです。


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誕生日に改めて思う「年齢なんか関係ないぞ」 

2014年07月14日 | Weblog

写真:「ハッブル望遠鏡が捉えた星雲(NASA)」

7月13日は私の誕生日。れっきとした60代後半です。インターネットを見ていたら、何とあまちゃんこと能年玲奈も同じ誕生日で、今日は新宿大通りで華やかなカーペットセレモニーがあったとのこと、いやいやめでたい限りです。

さて「高齢者」という枠で一般的にグルーピングされるのは65歳以上です。平成32年度の推計ではその数およそ3600万人であり、日本の総人口1億2300万人の30%を占めることになります。

しかし退職後という枠で捉えるならば60歳以上の「高齢者」は、平成32年度のその数は4000万人で、総人口の33%に達します。しかもちっとやさっとでは死なない人生90年の時代です。

この膨大な数の高齢者層を、被扶養者、年金受給者であり、社会的弱者として捉えることがあるとすれば、それは人工的にも社会的も明らかに不適当となりましょう。

若い世代は仕事が不安定で生活に余裕がありません。シニアの知識、経験、やる気。これを生かさない手はないのです。「団塊をはじめシニア世代が日本を救う」(読売新聞)時代です。日本社会のもう一つの中心はシニアなのです。そう、宇宙の中心はわれらにこそあるのではないか。誕生日の今日、「年齢なんか関係ないぞ、生涯現役」と、一人気合いを入れて大空を見上げる一日でありました。


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納采の儀で思い出す出雲とヤマトの神話と相克

2014年07月07日 | Weblog

写真:「国譲りの見返りで建った出雲神殿」

今日は七夕。あいにくの雨ですが彦星と織姫の逢瀬の日です。そういえば一昨日、出雲大社の千家さんと高円宮典子さんの納采の儀がありました。おめでたいことです。

しかしこの出雲とヤマトの成婚は、敵対していた両国の長い歴史を考えると、とてつもない事件といってよいようです。大国主命(千家家)がヤマト王朝に国土を譲り(簒奪され)、以来出雲のヤマト(天皇家)への恩讐が根深く続いているからです。

例えばこんな話を出雲で聞きました。

一つは30年ほど前の当地での「まちづくりシンポ」の時のこと。ある地(ぢ)の出席者の一人がこう話したのです。
「小さい頃に聞いたんだけど、戦艦大和が沈んだ時、出雲の年寄りは“大和が負けた、大和が負けた”と喜んだというのです。それ程に出雲の人は大和を長く恨んでいたのですよ」。

もう一つはごく最近の話しで、出雲出身の法政の大学教師から聞きました。
「竹下登が首相になり島根の地元でその報告会を開いた際、ひと騒動ありました。『大和は出雲が譲り捨てた国だ。その大和の首相になったからといって今さらノコノコと出雲に報告に来るな』。会場からそうブーイングがあったのです」。

時空を超え、壮大な神話世界を現代に想起する、なかなか楽しいエピソードではないでしょうか。

もっとも数年前、目黒の雅叙園でのパーティで、出雲大社の千家隆比古権宮司と同じテーブルに座る機会がありました。そこでこの話の真実を確認したところ、「初耳ですねえ、その話は。でも確認してみましょう」と笑っていました。


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今や現代の伝説になったエッセイ『潮の騒ぐを聴け』 

2014年07月02日 | Weblog

写真:『潮の騒ぐを聴け』 風媒社/1575円

この本の著者は小川雅魚(マサナ)椙山女学園大教授。62歳。その彼がまだ紅顔の美少年であった一橋大の学生時代、国立市のキャンパスの東隣に居を構えていた作家、嵐山光三郎とは駅前の飲み屋あたりで必ずやすれ違っていたに違いありません。

『潮の騒ぐを聴け』を読みながら、会うたびにいつも和服姿にカランコロンと下駄の音を鳴らしていたこの「昭和軽薄体」作家の、食に関するエッセイを思わず想い起こしたものです。例えば『海賊の宴会』の一節。

レタスのおいしい食べ方について。
レタスをちぎって皿に入れ、そこへ醤油と胡麻油をかけて、指でゴワゴワとかき回す。
「すると、レタスという性格の悪い野菜が禅を二十年修行したドイツ系ノルウェイ人みたいにピーンと生き返るのである」。
著者は、レタスに対してよい評価を与えていない。
「なにより気にくわないのは、オツにすました風体だ」。
「レタスをいかにしてぐれさすか、こいつが課題だった」わけだが、それに成功したのである。確かに、なかなかいける。

 
その軽妙洒脱な書き味。しかしマサナ教授の書き味の方がなおマサっていると私には断言できるのです。その所以は、間違いなく食だけでなく、エピソードの舞台となっている渥美半島と現地人(渥美原人!)たちへの慈愛(?)が随所に滲んでいるからです。

更に『潮の騒ぐを聴け』を読み進むにつけ、併せて想い出されたのがドラマ『北の国から』の脚本家、倉本聰とのやりとりです。20年ほど前にニューヨーク市役所に東京都の代表として駐在していた折、その彼から私はこんな話しを聞きました。

“こだわる”ということについて。
現代人は物ごとへの“こだわる”ということを忘れています。これはいけません。自分は常に“こだわる”ということを大事にしたいと思っています。
例えば、ハヤシライス。ハヤシライスにおおいに“こだわり”を持っています。第1にハヤシライスには、必ずグリーンピースが載っていなくてはいけません。第2にそのグリーンピースは色鮮やかな緑でなくてはいけません。しかも第3にその数は必ず3粒でなくてはいけません。

いやあ、たかが3粒のグリーンピースを取り上げつつ、聞き手を大きく魅了していくその話術に舌を巻いたものでした。食のエッセイとは、人を愉しませる魔法のような効用を持つものかも知れません。それにしてもマサナ教授の語り口は、その魔法の術をケレン味なく、まことにしたたかに駆使して殆ど倉本聰を凌駕しているというものです。

ここ数年来、久しぶりに堪能した読後感、いや食後感というものです。いやいや、この満腹感は決して私だけではありません。昨今の朝日新聞などマスコミに賞讃の嵐が吹いているのです。今やマサナ教授のこのエッセイは、現代日本の伝説にすらなろうとしているのです。


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