嶋津隆文オフィシャルブログ

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厚木市「シティセールス委員会」の委員長に就任

2009年05月29日 | Weblog

厚木市の全景

今週始め26日の火曜日に、厚木市で「シティセールス戦略検討委員会」なるものが発足し、その委員長職に就きました。「あつぎブランド」を考案するとともに、その名を全国に売って、厚木市への企業誘致や交流人口増加の手立てを工夫していこうとする委員会です。

厚木市は人口22万人の中核都市。出席した小林常良市長の口を借りれば、「神奈川県央の雄都」となることが期待されています。日産やNTTなど有力企業が集まり、財政力指数も1.5近く(平成18年度)、全国のベスト10に入る優良自治体です。しかし商業、農業の伸び悩みは深刻で、駅前周辺の商店街さえ空き店舗を生じています。街としての印象の薄さも否めません。

委員会は、商店街の会長さんや農協の青年部長さん、ホテルや小田急の関係者など13人のメンバーで構成されています。昨秋B級グルメのグランプリ全国一で有名となったシロコロホルモンの探検隊長も加わってのスタートです。自分たちの町、厚木を何とか元気にさせたいとの、危機感と熱意が芬々としていました。 会議の中で、印象深かった一つに、行政と民間メンバーとの問題意識の違いがありました。事務局から今後のスケジュールとして、一年後の来年3月に「戦略プラン」なる報告書を出してほしいとの提案があったのですが、「そんなゆっくりする余裕はない、すぐにでも実施すべきだ」との発言が、メンバーの中から強く出されました。

行政は時間の感覚、すなわちコストの感覚が薄いと常々言われます。その問題性をストレートに指摘するメンバーの姿勢に、委員長としての私は思わず、「いや、分かりました、主テーマの議論は3ヶ月の内に決着することとしましょう」とノッタものでした。そして次回は集中的な議論を行い、反映すべきものは年度末の報告を待たず、すぐに実行することを確認し合ったのです。

こういう予期せぬ展開が生じた場合、シワ寄せで大変になるのは作業部隊たる事務局です。しかし厚木市の担当者の反応は、極めて柔軟でした。国と比べ、自治体の職員の瞬発力は評価されてきている昨今ですが、こうした前向きの姿を目の当たりで見せられると、たいへん納得するというものです。

この会議での盛り上がりと協調の姿勢は何としても持続させ、面白い提言としてとりまとめたいものと、けっこう気負って、市役所を後にしたものでした。


国立市は“ならず者”の無法国家なのか?

2009年05月25日 | Weblog

写真:5000項目採録の「行政大辞典」

出版社の㈱ぎょうせいから執筆を依頼され、この半年の間、ひたすら作業を進めてきた「行政大辞典」の原稿が、今日脱稿しました。実に解放的な気分に浸っています。私の分担は250項目。「道州制」など手慣れた地方自治に関する事項が大半ですが、1項目を1000字弱でまとめるのですから、単純計算で25万字という相当の執筆量となりました。

この「行政大辞典」は全巻が6巻で5000項目も採録している、膨大な行政情報データ集です。そもそも霞が関の、各省庁の担当者が組織的に執筆していたものですが、今回はほぼ10年ぶりの改定で、地方自治体の視点からリニューアルしようというものでした。

それだけに中央集権の立場でなく、地域のことはその住民が決めるという地方自治こそ、これからの社会のメルクマールだとの観点から私も加筆したつもりです。しかしそうは言っても、国家=悪者、地方=正義といった単純な構図に拘泥している、例えば国立市のような自治体の存在に気付き、作業の手が思わず止まってしまうというものでした。

国立市長が、個人情報が漏えいし国民総背番号制にも結びつくとして、住基ネットを切断して既に8年。その間に国会は個人情報保護法を整備し、最高裁も昨年に「住民の情報は漏れてはいない」と判決しました。総務省も東京都も、住民に不便を強いるからと接続の勧告を再三出しました。それでも国立市長は地方自治を楯に拒否し続けているのです。

読売新聞も、年金の現況届提出やパスポート取得時の住民票添付不要といった住民のメリットを住基ネット切断で崩しているとし「違法状態は早期に解消せよ」(2月15日)と指摘しました。日経新聞も、「(国立市長は)嫌だから嫌だとすねている子供にしか見えない」(3月2日)と評しました。国立市議会ももちろん、接続すべしとの決議をしています。

かように社会全体を敵に回して、つっぱる革新自治体とは何のでしょう。こうした無法地帯を創出する自治体の例を見ると、国際社会の批判を無視して拉致問題もミサイル発射もよしとする、どこぞの“ならず者”国家と二重写しになると言っては過ぎるでしょうか。

そういえば数年前、国立市長は「無防備都市宣言」の採択を図り、議会で否決されるという事件もありました。この宣言をすれば、北朝鮮がわが国をミサイル攻撃しても、国立には攻撃しないということでした。まさに語るに落ちるというものです。

こう、あれこれ考えると、せっかくの脱稿の解放感も、たちまち踏みつぶされてしまうのですから、何とも釈然としないというものです。


国立の監査請求は住民訴訟へ移行されました

2009年05月20日 | Weblog

写真:「大学通りマンション風景 本人撮影」

国立の監査請求は住民訴訟へ移行されました

さる2月27日に国立の住民が、市長に対し、「明和マンション事件で国立市が肩代わりして支払った賠償金を、市は上原公子前市長らに求めるべきだ」との監査請求を出しました。259名の賛同を得て提出したものです。

しかし4月24日に出された監査結果は、「国立市は求償の対象者や額の具体的検討と、その公表を行え」という曖昧なものでした。監査制度の意義を危うくする、極めて無責任な内容で、署名した住民たちが憤然としていたことは先のブログで触れました(4月27日ブログ参照)

昨年3月に最高裁が「余りにも反社会的で違法だ」と認めた、前市長の営業妨害行為などで発生した3124万円という賠償額は巨額です。その支払いを肩代わりしながら、前市長への求償に動こうとしない国立市。腰の引けた監査委員。こうした閉塞状況を一体どうしたらよいのでしょうか。住民は動きました。

1つは監査勧告を確実に履行すべく、しっかりと監視していこうというものです。監査勧告を踏まえ、国立市には「庁議(部長クラス以上)でもって、前市長ら求償の対象者と賠償の範囲を検討すること」が義務付けられました。きちっとその義務を遂行し、上原前市長に相応額を求償するように、引き続き要求しようというものです。

もう1つは訴訟です。今の国立市は、違法状態にある住基ネット切断でも、国や都との再三の勧告を無視し放置しています。監査勧告も同様に無視することが懸念されます。そうした無法状態、違法状態を除去できるのは最終的に司法しかないのです。

そこで危機感を持った住民有志が、この5月19日、本人訴訟という形で住民訴訟に踏み切りました。監査委員の背信的な姿勢を明確にし、上原前市長への求償を市に確実に実行させる方法は、確かにこの司法の場しかないでしょう。

それにしてもこの住民たちの、不正に対する毅然とした態度と実践力には、何ともスゴイと、感服する外ありません。国立も決して捨てた町ではないではないか。そう爽やかな気持ちになるというものです。前市長への求償権行使の正当性が認められ、国立に不正義が払しょくされる日は近いというものです。


音羽ゆりかご会の可愛い歌声に浸る

2009年05月10日 | Weblog

この連休は、出版社から頼まれた辞典ものの原稿作りに集中しました。朝から晩まで連日、パソコンに向かってキーを叩いていると、目がくぼんで来そうです。ただでさえ、たるみ始めた眼の下が、三国連太郎のようになりはしないかと怯えていました(笑)。

そんななかで一日だけ、浅草の公会堂に足を運びました。音羽ゆりかご会の記念コンサートに招待されていたからです。招待してくれたゆりかご会の海沼美智子さんとは、20年前にNYのカーネギーホールで公演があったとき、現地に駐在してそのお手伝いさせてもらったことが機縁で付き合いが始まりました。戦後のラジオ歌唱で一世を風靡した川田3姉妹の一番下の妹さんで、その彼女に会えることも楽しみでした。

「みかんの花咲く頃」、「里の秋」あるいは「赤とんぼ」といった、私たち日本人の細胞に染み付いた童謡の数々が、次から次へとメドレーで唄われていきます。懐かしい歌詞と音律に浸り、心の底から癒しの一時をもてたと感謝したものでした。

しかしそれ以上に私が魅入ってしまったものがありました。小さな口を目いっぱいに大きく開けて歌う、子供たちのきらきら光る肌でした。小学校の1、2年生でしょうか、その生命を輝かせているような、みずみずしい子供たちの皮膚に、思わず食べてしまいそうな衝動が湧いたことを告白しなければなりません。

こうした衝動の所以は何でしょうか。加齢や老齢に伴う回帰現象であるかも知れません。生物(いきもの)としての種の保存を求める、次世代への期待感覚なのかも知れません。いやいや、わが国は少子化の進行の中で、民族の滅亡が懸念されています。そんな兆候に対して、日本民族としての生物集団が発信する危機メッセージではないか。そう思えてしまったのです。

それにしては、世の中、情けない風潮があります。例えば先日のこんな騒動がありました。「私は子どもを二人作り育てました。義務を果たしました」。この当たり前の表現を答弁したどこぞの首相に、「子作りを“義務”化した」と噛みついたマスコミ等の姿勢です。失言をハイエナのように探し求めるマスコミのさもしさもさることながら、「すべての“義務”を軽視することこそ民主国家なのだ」といわんばかりの戦後民主主義の危うさを、ここにも感ずるというものです。

音羽ゆりかご会のコンサートでは、小さな子供たちによって、「仰げば尊し」がうたわれました。その時、会場を満席に埋めた親や祖父母たちの目が潤んでいたことを、私は忘れることが出来ません。大事なものは大事に伝えていきたいものです。生命も歌も伝統もです。